中井美穂 めくるめく演劇チラシの世界
俳優座『正義の人びと』
毎月連載
第27回
俳優座『正義の人びと』チラシ表
100年前のチラシを手にしたような感覚。古い字体に紙の端の変色、ドラマティックな写真で目を惹く俳優座『正義の人びと』のチラシ。1年前、「演劇チラシを作らせてください」という熱意ある電話からはじまったこのチラシづくりについて、デザイナーの若林伸重さん、俳優座の制作担当のイソノウツボさんに伺いました。
中井 俳優座さんでは、チラシは通常どなたが、どのようなかたちで作っていらっしゃいますか?
イソノ 基本的には演出家と、チーフを担当する制作とが話し合って、演出家の要望を聞いてデザイナーや方向性を決めていきます。
中井 今回の演出は小笠原響さん。では、小笠原さんのご要望が?
イソノ いえ、今回は私の希望でこの形になっています。実は、若林さんが俳優座に直接お電話をくださって、「ぜひ演劇のチラシを手掛けたいんです」と。その電話を受けたとき、私はまだ俳優座に入って2、3か月でした。でも1年後にはきっと自分がチーフを任されることもあるだろう、と思って詳しくお話を伺うために若林さんにお会いしました。
中井 そんな経緯が!
イソノ はい。そのときに、これまで手掛けてこられた映画や展覧会のチラシを見せてくださって。それがとても魅力的だったので、もうこれは私がチーフ制作を務める最初の公演には、ぜひ若林さんにお願いしたいとずっと思っていました。今回、小笠原さんに意向を伺ったら「任せるよ」と言ってくださったので、念願かなって若林さんにお声がけすることになりました。
中井 最初にイソノさんと若林さんがお会いになったのはいつ頃のことですか?
若林 2019年の11月だったと思います。
中井 じゃあ、イソノさんが構想していたとおりちょうど1年。
若林 はい。どうしても演劇チラシの仕事をしてみたかったので、俳優座さんはじめ、新劇の劇団に連絡をしようと思いまして。まずは俳優座さんにご連絡したら会ってくださった。
中井 彦星と織姫のように「1年後に実を結びました」というお話だとは! かなり珍しい成り立ちですね。なぜ、演劇のチラシをやりたいと?
若林 語弊があるかもしれませんが、演劇のチラシって、演劇ファンの方たちのものだけで終わってしまう印象がありました。チラシがイメージ的なものにとどまってしまうから、つかみどころがない。そこをなんとかできないかなと思いまして。
中井 たしかに、具体的に作品が何もできていない段階で作ることもあって、ふわふわしたものになることも多いですよね。具体的に『正義の人びと』のチラシが動き始めたのはいつ頃ですか?
イソノ 昨年11月の段階ではだいたいのキャスティング、演出家、作品のタッチまでは決まっていました。けれどやはりコロナ禍でストップしまして。通常であれば半年ほど前から仮チラシや本チラシをつくっていますが、今年は7月まで何もできず……。「お久しぶりです」と若林さんにご連絡できたのは夏頃でした。
稽古場で、自前の衣装で撮影された
スクープ写真のような一枚
中井 具体的に、どのようにチラシづくりを進められましたか?
若林 ご連絡をいただいてすぐに、ほぼ完成に近い脚本をいただきました。それを読んでデザインを作っていきました。たまたま、僕の好きなロシア・アヴァンギャルドのテイストの仕事があって、いろいろ調べたりもしていて頭に入っていたところだったんです。『正義の人びと』は20世紀初頭のロシアが舞台で時代的にも合いますし、じゃあそのテイストで行こうと。
中井 確かに、古いポスターのような雰囲気がありますね。
若林 色数があまり多くなくて、赤と黒が目立つ。4色印刷だけれども、2色しか使っていないように見えたらいいなと。全体的に共産主義、コミュニストっぽい匂いがそこはかとなく漂うもので、ゴージャスではない、手作り感のあるものにしようと思いました。
中井 そういうところに、デザイナーの方の意志やテクニックがこもっているのでしょうね。見る人が見るとすごくわかるという。
若林 党の女性が激写されたチラシが酒場に何年も貼ってあって、タバコで古びた感じ。
中井 それがあるから私達がドラマティックさ、立体感を覚えるのかもしれないですね。この写真はどのように?
