《糸杉》《薔薇》などゴッホ晩年の傑作も。 画風の変化を辿る『ゴッホ展』開催中
フィンセント・ファン・ゴッホ《糸杉》1889年 メトロポリタン美術館
上野の森美術館にて開催中の『ゴッホ展』では、7年ぶりの来日となる《糸杉》をはじめ、《麦畑》《糸杉》など約40点におよぶゴッホ作品が来日。彼に多大な影響を与えた「ハーグ派」と「印象派」の作品約30点や、ゴッホが手紙の中で語った言葉を交えながら、ゴッホが独自の画風に辿り着くまでの過程を紹介する。
豊かな表現力と鮮やかな色彩で人々を魅了し続ける画家、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890)。オランダ南部の小村に牧師の息子として生まれ、画廊や伝道師の仕事を経て、画家になる決心をしたのは27歳の時だという。
37歳でピストル自殺を図るまでのわずか10年の間、ゴッホはオランダやフランス各地への移動を繰り返す中で、多くの芸術家と交流し、自然の移り変わりや人々の日々の営みに向き合いながら、渦巻くような激しい筆づかいに原色を乗せ、生命力に満ちた唯一無二の作風を打ち立てた。
同展では、そんなゴッホの画風の変化と発展を、第1部「ハーグ派に導かれて」と第2部「印象派に学ぶ」の2部構成でひも解いていく。ハーグ派とは、19世紀後半にオランダの都市ハーグを拠点に活動した画家たちのグループ。屋外での自然観察をもとに、田園風景や農民の暮らしを詩情豊かに描いた。ゴッホは、そんなハーグ派の中心的な人物で縁戚でもあったアントン・マウフェに師事。画家としての基礎を学ぶとともに、農民の労働や暮らしの様子を直に見て写し取るようになる。
また、ゴッホはハーグ派の若い画家たちとは共にスケッチをしたり、議論を交わしたりと交流を深めた。特にヨゼフ・イスラエルスはゴッホが称賛し、影響を受けた画家だという。
そして、デッサンの練習を重ねたゴッホが、初めて取り組んだ油彩画による大作が《ジャガイモを食べる人たち》だ。40点近くの農民の頭部を描くなど入念な準備を経て完成した作品にゴッホは自信を持ち、家族や友人に伝えるために石版に直接描きこんだリトグラフを制作。油彩とはイメージが反転したその1枚を、会場では見ることができる。
続く第2部「印象派に学ぶ」では、モネ、セザンヌ、ピサロといった印象派第一世代から、ゴッホと同年代のスーラ、シニャック、ゴーギャンなどポスト印象派の作品と、その影響を受けたゴッホの作品が並ぶ。
1886年に弟テオの暮らすパリにやって来たゴッホは、同時代の画家たちと交流することで大きな影響を受け、オランダ時代の暗い画面から次第に明るい色彩へと移行。2年間のパリ滞在で印象派の画風を吸収しながらも、南仏アルルに移住してさらに独自の画風を探求していった。
最後の展示室には《糸杉》《薔薇》など、ゴッホが自ら入院したサン=レミの精神療養院で手がけた晩年の作品が並ぶ。強くうねるようなタッチと強烈な色彩という、私たちがよく知るゴッホ独特のスタイルに注目したい。
ゴッホはいかにしてゴッホになったのか。「ハーグ派」と「印象派」との出会いの中に、その答えを見つけ出せるにちがいない。
【開催情報】
『ゴッホ展』
2020年1月13日(月・祝)まで上野の森美術館にて開催
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ゴッホ展