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20年後の8月 また出会えるのを信じて――ZONEのヒットの裏側と、短くも濃密な活動の記録

ナタリー

ZONE「secret base ~君がくれたもの~」ジャケット

2001年8月8日にリリースされたZONEの3枚目のシングル「secret base ~君がくれたもの~」は、彼女たちの知名度を一気に引き上げたグループ最大のヒット曲。「10年後の8月 また出会えるのを 信じて」という印象的なフレーズとともに、友との切ない別れが描かれたこの曲は、ZONEの解散後もさまざまなアーティストにカバーされ、今もなお多くの人々に歌い継がれている。そして今、このシングルの発売から20年後の夏を迎えた。

この記事では、2004年に刊行されたZONEのアーティストブック「ここから」の著者であり、当時メンバーへのインタビューを何度も行ってきたライターの竹内美保が、ZONEの結成から2度目の解散までの歩みを回想。「バンドでもない、アイドルでもない」存在として、もがきながら成長を続けた少女たちの、短くも濃密な活動期間を今改めて振り返りたい。

文 / 竹内美保

大人たちにコントロールされてなるものかという、強い意志による必死の抵抗

青春の光と影と、その揺れと儚さと、そして、あの夏の、ほんのり甘く切なくほろ苦い残像。20年という歳月が経っても、決して色褪せることのない声と言葉と旋律が、今もなお数多のどこかの誰かの心に響き渡っている――。

かつて、“BANDOL(バンドル)”というそれまでになかったジャンルを掲げ、彗星のごとく音楽シーンに現れた少女たちがいた。「バンドでもない、アイドルでもない」という枕詞でどちらに所属することも否定する、独創的な存在の4人組・ZONE。札幌のスタジオランタイム(現・ランタイムミュージックエンタテインメント)という音楽スクールのレッスン生の選抜メンバーで結成され、ダンス&ボーカルグループとして1999年12月にシングル「believe in love」でインディーズデビューした彼女たちは、このシングルに収録されていた「僕はマグマ」というポップチューンのミュージックビデオでの、弾けない楽器を小道具として振り回すパフォーマンスがヒントとなり、“BANDOL”として活動していくことになる。

当時のメンバーはTAKAYO(Vo, G)、MIZUHO(Vo, Dr)、MAIKO(Vo, B)の中学生3名と、小学6年生のMIYU(Vo, G)。楽器ができないのにプロフィールにパートが記されているのは当時シャレかと思われたが、担当パートはそれぞれが自ら選び、実は裏では楽器の猛特訓を始めていた。楽器を振り回しながら歌い踊るパフォーマンスから、早い段階で“バンドでもある”へとそのスタイルをチェンジできたのは、メンバーの影の努力の賜物と言っていいだろう。

2001年2月7日、「GOOD DAYS」で華々しくメジャーデビュー!と言いたいところだが、メンバーたちは「メジャーデビューと引き換えに自分たちから奪われてしまうことがある」と気付き、デビューにまつわるあらゆることに対して猛反発した。それはデビュー曲の選定であったり、レコーディングの仕方であったり、イメージ戦略であったり、果ては“BANDOL”というネーミングに至るまで。

子供たちのワガママ? いや、そうではない。自分たちがインディーズ時代に培ってきたものが否定されているような思いを抱いた4人の、大人たちにコントロールされてなるものかという、強い意志による必死の抵抗だったのだ。

「secret base ~君がくれたもの~」を“ZONEの新作”として発売する、大きく深い意味

そして彼女たちは、2ndシングル制作に向けて積極的な参加をスタッフに申し出る。プリプロの段階で、メンバー全員一致の候補曲を選び出す。その楽曲を生かすために、ジャケットおよびポスターのデザイン案を考える。自分たちが描く映像のイメージを具現化するべく、MVの監督に直談判する、などなど。

かくして2001年5月23日、MIZUHOが「タイトルからして私たちのこと」と称したパワーポップチューン「大爆発 NO.1」が、2ndシングルとして世に放たれる。チャート的にはそれほど振るわなかったが、4人の愛情があふれんばかりに注ぎ込まれ、長きにわたってライブにおける起爆剤となった、ZONEを語るうえでは絶対に絶対に外せないナンバーだ。

ちなみにこの楽曲のソングライティングを手がけているのは、ZONEに楽器を教えていた和田勝彦(和田克比古)。身近な人が自分たちを思って書いてくれたナンバーを、シングルに押し上げることができた、ここでの成功体験がなければ、あの「secret base ~君がくれたもの~」が日の目を見ることはなかったかもしれない。