若林 予算は限られていましたが、知り合いのカメラマンが「やるよ」と言ってくれて。その代わり、脚本をちゃんと読んだうえで役者さんたちに注文をつけたいと。なので、僕が先におおまかなレイアウトを作って、写真を入れる場所を指定しました。そしたら、カメラマンさんが1900年代初頭の雰囲気を把握して、こういう写真を撮ってくれました。
中井 具体的な写真の構図などはどなたが?
若林 基本的にはカメラマンに任せましたが、僕は密談中にパパラッチが入ってきて撮影されたような臨場感あるシチュエーションがいいと思う、と話しました。それも含めて、本当にいろんなパターンを3、400カットほど撮ってくれて。
イソノ そうですね。若林さんとカメラマンさんでいろんなシチュエーションを考えてくださって、即興でここ(俳優座の稽古場)で撮りました。
中井 チラシを撮ったまさにその場でお話を聞けるのは初めてです! テンションが上がりますね。それにしても衣装も雰囲気も、まさかここで撮ったとは思えないです。
若林 衣装は本番もこれですか?
イソノ いえ、デザイナーの方に新しく用意してもらいます。実はこのときは、役者それぞれに本を読んで自分のイメージに合ったもの、色の印象のないものを持ち寄ってくださいとお願いして。
中井 ということは、自前ですか?
イソノ はい。
中井 とてもそうは思えまない! でも、役者の皆さんにとっては役作りの第一歩ですね。
イソノ そうですね。革命を起こすメンバー、5人くらいで撮影をしましたが、みんなで何パターンか持ってきたものを相談して選んで……。
中井 そうやって撮った中から、この写真を選ばれた。
イソノ はい。小笠原さんが「チラシの表には『人びと』がいる感じがいいかな」と言っていたのですが、人数こそ2人だけれども、メッセージ性のある視線にインパクトがあったので、これを選びました。
若林 端から端まで走ってもらったりして、”逃げ出す瞬間”を何枚も撮ったなかでこれを選んでくださって。やっぱり実際の役者さんが演じてくださるのが一番いいですよね。
中井 たしかにこの写真、映っているのは2人だけれども、その背後になにかただならぬ雰囲気が漂っているように見えますよね。動きがあって、横顔がかっこいいですし。まさに映画のワンシーンのよう。主役はこの女性、荒木(真有美)さんですか?
イソノ いえ、実は主役は後ろで横を向いている齋藤(隆介)で。
中井 えっ!
イソノ 今回、現代に伝わるような工夫をするために中村まり子さんに翻訳をしていただいた結果、二人の愛が非常に強く表現されているんですね。主役のカリャーエフは圧政に対して爆弾を投じる大役を買って出る、重要な役割ではありますが、その背後にはこの女性・ドーラの存在が大きくある。ドーラもカリャーエフに強い思いを抱いていて、そんな二人の関係性も観てもらいたかったんです。ドーラのまなざしとか思い、圧政に対するまなざしとか、いろんな意味合いがこの写真には含まれている気がして。哀愁にも怒りにも苦悩にも見えるのでいいなと。
中井 なるほど。この写真一枚からも作品に対する意志が感じられますね。
100年前の酒場に貼られていたような
古びた雰囲気
中井 裏面もかっこいいですね。
イソノ 裏面の写真もとてもいいと思っていたのですが、特に第二候補として伝えていたわけではないのに、この写真を使ってくださったので嬉しかったです。
中井 チラシに入っている文章はどなたが?
イソノ 表のキャッチコピーは私が、裏面のあらすじは、演出の小笠原さん・訳の中村まり子さんにアドバイスを頂きながら書きました。コロナで『ペスト』が増刷されて100万部を突破したというニュースもあってカミュが注目されていたので、「当時の酒場に貼られていた感じ」というコンセプトとも合わせて、物語とは違う部分でキャッチコピーを届けたいという思いがありました。
中井 裏面にも文章がしっかり入っていますね。
イソノ 私はどちらかというと、あらすじをきっちりと伝えたくて。冒頭をしっかり書くことで、抽象的な話ではなく、イメージをもって本編を見ていただきたいと思って書きました。もしかしたら通常よりも文章量は多めかもしれません。
中井 新作じゃないからチラシを作る時点でちゃんとお話ができあがっているのが強みでもありますね。チラシには入れなくてはいけない要素がたくさんありますが、若林さんはこの文章をどう思われましたか?
若林 読んでみて、これは必要不可欠なものだから、削ってくれとは言えないなと思いました。だからきっちり入れた上で、読みやすい、わかりやすいものにしようと。
中井 ロゴのデザインはどのように?
