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『もののけ姫』のアシタカはなぜ永遠の憧れなのか? 男女問わず人の心を打つ“言葉”の力

リアルサウンド

20/7/23(木) 10:00

 6月26日より全国372館の映画館でジブリ4作品が上映されている。その中でも、性別問わず絶大な人気を誇るキャラが、『もののけ姫』のアシタカだ。

【動画】『もののけ姫』 特報映像

 なぜ、アシタカはみんなの憧れなのか。1997年当時、映画館で初めて観たときは、圧倒的な映像美と世界観、強いメッセージ性に面食らった。しかし、その後何度かテレビでも触れてきた同作を、今回改めて映画館で観直してみると、アシタカの魅力が際立ってくる。

 まず宮崎駿が自身を投影してバリバリの趣味全開に描いたのが『紅の豚』や『風立ちぬ』とよく言われる一方で、大多数のジブリ作品で圧倒的な魅力を放つのは「気高い少女たち」である。

 そういった意味で、ジブリ作品で人気の男子キャラを見渡すと、『ハウルの動く城』の主人公・ハウルは別として、『千と千尋の神隠し』のハク、『天空の城ラピュタ』のパズー、『耳をすませば』の天沢聖司など、ヒロインを見守る、あるいは影響を与える側のキャラが主流だ。その点、アシタカは事情が違う。

 アシタカは『風の谷のナウシカ』のナウシカであり、『ラピュタ』ならパズーよりもむしろシータだ。宮崎駿が憧れを抱く少女像そのもののようでもある。

 その美しさは、まず強さにある。エミシ一族の長になるべく教育を受けてきた誇りを持ち、死を覚悟して、タタリ神から村を守ろうとするアシタカ。恐ろしさを理解しつつも、逃げずに真っすぐ向き合い、自身の呪いも受け入れることのできる気丈さは、まさに選ばれし人にふさわしい。

 また、ケガ人を見捨てることができず、背負って山を越えるが、息を切らし、途中で休息もとる。鍛え抜かれた心と身体があるだけであって、アシタカは決して超人ではなく、「普通の人間」だということも大きなポイントだろう。

 しかし、その心の強さは、銃で撃たれて深手を負った状態で、サン(もののけ姫)を抱えてなお、10人がかりでようやく開く門を動かしてしまう力を持つ。「普通の人間」が呪いによって、コントロール困難で自らの命を蝕む強大な力を手に入れる悲劇性もまた、美しさを際立たせている。

 当然ながら、姿も美しい。タタラ場の女たちが口々に「いい男」と言い、その姿を見に来ては盛り上がるさまは、さながら「突然やってきた美少年の転校生」のようだ。

 しかも、下品なからかいやアプローチに気を悪くすることなく、受け流すわけでもなく、「女たちが元気な村は良い村だと聞きます」と穏やかな顔で言う上品さ。ほとんど仏の境地である。おまけに、女性たちが働くタタラ場に自ら入り、その仕事を手伝ってみせる優しさ・女性に対して示す敬意だけでも十分素敵なのに、そこで垣間見える男性ならではの力強さもまた、魅力だ。このシーンだけで女性が求める優しさと強さ・公平さ・謙虚さが全部詰まっているように見える。

 そして、何よりアシタカの持つ「言葉」には、人の心を打つ力がある。

 サンのことを育ての母である犬神・モロの君は「森を侵した人間が我が牙を逃れるために投げてよこした赤子がサンだ。人間にもなれず、山犬にもなりきれぬ哀れで醜い可愛い我が娘だ」と言う。愛情と同情を一身に受け、自身の命への執着心に乏しく、刹那的に生きてきたサン。そんな彼女に殺されそうになりながらも、怯むことなく伝えたアシタカの「生きろ……そなたは美しい」の言葉の破壊力たるや。これはもちろん外見的なことではなく、サンの人間としての価値を認め、本能を呼び起こすものだったろう。ともあれ、もしこの作品が1997年ではなく、今、デジタルネイティブ世代がテレビでもなく初めての出会いを映画館で経験していたとしたら、おそらくこの言葉だけが独り歩きするほどの名言としてSNSでバズったのではないかと思う。

 そして、アシタカの言葉に力があるのは、そこに「真実」があるからだ。

 モロの君に「お前にサンは救えるか」と聞かれたアシタカは「わからぬ。でも、共に生きることはできる」と言う。明日のことは誰にもわからない世の中で、「絶対」などないし、根本的には他者を救うことなど誰にもできないし、誰かに救ってもらうこともできない。そんな残酷な真実を受け入れ、言葉にできる強さ。そこには強い覚悟が見える。

 さらに、「アシタカは好きだ。でも、人間は許せない」と言うサンに対して、「それでもいい。サンは森で、わたしはタタラ場で暮らそう。共に生きよう。会いに行くよ」と約束する。相手の思いや価値観、生き方を尊重し、自分自身の生き方も貫くアシタカは、ヒロインを守る王子様ではなく、どこまでも公平で対等な関係性だ。これは女性のみならず、多くの人を引き付ける大きな要素だろう。

 そして、アシタカの言動の信頼度の礎にあるのは、どこにも依らず、ブレず、「くもりなきまなこで物事を見定め、決める」冷静さと中立性・公平性である。

 ただし、これは若さゆえの正義感から来る言葉であり、実際の世の中はそう単純ではない。森を侵し、攻撃するエボシは、悪役に見える半面、身売りされた女性たちや病気を患う人々を助け、生きる力を与えているし、シシ神もまた、「生命を与えるし、生命を奪う」存在だ。

 そうした複雑な世の中において、アシタカの真っすぐな力は、憎しみにとらわれてしまえば、暴走しかねない危うさも持っている。だが、最終的にシシ神は、既に世界が終ろうとする中、自身の保身に走らず、損得抜きでシシ神に首を返そうとするアシタカの真っすぐさを受け入れ、アシタカにかかった呪いを解く。

 タタラ場も、武士も、もののけも、それぞれがそれぞれの立場や命をかけて、懸命に生きる中では、何が正解かわからないし、正解なんてそもそもないのかもしれない。しかし、アシタカは人間と森が共存できる道を懸命に探し続けた。ジコ坊が「バカには勝てん」と言ったのは、この愚直なまでの正義感と平和を願う心に負けたからだろう。

 男女問わず多くの人が憧れるアシタカ像は、おそらく本作が初上映された97年当時よりも、今の人の心に響くのではないか。

 3・11以降、日本では幾度もの災害が続き、さらにコロナ禍で希望が見いだせない状況になっている。しかし、そんな国難や世界的危機でも、それをビジネスチャンスととらえたり、利権のため、私腹を肥やすために利用しようとしたりする人間の業が渦巻き、何を信じて良いのかわからない時代だ。

 青く、愚直に「くもりなきまなこで物事を見定め、決める」アシタカは、複雑で混迷した今の時代に欲しいリーダー像であり、と同時に、私たち一人ひとりが生きていくうえで手に入れたい強さの象徴でもあるのではないだろうか。

(田幸和歌子)

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