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Googleが結婚相手を決めてくれる未来は幸福なのか? 2068年の“ゼロリスク社会”で失われるもの

リアルサウンド

21/2/24(水) 10:00

 話題の音声SNS「Clubhouse」が気になっているが、誰にも招待してもらえず、なぜこれほど流行っているのか調べられない。自分の人望のなさに情けなくなるが、いまさら招待してくれる人を探すのも恥ずかしい。結果「興味のないふりをする」以外に選択肢のない私だったが、同SNSの運営企業が携帯電話に含まれる電話帳の情報を収集しているとのニュースが入ってきた*1。記事によれば、運営企業に渡った連絡先の情報がどのように使用されるかは不明だが、こうした情報収集の手法には問題が多いという。電話帳に残っている、いまでは連絡を取っていない古い知人、かつての会社の上司などの電話番号と自分のアカウントが紐づけられる事態も気まずいだろう。

 このニュースを聞いたとき、急に自分が勝ったような気がした。あわてて音声SNSに飛びついた連中は、電話帳というセンシティブな個人情報を、どこかの得体も知れない企業にまるごと引き渡してしまっているのだ。愚かである。私はそのような過ちはしない情報強者なのだ、と自分を納得させることで、音声SNSへの未練を断ち切ったのだが、実際この認識は正しいのだろうか。そもそもGmailを使っている時点で、あるいはスマホを持っている時点で、インターネットに接続している時点で、自分では見当もつかないほど貴重な情報を、第三者にそっくり手渡してしまっているのではないか? 新しいアプリの登録時やスマホのOS更新で出てくる「利用規約」など誰も読んでいないし、規約は利用者に読む意欲を失わせるよう長く複雑に書かれてある。われわれは日々使っているテクノロジーや、情報の送受信がどのような結末をもたらすかについて、ほとんど何も考えていない。

 日々高度化していくテクノロジーや情報に対する漠然とした不安を描いた小説として、昨年翻訳が刊行されて話題になったフランスの作家、マルク・デュガンの『透明性』(早川書房)が挙げられる。読み終えると、これから先の世界が暗澹たるものに思えてきて、手に取ったことを少し後悔してしまった。2068年を舞台にしたこの小説では、グーグルが独自の領土を持つ強大な国家になっている。人びとは、各種デバイスを通じてグーグルに個人情報を常時提供しており、GPSによる移動履歴、体内に埋め込んだチップから発信される健康状態などの情報をグーグルが買い取ることで、ベーシックインカム制度が成立しているという設定だ。

 小説内でのプライバシーは、富裕層にのみ許された贅沢品となり、貧しい人びとは完全なる透明性を受け入れることで生計を立てている。「プライバシーを全て諦め、チップ、探針、極小カメラを解して秒ごとに自分の動き、仕草、瞬きが他人に知られ、記録されて、使われる情報になるのを許した」場合、見返りの報酬が大きくなるのだ。その結果、たとえば登場人物が別の誰かと性行為をしている途中で、体内チップから発信された情報をもとに、携帯へ精力増進剤の宣伝メッセージが届くようになったりする。グーグルはいつ誰が性行為をしているのかをリアルタイムで把握しているのだ。

 読むだけで嫌な気持ちになる小説である。もし現実にプライバシー情報の買い取りが始まったとして、どこまでを売ればいいのか。生活が苦しければ選択の余地はないだろう。ディストピア小説はどんよりとした読後感を目的として書かれてはいるが、これほど嫌な気持ちになるとは思わなかった。とはいえ、『透明性』が提起する問題に懸念を抱く人は多く、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリが同様のテーマを論じた『21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考』(河出書房新社)もヒット書籍となっている。『21 Lessons』もまた、読者を嫌な気持ちにさせる内容なのだが、『透明性』はハラリの議論にとても近い。わけても、AIと自由意志の問題についてはほぼ同じことを論じているといっていい。