なぜなら、「secret base ~君がくれたもの~」のシングル化には、当時のスタッフから多数の反対意見があったから。

8月8日、「secret base ~君がくれたもの~」が3枚目のシングルとしてリリースされる。メンバーの強い思い入れとシングル化への願いが実を結び、陽の当たる場所で鳴り響くこととなったこの幸福なナンバーは、スクールの専属ソングライターだった町田紀彦のソングライティングによるもので、もともとはインディーズ時代にTAKAYOがソロで歌っていたこともある楽曲だった。その当時からメンバー全員が大好きで、MAIKOとMIZUHOにとっては実体験と重なっている曲、MIYUにとっては「いつか歌ってみたい」と思っていた曲ということもあり、これを“ZONEの新作”として発売することには、とても大きくて深い意味があった。

メロトロンの音色で幕を開ける、アコースティックサウンドを基調としたミディアムチューン。そこに浮かび上がる、ZONE特有の“少女の中の少年性”。ドラマ「キッズ・ウォー3~ざけんなよ~」の主題歌に起用されたことも、もちろんこの楽曲のロングヒットにつながった理由の1つではあるが、自分たちの生の演奏でこの楽曲の素晴らしさを多くの人たちに伝えたいと、まだぎこちなさのあるバンドスタイルで各地へと足を運んだことがヒットへと結び付き、やがてZONEの代表曲と呼ばれるようになったことは、確かな事実だ。

彼女たちは続く4thシングル「世界のほんの片隅から」で一度、楽器を下ろして原形のダンス&ボーカルスタイルを見せてはいるが、楽器を持たないことに違和感を覚え、すぐにバンドスタイルに戻している。ここからバンドとして活動していくことに焦点を定めたこと、町田氏がシングル曲を数多く書き下ろしていくようになったこと、この年末の「紅白歌合戦」にこの楽曲で初出場を果たしたことなどを考えれば、「secret base ~君がくれたもの~」はZONEにとってのメルクマールとも言えるかもしれない。

順風満帆な活動の中での、第1期ZONEの終了

メンバーが常にこだわっていた“等身大”。もちろんそれは年齢だけではなく、日々の生活や環境の中でも変化を遂げていくものではあるけれど、その微妙な動きを丁寧にすくい上げながら作品の1つひとつに投影させることができたのは、1人ひとりの、そしてZONEとしての成長過程を見守り続けてきた町田だからこそだろう。

例えば「secret base ~君がくれたもの~」の続編として制作された「夢ノカケラ…」は、10代半ばとなった彼女たちの心の揺れや葛藤とリンク。「きれいな歌ばかり歌っているイメージをぶち壊したい」という願いが、初のハードかつアグレッシブなサウンドに乗せられた「証」、歌詞のテーマを町田に問うことなく、詞曲をもらった瞬間に「これは自分たちの歌だ。ZONE一色だ」と理解したという「H・A・N・A・B・I ~君がいた夏~」のように、どの曲も彼女たちの等身大が表現されていた。少し先の話も記せば、第2期ZONEのシングル「glory colors ~風のトビラ~」のカップリング曲「Once Again」には、恋愛をモチーフにしつつ新たなスタートを切ったメンバーたちへのエールも織り込まれている。

リリースするシングルは次々と大ヒットし、2002年2月14日には1stアルバム「Z」、同年11月27日には2ndアルバム「O」を発表。各アルバムを引っさげて行われた2002年夏と2003年の全国ツアーではライブバンドとして著しい成長を見せ、特に2003年のツアー「ZONE TOUR ASTRO GIRL 2003 ~夏だぁ!ZONEだぁ!全員集合~」は、彼女たちをサポートしているFenderのスタッフも大絶賛。その勢いのまま順風満帆な活動が続いていく……はずだった。

2003年12月10日、TAKAYOが12月31日をもって卒業することが発表される。実は2002年の夏にはMAIKOとMIZUHOもそれぞれ辞めることを考えていたのだが、こちらはほどなくして収まった。しかし短大進学が決まり、心がすでにZONEから離れていたTAKAYOの意志は固く、3回目の出場となる「紅白歌合戦」のステージをもって彼女は卒業。ここでの「secret base ~君がくれたもの~」を最後に、第1期ZONEは終了となる。

解散という結論を導き出した理由

翌2004年1月7日、ギターに加えてピアノも弾きこなす、歌唱力にも定評のあったTOMOKAが新たに加入し、新生ZONEがスタートした。即戦力であり、ZONEの選抜メンバーにギリギリまで残っていたこともあってメンバーからの信頼も厚かったTOMOKAの加入は、バンドのパワーアップに大きく貢献。“パワフル、ポップ、キュート”をテーマに一気に疾走する、その原動力となる。

