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入江悠監督が語る、総決算となった『ギャングース』 「見過ごしていた“リアル”があった」

リアルサウンド

18/11/30(金) 13:00

 2009年、『SR サイタマノラッパー』で日本映画界に衝撃を与えて以来、『太陽』『22年目の告白 -私が殺人犯です-』『ビジランテ』など、多彩な作品を発表し続けている映画監督・入江悠。その最新作『ギャングース』が11月23日より公開された。

 肥谷圭介×鈴木大介による同名コミックを実写映画化した本作は、犯罪集団だけを標的とする窃盗“タタキ”稼業で過酷な社会を生き抜く3人の少年たちの姿を描いている。リアルサウンド映画部では入江監督にインタビュー。『SR サイタマノラッパー』より一貫する入江監督作品のテーマとはなにか、本作に込めた思いをじっくりと訊いた。

参考:「『ビジランテ』は大人版『サイタマノラッパー』」 入江悠監督が明かす、10年前からの変化

●『ビジランテ』を経て、入江悠作品の総決算

ーー『SR サイタマノラッパー』シリーズから始まる男3人組の関係性、『ジョーカー・ゲーム』などに通じるアクションの見せ方、前作『ビジランテ』で描かれていた裏社会や血縁関係の問題など、本作は入江監督の総決算に近い作品のように感じました。

入江悠(以下、入江):この企画は5年前から始まったのですが、企画当時では絶対に本作のような仕上がりにすることはできなかったと思います。特にスパイアクション映画の『ジョーカー・ゲーム』、盗賊を主役とした時代劇『連続ドラマW ふたがしら』(WOWOW)の経験は非常に大きかったです。作品冒頭からサイケ(高杉真宙)、カズキ(加藤諒)、タケオ(渡辺大知)による“タタキ”シーンを入れたのですが、2作品の経験があったからこそ、彼らの動きを無駄なく見せることができたかなと思います。

ーー5年前の時点で制作したらまったく別の仕上がりになったと。

入江:そうですね。5年前に制作していたら、タタキのシーンも、サイケたちの天敵となる六龍天の描写も、決してうまくいくことはなかったと思います。先程あげた2作品のほか、『ビジランテ』で闇社会を描いたことも、本作を作る上で大きな経験になっていたと感じます。原作漫画を読んだとき、僕の好きな3人組の話であり、かつ社会性と娯楽性をバランスよく兼ね備えた素晴らしい作品だと思いました。取り扱っているテーマも、キャラクターも魅力的。でも、当時はまだ連載が続いてたこともあり、映画としてどういった結末に向かうのか予測がつかなかった。結果として、原作漫画が完結するまでに、さまざまな作品を手がけることができたこと、年齢を重ね当時よりも視野が広がったことが、本作の制作において非常に大きかったです。その意味でも、僕の総決算と言ってもいいかもしれません。

ーーこれまでの入江作品と共通する男3人組が主人公となる本作ですが、キャスティングはどんな経緯で?

入江:まず、最初に決まったのはカズキを演じた加藤諒。モヒカンでぽっちゃりしているという少し非現実的なキャラクターなんですが、実写化したときに嘘っぽくはしたくなかった。その中でカズキをリアルに体現できるのは誰かと探したときに挙がったのが加藤くんでした。高杉くんは、彼が出演している映画を観てサイケでいけるなと。

ーービジュアルを観たときに誰だか分からなかったのが、タケオ役の渡辺さんです。

入江:大知くんはこの役のために金髪にそめて、眉毛も剃ってくれました。普段の彼とは別人のような見た目ながらも、大知くんの持つ周りを包む空気感がすごくハマってくれたと思います。

ーーサイケたちのタタキ作業をアシストする情報屋・高田を演じた林遣都さんも相変わらずの存在感でした。

入江:林遣都くんは本作で初めてご一緒したのですが、本当にうまいなと思いました。リアリティのもたせ方、短い中でハッとさせるようなことを作り出すセンスが抜群にいい。漫画のキャラクターにも近いですし、林遣都でなければ成立しないものになっていたと思います。冷静で客観的な目線がある。主人公の3人とも近づきすぎてしまうと嘘っぽさが出てしまう。情報屋として1人で生きてる存在としてドライさがないといけない。最後に映るシーンも笑ってはいないけど、ホッとさせるものがある。ひとつの芝居で伝える情報量が多いので、出演シーンは短いながらも重要な役柄として存在してくれました。