 『透明性』の主人公は、いわゆる出会い系アプリを作る会社を経営していた。恋愛におけるゼロリスクを実現するのが主人公の目標であった。アルゴリズムを使って、最高のパートナーをレコメンドするのである。主人公はあるとき、「恋愛関係には根拠が欠けていることが多く、あっても曖昧で、それがのちに失敗に終わる理由である」と気づく。この失敗を回避するために、個々人の心理や性格、遺伝的傾向といった情報をあらかじめ利用者に提供してもらった上で、クライアント同士の相性をアルゴリズムに判断させる方法を考案する。たしかに、恋愛は失望と後悔の連続だ。誰しも「この人とすてきな関係が始まるのでは」と期待して出かけていったデートから、すっかり失望して帰ってきた経験があるだろう。こうしたリスクを回避することを主人公は目指した。

「人々はすぐ、恋愛という完全に誤ったロールプレイが引き起こす多くの不適切な行動由来の苦悩を回避できることに気づいた。家から一歩も出ずに、肉体的、精神的、倫理的に最も自分に相応しく、関心や趣味も共有できる人と知り合うことが可能なのだ。拒絶も幻滅ももうお終い。地球上にはあなたに完全に適合し、がっかりする危険のない男性あるいは女性がきっと存在する」(『透明性』)

 恋愛におけるゼロリスクの実現。実際、自分自身の判断力のみで恋愛対象や結婚相手を選ぶ行為は困難なのではないかと思うことがある。恋愛において、自己の判断力はかなりあてにならない。金銭問題や不倫、ドメスティック・バイオレンスなど、愛情生活の失敗例は深刻なリスクをともなうものも多い。近い将来、もしアルゴリズムが最適解を出してくれて、それで幸福になれるのなら、いっそのことわれわれはAIに結婚相手の選択を一任すべきではないのかという気になってくる。人類はこの誘惑をはねのけることができるのか。同じ問題について、ハラリはこのように述べた。

「アンナ・カレーニナがスマートフォンを取り出して、カレーニンの妻であり続けるべきか、それとも颯爽としたヴロンスキー伯爵と駆け落ちすべきかをフェイスブックのアルゴリズムに尋ねるところを想像してほしい。あるいは、あなたが気に入っているシェイクスピアの戯曲で、きわめて重要な決定がすべてグーグルのアルゴリズムによって下されるところを想像するといい。ハムレットとマクベスははるかに安楽な人生を送れるだろうが、それはいったいどんな種類の人生となるのか? そのような人生の意味を理解するためのモデルが、私たちにはあるのか?」(『21 Lessons』)

 アルゴリズムが就職先を決め、結婚相手を決め、その仕事を続けるべきか、その結婚相手との生活を続けるべきかを決める。AIの判断に従うことが結局は正解なのだとしても、人間の一生から意思決定が取り除かれた先に何があるのか、と考えると暗い気持ちにさせられる。恋愛で失敗したくないとは万人に共通の願いだが、他者との関係性で失敗することは、見方によってはこれ以上なく人間らしい、自由で豊かな経験なのではとすら思えてくる。ゼロリスク社会で失われるのは、手痛い間違いをして傷つくという人間らしい経験、失敗する権利なのではないか。*2

 いつしか技術の進歩が私たちの文化や哲学、倫理を追い越すようになってきており、まごついているというのが現在であるように思う。そう考えたとき、偶然や失敗、リスクにさらされながら右往左往している2021年のわれわれは、やや大げさな言い方になってしまうが、人間らしい生き方が許された最後の世代なのではないかという気がしてくるのだ。それと最後になりますが、誰か私の電話番号を知っている方、ぜひ「Clubhouse」に招待してください。

*1 https://gigazine.net/news/20210212-clubhouse-phones-contacts-access/

*2 ハラリのこうした主張には反論もある。ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルの『「私」は脳ではない』(講談社選書メチエ)は、人間の自由意志に関するハラリへの反論となっている。『透明性』や『21 Lessons』に不安を感じた方は、バランスを取るためにもぜひ読んでいただきたい。またマルクス・ガブリエルは、グーグルやフェイスブックは、利用者が検索したり、投稿する作業は労働であり、そのたびに賃金を支払うべきだと述べており、近い将来にGAFAは利用者に支払いを開始するはずだと予測している。こうした主張もまた『透明性』に影響を与えているように思う。

■伊藤聡
海外文学批評、映画批評を中心に執筆。cakesにて映画評を連載中。著書『生きる技術は名作に学べ』(ソフトバンク新書)。

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