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中川右介のきのうのエンタメ、あしたの古典

連載開始から50年! 『ドラえもん』が歩んできた大ヒットまでの道のり

毎月連載

第15回

19/9/12(木)

中川右介著『読解!「ドラえもん」講座 世代・フェミニズム・国際政治・スクールカースト・郊外と家族』(イースト・プレス刊)

今年(2019)は『ドラえもん』の連載開始から50年である。

『ドラえもん』の作品世界は、ずっと同じだが、それをとりまく世界は、半世紀の間にだいぶ変わった。

このマンガは小学館の学年別学習雑誌「小学一年生」から「小学四年生」までの4誌と、「幼稚園」「よいこ」6誌で、1970年1月号から、始まった。1月号は前年の12月に発売になるので、1969年が連載開始の年となる。

私は1960年生まれで、1969年12月は小学3年生だったので、連載開始時から『ドラえもん』を読んでいた学年だ。私が小学校に入学した1967年の1年生は156.6万人で、「小学一年生」4月号の実売部数は62万部だった。約4割が「小学一年生」4月号を買ってもらって、小学校へ入学していたことになる。

小学館の学年別学習雑誌は、学年が上がるにつれて部数は減ってしまうので、6年生まで読み続ける子は少なかった。3年生でも、かなり脱落していたと思う。教室で「小学三年生」が話題になった記憶がない(忘れているだけかもしれない)。

私の記憶で言えば、『ドラえもん』は連載開始と同時に爆発的に人気があったわけではない。人気が出て、誰もが知るようになるのは、1979年4月から放映されたTVアニメのおかげだ。曜日や時間帯は変わっているが、いまも続いている。TVアニメが始まるまでは、連載が中止になりかけるなど苦難の道だった。

当初は苦難続きだった

最初の苦難は、皮肉にもTVアニメ化がもたらした。いまも続くテレビ朝日系列で放映されているシンエイ動画制作のアニメの前に、1973年4月から、日本テレビ系列で放映されたアニメ版『ドラえもん』があるのだ。

これを機会に、それまでは「小学四年生」までだった連載は、「小学六年生」まで続くようになる。そこまではよかった。

このアニメは、いまでは「失敗作」「藤子先生が嫌っていた」とさんざんな評価なのだが、爆発的なヒットではないものの、記録的に視聴率が低かったわけでもない。だが制作会社が突然、解散する事態となり、1973年9月、制作・放映は半年で終了した。

TVアニメが終われば、原作の雑誌連載も終わることが多かった。『ドラえもん』も、その憂き目にあいそうになる。

一方、この1973年秋は、手塚治虫の虫プロが倒産した時期でもある。先に、子会社だった虫プロ商事が8月に倒産し、虫プロも危ないとの風評被害もあって、11月に倒産したのだ。

虫プロ商事は、虫プロの版権管理部門と出版部が独立してできた会社で、伝説の雑誌「COM」を出すなど、マンガ出版社でもあった。虫コミックスという新書判コミックスのレーベルも持ち、藤子不二雄(当時)の『オバケのQ太郎』『パーマン』『ウメ星デンカ』『21エモン』なども出していた。これらの作品は小学館の「少年サンデー」と学年別学習雑誌に連載されていたが、当時の小学館はコミックスはあまり出していなかった。

『ドラえもん』も、この虫コミックスから単行本が出ることになっていたのだが、虫プロ商事が倒産したので、この話がなくなる。藤子にも『ドラえもん』にも何の責任もないのに、TVアニメは終わってしまうし、単行本の話もなくなる。藤子・F・不二雄にとって、悪いことばかりが続いたのだ。

だが、この禍が福に転じる。

てんとう虫コミックス、「コロコロコミック」の大ヒット

藤子サイドは原稿料の値上げ交渉をしていたが、小学館はこれを拒み、その代わりに、『ドラえもん』をコミックスとして出すことになったのだ。その印税が入るから、値上げは我慢してくれということだ。

小学館は「てんとう虫コミックス」というレーベルを立ち上げ、1974年7月に『ドラえもん』第1巻が出て(発行日は8月1日)、以後、毎月一冊のペースで刊行された。

当初は6巻までの予定だった。ところが、予想以上によく売れたので、続刊が決まり、さらに、『ドラえもん』の連載も当面、続けようとなる。虫プロ商事が倒産せず、虫コミックスで出ていたら、こういう展開にはならなかっただろう。

