Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

喜美子の覚醒はどこで起きたのか? 『スカーレット』日々の積み重ねと“気づき”の先にあるもの

リアルサウンド

20/2/9(日) 6:00

 主人公が夢を追いかけ、その道を極める物語が大多数である朝ドラにおいて、「覚醒する瞬間」はひとつの山場だ。ヒロインが何らかの大きなひらめき、あるいは天啓のようなものを得て目の前がパァッと開け、そこからは堰を切ったようにグイグイ邁進していく。こうしたシーンには、たしかにカタルシスがある。しかし、一筋縄ではいかないことでおなじみの『スカーレット』(NHK総合)には、眩しいスポットライトが当たるような、「ビカーーッ!」と音のするような、わかりやすい「覚醒ポイント」がなかった。では、喜美子(戸田恵梨香)の覚醒の瞬間はどこにあったのか。

参考:『スカーレット』戸田恵梨香の“後悔”の表情が胸を刺す 失ってから初めて気づく大切なもの

 第18週「炎を信じて」では、喜美子が長い長い苦しみの果てにやっと穴窯を成功させ、ずっと求めていた「自分にしか出せない色」が出せた。こうしてようやく「陶芸家・川原喜美子」が誕生したわけだが、その代わりに夫の八郎(松下洸平)を失うという展開だった。この週には第1回冒頭にあった、穴窯が火を吹き、喜美子が「もっともっと燃やすんや!」と薪をくべるシーンも再登場した。つまりここから「陶芸家・川原喜美子」の物語が本格的に始まるのだが、そこに至るまでには一度や二度ではない、じわりじわりと断続的に繰り返される「覚醒の積み重ね」があった。

 思えば、喜美子は昔から自分の心の声に耳を傾けて答えを見つけ出す人だった。父・常治(北村一輝)に向かって言いたい「この気持ち」は何なのか、一晩考えて「女にも意地と誇りはあるんじゃ」という答えを見出した少女時代。中学卒業後に働きに出た大阪では、荒木荘の女中の仕事よりも給料の良い新聞社への転職話が持ち上がるが、じっくりと自分に問いかけた末、「いちばん嫌いなことは途中で投げ出すこと」だとわかり、荒木荘に留まることを決意した。今にして思えば、これらも喜美子にとって大事な「覚醒」だったのかもしれない。子どものころからつきまとう貧困ゆえの不遇を誰のせいにもせず、「自分で決めた道」としてきた喜美子は、答えは自分の中にあると考えている。喜美子の覚醒はいつでも自分自身と向き合ったその先にあった。

 やがて八郎と出会い、陶芸と出会い、恋をして、喜美子の内なる感情がコーヒー茶碗の中に「お花の絵」を描かせた。しかし、結婚して武志が生まれてからは、目先の生活と大量生産の仕事にかまけて「創作」どころではなくなった。そして、喜美子にとって大きな存在であった父・常治が他界する。その死を受け入れ咀嚼し、無意識のうちに自分を縛りつけていた枷から喜美子自身が解放されたことで、初めて「誰のためでもない、自分だけの自由な作品」を作った。だが、その後もやはり日々の生活と「陶芸家の妻」としての仕事が忙しい。ドラマの前半までは、つねにこうした「覚醒」と「静置」の繰り返しで、喜美子はまだ自分の内に眠る「本当の欲求」に気づいていなかった。

 八郎が銀座の個展を成功させ、大量生産の和食器セットに活路を見出してからは、「生活に密着した陶器を作って売り、家計を支える陶芸家」と「芸術を極める陶芸家」の役割をこれまでと逆にすることにした八郎と喜美子。八郎の後押しもあり、念願の穴窯を建設するが、2度の失敗を重ねてしまう。喜美子は、「まずは賞を取り名前を知ってもらうまで穴窯を休もう」という八郎の制止を振り払う。この時点でもう喜美子の心には火がつき、燃え盛ってしまっていた。「本当の欲求」に気づいてしまったのだ。借金をしてまで穴窯を続ける喜美子を見て、八郎は家を出る。

 炎に取り憑かれた喜美子は「本当に作りたいのなら愛しい人の手を離してでもひとりでやるしかない」という結論に達してしまう。「目を覚ませ、八郎さんとやり直せ」と説得する照子(大島優子)への告白という形で明かされた、山で薪を拾いながら悟った「ひとりもええな」という境地。これもまた「覚醒」だったのだろう。その瞬間をシーンとして見せないことで、覚醒や変革はつねに喜美子の内面で起こっていることであり、正誤や善悪はさておき、喜美子の真実は喜美子の中にしかないということを示していた。

 大阪でちや子(水野美紀)と久々の再会を果たし、学童保育所の設立運動に奔走する女性たちに勇気をもらった。ラジオから流れる信楽太郎(木本武宏)の「さいなら」を聴きながら、八郎の後ろ姿を画用紙に刻み込む喜美子。その目には、ひとりで陶芸の道を歩む覚悟と、八郎への感謝の涙があった。信楽へ戻り、腹を括った喜美子は八郎に陶芸家になることを宣言する。これまでの八郎との関係にピリオドを打ち、2人で同じ夢を追おうとしていた時代の自分と決別したのだろう。

 6回の失敗を重ね、7回目の窯焚きで喜美子は穴窯の師・慶乃川(村上ショージ)の“分身”である狸の置物を新たなお守りとして祀り、初めて炎に敬意を表する。正念場に駆けつけてくれた心の師・草間(佐藤隆太)による「『対決』でなく『対話』が大事」との教えをいま一度胸に刻んだのだろうか、喜美子は2週間の窯焚きのあいだ真っさらな気持ちで炎と対話し、自分と対話し、何かを悟る。これもじわじわとした「覚醒」だった。ついに焼き上がりは思った通りの色が出た。

 土と向き合い、炎と向き合い、己の持てる全てを命懸けで注ぎ込む。険しい陶芸家の道をようやく歩みはじめた喜美子だが、第18週「炎を信じて」は、息子・武志(伊藤健太郎)の思いと八郎の思いを改めて知り、成功の代わりに失ったものの大きさに気づいて終わる。それでも毎日は続いていく。日々の積み重ねと「気づき」の先に、喜美子の変革と進歩がある。この先も喜美子は、その時々の自分に問いかけながら覚醒を繰り返し、茨の道を突き進んでいくのだろう。

■佐野華英
ライター/編集者/タンブリング・ダイス代表。エンタメ全般。『ぼくらが愛したカーネーション』(高文研)、『連続テレビ小説読本』(洋泉社)など、朝ドラ関連の本も多く手がける。

新着エッセイ

新着クリエイター人生

水先案内

アプリで読む