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さくらももこ、作詞家としての功績 兵庫慎司が“メッセージ性を放棄した歌詞の妙”を紐解く

リアルサウンド

18/9/8(土) 13:00

 さくらももこの数ある偉業のうち、大ヒット曲「おどるポンポコリン」の作詞をしたことは、もっとちゃんと評価されるべきかもしれない。

参考:小島みなみ&紗倉まなが語る、サザンオールスターズ歌詞の力「心の芯を強くもちたい時に聴きます」

 と、彼女の訃報を知り、あたりまえにファンとして悲しみ、マンガやエッセイやCDなどの、彼女の作品に触れ直していて、改めてそう考えた。1990年、『ちびまる子ちゃん』が最初にテレビアニメ化された時のエンディング曲として作られ、B.B.クィーンズが歌い、ミリオンセラーを記録し、同年の第32回日本レコード大賞“ポップス・ロック部門賞”などさまざまな賞を総ナメにしたこの曲を……たとえば、えーと、なんて説明すればいいか難しいな、ほら、10年にいっぺんくらい、こんな感じの“子供向けおもしろソング”的な曲が大ヒットすることってあるじゃないですか、日本では。たとえば「山口さんちのツトム君」とか、「およげ!たいやきくん」とか、「だんご3兄弟」とか、「おしりかじり虫」とか。たとえばそれらの曲と「おどるポンポコリン」の歌詞を、冷静に比べてみていただきたい。気がつくはずだ、「意味が全然ない」という点において、他の曲たちとはあきらかに異質であることに。

 ナンセンス、不条理、不気味、無常で無情、残虐などの感覚を、自身の作品に持ち込むのを得意中の得意とするのが、さくらももこという作家であったことは、亡くなったからって改めて主張する必要もないほど、周知の事実である。そっちのカラーが強く出た作品、たとえば『神のちから』や『永沢君』などの方が、『ちびまる子ちゃん』よりも好きだというファンも多い。が、言うまでもなく『神のちから』や『永沢君』は『ちびまる子ちゃん』ほどはヒットしなかったし、『ちびまる子ちゃん』のような国民的なマンガにはならなかった。その両者の要素を持った『コジコジ』が、さらにわかりやすいケースかもしれない。「ファンタジー感のあるこの作品ならアニメ化まで行けた」という点と、「でもやっぱり『ちびまる子』ほどはヒットしなかった」という点において。

 ところが。その「さくらももこのマンガ」のセオリーが、「さくらももこが作詞した歌」においては逆になった、とは言えないだろうか。カヒミ・カリィや大滝詠一、ウルフルズや桑田佳祐などなど、数々の人気アーティストとコラボレーションした曲も、さくらももこは手がけている。で、そういう時はコラボ相手にぴったり来るようなプロの仕事をする作詞家、それがさくらももこでもある。あるがしかし、それらの、プロの仕事な歌詞を一流ミュージシャンが歌った曲よりも、「おどるポンポコリン」や「走れ正直者」の方がはるかにヒットした。「アニメのスタート時だった」「そのアニメの成功が追い風になった」というプラスアルファが当時あったにしてもだ。

 つまり、本当に意味がなく、何を言いたいのかさっぱりわからず、というか、言いたいことなどあってもなくてもどうでもいいと言わんばかりに、思いつきや語呂合わせで脳内イメージの赴くまま書かれたような「おどるポンポコリン」が大ヒットし、発売から30年近く経つ現在でも歌い継がれる存在になったこと。それは、日本の流行歌の歴史においても快挙だったし、さくらももこというクリエイターの作品史においても快挙だったのではないか、と思うのである。

  お茶の間のテレビで〈ハー そんなこたあ どうでもいいじゃねえか〉と歌う植木等を観て「こんな歌を作る人になりたい」と青島幸男に憧れ、その夢を捨てずに十数年後に作った歌が「おどるポンポコリン」だった。『ちびまる子ちゃん』に登場する父・ヒロシたち家族がそれをテレビで観ながら「何考えてんだ、あいつ……」とつぶやくーーというのは、『ちびまる子ちゃん』の読者なら誰でも憶えているであろうシーンだが、そのさらに数年後、さくらももこが訳詞を手がけて植木等が歌った「針切じいさんのロケン・ロール」が、僕は、彼女の残した曲の中でも特に好きだ。

 まる子があの時憧れ、目標にしたご本家と一緒にやれてよかったよかった、という感慨もあった。だが、それ以上に、青島幸男が書いたクレージーキャッツの名曲たちの「いろいろ言葉を重ねるけど結局なんにも言ってねえ」感と、「なんにも解決してくれないのに結論は無根拠に能天気で楽天的」感を、さらに過激に加速させたみたいな仕上がりになっているのが、この曲だった。これが『ちびまる子ちゃん』のエンディングでかかり始めた当時、聴いて「うわあ、やられた」と強く思ったのを憶えている。特に〈なんだね かんだね 結局 どれだね(どんぶり ラーメン 決め手は 麺だね)〉というところ、パンチラインだと今でも思う。「歌詞で何かを伝える」ということを清々しいまでに放棄していて。というか、「ここまで放棄していてもポップソングとして成立する」という実証になっていて。

 以上、さくらももこの逝去後、その作品のすばらしさを称えるテキストをあちこちで読んだが、彼女の作詞家としてのこの側面に言及したものにはまだ出会ってないなあ(マンガはあるけど)、と気になったので、書いてみました。

 ご冥福をお祈りすると共に、今後も愛読・愛聴させていただきます。(兵庫慎司)

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