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秋吉久美子 秋吉の成分

映画づくりの時間はまばゆくカラフルだった

全10回

第1回

20/9/18(金)

人生の佳境は新次元

私はよくも悪くも正直に生きてきたと思うんです。でも、その正直さが現場で発揮されるぶんにはまだいいと思うんですが、まっすぐな告白をして『秋吉久美子 調書』というかたちで残ってしまうというのは、さすがに女優としてドジではないかと思ったんです。だって何につけ証拠を残すのはドジでしょう? でも今の私は『エクソシスト』や『オーメン』の悪魔の年齢なんですよ。悪魔の数字は本当は666じゃなくて66らしいんです。いや悪い冗談ですけど(笑)。

50代でこれまで生きてきた証拠を残すのはちょっとどうかと考えたんですが、これからの人生の新次元の入り口に花を飾るのもいいかなと。私の幻の初主演作は『十六歳の戦争』でしたが、さしずめ「66歳の戦争」ということでしょうか(笑)。でも、「66歳の戦争」なら、ある意味お茶目なんじゃないかなと考えたんです。30代では全く意味をなさないし、40代だとやっちゃいけないし、50代だと中途半端にシリアスかな。年齢を考えても、内容のことを考えても、今がいいのではないかと。もっとも経験的には年を重ねたけど、感受性は全く昔のままで、シニアなのに傷つきやすいんですけどね(笑)。

ただこの年齢になって「これは面白いな。新境地かも」と感じたのは、死というものをリアルに、具体的に見つめられるようになったことです。若い時よりもっとはっきり死というものが見えて来るんですが、それに対しておどつかないことに自分の美学を見出そうとするわけです(笑)。人生も佳境というのが、こういう面白いものとは思わなかったので、これはみんな楽しみにしてもらってもいいと思いますよ。

『異人たちとの夏』でお世話になった大林宣彦監督も、もちろんご病気は大変でしたが、人生の晩年をフフフッて笑いながら楽しんでおられたのではないでしょうか。映画作家としては納得がいくまでみんなに注文を出すわけですが、老人だからこそまかり通る粘りというものもあると思うんです。大林さんはその特権を最大限に活かしたからこそ、あそこまで凝りまくった遺作(『海辺の映画館 キネマの玉手箱』)を仕上げることが出来たのでは。

『秋吉久美子 調書』

みずみずしい時代の記憶

そういう意味で今回の『調書』という本は、新しい人生の境地が見えてきた自分だからこそ言えることもあるし、そもそも私が年齢を重ねたというエクスキューズがあるからこそ「ああ、こんなふうだったんですね」と素直に読者に受け入れてもらえる部分も大きいのでは。たとえばかつて一緒に仕事をして亡くなった監督たちのことについてもたくさんお話ししていますが、今は私のほうが年上になっていたりするので、語ってもいいかもしれないと考えたんですね。こうしてふりかえってみると、自分の映画人生って、もちろんこまごまと感情的な愛憎などはあったと思うんですけど、とてもみずみずしい時代でした。平成ってちょっとモノトーンな、くすんだ感じでしたが、昭和の映画の現場は鈴木清順さんの映画みたいにカラフルな記憶として残ってますね。

だから、『調書』ではオブラートにくるみながらも、なるべく本当のことを言おうと思ったんです。なにしろ『調書』という書名ですから、映画の現場について当たり障りなくボカしたり美化したりするのは許されない、ちゃんと受けて立とうと思った。そろそろしらばっくれるのもほどほどに、というタイミングだったかな(笑)。ただもうひとつ、ちゃんと偽りのないことを話そうと思った理由としては、今、芸能界にとどまらず社会全体で、あらゆるコミュニケーションがうわべだけになって来てる気がするんですね。「心が折れそう」とか「君のために強くなりたい」とか「セクハラ」「パワハラ」「枕営業」とか……薄っぺらな言葉だけが実体を伴わないでネット社会をひとり歩きしてる気がする。

