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いくえみ綾『G線上のあなたと私』が、“なんでもない日常”を描いた意義

リアルサウンド

19/11/10(日) 8:00

 いくえみ綾の『G線上のあなたと私』は、今見たいものが詰まった作品だ。今見たいものというと、安易な恋愛ものでもなく、女同士が意味もなくギスギスしたりせず、主人公があまりにも周囲のために空気をうかがって存在しておらず、かつ不自然にテンションが高くなくて、ごく普通で、あっと驚く展開がないのにもかかわらず、それでもしみじみとした喜びが感じられるものである。

 こうしたことを企画書に書けば、即却下されることも多いだろう。キーワードだけを見て「どこが面白いの?」という人もいるだろう。物語の面白さはキーワードに宿るわけではないのに……。それでも、筆者が今読みたいものはそんな作品で、この漫画は2013年から2018年までという「今」よりも少し前から不定期で連載されていたというのに、それが成立している。

 本作は、無職の25歳の元OL・也映子が、結婚が決まっていた彼氏と破局したことをきっかけにバイオリン教室に通うことから始まる。その教室には、兄の婚約者であったバイオリン講師に会いたいがために教室にきている男子大学生の理人と、はたから見れば幸せな家庭で暮らす40代女性だか、実は義母の介護などを抱えているパート主婦の幸恵がいて、徐々にそんなちぐはぐな、交わりそうにない三人の交流がはじまるというもの。

 バイオリン教室のことをヒロインの也映子は「『大人の音楽教室』この世にこれほど無駄なものはあるだろうか」と俯瞰して見ているところもあるのだが、それは反語でもあり、無駄だからこそ、そこに行く意味ーー偶然に出会った三人に会うことが出来るし、そしてそんな三人が未熟ながらもバイオリンで音を合わせる喜びがある。

 三人は、カラオケ屋にいって、ポテトを頼んだり歌を歌ったりと、のらりくらりしながらバイオリンを練習し、ときにはお互いにキツく言い過ぎたかなと思って反省し、それで関係が途絶えるのは嫌だからと、いてもたってもいられず謝りにも行く。そんなどこにでもありそうなすべてが愛しい。

 読み進めると、安易な恋愛物語ではないからこその、胸がキュンとする描写もある。理人は、始まってすぐにヒロインに壁ドンすることはないけれど、始まってしばらくすると、絶妙なところで壁ドンするし、自分の気持ちがわからないながらも、也映子に惹かれていく。

 ふと距離が近づいたり、これは気づいているのかそうでないのかと思わせる微妙な関係性の変化があるからこそ、その壁ドンにもドキドキできる。それは、昨今の壁ドンが、気持ちを反射的に高揚させるフックになりつつあったからこその新鮮さだろう。

 しかし、むしろ本作でぐっとくるのは、恋愛よりも、主婦と元OLそして男子大学生の、ありそうでなかった交流の描写である。

 それが実現しているのは、年齢の近い異性と見れば恋愛対象、おばさんとみれば自分とは無関係、女同士はぎすぎすするもの……などという、悪しきステレオタイプな要素を一切廃除しているからだ。

 しかし、それがない物語を描くのは最近まで難しかった。なぜなら、そんな要素がないと、物語がドラマチックに展開しないという思い込みがあったからではないか。

 本作ではなぜそれができたかというと、漫画というものが、個人的で身近なテーマについて、少しずつ描写を重ねていけるメディアだということもあるし、いくえみ陵という作家に作家性と実績があり、信頼されているということもあるだろう。

 現在、TBSでドラマ化され、放送中の本作であるが、こうしたなんでもない日常は、いきなりドラマのオリジナルで描くことは難しいからこそ、原作を読んでみて、こうした漫画が生まれていることがうれしく思えた。

■西森路代
ライター。1972年生まれ。大学卒業後、地方テレビ局のOLを経て上京。派遣、編集プロダクション、ラジオディレクターを経てフリーランスライターに。アジアのエンターテイメントと女子、人気について主に執筆。共著に「女子会2.0」がある。また、TBS RADIO 文化系トークラジオ Lifeにも出演している。

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