さらに、1977年3月、小学館は「コロコロコミック」を創刊した。「少年サンデー」掲載のマンガが、高校生から大学生までが読むものになっていき、小学生の読者が離れていたので、その受け皿として、刊行された。

「コロコロコミック」には『ドラえもん』が収録された。他のマンガ家の作品も載せていたが、藤子マガジンとして創刊され、大成功する。

そんな頃、『ドラえもん』のTVアニメ化の話が持ち上がる。

企画したのは、1976年秋に創業したばかりのアニメ制作会社シンエイ動画だった。この会社は東映動画にいたアニメーターの楠部大吉郎が独立して立ち上げたAプロが前身である。Aプロは東京ムービーと提携し、東京ムービーが企画・管理・営業、Aプロが制作という役割分担で、『オバケのQ太郎』や『巨人の星』などを作っていた。

東京ムービーが経営危機に陥ったので提携を解消、Aプロもシンエイ動画として生まれ変わり、楠部大吉郎の弟の三吉郎が経営を担う。

だが、シンエイ動画には柱となる仕事がない。ある日、楠部三吉郎は『ドラえもん』をTVアニメにしようと思いつく。すぐには話は進まないが、これが実現し、1979年4月の放映開始となったのだ。

学年別学習雑誌での10年にわたる連載と、てんとう虫コミックス、「コロコロコミック」などで、小学生の間には『ドラえもん』は充分に知られていたので、たちまち高視聴率となり、大ブームの到来となる。

翌1980年春には、劇場用アニメも作られた。藤子は、以後、「コロコロコミック」に劇場用アニメの原作となる『大長編ドラえもん』シリーズを連載していった。

『ドラえもん』のヒットで藤子の過去の作品も、再びTVアニメ化され、単行本化されるなど、『ドラえもん』ブームは藤子ブームへと発展した。関連商品も売れに売れた。

当時は、「藤子不二雄」だったので、藤子不二雄Aの『忍者ハットリくん』『怪物くん』なども、一緒に「藤子作品」としてTVアニメ化され、売れていた。

2人がコンビを解消したのは1987年だった。その前年の1986年に藤子・F・不二雄が病に倒れたのが、ひとつの理由らしい。

病気をきっかけに、藤子・F・不二雄は仕事を減らすことになった。学年別学習雑誌への『ドラえもん』は新作は描かず、旧作を再掲載することになり、「コロコロコミック」への『大長編ドラえもん』のみ、描き続ける。全ての学年誌に『ドラえもん』が載ったのは1990年だった。

1996年9月23日、藤子・F・不二雄は62歳で亡くなった。

かつて『ドラえもん』が全学年に載っていた、小学館の学年別学習雑誌は休刊になっていく。「小学六年生」が2010年2・3月合併号、「小学五年生」が2010年3月号、「小学四年生」と「小学三年生」が2012年3月号、さらに「小学二年生」も2017年2・3月号で休刊した。

残っている「小学一年生」も、全盛期の70年代後半から80年代にかけては100万部以上売れていたのに、2018年の4月号は6万部だという。こどもの数が減っていることも要因のひとつだが、かなりの落ち込みだ。

しかし、作者が亡くなり、連載が始まった母体である雑誌が休刊になっていっても、『ドラえもん』は生き続けている。

中川右介著『サブカル勃興史 すべては1970年代に始まった』(KADOKAWA刊)

作品紹介

『読解!「ドラえもん」講座 世代・フェミニズム・国際政治・スクールカースト・郊外と家族』

発売日:2019年8月10日
著者:中川右介
イースト・プレス刊

『サブカル勃興史 すべては1970年代に始まった』

著者:中川右介
KADOKAWA刊

プロフィール

中川右介(なかがわ・ゆうすけ)

1960年東京生まれ。早稲田大学第二文学部卒業後、出版社アルファベータを創立。クラシック、映画、文学者の評伝を出版。現在は文筆業。映画、歌舞伎、ポップスに関する著書多数。近著に『手塚治虫とトキワ荘』(集英社)など。

『手塚治虫とトキワ荘』 発売日:2019年5月24日
著者:中川右介
集英社刊

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