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エルトン・ジョンと作詞家バーニー・トーピンの複雑な関係性 映画『ロケットマン』公開を機に考察

リアルサウンド

19/9/22(日) 8:00

 レジナルド・ドワイトという内気な青年が「エルトン・ジョン」としてデビューするには、運命の出会いが必要だった。その相手とは、作詞家のバーニー・トーピン。エルトンとバーニーは、それぞれ音楽誌『NME』に掲載された広告を見て、リバティ・レコードが作曲家と作詞家を募集していることを知って応募。二人はレコード会社で出会った。ロンドンで生まれ、パブでミュージシャンとしての活動を始めていたシティボーイのエルトンは当時20歳。かたや、田舎の農場で生まれ、ラジオから聞こえてくる音楽に夢中になったカントリーボーイのバーニーは17歳。生まれ育った環境はまったく違うが、二人は出会ってすぐに意気投合した。そして、バーニーが歌詞を、エルトンが曲を書いて、二人は新進気鋭のソングライターチームて活動をスタート。エルトンがシンガーとしてデビューすると、バーニーは歌詞と友情でエルトンを支えた。

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 エルトンが製作総指揮を手掛けた自伝的ミュージカル映画『ロケットマン』を観ると、彼にとってバーニーと出会った頃がいかに輝いていたか、そして、バーニーがいかに重要な存在だったかが伝わってくる。エルトンはバーニーを弟のように思っていたそうだが、そこには恋愛感情もあったはず。映画ではエルトンがバーニーにキスしようして、やんわりと断られるシーンもあった。これが実際にあったことかどうかはわからないが、バーニーはエルトンの思いを感じ取っていたに違いない。それでも、バーニーはエルトンから離れることはなく、エルトンもバーニーを頼りにしていたのは、お互いに才能を高く評価してアーティストとして惹かれ合ったからだろう。

 そんな二人の幸福な時期を代表する曲といえば「Your Song(僕の歌は君の歌)」(1970年)だ。貧しい主人公が贈り物として愛する人に歌をプレゼントする。当時、貧しかったエルトンとバーニーは、エルトンの実家で共同生活を送っていた。「いくつかうまく書けない歌詞があって/でも、この曲を書いている間、陽の光はとても優しかった/この歌は、そんな風に僕を照らしてくれる君のような人々のために書いたんだ」と歌うこの曲からは、音楽を通じて二人が強い絆で結ばれていたことがわかる。こんな歌詞を渡されてエルトンは嬉しかったに違いない。しかし、バーニーとの付き合いが深まるほど、彼を思うエルトンの胸の内は複雑だっただろう。

 映画『ロケットマン』で、初めてアメリカに渡ったエルトンとバーニーがママ・キャス(キャス・エリオット)のパーティーに参加。そこでバーニーは美しい女性に一目惚れする。そんなバーニーを寂しげに見つめるエルトン。その時に流れるのが「Tiny Dancer(可愛いダンサー~マキシンに捧ぐ)」(1971年)だ。この曲はバーニーがアメリカで出会って後に結婚する女性、マキシンに捧げた曲。高揚感に満ちた曲で、映画『あの頃ペニー・レーンと』では、気まずい空気が流れるバンドのツアーバスのなかで、この曲を歌うことでみんなが一体になった。しかし、『ロケットマン』でのアレンジは寂しげで、エルトンの胸の痛みが伝わってくる。

 やがて、ミュージシャンとして成功したエルトンは、相次ぐツアーやレコーディングに追われるなかでボロボロになっていく。そんなエルトンを側で見ていて、バーニーは心配だったのだろう。田舎育ちのバーニーは、欲望渦巻く音楽業界にいることに苦痛を感じ始めていた。大ヒットしたアルバム『Goodbye Yellow Brick Road(黄昏のレンガ路)』(1973年)のタイトル曲の歌詞で、バーニーはエルトンに「いつになったら都会を離れるんだい?」と問いかけ、「僕は農場にとどまっていたほうが良かった」と疲れ果てた気持ちを伝えている。さらに「ねえ、君は僕を永遠につなぎ止めることはできないんだよ/君と契約をかわしたわけじゃないんだから」と語りかけて〈グッバイ・イエロー・ブリック・ロード(さよなら黄色のレンガ路)〉と別れを告げる。「黄色のレンガ路」とは、黄金で出来た路。つまり、成功して大金持ちになることだ。こんな辛辣な歌詞に、美しいメロディをつけて歌い上げるエルトンもすごい。二人はプライベートな感情を越えて、音楽で結ばれていたことがわかる。

 『黄昏のレンガ路』に続くアルバム『Captain Fantastic』(1975年)は、エルトンとバーニーが出会ってデビューするまでの思い出をもとにしたコンセプトアルバムで、二人は古き良き思い出をシェアすることで絆を取り戻そうとしたのかもしれない。しかし、『Blue Moves(蒼い肖像)』(1976年)を最後に二人はコンビを解消してしまう。『ロケットマン』でエルトンは「75年からの俺はクソ野郎だった」と告白するが、それはバーニーとうまくいかなくなった時期と重なっている。『蒼い肖像』以降もバーニーはエルトンに歌詞を提供しているが、それまではアルバム全曲の歌詞を手掛けていたのに対して、コンビ解消後は半分以下。もはや仕事としての付き合いだった。

 そんな二人がよりを戻したのは『Too Low for Zero』(1983年)で、バーニーは実に7年振りに全曲の歌詞を手掛けた。本作には映画『ロケットマン』のクライマックスで流れた「I’m Still Standing」を収録。この曲は失恋の痛みに耐える男の歌であるが、〈見てろよ、僕は復活するから/僕はわかりやすいやり方で愛の味を知ったんだ〉という歌詞は、エルトンが音楽への純粋な愛を、そして、バーニーとの信頼関係を取り戻したことを表しているかのようだ。また、本作に収録されている「I Guess That’s Why They Call It the Blues(ブルースはお好き?)」は、バーニーが当時付き合っていた女性に向けて書いた歌詞だが、「君と僕の関係は良くなっていくはずだって心の底から言える」「これまで以上に君が恋しい」なんてフレーズは、バーニーとエルトンがお互いに言っているようにも思える。年月を経てエルトンとバーニーの関係は、より深い絆で結ばれるようになったのだ。

 恋愛、友情、仕事……様々な関係が複雑に入り交じったエルトンとバーニーの関係は独特で、微妙なバランスで成り立っていた。バーニーが別のことからヒントを得て歌詞を書いたとしても、まるでエルトンに差し出した手紙のように思えてしまうのは、二人の関係が曲に大きな影響を与えていたからだろう。バーニーは他のアーティストにも曲を書いたし、Starship「We built this City(シスコはロック・シティ)」(1985年)、Heart「These Dreams」(1986年)といった全米1位ヒットも生まれたが、エルトンのような関係を築けたシンガーはひとりもいなかった。「君の歌は僕の歌」、それがエルトンとバーニーの関係なのだ。(村尾泰郎)

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