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ロン・ハワード監督の持ち味が発揮 『ヒルビリー・エレジー』はアメリカ映画史における重要作に

リアルサウンド

20/11/28(土) 10:00

 アメリカでベストセラーとなった書籍『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』は、ラストベルト(錆びついた工業地帯)と呼ばれるアメリカの貧困地域に生まれながら、アイビー・リーグ(アメリカの名門私立大学)の大学院を卒業した著者J・D・ヴァンスが、自分やその家族、そしてルーツや周囲の人々について言及している回顧録だ。この書籍が人気となった理由は、この内容がドナルド・トランプの支持層の内情を理解する入り口となっていると話題になったからだという。

 本作『ヒルビリー・エレジー -郷愁の哀歌-』は、これをさらにアメリカを代表する名匠ロン・ハワード監督と、『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017年)、『アラジン』(2019年)の脚本家ヴァネッサ・テイラーなどが、一つの物語として映画化したものだ。ここでは、そんな本作の人間ドラマの背景にある様々な要素を考えながら、描かれたものの意味をより深く考察していきたい。

 最初に映し出されるのは、少年時代の主人公J.D.が、ケンタッキー州南東部の小さな町ジャクソンの自然の中で過ごしている、ある夏の光景だ。ジャクソンは自然のほかに、国道を走る車のための数軒のファストフード店、町の人々のための教会や学校、小さな農園くらいしかない場所である。かつて祖父や祖母が暮らしていた土地であり、J.D.はそこで生まれても育ってもいないが、この山間にある箱庭のような世界は、彼や姉のお気に入りの場所になったという。

 このように、アパラチア山脈の丘陵地帯などに住んでいる白人は、田舎者を意味する「ヒルビリー」などと呼ばれ、アメリカの富や文化的な生活から切り離された存在として見られてきた。J.D.は、そこにルーツを持つ人物なのだ。

 祖母は、J.D.の祖母が13歳のときに妊娠したことで、家族を捨てて祖父とともにオハイオ州のミドルタウンに移住した。本作でも描かれるように、ジャクソンとミドルタウンは国道でつながっていて、ヴァンスの家族以外にもヒルビリーが移住した例が多いのだという。ミドルタウンには大規模な製鉄工場が工員を求めていて、当時は働き口もあった。

 ヴァンスの祖父と祖母がピックアップトラックで国道から山を下りてミドルタウンに移り住むところを、巨大な製鉄工場を背景に大スペクタルで見せていくシーンは、胸を締め付けるような印象深いものとなっている。それは、普段はあまり顧みられることのない、しかしアメリカの民衆の一時代の姿を切り取った重要な歴史の1ページであるといえる。なぜなら、この二人と同じように山を下りてミドルタウンに移り住んだヒルビリーが少なくなかったからだ。彼らは皆、この国道の風景と工場の景色を見ているのだ。

 このようにヒルビリーの一部は、アメリカにおける一般的な大量消費社会に同化し、文化を吸収しながら、逆に自分たちの流儀をアメリカの各地方へと拡散させていった。その意味で本作は、ルキノ・ヴィスコンティ監督が映画化した、イタリア貴族の興亡を描く『山猫』(1963年)のように、一族の歴史と時代の流れを同時に映し出した大作にもなっていると考えることができる。

 J.D.の祖父母や母親がミドルタウンに住むことで、いろいろな軋轢もあったようだ。原作となった回顧録では、クリスマスに店で大騒動を起こした例を紹介しているように、家族は気性が荒く、度を超えた悪態をつくためトラブルを招くことが多かったのだという。本作は、原作に書かれた家族の気質を、J.D.の成長物語のなかに周到に織り込みながら表現していく。

 エイミー・アダムス演じる母親は、18歳で妊娠して結婚。激しい気性で夫とケンカが絶えなかったために、二人の子どもを産んだ後すぐ離婚してシングルマザーとなった。高校時代は成績優秀だったが、夢見がちで移り気、癇癪持ちなところがあり、パートナーを次々に変えて子どもに会わせたり、勤務している病院で薬を盗み飲みしてハイになったり、J.D.を車に乗せたまま暴走するなど、子どもにとって好ましくない行動を繰り返す。そんな経験が続くことで、J.D.もまた非行に走りそうになる。

 グレン・クローズ演じる祖母は、道を踏み外しそうになるJ.D.を見かね、入院している病院のベッドからド根性で起き上がり、その足でJ.D.を母親から引き離し自分の家に住まわせる。彼女もまたヒルビリー時代に培った、おそろしいほどの口の悪さが特徴だが、持ち前の激しい性格を家族を襲う不幸に抗う力へと変えて、孫にできる限りのことをしてやろうとする。そんな祖母もまた、自分の娘と同じように荒れていた時期があったというが、年齢を重ねたことで最も大事なものは家族だということに気づいたのだと語っている。

 そして、『ターミネーター2』(1991年)を観るのが大のお気に入りだという彼女は、その内容を例にとって、“善いターミネーター”と“悪いターミネーター”の話をする。強大な力を持ったアンドロイドが人間を救うため、より強い相手に決死の戦いを挑むように、どんなに激しい性格でも、その力を良い方向に向けることができれば、大事な人を守り、強い苦難を乗り越えることもできる。

 J.D.もそんな祖母の献身に応え、“善いターミネーター”への道へと方向転換し始める。貧困の中で祖母が食べる分を減らしてまで自分のために分け与えてくれる姿を見て発奮し、バイトや勉強に精を出すのだ。「代数のテストで一番だった」とJ.D.に伝えられた後、椅子に座って一人でしみじみと感慨にふける彼女の姿が印象深い。