●社会の“外部”を描く意図

ーーサイケたちは親の虐待を受け、自ら罪を犯し、少年院で出会った仲間です。彼らは家もなく、まともな仕事もなく、社会の底辺からなんとか抜け出そうともがきます。彼らが置かれた状況の切実さがヒリヒリとスクリーン越しに伝わってきました。

入江:原作でも、社会からドロップアウトせざるを得なかった子どもや、親からの虐待、少年院での生活などが細かく描かれています。同じ社会に生きていたはずなのに、自分が気づくことがなかった、見過ごしていたリアルがありました。でも、何かを読んで知っただけでは、映画として描くことはできません。実際にそういった境遇の中で生きる方たちはどんな空気をまとっているのか、どんな喋り方をするのか、どんな考えた方を持っているのか。貧困問題や虐待、裏社会で行われている闇の部分をいかに、エンターテインメントにも昇華できるのか。漫画の原案である『家のない少年たち』の著書・鈴木大介さんにもお話を聞き、脚本への意見もいただけたことは非常に大きかったです。実際に接した方々の“リアル”を作品に落とし込むことができたと思います。

ーー“リアル”に落とし込む上で、役者たちにはどんな演出を心がけたのでしょうか。

入江:いかに映像に映っていない部分でサイケ、カズキ、タケオの変化を表現できるか、それをどう見せるかを大事にしていました。彼らが一度喧嘩をしても、次のシーンでは仲直りをして、また新たな作業に取り掛かっている。ただ物事が動いているのではなく、同じ時間がその裏で流れているようにと。その点、3人が本当に現場で仲良くなり、信頼関係を築いてくれたことが非常に大きかったです。

ーー本作の中でも印象的シーンのひとつが、3人が河原で気持ちをぶつけ合うクライマックス前のシーンです。カズキ、タケオに比べてそれまでクールだったサイケが、自身の親についての本音を打ち明ける。「(親に対して)憎しみしかないのに、なんでこんなずっと考えてるんだろうな」というセリフにはグッとくるものがありました。

入江:彼ら3人が悪党を狙う窃盗団、いわゆる『ルパン3世』のようなチームに見えてしまったらちょっと違うだろうな、という思いがありました。親に捨てられ、少年院を出た彼らが擬似家族となってお金を稼ぐ、その背景にはどんな思いがあるのかをきちんと提示したかったんです。このシーンにいたるまで、回想シーンなどで見せてはいたんですが、もっと直接的に彼らが抱えている思いをぶつけてもいいんじゃないかと。昔は長台詞で、胸の内を説明するなんて恥ずかしいと思っていたんですが、ここは言うべきだと思ったんです。

ーーどんな心境の変化があったんですか。

入江:最後までためらいはありました。だからずっと脚本段階でも書いていなかったんです。でも、原作者の方々の思い、自分が取材してきた方々の話を振り返ったとき、“親”という存在がすごく大きいんだと。“親”が欠けてしまった人が、大人になってもずっと残り続けるものとは何か。どんなに強がっても、どんなに憎んでも、自身を産んだ親の存在は、絶対に変えることができません。それをサイケに言わせたかった。かなり賭けではあったのですが。

ーー入江監督作品の一貫したテーマとして、「今いるところから抜け出す」というものがあるように思います。サイケたちも、一歩外へ踏み出したラストシーンと言えるのでしょうか。

入江:そこは作品をご覧になった方にどう思っていただけるかですね。『ギャングース』が、今まで自分が描いてきたものと決定的に違うのは、社会の“外部”と思われていた人たちを主人公にしていることです。目を背けたくなるような現実も、それこそ映画や漫画の中の世界だと思っていたような人も、僕たちが暮らすこの社会に地続きに存在しています。そんな彼らと同じ社会で生きている意味を改めて問わないといけないと思います。マジョリティとされているものからさらにこぼれ落ちているもの、本当は近くにいるはずなのに気付かないようなこと、それがいっぱいあると本作の制作を通して気付きましたし、まだまだ知られていないんじゃないかと感じました。

(取材・文=石井達也)

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