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“NINJA”の逆輸入? 『NARUTO』が海外で人気を博した理由とは

リアルサウンド

20/11/6(金) 9:00

 2000年代の『週刊少年ジャンプ』を代表する漫画の一つ『NARUTO -ナルト-(以下NARUTO)』は海外、とりわけ北米市場で大きな人気を持った作品だ。クールジャパンという言葉が生まれたゼロ年代、海外市場における日本漫画の躍進を支えたビッグタイトルであり、その人気はライバル漫画だった『ONE PIECE』を凌いでいた。

 『NARUTO』の海外市場での人気の理由としてよく言及されるのは、海外における「忍者」人気である。今や、忍者は「NINJA」という英単語になっているが、この言葉の受容と広がりに『NARUTO』はどのように関わっただろうか。

 『NARUTO』について考えることは、日本文化が世界でどのように受容されているのかを考えることにもつながるのではないか。「忍者」と「NINJA」、そして『NARUTO』の忍者感について考えてみることで、世界から見た日本文化の特徴とは何なのかを考えてみたい。

北米社会におけるNINJAの概念 

 忍者という概念が北米社会に浸透していったのは、1980年代からだと考えられている。

 1981年に全米で公開された映画『燃えよニンジャ』が全米でヒットし、忍者ブームに火を付けた。敵の忍者ハセガワを演じたショー・コスギは、この映画の中で滝つぼに落下するシーンを演じ切り、高く評価される。その後、ショー・コスギ主演の忍者映画がアメリカで続々作られるようになる。

 さらに、『燃えよニンジャ』とほぼ同じ時期に出版された小説『The Ninja』もベストセラーとなり、さらに忍者の人気に拍車をかけた。

 そして、その人気は、1984に出版されたアメコミ『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』が登場したことで、アメリカの子どもたちにも浸透してゆく。本作は、アニメーション化、実写映画化も果たし、世界的なキャラクターへと成長していき、この辺りから忍者は日本のものから徐々に「NINJA」として、独自の文化として世界に浸透し始める。

 筆者は、2004年から2010年までアメリカで生活していたが、全く日本の漫画も映画も見たことのないアメリカ人女性が、しょっちゅう「NINJA」という単語を使っていることに驚いた。彼女は『NARUTO』については全く知らなかったが、「NINJA」という単語はほとんど口癖のように使っていた。いわゆる「OTAKU」カルチャー好きな人の間だけで流通している単語ではないのだ。

 しかし、彼女が何を「NINJA」と呼んでいたかというと、これが本当に多岐にわたっており、とりあえず映画などで超人的な動きを見た時、「NINJA、NINJA!」と連呼していた。『マトリックス』を見てもNINJA、ジャッキー・チェンやジェット・リーを見てもNINJA、パルクールやスケボーの華麗なテクニックを見てもNINJAと言っていた。とにかくすごい動きは全てNINJAだった。

 筆者がアメリカ生活をしていたころには、NINJAという単語は日本語のオリジナルと遠く離れた別の言葉となっていた。一応、「忍者は本来、日本の侍の時代のスパイみたいなものだよ」と説明を試みたことはあるが、怪訝な顔をされてしまった。どうもNINJAという単語がそもそも日本由来だということも知らなかったようだ。そんな風に「NINJA」という単語は完全に日常用語と化しており、日本の「忍者」とはかけ離れた意味で使われている。

 『NARUTO』の連載開始は1999年。すでにその時アメリカにおける「NINJA」の概念は、本来の意味とは全く違った形でものすごく浸透していたのだ。

『NARUTO』は忍者というよりNINJA?