 激しさと愛情が強く混ざり合った祖母と母。この役柄は、グレン・クローズとエイミー・アダムスがこれまで演じてきた役柄とはかなりイメージが異なる。だが、この燃え上がるような生き方を高い演技力で表現したことで、本作は彼女たちのキャリアのなかでも、とくに観客の心を揺り動かすような仕事となったといえよう。

 ここで彼女たちに演じられる家族の性格は、もちろん問題も多いが、同時に共感できる部分もある。一族には、自分の家族が傷つけられたり侮辱されたら“絶対にやり返す”という掟がある。成長したJ.D.もまた、自分の目標である弁護士たちとの食事会の席で家族たちを、より差別的な「レッドネック」という言葉で呼ばれると、「それは侮辱です」「母はここにいる誰よりも優秀です」と、すぐさまやり返してしまう。一族の中では控えめに見える彼にもやはり、祖母と母から受け継いだ魂がある。ラストベルトからアイビーリーグへと至る険しい道を登って行けたのは、そんな熱い気持ちがあってこそだったのだ。

 ロン・ハワード監督作品の持ち味は、登場人物の精神が熱く燃え上がるような描写にある。『ビューティフル・マインド』(2001年)、『ラッシュ/プライドと友情』(2013年)、『白鯨との闘い』(2015年)などの多くの作品群において、様々な題材を扱いながらも、人生を燃やし尽くすような激しい戦いや葛藤を描いてきた。観客たちはそんな熱気に高揚するのだ。その意味で、激情と人生の闘いが描かれる本作は、まさにロン・ハワード監督こそが撮るべき作品だと感じられるのである。あるアメリカの一族三代の歴史を、圧倒的な演技力や演出力で語っていく。本作は、題材の希少性も含めてアメリカ映画史のなかで重要な作品として定着していくのではないだろうか。

 一方で、本作にはかなり痛烈な批判も存在する。ヒルビリーをルーツに持つような白人貧困層を、あまりに同情的に描き過ぎているのではないかという意見である。このような指摘は、もともと原作の書籍に対してもなされていた。

 原作で祖父が「日本車を買ったら勘当する」というような差別的発言をしていたり、本作でも祖母がある民族を侮辱するような言葉を放つなど、白人貧困層の人種差別的傾向は一応描写されつつも、このような負の面をそれほど追及していないのは確かである。ここで描かれる苦難は、アメリカの黒人が受ける差別などとは比較できないというのも、もっともかもしれない。黒人が白人社会のなかで癇癪を起こしてトラブルに発展しようものなら、投獄はおろか射殺される危険すらあるのだ。

 本作は、原作がそうであるように、市民に対して人種への偏見を煽るようなことを発信してきたドナルド・トランプを支持する白人貧困層を描いたものだという見方がある。その意味では、社会の被害者でもある彼らは、同時に加害者になり得る存在ともなってしまう。しかし原作を含め、もともと本作自体はドナルド・トランプ支持層の実態を解説するようなものではなかったはずだ。トランプの話自体、原作にも映画にも登場することはないのだ。この書籍でトランプ支持者のことを知ることができると言っているのは、あくまで出版社や一部の読者である。その見方が念頭にあると、たしかに本作は物足りないと思うかもしれない。

 とはいえ、本作が現実のアメリカの姿を強く反映し、同種の問題を映し出していることも確かである。弁護士たちとの会食でJ.D.が他の惑星に降り立ったように困惑する描写からも分かる通り、アメリカ社会は裕福な者と貧困のなかにある者との間に、分かりやすい分断が存在している。裕福な者たちは初めから有利な環境が与えられ、貧しい者は不利な環境を並々ならぬ努力で突破していかなければ、彼らと同じ物を食べ、同じ服を着ることはかなわないのである。

 そしてJ.D.の母親が違法薬物に手を出し、少年時代のJ.D.自身も犯罪に手を染める危険に直面するように、貧困者には人生の落とし穴も多い。その結果として起きる問題が、格差の固定化だ。優秀だった母親が貧しく孤独な生活を送ることになってしまったように、能力ではなく生まれによって選択が制限されるという状況は厳然としてある。アメリカン・ドリームという光は、ラストベルトを避けて裕福な者たちをさらに照らしているのだ。その仲間に入ることができる貧困者は、様々な誘惑を振り払い、人一倍の努力を重ねて差別にも耐え続ける必要がある。

 この現実がありながら、アメリカに存在する人種差別を、白人貧困層ばかりに負わせるのもフェアではないように思える。なぜなら高所得者にも大学出身者のなかにも差別主義者は存在するからである。逆にJ.D.がインド系アメリカ人をパートナーにしたように、格差や教育の分断を解消することができれば、人種間の分断を融和の方向へ進ませる人物が貧困層からも多く現れるのではないか。本作の冒頭で少年時代のJ.D.は傷ついた亀を助けたが、そんな“善いターミネーター”たちが“悪いターミネーター”にならないようにするには、格差が先鋭化されてしまった社会構造自体の変化が求められるはずである。本作がたどり着くのは、そういった結論だ。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■配信情報
Netflix映画『ヒルビリー・エレジー -郷愁の哀歌-』
Netflixにて独占配信中
監督:ロン・ハワード
出演:エイミー・アダムス、グレン・クローズ、ガブリエル・バッソ、ヘイリー・ベネット、フリーダ・ピント

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