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松本大洋、“絵師”として辿り着いた境地 『むかしのはなし』1コマ1コマの凄みを考察

リアルサウンド

20/5/11(月) 14:52

 『竹光侍』の名コンビ、松本大洋と永福一成(原作)による新シリーズ『むかしのはなし』が、『ビッグコミックスペリオール11号』(5月8日発売)で始まった。特に誌面では告知されていないようだが、シリーズ名から察するに、おそらくは今後も歴史に題材をとった読切が、不定期連載の形で掲載されていくものと思われる。

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■会話劇で進められる時代劇?

 さて、今回掲載されたその第1話――『叛意明らか也』は、とある小藩で起きた“一大事”の物語である。といっても別に、派手な戦(いくさ)の場面などはなく、基本的にはひたすら藩議の様子が描かれる会話劇だ。

 時は、江戸時代初期。駿河藩藩主の徳川忠長から、小国、成川藩の藩主・井伏直之は、天下を二分するような謀叛の誘いを受けてしまう。井伏は即答を避け、慌ただしく帰国するも、成川藩の重臣たちの意見は賛成と反対でまっぷたつに分かれるのだった。

 本作では、その藩議の様子が淡々と綴られていくのだが、これが読んでいてなんというか、目が離せない。通常、会話劇の漫画は顔のアップとセリフばかりで退屈なものになりがちなのだが、本作がそうなっていないのは、永福一成が書いた原作の構成が優れているのと、いまや匠(たくみ)の境地にまで達したといっていい松本大洋の“画(え)”の凄みによるところが大きいだろう。本編をご覧になっていただけば一目瞭然だが、1コマ1コマの画が、本当に素晴らしい(また、これはふたりの作者のうちのどちらが書いたのかはわからないが、読者を飽きさせないように考え抜かれたセリフ回しも秀逸だ)。

 主人公は、このたびの藩議を仕切ることになった雪松兵衛門という名の重臣で、彼のような時代遅れといわれようとも忠義の心を失わない武骨な漢(おとこ)というのは、もともと松本も永福も好んで描きそうなタイプのキャラではある。

■“絵師・松本大洋”が辿り着いたいまの境地

 それにしても、本作でまた一皮むけたといってもいい、松本大洋の画のなんと魅力的なことか。ご存じのように、これまで松本は作品によって画風をがらりと変え、我々読者の目を楽しませてくれた。たとえば、『鉄コン筋クリート』では白黒のコントラストが強い魚眼レンズで撮影したような歪んだ世界を、『ピンポン』ではベタとアミを抑えぎみにした細い線のつらなりによる白い世界を、そして、『竹光侍』では薄墨を使用した日本画にも通じる幽玄の世界を描いた――というように。本作でも近年の他の作品同様、淡いグレーの美しさがまず印象に残るが、それと同じくらい、あえて荒々しくかすれ気味に引かれた勢いのある太い線も見ていて心地いい。ミリペンで細く引かれた『鉄コン筋クリート』や『ピンポン』あたりの線が好きな昔ながらの松本ファンにとってはやや違和感のあるタッチかもしれないが、じっと見ていれば、これはこれでなんとも味わい深い線だと思えてくるだろう。いずれにしても、これが“絵師・松本大洋”が辿り着いたいまの境地である。
 そして、もうひとつ。見ていて飽きないのは、主要キャラ以外の、藩議で喧々囂々(けんけんごうごう)の議論を戦わせている、名もなき家臣たちひとりひとりの豊かな表情だ。ちなみに詩人の伊藤比呂美は、『鼻紙写楽』や『茶箱広重』といった江戸を舞台にした作品で知られる、一ノ関圭の漫画(の「チョイ役」たち)を評して次のようなことを書いている。

“(前略)すごいのは、周囲にうごめく人たち、名前もないチョイ役、チョイチョイ役の人たちが、群生海や衆生海に溺れていたが(なんだか足が底に着いちゃったから)立ち上がってきたとでもいうように、なまなましく、人間くさく、自由自在で、小さなコマの、小さな線なのに、その一人一人の表情、一人一人の手や足が、今にも紙の上で動き出して飛び出してくるようだ。思わず、この人は、このコマの外で、どんな生きざまをして、死にざまをしたんだろうかと、考えずにはいられないようなリアルさを持つのである。『一ノ関圭、群生海を生きる』伊藤比呂美(『一ノ関圭本』小学館・所収)より”

 そのあと、伊藤は、一ノ関の描く「チョイ役」たちの豊かな表情や仕草を見ていて思い出したのが、葛飾北斎の『北斎漫画』だったと書いている。漫画の源流のひとつであるともいわれる『北斎漫画』だが、たしかにかの「絵手本」に描かれている人物たちは、(全身像も顔のアップも)いまにも動き出しそうなリアリティと、漫画的な滑稽さを兼ね備えた魅力的な「キャラクター」だ。それゆえに現代の感覚で見ても充分「江戸」の空気が伝わってくるわけだが、これは、今回の『叛意明らか也』で松本大洋が描いた「チョイ役」たちについてもいえることではないだろうか。もちろん、そうした人物たちの活き活きとした描写だけでなく、白熱した議論の合間に挿入される風景や建物、物語の最初と最後に出てくる猫の画も素晴らしい(この最終的に鈴をつけられてしまう猫は、おそらくは「叛意」に対する「恭順」を象徴している)。

 いずれにせよ、(次回の掲載がいつになるのかは不明だが)楽しみな新シリーズが開幕した。このコンビなら時には逆(つまり原作・松本大洋×作画・永福一成)の執筆もアリなので[注]、次にどういう時代のどういう人物が描かれるのかも含め、期待は膨らむ一方である。なるべく早めの次回掲載を望む。

[注]永福一成は近年、原作者としての仕事に比重を置いているようだが、もともとは『ライトニング・ブリゲイド』や『チャイルド☆プラネット』(竹熊健太郎・原作)といった作品で知られている漫画家だ。そのアメコミの流れを汲んだ独特な絵柄は、朋友・松本大洋の画とはまた違った味わい深さがあり、コアなファンも少なくない。

■島田一志
1969年生まれ。ライター、編集者。『九龍』元編集長。近年では小学館の『漫画家本』シリーズを企画。著書・共著に『ワルの漫画術』『漫画家、映画を語る。』『マンガの現在地!』などがある。

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