2月28日にリリースされた3rdアルバム「N」は、前半が新生ZONE、後半が第2期の楽曲で構成されているため、新生ZONEとしての音楽的な進化は正直見えづらいところもあるのだが、アルバム曲としてレコーディングを進めていたスピード感あふれるポップロックナンバーの「卒業」を、メンバーの希望で急遽リードシングルとして発表したことにより、当時アーティストブック「ここから」でMAIKOが発言した「TOMOKAちゃんはTAKAYOちゃんの代わりではない。抜けたところを埋めるために入ったわけではない」という言葉の意味は、明確に伝わったのではないだろうか。

その証として夏には、ホールバージョンとライブハウスバージョンという2つのスタイルの公演が交錯するツアー「ZONE SUMMER LIVE 2004 ガツン!といっきまSHOW!!」にトライし、それぞれがボーカリストとして、プレイヤーとして、ZONEを構築する1人としてのグロウアップを結実させ、骨太かつ華のあるライブを展開。メンバー間の結束もさらに強固なものとなり、過去の自分たちを次々と塗り替えていく様はとても清々しいものだった。

しかし……2005年2月7日、春の全国ツアーも決定している中、MIZUHOの脱退表明によりZONEは解散することを決断する。

高校を卒業するタイミングで、駆け抜けてきた10代の日々を振り返りながら自分の未来を考えたい――そのMIZUHOの気持ちを受け入れ、一時は残りの3人で活動を継続することを選んだが、MIZUHOが参加する最後のシングル「笑顔日和」のジャケット撮影時に、3人がぞれぞれ「ZONEは4人だ」と感じたことが、最終的に解散という結論を選ぶきっかけとなった。

ティーンエイジャーたちの、迷いと苦悩と心に秘めた思いと声。けれども、ここでのそれは脆さとは少し異なる。「笑顔日和」のジャケット撮影でMAIKOが「ZONEはこういう雰囲気を持っているグループなんだな」と改めて感じたという、その“こういう雰囲気”が何物にも代え難いものであるからこそ、彼女たちは解散という道を選んだのだ。

2005年4月1日、「ZONE SPRING TOUR 2005~夏まで待てない!ZONE 桜ツアー~改め ZONE卒業コンサート」のツアーファイナル、日本武道館でのライブを最後に、惜しまれながらもZONEはメジャーデビューから約4年間の活動にピリオドを打つ。

“10年後の8月”の再会と、再びの別れ

時は流れ、「secret base ~君がくれたもの~」の中の願いの言葉――「10年後の8月 また出会えるのを 信じて」――の言葉どおり、ZONEはMIYU、MAIKO、TOMOKAの3人で、2011年8月に1カ月限定での再結成を果たす。そもそもはその年の3月に起きた東日本大震災を受けて、3人で札幌の街頭に立ち募金活動を始めたこと、チャリティライブを行ったことがきっかけであり、“10年後の8月”に向けた再結成の動きがあったわけではない。けれども、それはおそらく必然だったのだろう。願いは願いであって、約束ではなくとも。

8月10日、さまざまなアーティストがZONEの楽曲をカバーするトリビュートアルバム「ZONEトリビュート~君がくれたもの~」がリリースされた。そのアルバムの中には、ZONEの歴史を彩った名曲たちのタイトルを織り込んだ、メンバー3人の作詞によるZONEのひさびさのオリジナル曲「約束~August, 10years later~」も収録。14、15日には再結成ライブ「『10年後の8月…』ZONE復活しまっSHOW!!~同窓会だよ全員集合!~」が東京・赤坂BLITZにて開催された。この公演内で再結成の期間延長も発表されたが、10月31日にTOMOKAが体調不良による突然の脱退および引退を発表。以降はMIYUとMAIKOの2人で活動を継続していくことになる。

2人になったZONE。それでも活動の継続を決めたのは、彼女たちにとっても、もちろん支えてくれている人たちにとっても、ZONEという存在がかけがえのないものであることを知っているから。だからこそ2012年6月16日には、7年ぶりのシングル「treasure of the heart ~キミとボクの奇跡~」を発表し、全国ライブツアーも行ったのだ。

そう、知っていたはず。

しかし、2013年2月に所属事務所がMIYUとの契約を解除。MAIKOのみになったZONEは、4月7日の「ZONE FINAL EVENT」でその活動を完全終了する。“10年後”からの、短くも、さまざまな意味で濃密だった時間。20代になったメンバーたちが、ティーンエイジの頃とはまた異なる、個々が抱える、向き合う、身を置く現実と付き合いながらも、ファンの人たちの期待や希望に応えていた、ひととき。

あの再会のときから、また10年。“10年後の10年後”、20年後の8月がやってきた。柔らかなメロトロンの音色に導かれるように。

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