Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

ぴあ

いま、最高の一本に出会える

森高千里、『FNSうたの夏まつり』でジャニーズWESTらとコラボへ 披露曲から演出意図を探る

リアルサウンド

19/7/24(水) 16:00

 森高千里が、7月24日放送の『FNSうたの夏まつり』(フジテレビ系)にて「私がオバさんになっても」「ロックン・オムレツ」「素敵な誕生日」の3曲を披露する。

(関連:森高千里がたどり直す“変化の時期”ーー歌手デビュー30周年、3ツアー再現ライブの意義とは

 1992年3月25日リリースの『ROCK ALIVE』から「私がオバさんになっても」がシングルカットされたのが6月25日だったから27年前のことである。当時の森高は23歳。将来、オバさんになった自分のことを彼氏はどう扱うんだろう? という、コミカルでもある自作の詞をミニスカートで歌い踊る彼女は若かった。同年の『NHK紅白歌合戦』(NHK総合)での初出場曲も「私がオバさんになっても」だったし、代表曲の1つとなっている。

 結婚や子育てに伴い1999年以降は音楽活動をセーブしたものの、2012年には本格的に再開した。そして、詞に書いていた将来を本人が迎えた立場で「私がオバさんになっても」をあらためて歌うようになった。だが、それは視聴する側からすると、森高がかつて想像されていた「オバさん」にはならなかったことを確認する儀式のようになっている。歳相応の落ち着きを得たと同時に、あの頃と変わらない若々しさをみせている。自らの成熟を受け入れつつも、年齢にとらわれずしたいことをするという態度が身についている。それが現在の彼女だろう。

 1987年にデビューした森高は、同曲の発表以前、きれいな脚を強調したカラフルなミニスカ衣裳のイメージが強かった。ルックスによる人気が先行したことを自らネタにした『非実力派宣言』(1989年)なんてタイトルのアルバムも発表し、同作ジャケットに写った彼女を象ったフィギュアも作られていた。その頃は打ち込み主体のダンサブルな曲調だったし、人形のように美しいアイドルといった人工的な印象だったのだ。

 それに対し、歳をとることを題材にした“人間宣言”のようでもあった「私がオバさんになっても」は、ふり返ってみると森高にとって1つの転機だったようにみえる。それまでにも彼女は作詞を担当していたが、デビュー前にはバンドを組んでいた人である。同曲発表を経た『ペパーランド』(1992年)以降のアルバムでは得意のドラムをはじめ、ギター、ベース、キーボードなど本人が多くの楽器を演奏するようになった。

 人工的な打ち込みサウンドから手作りのバンド風サウンドへとシフトしていったのだ。それに伴って森高も、ちょっと面白いことを歌うアイドルといった見られかたから、等身大の感情を表現するアーティストへと立ち位置が変化した。派手なコスチューム、プログラミング主体のダンサブルな曲調といった女性シンガーは森高がデビューした時期に珍しくなかったが、彼女のような変化はあまりないものだった。

 そして、年月が過ぎ、番組MCも務めるようになった彼女は今夜の『FNSうたの夏まつり』(フジテレビ系)でもMCの1人となり、3曲を歌うことが告知されている。うち1曲は「私がオバさんになっても」であり、他2曲はコラボで「ロックン・オムレツ」(1994年)をジャニーズWESTと、「素敵な誕生日」(同)をLittle Glee Monsterとパフォーマンスするという。この選曲を興味深く思った。

 コラボ2曲はどちらも25年前の作品だが、メンバー構成をみるとジャニーズWESTは22から31歳(うち藤井流星は25歳)、Little Glee Monsterは18から21歳だから今年50歳の森高とそれぞれ親子くらいの歳の差があることになる。曲が発表された頃、あるいはその後に生まれた彼らとのコラボによって年月の経過を意識させようとする演出意図が察せられる。

 「ロックン・オムレツ」はもともと、子ども向け番組『ポンキッキーズ』(フジテレビ系)の挿入歌として作られた曲だ。ママが作るオムレツの美味しさやママとパパが仲良しであることを子どもの視点から歌っている。これに対し、「素敵な誕生日」は、明日の彼の誕生日には手料理を作ろうと前日から練習する女性が主人公。「私がオバさんになっても」で描かれたように恋人同士が互いに歳を重ねていくその先には、「素敵な誕生日」みたいな出来事や、「ロックン・オムレツ」的な家庭の風景が待っているかもしれない。森高の実人生とも重ねてそんな想像をしてしまう選曲だ。これらの曲には、多くの人が共感できる、日常レベルの普通のしあわせが素直に表現されている。

 今のLittle Glee Monsterくらいの年齢だった初期の森高から考えると、そのような表現をするアーティストになったのは意外な展開だった。森高=ミニスカのイメージを広めたシングルに『ザ・ストレス』(1989年)があった。そのジャケットや表題曲のMVにおける彼女のウェイトレス姿のインパクトは大きかった。同曲のコスプレはすらっとした脚に注目させるもので、ウェイトレスとして運んでいる料理のことなどどうでもよかったのだ。

 しかし、そうしたビジュアル先行のキャラクターから、手作り料理の温かさのような、ありふれているけれど大切なことを歌う人になった。かといって、メイクやファッションなど自分がきれいであろうとする楽しみを手放すわけではない。この微妙なバランスがとれているのが、森高千里なのである。稀有な存在だと思う。(円堂都司昭)

アプリで読む