平辻哲也 発信する!映画館 ~シネコン・SNSの時代に~
大分のミニシアター・シネマ5田井肇支配人(コミュニティシネマセンター代表理事)が語るコロナ禍、そして映画人生
隔週連載
第52回
20/12/20(日)
昭和、平成、令和と3つの時代をまたぎ、30年以上、大分のミニシアター文化を牽引するのが「シネマ5」だ。支配人は、現存する日本最古の映画祭「湯布院映画祭」(1976年〜)の創設メンバーの一人で、全国のミニシアター、映画上映活動を行う団体や会社など計72の組織を束ねる「コミュニティシネマセンター」代表理事の田井肇さんだ。
「シネマ5」はJR大分駅から徒歩約10分、中心部の府内五番街商店街にあるビルの2階にある。この地域はもともと20館が建ち並ぶ映画館街だったが、1980年代にはロキシーが経営する5館と、セントラルが経営する4館のみになっていた。そんな中、大分工業高等専門学校時代の仲間とともに自主上映会活動を行っていた田井さんのところに、当時二番館だった「シネマ5」を引き継がないかとのオファーが来た。74席の「シネマ5」がオープンしたのは昭和最後の日である1989(昭和64)年1月7日。オープニング作品はヴィム・ヴェンダース監督の『ベルリン・天使の詩』だった。
「大分でも、『ブリキの太鼓』(1981年)や『パリ・テキサス』(1985年)くらいは劇場公開されたと思いますが、いわゆるミニシアター系の作品は自主上映会で見られるという感じでしたね。人口の多い都会でもないし、最初は3年続けるのが限界かなと思っていたんですよ。それよりも自分の命が持つかな、と。27歳の時にB型肝炎になって、医者から『3年以内に肝硬変になる可能性もある。そうなったら、持っても10年』と言われたので、自分が40歳を迎えられるのかと思っていましたね」と田井さんは振り返る。
その後、肝炎は寛解し、映画館は無借金経営を続け、東日本大震災の翌日の2011年3月12日にはセントラル劇場跡に168席の「シネマ5bis」がオープン。現在では、計2館で月20本以上のミニシアター作品を上映している。人気の秘密は「チネ・ヴィータ メンバーズ」と呼ばれる年間会員制度だ。メインとなるヴィンテージ会員(定期便郵送会員12000円、定期便メール会員11500円)は年間10回まで無料で見られる。会員に贈られる手帳には半券を貼り付けることができ、映画鑑賞の記録になるという優れものだ。
「会員数は1200人くらい。今年は緊急事態宣言で28日間休館しましたが、それを差っ引くと、動員は過去最高だった前年比で2割減。11月30日時点で、10本見ていないヴィンテージ会員の方が55%もいたんです。先日は今年1本目という人が来てくれたんですが、その人がその日に来年の会員になってくれました」(田井さん)。それだけ、地元の映画ファンに愛されているということだろう。
30年以上の歴史で印象に残っているのは、中年男女の密やかな恋心を田中裕子主演で描いた『いつか読書する日』(緒方明監督、2005年)という。「公開の半年前ぐらい見て、これは素晴らしいと思って、なんとか宣伝したいと思ったんですよ。とにかく毎日、いろんな人にしゃべることにしたんです。すると、良さは伝えられなくても、伝えきれなくて、もがく姿くらいは伝えられるんです。3週間の公開中は脚本家の青木研二さん、緒方監督、岸部一徳さん、さらには田中裕子さんまで来ていただいて、興行成績全国2位を上げたんです」。
もう1本は長年の親交があったホウ・シャオシェン監督が、小津安二郎監督の『東京物語』にオマージュを捧げた『珈琲時光』(2004年)だ。「ホウ・シャオシェン監督はもともと大ファンで、台湾まで会いに行って、その後、日本でも何度も会っているんです。『珈琲時光』では浅野忠信さんが古本屋の主人役を演じているんですが、役名が自分と同じ『肇』で、『おやっ』と思ったんですね。ある時にホウ・シャオシェン監督に聞いたら、『田井をモデルにした』というんですね。うれしかったですね」
全国のミニシアターが加盟する「コミュニティシネマセンター代表理事」という顔もあるが、コロナ禍に見舞われた2020年をどう見ているのか?「これまで内包していた問題が噴出したと思っています。これはミニシアターだけではなく、映画界が抱えている問題が出てきたということ。ミニシアター・エイドはコロナ禍での最大の成功例となったと思いますが、その一方、映画館はパブリックたる存在なのか、という問題が我々に返っています。お前たちは好きでやっているだけだろうと言われれば、そのとおりで、映画館がパブリックな存在だとすれば、我々がどんな役割を果たせるのかが重要なテーマになる」と話す。
田井さんの文化論はこうだ。「文化というのは、決定的に何の役に立たないものじゃないかと思うんです。逆に言うと、ためにならないってことは、それより先がない、つまり映画は終点にあるもの。人は何のために生きるのかと言えば、人は映画を見るために生きている。ためにはならないけど、それがいいなぁとなれば、心休まるというか、豊かになると思うんです。そういうことが大事。映画館は世の役に立っているとは言わないけど、結果として、そういうことを起こしうる可能性のある場所だとは思うんですよね」。
4週間分タイムスケジュールを記したシネマ5のチラシには、田井さんの思いが端的に書かれている。「暗闇の中で映画に全身を包まれ、生きなかった『もうひとつの人生』を生きる場所」と。田井さんは「明日、生きるのをやめようかなと思う人たちが映画館に来てくれ、予告編で見たあの映画を見るまでは生きようかな、と思ってくれれば」と話す。会員制度のチネ・ヴィータとは、イタリア語で「映画人生」の意味である=終わり=。
※2年間に及ぶ連載をお読みいただき、ありがとうございました。
映画館データ
住所:大分市府内町2丁目4−8
大分市府内町3丁目7−7
電話: 097-536-4512
公式サイト:大分シネマ5
シネマ5bis
〈おしらせ〉連載「平辻哲也 発信する! 映画館」は今回が最終回です。取材にご協力いただいた映画館の皆さんに心より御礼を申し上げます。読者の皆様、2年にわたり、ご愛読ありがとうございました! また、映画館でお会いしましょう!(編集部)
プロフィール
平辻哲也(ひらつじ・てつや)
1968年、東京生まれ、千葉育ち。映画ジャーナリスト。法政大学卒業後、報知新聞社に入社。映画記者として活躍、10年以上芸能デスクをつとめ、2015年に退社。以降はフリーで活動。趣味はサッカー観戦と自転車。
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