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黒沢清、10人の映画監督を語る

フェデリコ・フェリーニ

全11回

第2回

18/8/5(日)

どの作品も個性的ですべて面白い

 よくある典型的な当時の映画青年の辿る道なんですが、アメリカの娯楽映画ばっかり観ていた若者が突然フェリーニを観ると衝撃を受けます。僕は高校生の時に『サテリコン』を観て、なんだこれって。そこからやたら見始めるんですが、当時アート系映画に目覚めた若者が観るのは、やっぱりフェリーニ、ヴィスコンティ、パゾリーニですかね。見慣れないものですから、僕もすごいすごいと言っていました。その中でも最も強烈だったのがフェリーニでした。

 でも、大学生になってもうちょっと知識も増えて、色んな映画を観てからもう一度観ると、フェリーニも、ヴィスコンティも、パゾリーニも全然違うんですよね。イタリアの似たような名前で、似たような映画だと思っていたんですが、まるっきり違っていて。後々見直すとフェリーニが圧倒的でしたね。断トツにすごいなと今見ても思います。あまり悪口は言いたくないですが、ヴィスコンティにはまっていたのが今ちょっと恥ずかしくて言えないっていうのがあるんですが、フェリーニだから堂々と言えるというのはありますね。

 『サテリコン』を観た後、『フェリーニのローマ』を観たのかな。これはあちこちで書いていますが、誰とも知らないエキストラが突然カメラのレンズをじっと見つめる瞬間があちこちにあって、当時ものすごく驚き、映画っていったい何なんだろうと考えるきっかけになりました。それから、しばら後に見た作品で、ほとんど評価されていませんが、フェリーニの中で大好きなのが『女の都』ってやつなんですけど。これは本当に面白くて、音楽のセンスがいいんですよ。フェリーニの映画って、音楽はほぼニーノ・ロータなんですけど、『女の都』は違っていて、当時のテクノポップのバンドの曲が延々流れるシーンがあるんです。これがすごいんですよ。その曲を僕がたまたま知っていたので『女の都』を観ていたら突然その曲が流れてきたので、びっくりしたという記憶があります。今見ても、よくこんな曲を突然流したなと思います。

 それから、あまりにも名作で今更ですが、やはり『道』。これもすごい映画ですよ。僕は今でも時々見直すんですが、本当によくできていて。やっぱりフェリーニって若い時から才能あったんだなって思います。物語の巧妙な構造と、随所に見られる奇妙な描写とのバランスが絶妙です。のちの『サテリコン』だの『フェリーニのローマ』だのを匂わせる非現実で趣味的な描写が結構『道』にもあるんですよね。その後、『甘い生活』『8 1/2』と通常の娯楽映画の物語性とは多少違う、起承転結のない見せ場が櫛団子状に羅列された語りになってくるんですが、『魂のジュリエッタ』あたりからいよいよおかしくなってきて、もう現実でなくてもいいやっていう感じの何でもありになってくる。その後に『サテリコン』とか『フェリーニのローマ』がくるわけですけど。『カサノバ』も相当好きなんですけど、暗い映画でしたね。それ以前の底抜けな感じはあまりなく、陰鬱な感じでした。

 晩年の作品は、『女の都』あたりから変化していきましたね。ニーノ・ロータがそのあたりで亡くなったことも関係したんですかね。『そして船は行く』『ジンジャーとフレッド』『インテルビスタ』『ボイス・オブ・ムーン』とあって、ハッと気づくとフェリーニがいなくなっていたという感じでした。フェリーニはすでに十分巨匠ではありましたが、割とあっけなくいなくなっちゃったという感じがありました。もっと長生きしてもっとやりたい放題のことをやるように思っていたんですけど。ある時に全盛時代があって、だんだんダメになっていくとか、終始同じものばかり撮っているというのではなくて、形を変えながら色んなものを撮っていて、どれもちゃんと個性的でちゃんと面白いっていうのは偉いもんだと思います。

どれだけ極上の嘘をつけるかということに挑み続けたフェリーニ

 僕みたいにフェリーニ好きですよという人は結構いるんですけど、初期から晩年に至るまでのフェリーニという人の個性について冷静に分析したようなものってあんまり目にしない。あれは特殊な人だという風に思われているのかも知れません。僕にしても、フェリーニについては、あまりしゃべったことがないのですが、こういう機会だから素直に言っちゃったものの、そんなに語れるほど分析的に観ることができていません。単に当時のめり込んだ、すごいと思ったっていうことに尽きるんです。

 少なくとも1970年代以降、実写映像はまずリアルでなければならないという呪縛にがんじがらめになっているように思います。例えハリウッドSF大作であっても合成とか上手いことやらないと人はこんなの嘘だと言ってそっぽを向いてしまいます。そんな時代の中で、フェリーニは真っ向からそれを無視して、どれだけ極上の嘘をつけるかということに挑み続け、作り物めいた世界をとことんやり抜いたっていうのは凄いものだと思いますね。映画は、それほど現実的でなくても大丈夫なんじゃないのかなっていう勇気をいただきました。

 僕らの世代では、フェリーニはもう本当に芸術映画の巨匠としてあまりにも有名だったので、そんなに語る必要もなくいたのですが、今の若い人にとっては、映画好きならフェリーニって名前を聞いたことあっても、実はほとんど見たことがないという人も結構いるかもしれないですね。そういう人たちがフェリーニを観たら、ひょっとするとびっくり仰天するかもしれません。

(取材・構成:モルモット吉田/写真撮影:池村隆司)

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