Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

『IT/イット』完結編はなぜ長尺になったのか? ホラー描写とテーマの関わりから考える

リアルサウンド

19/11/11(月) 13:00

 ホラー映画史上最大のヒットという大成功を収めた、『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』……その続編かつ完結編が、本作『IT/イットTHE END “それ”が見えたら、終わり。』だ。のけ者扱いされ、様々な事情を抱える子どもたち“ルーザーズ(負け犬)クラブ”の面々が、バラエティ豊かな方法で惨殺していく、ピエロの姿をした超常的な存在“ペニーワイズ”につけ狙われながら、恐怖を克服するべく立ち向かうという内容だ。

参考:ジェシカ・チャステインら大人版“ルーザーズ・クラブ”俳優たちが語る、『IT/イット』続編秘話

 前作と同じくアンディ・ムスキエティが監督を務め、凶悪なピエロ“ペニーワイズ”役のビル・スカルスガルド、“ルーザーズ(負け犬)クラブ”を、やはり前作で演じた子どもたちが続投し、くわえて彼らの大人時代を、ジェームズ・マカヴォイ、ジェシカ・チャステインら、新キャストが演じることで、現在と過去、二つの物語が描かれていくのが、本作の特徴である。

 とはいえ本作は、前作よりもさらに上映時間が増え、2時間49分という、ホラー映画としては異例の長尺となっている。それが影響しているところもあり、前作ほどにはオープニングの成績が落ち込んでいるというデータもある。しかし、なぜこんなにも長くなってしまったのか。ここでは、本作のホラー描写とテーマの関わりを考えながら、それを考察していきたい。

 子ども時代をもう一度同じキャストに演じさせた本作では、前作の撮影から2年経っていたため、外見が大きく変化した一部の出演者にCG処理を施し、変わらぬイメージでふたたび『IT/イット』を撮ることができたという。さらに、ルーザーズクラブの大人時代のキャストも、外見が似た俳優が集められたことから、本作にかける作り手の愛情が感じられるのだ。

 地元に残って大人になったマイク(イザイア・ムスタファ)の呼びかけによって再結集したルーザーズクラブは、中華レストランで久しぶりにペニーワイズの超常的な襲撃を受ける。さらにその後、ジェシカ・チャスティン演じる大人のベバリーが、少女時代に父と暮らした部屋を訪れるシーンから、それぞれの過去の恐怖をめぐる体験がスタートしていく。

 白眉なのが、ベバリーを歓待する老婆のハッスルぶりである。ベバリーが気づかないうちに、背後で全裸になっていたり、勢いよく踊っていたりと、やりたい放題。これもペニーワイズの差し金ではあるが、ある意味、ペニーワイズがピエロ姿で攻めてくるよりも強烈である。この一発目の単独への襲撃シーンが凄すぎたために、「この映画、まだまだこんな凄まじい描写が続いてしまうのか……」と、気が遠くなってしまうが、ここまでインパクトのあるキャラクターは出てこないので、安心してほしい。

 さらに、子ども時代に薬局で理不尽な目に遭っていたエディ(ジェームズ・ランソン)が、またしても薬局でとんでもなく理不尽な事態に陥ってしまうシーンからも分かるように、今回はかなりコメディの要素を強めているように感じられる。本作のホラー描写には、このようなユーモア感覚があることで、怖がりながらも楽しんで鑑賞することができるのだ。

 とはいっても、前作でヒットの要因となったショッキングな描写も忘れてはいない。前作のレインコートの少年(ジョージー)が言葉巧みにおびき寄せられて惨殺される凶悪シーンに対応する、少女が狙われるシーンでは、ビル・スカルスガルドの、秒ごとに異常化していく演技の見事さが印象的である。この2作で、彼は完全に役をつかんで、ちょっとやそっとでは追いつけない演技の領域にまで行ってしまったように見える。

 本シリーズは、ホラー表現と、恐怖の体験に巻き込まれる人間のトラウマ(心的外傷)が密接に関わっている。つまり、ホラーを描くことが、人間を描くことにつながっているのだ。そして、ルーザーズクラブにいた者たちの各々の人間性を丁寧に描くためには、それぞれに異なるホラー表現を用意しなければならないことになる。よって、どうしても時間を要してしまうのだ。裏を返せば、それだけキャラクターに愛着があるということでもある。

 しかし、前作と並べたときに、本作はあまりにも前作の内容に近いと思ってしまうのもたしかである。長大な原作を二つに分けたことで、本質的に同じ意味合いのものが二つ出来てしまったのである。映画作品である以上、そこはやはり脚本部分で大胆な変化をつけるような、リスクをとった冒険をするべきだったのかもしれない。

 とはいえ、本作の上映時間が長くなってしまったのは理解できる部分もある。それは本作が、一人ひとりの物語を通して、原作同様にアメリカの暗部そのものを描こうとしているからである。

 日本人をはじめ、世界の多くの人々がアメリカ国民に持っているポジティブなイメージは、“強く、リッチで、自由に人生を楽しんでいる”……という感じではないだろうか。たしかにそういう人間は実際にいるが、そこから外れてしまう人間もまた少なくない。比較的、多様性に寛容な都市部に対し、アメリカの大部分を占める田舎では、男らしさ、女らしさが求められる、画一的で保守的な、“旧(ふる)き善(よ)きアメリカ”と呼ばれるような価値観が、いまも支配的である。この傾向は、差別的な言動を繰り返すドナルド・トランプが大統領になったことで強まり、過去に逆戻りしたとも言われる。

 そんな空気のなかで、マッチョさに馴染めない繊細な少年たちや、社会に求められる貞淑さや従順さに反発する少女たちは、どうしても輪の中から疎外されてしまう。ルーザーズは、そんなマイノリティの集まりなのである。そして、このような子どものときに受けた圧力は、それを克服して大人になってからも、心の奥深くに巣くい、行動を縛りつけてくることがある。

 与えられた価値観のなかで活発でいられなかったり、いつも図書館にこもっていたり、ゲイであることなど、人と違うことで迫害される町。ペニーワイズは、そんな環境をかたちづくる無自覚な悪意そのものだったともいえよう。

 本作は、このような世界で、日々苦しく怯えた思いをしながら生きているマイノリティに光を当て、希望を与えたいという意志を感じる作品である。その性質上、少なくともここに登場する7人については、誰一人おざなりにしないで、その苦しみや恐怖に寄り添い、決着までの過程を、時間をかけても丹念に描かなければならないと考えたのではないだろうか。

 本作では、大人になったビル(ジェームズ・マカヴォイ)が、ベストセラー作家で映画の脚本も書いているという設定。だが結末に必ずビターなテイストを入れるため、大勢の読者に「オチはいまいち」だと指摘されている。そして、原作者スティーヴン・キングもまた、本作にアンティークショップの店主としてカメオ出演し、ビルに対して同じような指摘をするのだ。

 じつは原作では、本作でハッピーエンドを迎えるキャラクターの一人が、悲しい境遇に陥る結末が用意されている。本作がそれを却下したのは、その結末を回避することで、ルーザーとして生き延びている人たちに勇気を与えたいという判断があったためであろう。そして、原作を書いた頃の自分自身を見つめるキングも、このような役回りを引き受けているという事実から、“文学とは苦いものを含んでいるものだ”という考えを持っていた当時の自分について、「必ずしもそうではないよ」と、アドバイスしたかったように見えるのである。時間を経て作品を作り直す意義、続編を作る意義が、ここにしっかりと存在している。(小野寺系)

新着エッセイ

新着クリエイター人生

水先案内

アプリで読む