そういう言葉の裏側には、人と人との思いや文化、世相などさまざまものが隠れていると思うんです。そういうものをすくい取ることなく、キャッチフレーズみたいな言葉だけで物事が進んで行って、しかもみんながそれを信じていたりする。でも、実際に生きていくということ、そしてものを創るということには、そんなうわべの言葉では要約できない痛みを伴うと思う。自分にも他人にも。その痛みには大きな価値があるんだということをわかってほしかった。

ベクトルにこそ価値がある

そしてこの本は、いわゆる「一代記」じゃないんです。つまりお話ししたかったことは、「どうやって目的を手に入れたか」ではなくて「どうやって目的に向って行ったか」なんです。映画というなかなかハードなものづくりの現場で、私みたいに田舎の普通の高校生だった女の子がどう考え、どう乗りきってきたかということ。こんな役を射止めましたとか、こんな女優賞をもらいました、ということではなく、どういうかたちでそこへ向かって行ったのかというプロセスについての本なんです。ゴールではなく、そこへ向かうベクトルにこそ価値があったから。

それはゲームのやり過ぎが原因かもしれないけれど、何かをゲットしたりクリアしたというファクトを手に入れることが満足の指標になっている人がいる。でもいちばん楽しいし、生きている充実があるのはプロセスでありベクトルそのものですよね。一時期、絵を描くことに凝ってたんですが、描き上げた後のことはどうでもよくて、とにかく描いている途中が、無限に線や色について想像力をめぐらせることができる時間なんです。女優の仕事もまさに同じ。そのプロセスではもちろんしくじったり迷ったりすることもあるんだけど、それも含めて得難いまばゆい時間だった。だから、『調書』に別の書名があるとすれば『まばゆい時間』かもしれません(笑)。

作品情報

『秋吉久美子 調書』(筑摩書房刊/2,200円+税)

著者:秋吉久美子/樋口尚文

特集上映「ありのままの久美子」

2020.10.17〜30 シネマヴェーラ渋谷

上映作品:『十六歳の戦争』(1973)/『赤ちょうちん』(1974)/『妹』(1974)/『バージンブルース』(1974)/『挽歌』(1976)/『さらば夏の光よ』(1976)/『あにいもうと』(1976)/『突然、嵐のように』(1977)/『異人たちとの夏』(1988)/『可愛い悪魔』(1982)/『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』(1981)/ 『さらば愛しき大地』(1982)/『誘惑者』(1989)/『インターミッション』(2012)

取材・構成=樋口尚文 /撮影=南信司

当連載は毎週金曜更新。次回は9月25日アップ予定です。

プロフィール

秋吉久美子(あきよし・くみこ)

女優・詩人・歌手。1972年、松竹『旅の重さ』で映画初出演、その後、1973年製作の『十六歳の戦争』で初主演を果たし、1974年公開の藤田敏八監督『赤ちょうん』『妹』『バージンブルース』の主演三部作で一躍注目を浴びる。以後は『八甲田山』『不毛地帯』のような大作から『さらば夏の光よ』『あにいもうと』のようなプログラム・ピクチャーまで幅広く活躍、『異人たちとの夏』『深い河』などの文芸作での主演で数々の女優賞を獲得。早稲田大学大学院公共経営研究科修了。

樋口尚文(ひぐち・なおふみ)

映画評論家、映画監督。著書に『大島渚のすべて』『黒澤明の映画術』『実相寺昭雄 才気の伽藍』『グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代』『ロマンポルノと実録やくざ映画 禁じられた70年代日本映画』『「砂の器」と「日本沈没」70年代日本の超大作映画』ほか多数。共著に『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』『女優水野久美』『万華鏡の女女優ひし美ゆり子』『「昭和」の子役 もうひとつの日本映画史』など。監督作に『インターミッション』『葬式の名人』。早稲田大学政治経済学部卒。

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