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田中泰の「クラシック新発見」

名曲誕生の背景に名手あり

隔週連載

第11回

BOXセット『デニス・ブレインへのオマージュ』

“20世紀最大のホルン奏者”名手デニス・ブレイン(1921-1957)の生誕100年を記念したCD11枚組BOXセット『デニス・ブレインへのオマージュ』が発売された。これがとても興味深い。今まで持っていたブレインのアルバムは、名盤のほまれ高いモーツァルトの「ホルン協奏曲全集」のみだっただけに、クラシック史上最高のホルン奏者の全貌が俯瞰できるこのセットは“オタク心”をくすぐられることこの上ない。

デニス・ブレインは、今から100年前の1921年5月17日、3代続く伝説的ホルン奏者の息子としてロンドンで誕生した。名奏者であった父オーブリーの教えの下、1938年にデビュー。その素晴らしい才能によって、イギリスの名門「ロイヤル・フィル」と、「フィルハーモニア管弦楽団」の首席奏者を同時に務める傍ら、ソリスト&室内楽奏者としても活躍。ブリテン(1913-1976)やヒンデミット(1895-1963)などの大作曲家たちが、彼に曲を捧げていることからも、その才能の凄さが伺える。

デニス・ブレイン

ブレインのクルマ好きは有名で、ときに譜面台にクルマ雑誌を乗せ、出番のないときにはページをめくっていたというのだから可笑しい。ある時それを見つけた同じくクルマ好きのカラヤン(1908-1989)が、怒るどころか一緒にクルマ談義を始めたというエピソードが残っているのも楽しい限り。しかし、1957年8月に、愛車「トライアンフTR2」の運転を誤って樹木に激突。36歳の短い生涯を終えてしまったことは惜しんでも余りある。

そのカラヤンと共演した記念碑的な名盤が、前述のモーツァルト「ホルン協奏曲全集(1953年録音)」だ。そして、この作品の背景がさらに興味深い。

モーツァルト(1756-1791)は、一連の「ホルン協奏曲」のほかに「ホルンのための五重奏曲」を遺しているのだが、これらはすべて同時代のホルンの名手イグナツ・ロイドゲープのために書かれている。どんなに優れた演奏者でも、当時の演奏を聴くことができなければ価値が伝わらない。時の流れの中に埋もれてしまうはずだったロイドゲーブの名は、天才モーツァルトの名作によって歴史にその名を刻まれる事になったのだから素晴らしい。しかしそこは一筋縄では行かない天才モーツァルト。どこまで本気なのか冗談なのか、「ホルン協奏曲第2番」の自筆譜の表紙には「W.A.モーツァルト:馬鹿、とんま、間抜けのロイドゲーブに憐れみを垂れる」などと書かれているのだから笑ってしまう。さらには、「第1番」の譜面には、最初から最後までロイドゲーブをからかうコメントが書き連ねてあるという。これがモーツァルト一流の愛情表現に他ならないのは、彼が家族にあてたシモネタ満載の下品極まりない手紙からも推察できる。そう、ロイドゲーブはモーツァルトに愛されていたのだ。驚くのは、そのロイドゲーブが、後年チーズ屋に転身して成功したことだ。しかもその共同経営者が誰あろう、モーツァルトの父レオポルドだったというのも可笑しい。まさに彼らは家族ぐるみの付き合いだったに違いない。

福川伸陽、鈴木優人 (C)平舘平

さて、この名作モーツァルトの「ホルン協奏曲」に新たな名盤誕生の機運が高まっている。

今をときめくホルンの名手福川伸陽が、同い年の“親友”鈴木優人の指揮で録音した同曲のインパクトは絶大だ。何より凄いのは、曲中のカデンツァ(演奏者の技巧を披露するために挿入される特別な音楽)を、藤倉大、狭間美帆、鈴木優人という人気作曲家たちが福川に提供していること。まさに時代は繰り返す。名手の存在によって名作が生まれる幸せな瞬間が目前だ。

福川伸陽の「モーツァルト:ホルン協奏曲全集」は8月10日発売予定。乞うご期待!

『デニス・ブレインへのオマージュ』。

プロフィール

田中泰

1957年生まれ。1988年ぴあ入社以来、一貫してクラシックジャンルを担当し、2008年スプートニクを設立して独立。J-WAVE『モーニングクラシック』『JAL機内クラシックチャンネル』などの構成を通じてクラシックの普及に努める毎日を送っている。一般財団法人日本クラシックソムリエ協会代表理事、スプートニク代表取締役プロデューサー。

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