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寺嶋由芙が明かす、モーニング娘。への憧れと“アイドル”という夢 早稲田大学進学に至った経緯も

リアルサウンド

20/12/19(土) 17:00

 寺嶋由芙が、12月19日に1stアーティストブック『まじめ』(blueprint)を刊行する。同書は、ギャル風の姿や水着、ランジェリー姿も披露する王道の写真集でありながら、ふなっしー、大森靖子、トミヤマユキコとの対談やディスクレビューを収録。さらにソロインタビューだけでなく、本人の早稲田大学の卒業論文を全文公開するなど、読み物としても充実した1冊となっている。今回リアルサウンドでは、『まじめ』からソロインタビューの一部を抜粋して掲載する。モーニング娘。への憧れから、大学進学への決断までを語る、貴重な内容となっている。(編集部)

モーニング娘。に憧れて、初めて味わった挫折

ーーダンスは、幼稚園のころから習い始めたそうですね?

寺嶋:年中さんのころ、近所にダンス教室ができたのがきっかけです。といっても、プロを目指すようなところではなく、近所のママさんが始めた小さな教室という感じで。SPEEDや安室奈美恵さんの曲にあわせて体を動かしていく、本当に趣味として楽しむための場所でした。そこに友達が次々と通うようになったので、そのブームに乗っかる形で「私もやりたい!」と始めました。この写真は、ダンス教室の発表会の様子です。『キューティーハニー』の曲とかも踊ったんですよ。ほかにもクリスマス発表会や市民夏祭りなど、色々な発表の場がありました。

ーー小さいころから、ステージで緊張するタイプではなかったんですね。

寺嶋:そうですね。純粋に楽しんでいました。周りの友達も先生も、みんな穏やかな人ばかりでしたし誰かと自分を比べて落ち込んだり、ポジションをめぐって競争したり……といった雰囲気もなく、ただただ発表会を楽しめていたんだと思います。結局、中学校を卒業するまで10年くらい通っていました。その後、「#ゆーふらいと」のMVに出演してくれた先生の教室に移って、ダンス自体は大学生になっても続けていました。

ーー学校では、どんな日々を送っていたんですか?

寺嶋:小学校、中学校は、学級委員系女子でした(笑)。“誰かがやらなきゃいけない”空気みたいなのがあると、「じゃあ、やります!」って手を挙げちゃうタイプ。友達関係はダンスを通じて、広がっていきました。一番仲がよかった子は、浜崎あゆみさんのファンで、ギャルっぽいおしゃれな子でした。休み時間になると、学校のラジカセを借りて、私が好きなモーニング娘。や、彼女が好きな浜崎さんの音楽をかけて、振り付けの練習をしていました。

ーーモーニング娘。を好きになったきっかけは?

寺嶋:父が運転していた車の中で「サマーナイトタウン」が流れてきたのが、モーニング娘。を知ったきっかけでした。オーディションの様子が『ASAYAN』(テレビ東京)で放送されていたころは全然チェックできていなくて、後から追いかけて好きになっていった感じです。一番好きだったメンバーは、安倍なつみさんでした。その当時は、毎日のように歌やダンスを真似して、「私、絶対にモーニング娘。になるんだ!」と、本気で思っていました。

ーーモーニング娘。になるために、具体的なアクションは起こしたのでしょうか?

寺嶋:2001年に開催された、『ハロー!プロジェクト・キッズオーディション』を受けました。「モーニング娘。になるんだ」と心に決めたものの、なかなか「なりたい」と周囲に言うことができず……。そうしているうちに、同じ学校やダンス教室の友達が何人も、そのオーディションを受けるという話が聞こえてきて。「○○ちゃんも受けるらしいよ」「□□ちゃんも応募したって」って、じわじわと母にアピールする作戦を決行。その努力の結果、私の気持ちを察してくれた母が、ちゃんと応募してくれました。

ーー初めてのオーディションはいかがでしたか?

寺嶋:会場がすごく大きくて驚きましたが、自分の中ではモーニング娘。になるのは決定事項だったので、まったく緊張はしなかったですね。「なりますけど!」くらいの気持ちでした。……一次審査で落ちましたが(笑)。

ーーそのときは、どんな気持ちでしたか?