若林 ローマ字部分はプロパガンダ的、ロシア的な雰囲気のあるものを作ってみました。ロシア語だとあまりにも伝わらないので、フランス語で、少しでもそう見えるようなテイストの文字を作りました。日本語タイトルは縦が太くて横が細いプリミティブな明朝にすることで、鋭さ、繊細さが出るかなと。僕はゴシックを使わないので。
中井 それはなぜですか?
若林 わからないです。ゴシックが嫌いなわけじゃないですが、持って生まれたものかな。
中井 作曲の人がどうしても好きな音階がある、というような類のことなのかもしれないですね。
チラシにおける“人”の強さ
中井 若林さんは映画や展覧会のチラシを中心に手がけていらっしゃったとのことですが、演劇はこれまでご覧になっていましたか?
若林 ほとんど観ていないです。学生時代に演劇鑑賞会で観たり、昔、唐組を観たことがあるくらい。ただ、俳優座さんの役者さん、岩崎加根子さんとか、今は違いますが山崎努さんとか、そういう方々が好きなので。映画以外にやるとしたら芝居だなと前々から思っていました。
中井 それにしてもご自分から「この仕事をやりたい」と連絡する姿勢がすごいです。
若林 やりたい仕事があったら、ダメでもともとで動かないと。映画のチラシも、気になる外国映画を買った会社がわかったら、「あの映画買ったでしょう、やらせてください」って連絡したりもしますよ。
中井 すごいです! 『花様年華』はたくさんの国でそれぞれのポスターがデザインされたけれど、監督が選んだのが若林さんの手がけられた日本のポスターだったと伺いました。
若林 あの映画に関しては、監督が非常に著名な方なので、デザイナーだったら誰でも一度はやりたい仕事です。各国のアートワークは非常に抽象的で、それはそれでかっこいいけれど、香港のスターが出ているのならそれを出さない手はないだろうということでデザインをしたら、それを気に入ってくださって。
中井 すばらしいですね。
若林 抽象的なイメージよりも、実際の役者さんを使うほうがいいなと思いますね。
中井 やっぱり、人ですか。
若林 人は強いですよね。展覧会のポスターでも、静物画より人物画のほうが強い。セザンヌの静物画はすばらしいデッサンですがどうしても地味になってしまう。それよりもこちらを見ている人物がどうしたって強いですね。
中井 演劇は特に人がいないとはじまらない芸術なので、人が出ているチラシのほうにより惹かれるのかもしれませんね。この人たちが実際に動いているところを見たい! と思わされる感じがあります。やってみたかった演劇チラシを実際に手掛けて、どう感じられましたか?
若林 やはり俳優さんの写真が撮れたことがよかったです。カメラマンも台本を読み込んで世界観をわかってくれて、すべてを許容してくれたイソノさんがあらゆることを支えてくれて。いろんなことがうまくいった。それは最終の形に出ますよね。
中井 だから目をひくのかもしれませんね。これからやってみたい劇団はありますか? たとえば2.5次元演劇のチラシの依頼が来ても受けますか?
若林 依頼いただければやりますよ、もちろん!
イソノ それ、ぜひ見たいですね!
若林 「こういうのを作る人だから、こういう作品はやらないだろう」と思われることがいちばん怖いので。なんでもやりますし、できます。ご依頼をお待ちしています(笑)。
構成・文:釣木文恵/撮影:源賀津己
作品情報
『正義の人びと』
日程:1月22日(金)~31日(日)
会場:俳優座劇場
作:アルベール・カミュ
訳:中村まり子
演出:小笠原響
出演:河内浩、塩山誠司、田中茂弘、若井なおみ、齋藤隆介、荒木真有美、千賀功嗣、八柳豪、杉林健生
プロフィール
若林伸重(わかばやし・のぶしげ)
グラフィック・デザイナー。1962年、東京都出身。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科 卒業。広告代理店、映画会社、デザイン製作会社を経て、1992年独立。映画、演劇の宣伝 美術、美術展の広報宣伝物のデザイン、書籍の装幀などを手数てがける。
中井美穂(なかい・みほ)
1965年、東京都出身(ロサンゼルス生まれ)。日大芸術学部卒業後、1987~1995年、フジテレビのアナウンサーとして活躍。1997年から「世界陸上」(TBS)のメインキャスターを務めるほか、「鶴瓶のスジナシ」(CBC、TBS)、「タカラヅカ・カフェブレイク」(TOKYO MXテレビ)にレギュラー出演。舞台への造詣が深く、2013年より読売演劇大賞選考委員を務めている。