 そんな「NINJA」という概念を知った上で『NARUTO』を読んでみると、これは漢字で書く「忍者」よりも「NINJA」に近いものを描いていたのではないかと思える。

 『NARUTO』の世界の忍者は、現実世界でかつて存在した、間諜の専門家というよりも軍隊のような軍事力という側面がある。そして、彼らの能力は押しなべて派手で、みなすごい動きを習得しており、闇の世界に生きる存在としては描かれていない。服装も、洋装と和装を組み合わせたような意匠だし、主人公のナルトは金髪で碧眼である(漫画のキャラクターの髪と目の色は国籍や人種の表象ではないが)。

 作者の岸本斉史氏もインタビューで「忍者なのに、陰に潜むという感じじゃなくって明るくて、金髪だし派手なオレンジ色の服を着ている。“こんなの忍者じゃないじゃん!”とか、“ナルトって名前、ラーメンの具じゃん!”とみんなにツッコまれました」と語っている(https://ddnavi.com/news/233912/a/)。

 そうした国内の突っ込みは、漫画の完成度と面白さでねじ伏せていったわけだが、元々本作が「NINJA」漫画であると考えれば、海外ではむしろ引っかかることなくすんなり読めたのではないか。

『NARUTO』に見る日本文化の特徴

 『NARUTO』は、ある意味西洋的な概念となった「NINJA」を逆輸入した作品と言える。作者の岸本氏自身はそれを意識しなかっただろうが、無意識にそれが行われていた点がむしろユニークで興味深い点と言えるかもしれない。

 日本は、あらゆる文化をとりこんでしまう。クリスマスを祝った数日後に神社にお参りに行くことに違和感を抱かない国民性だ。なんでも取り込むミクスチャー性が日本文化の特色であり、『NARUTO』という作品には、そんなミクスチャー感が色濃く出ており、海外で発展したNINJAカルチャーすら、無意識に取り込んでしまったわけだ。

 批評家の横山宏介氏は、そんな『NARUTO』に、日本のポップカルチャーの在り方の典型的な例をみている。

「そこで描かれる「忍び」は日本的なモチーフでありながら、史実の忍者とはむしろ関係がありません。それは単に、忍者は火を吹かないし分身もしない、という意味では無く、『ナルト』における忍者の造形が、「チャクラ」や「フォーマンセル」といった用語、あるいは色も形も様々な髪と瞳(ナルトは金髪碧眼です)や洋服に代表されるとおり、徹底して多(無)国籍的であるということです。つまり同作では、古今東西の要素の「外付け」が「忍び」=日本的なものに回収されるのです。『NARUTO』は過剰な「外付け」自体を「日本」の個性として提示し、結果「クールジャパン」の先駆けとして、世界中で読まれることになりました」(https://school.genron.co.jp/works/critics/2015/students/yokoyama/703/

 横山氏は「外付け」の魅力を持った作品の後継作品として、『僕のヒーローアカデミア』に言及している。こちらの作品は、「NINJA」ではなく、アメコミのスーパーヒーロー的な存在を日本国内で展開させた作品だ。日本を舞台に、日本人の登場人物にアメコミ的活躍をさせるというこの漫画は、文化のミクスチャー性を感じさせ、物語の構成やキャラクターの関係性の類似以上に『NARUTO』の精神を継承していると感じさせる作品である。

 こうしたミクスチャー性は、漫画に限らず日本文化の至る所に見られるものだ。最近、イギリスの料理番組で、日本食をテーマに料理を競ったところ、出来上がった料理が中華風の蒸しまんだったり、インドの食材を利用したカレーまんだったことで炎上したらしいが、当の日本人からしたら、それらは日本国内で日本食として受容されているものとしか思わないだろう(https://www.jiji.com/jc/article?k=2020102900836&g=int)。

 『NARUTO』は、なんでも取り込む日本文化の最も先端的なあり方を示していたのかもしれない。日本から生まれた「忍者」が海外で全くことなる「NINJA」となり、それすらも取り込んでしまった。内容以上に、その在り方が大変に日本的な作品だ。

参考リンク
忍者とは!? | 日本忍者協議会(https://ninja-official.com/whats-ninja
How ninjas went mainstream(https://www.youtube.com/watch?v=n5CYzHIgJFE

■杉本穂高
神奈川県厚木市のミニシアター「アミューあつぎ映画.comシネマ」の元支配人。ブログ:「Film Goes With Net」書いてます。他ハフィントン・ポストなどでも映画評を執筆中。

■書籍情報
『NARUTO -ナルト-』(ジャンプコミックス)
著者:岸本斉史
出版社:集英社

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