寺嶋:単純に驚きました。「こんなに好きなのに、モーニング娘。になれないことがあるの?」と。おそらく、それが人生初の挫折だったと思います。それまでは、例えばダンス教室の発表会は全員で出ることができましたし、“選ばれない”という経験がなかった。ずっと楽しくやってきたから、私にはアイドルが向いていると思っていたし、才能があると信じていました。でも、それだけではアイドルになれないんだって、現実を突きつけられたのがショックでしたね。その後しばらくは「アイドルが好き」ってあんまり言わなくなりました。そのうち、安倍さんも卒業してしまい、休み時間のアイドルごっこもやらなくなり、中学では演劇部に入ることにしたんです。ステージへの憧れは消えなかったんですが、部内のオーディションにもあんまり受からなくて、基本的には音響や照明をやっていました。ベストなタイミングでスイッチを押すとか、尺ピッタリに合わせていくことにやりがいを見出し(笑)。今でも、ラジオコメントを決められた時間内で収められるとすごく気持ちが良いなって思います。

ーー決まったフレームの中で、最善を尽くすことが得意なんですね。

寺嶋:そうなんです。まじめと言えば聞こえはいいけど、型破りなことが苦手なのはコンプレックスでもあり……。まじめな性格は、母譲りだと思います。母は、私から見ても“まじめ過ぎ!”。今でも覚えているのが、小さいころに言葉遣いを注意されたことなんですが、「そういう言葉遣いはやめようね」「キレイな言葉で話しましょうね」みたいな子供扱いはせず、「私は、そういう言葉遣い好きじゃない」と、対等な感じで注意されました。まじめゆえに、「子どもにも一人の人間として向き合わねば」みたいなことだったのかもしれません。大人になってから、その距離感はすごくありがたかったと思うけど、幼い時はあんまり理解できていないことも多かったので、「もっとわかるように言ってくれたら良かったのに!」という不満も(笑)。

ーーまじめなお母様は、由芙さんのアイドルへの憧れをどのように思っていたんでしょう?

寺嶋:反対はされませんでしたが、照れもあって、そもそもそんなにはっきり伝えてなかったかも。ただ、ダンス教室だけでなく、小学6年生から中学生くらいまで、渋谷のボーカルスクールにも通わせてくれまして。そのスクールは、大人がシンガーとしてデビューを目指して通っているようなところで、私が最年少だったと思います。そのスクールも親が選んでくれたので、応援してくれていたんだと思います。

消せなかったアイドルへの想い

ーー胸に秘めていたアイドルへの憧れが、再び熱を帯びたきっかけは?

寺嶋:実は、中学の演劇部メンバーにアイドルをやっている子がいたんです。時々、撮影や収録でいない日があって、チェックしてみるとテレビの歌番組で踊っていて。そんな活躍を間近で見ているうちに、「やっぱりやりたいな」って沸々としてきました。その頃、AKB48がデビューして話題になっていて。ラジオで聴いた「スカート、ひらり」がすごくいい曲で衝撃を受けました。制服を着て踊っているのもすごく親近感があったし、人数もモーニング娘。よりも多いし、「もしかしたら私も入れるんじゃないか」と思い始めて。第一回研究生(4期生)オーディションを受けることにしたんです。でも、それも落ちました。受かっていたら、ここにいないんですけどね(笑)。

ーーアイドルへの道はなんとも厳しいですね……。

寺嶋:本当に。でも、初めて挫折したときに、アイドルになりたいという想いは胸に秘めたつもりだったけれど、やっぱり気になって仕方がないから、もうとことん目指していくしかないって覚悟を決めたんです。何回落ちてでもアイドルになると腹をくくっていたので、「次のオーディションを受けよう」と、前よりはすぐに気持ちを切り替えることができました。演劇部のオーディションや、ボーカルスクールの学内で行なわれるオーディションを何度も受けていた経験も、ハートが強くなっていった理由かもしれません。本当にずっと落ち続けてましたが!

アイドルになっているはずが、気づいたら早大生に

ーー周囲にはオーディションを受けていることは話していたんでしょうか?

寺嶋:いいえ、高校生になると自分でいろいろと情報収集もできるようになりましたし、東京のオーディションにも1人で行くことができたので、親にも友達にも言わずに色々と受けていました。正直、落ちたことを話すのも恥ずかしいし、受かったら事後報告でいいかなと(笑)。あと、通っていた高校が進学校だったのもあって。自由な校風ではありましたが、みんなが真剣に大学進学のことを考えている時に、私は「高校生のうちにアイドルになるから進学のことを考えてもしょうがない」って本音も言いにくくて。でも、そうこうしているうちに3年生になっちゃったんですよ。

ーーアイドルになっているはずだったのに「おかしいな」と?

寺嶋:「おや? なってないぞ?」と(笑)。大学のことよりアイドルのことばかり考えていた私は、なかなか志望校を決めきれず……慌ててオープンキャンパスに行って、いろんな大学を見て回りました。最終的に、早稲田大学に決めたのは、もちろん学びたかった分野が充実していたことや校風もありますが、恩師に「由芙さんに似合うと思う」と勧められたことや、アイドルになってから活動しやすいように東京の大学が良かったということ、そして祖父が箱根駅伝を好きだったからというのも大きいです。中学生の時から、お正月は毎年一緒に観戦しに行っていたんです。一緒に母校を応援できたら楽しいだろうな、と思って。で、夏までは勉強漬けでアイドルに繋がりそうなことはできずにいたら、秋になって、思いがけず推薦のお話をいただけることになり。真面目な性格がゆえに定期テストだけは毎回しっかり勉強していたので、自分で言うのもなんですが通知表の成績が良くて。

ーーお祖父様には喜ばれましたか?

寺嶋:はい、とっても(笑)。今でも毎年一緒に応援しに行っています。

ーー文学部に進んだのは、もともと本を読むのが好きだったからですか?

寺嶋:はい。読書も好きでしたし、小学校から高校まで、良い先生に恵まれて、とにかくずっと国語の授業が好きだったので、ずっと国語教育に関わっていたい、そのためには国語教員の資格を取りたいと思っていました。教育学より、国語そのものが学びたかったから、教育学部じゃなくて文学部だなと。アイドルになりたいという夢よりは、「外向けの夢」として言いやすかったので、進路を選ぶ時の基準にもしやすかった。当時、国語の授業がきっかけで安部公房の作品が気になっていて。それまでは、起承転結があるわかりやすい本を読むのが好きだったんですが、高校生のときにそんな単純なものではない本に初めて触れて。あの「わかるようでわからない」ものをわかるようになりたかったのもあり、文学部を選びました。

ーーわかるようになったのでしょうか?

寺嶋:全然なっていないです! それどころか、ゆるキャラの論文で卒業しましたから(笑)。安部公房を専門に研究している教授の授業はすごく楽しくて、熱心に受講していたので、「なんで卒論はそっちを選んだんですか?」って不思議がられました(笑)。ただ、高校生までの勉強は「正解を教わるもの」だったけれど、大学で出会った教授や友人も「私はこう思うんだ!」という思いと、それを論理的に説明して納得させるための知識や表現力がすごかったんです。だから私も、そうやって私なりの正解を出して、それを周りの人に納得してもらえるように伝えていくしかないんだ、と学んだ気がします。

ーーそんな学びの多い大学生生活の中でも、アイドルへの夢は続いていたんですよね?

寺嶋:はい、相変わらず受けては落ちて……の繰り返しでした。高校卒業直前の春休み、友達と原宿を歩いていたときにスカウトされたんです。声をかけられることで有名な通りだって知らなかったから、すごく浮かれて「私やっぱりアイドルやるべきじゃん! 求められてるじゃん!」って自信を取り戻しました。あのとき、声をかけてくれた方々、ありがとうございました(笑)。実は、その時とても熱心に誘ってくださった1社に登録させてもらったんです。が、結局1年経っても何もお仕事の話が来なくて。その1年を経験して「待っているだけじゃなくて自分で動いていかなくちゃダメなんだ」ということも学びました。その事務所を辞めて、自分で動き出すことにしたんです。

ーーその事務所とは、それっきりですか?

寺嶋:これは、ちょっとした余談なんですが、実は一昨年くらいに原宿を歩いていたら、なんと同じ人にスカウトされたんです(笑)。まさかの再会で、私もなんだか嬉しくなっちゃって。しかも私のことを覚えててくださって、「『うちはあの寺嶋由芙ちゃんがいた事務所だよ』って宣伝させてもらってます」と言われました(笑)。

<続きはアーティストブック『まじめ』にて>

 

■販売情報
タイトル:『まじめ』
Amazon
ISBN:978-4-909852-11-3
C0072
撮影:勝岡ももこ、サトウノブタカ(五十音順)
発売日:2020年12月19日(土)
価格:¥3,000(税抜)
発売元:株式会社blueprint
<blueprint book store限定版>
限定カバー
価格:¥3,000(税抜)
購入はこちら

■イベント情報
寺嶋由芙 1st ARTIST BOOK『まじめ』発売記念サイン会
日時:2020年12月19日(土)13時~
場所:芳林堂書店高田馬場店8Fイベントホール
イベント内容:サイン会
参加方法などの詳細は書店HPにて

■寺嶋由芙information
公式サイト
Youtube
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