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デヴィッド・ボウイ「ヒーローズ」はなぜ普遍的な名曲であり続ける? 映画『ジョジョ・ラビット』から紐解く“英雄”の意味

リアルサウンド

20/3/10(火) 18:00

 映画『ジョジョ・ラビット』のエンディングにデヴィッド・ボウイ「ヒーローズ(“Heroes”)」のドイツ語バージョン「“Helden”」が流れるのは、とても印象的だった。それだけになぜ、日本公開で歌詞の訳を字幕にしなかったのか、不満が残った。

(関連:デヴィッド・ボウイ「ヒーローズ」はなぜ普遍的な名曲であり続ける?

 第二次世界大戦中のナチス・ドイツで10歳の男の子・ジョジョは、アドルフ・ヒトラーを空想上の友だちにしている。ヒトラーといえばユダヤ人を虐殺した独裁者だが、立派な兵士になることを夢見ていた当時の男の子にとっては、憧れの人だった。だが、彼は、自分の家の壁の奥にユダヤ人の少女・エルサが隠れ住んでいたことに気づく。ジョジョと2人で暮らしていたはずの母(ロージー)は、少女をかくまっていたのだ。エルサは、通報すれば家にいる全員が死刑になると脅す。ジョジョはそんなエルサに反発しつつも、たびたび会話を交わすうちに彼女に魅かれていく。

 シリアスな題材だが、ウサギを殺せなかった臆病なジョジョがチョビ髭の独裁者と一緒に走り回るなど、思いきった設定で意外にコミカルな映画に仕上がっている。年上のエルサがジョジョを翻弄し、彼が年下なりに気を回すという2人の姉弟的なやりとりも楽しい。反政府活動やユダヤ人への弾圧が強まり、ジョジョにも危険や悲劇が訪れるが、やがてドイツは敗戦を迎える。そして物語の幕が閉じる瞬間、「ヒーローズ」が流れ出す。

 『ジョジョ・ラビット』では、映画音楽界の売れっ子マイケル・ジアッキーノがスコアを書いたほか、クラシック、ジャズ、ロック、ポップ、ラテンなどから様々な既成曲が使われている。オープニングで流れるのは、The Beatles「抱きしめたい(I Want To Hold Your Hand)」のドイツ語版「Komm Gib Mir Deine Hand」だ。まず冒頭で、アイドルとして熱狂的歓声を浴びたThe Beatlesと、カリスマ性のある指導者として演説で大衆を酔わせ絶大な支持を得たヒトラーが、重ね合わされる。その熱狂や支持は、独裁者を心の友にしたジョジョのものでもある。

 しかし、エルサとの交流で次第に考え方や気持ちが揺さぶられ、ナチスが敗れその価値観が否定されたことでジョジョは変化する。エンディングで新時代の到来を告げるように「ヒーローズ」は鳴り響く。

 ただ、1977年にレコーディングされたこの曲の制作背景を知っていれば、もう少し複雑な感想を抱くはずだ。第二次大戦後、世界はソ連を中心とする社会主義圏とアメリカを中心とする自由主義圏が対立する東西冷戦時代を迎える。象徴的なのが国家を東西に分断されたドイツであり、以前の首都ベルリンも市内に壁が築かれ東西の行き来が禁じられた。ボウイが、そのベルリンの壁に近いスタジオでアルバム『ヒーローズ』を録音したことは、ロック界では有名な話である。ボウイは、同作プロデューサーのトニー・ヴィスコンティが壁のそばで恋人を抱きしめる光景を見て、タイトル曲の歌詞を着想したという。

 2016年1月にボウイが死去した際、ドイツ外務省は「ベルリンの壁崩壊への助力をありがとう」とツイートした。1987年にボウイは西ベルリンの壁近くでコンサートを催し、「ヒーローズ」を歌って壁の向こう側に呼びかけたのだった。もともとこの曲は、分断を象徴する壁に対して愛を歌った内容である。今ではポジティブなイメージが強くなった曲だ。ただ、原題は「“Heroes”」でありカッコ付きの「英雄」である。メインフレーズの「私たちは英雄になるだろう」には「1日だけ」と続く。皮肉も感じられる曲なのだ。

 「ヒーローズ」の歌の中で恋人たちは、頭上を銃弾が飛び交う壁の脇でキスをする。歌詞に「壁」という言葉が登場するし、それが字幕で表示されていれば、映画の観客はドイツの戦後史を容易に思い出せただろう。『ジョジョ・ラビット』では、ヒトラーを信奉する少年とユダヤ人少女の間にあった心理的な壁が溶けていく。ドイツの敗戦は、両者を対立させていた国家の論理の崩壊であり、自由への希望である。だが、以後の現実では東西冷戦の新たな対立が生まれ、物理的な壁が築かれた。そのベルリンの壁も、冷戦終結に伴い1989年に崩壊した。こうした歴史を勘案すると、映画の締め括りに流れる「ヒーローズ」は、ポジティブなニュアンスばかりとはいえない。

 ボウイにはポップ・アートの巨匠の名前をタイトルにした「アンディ・ウォーホール」という曲もあった。1960年代にウォーホールは、テレビなどマスメディアの発達を背景に「誰でも15分間有名になれる」と発言した。それと同種の風刺が、銃弾が飛び交う死に近い場所で「私たちは1日だけ英雄になれる」と歌った「ヒーローズ」にも感じられる。

 とはいえ、全体としてはこんなひどい国に生まれちまったという詞なのにサビの「アメリカに生まれたんだ」が勇ましく聴こえるブルース・スプリングスティーン「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」、顔を泥だらけにした男が通りでわめいているのだけれどその言葉が「お前たちをロックしてやる」と力強いQueen「ウィ・ウィル・ロック・ユー」など、メインのフレーズが独り歩きしてポジティブなアンセムと化す例はしばしばある。「私たちは英雄になれる」と歌う「ヒーローズ」も、そんな曲の1つだ。

 同曲の「“ ”」がはずれた印象になったのは、アフリカ難民救済を掲げた1985年のライヴエイドでボウイが歌った頃からだろう。以後の彼は、エイズ撲滅のための基金作りでもあった1992年のフレディ・マーキュリー追悼コンサート、9.11同時多発テロの救出活動をした人々と家族を支援する2001年の「コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ」など、チャリティ公演のたびに「ヒーローズ」を歌った。チャリティに参加することで「1日だけでも英雄になろう」と観衆に前向きに呼びかけたわけである。

 一方、『ジョジョ・ラビット』以前にも「ヒーローズ」はたびたび映画に使われてきた。「イルカのように泳げる」という一節が詞にあるせいか、日本のイルカ漁を扱ったドキュメンタリー『ザ・コーヴ』(2009年)で流されたし、ダニエル・ラドクリフが殺人容疑者になる『ホーンズ 容疑者と告白の角』(2014年)にも登場した。ハリウッド版『GODZILLA』(1998年)のサウンドトラックには、The Wallflowersによるカバーバージョンが収録されている。曲のどの側面を映画とリンクさせるかで様々な響かせ方ができる。

 なかでも興味深いのは、実話をベースにして西ドイツの麻薬中毒に陥った少女を主人公にした『クリスチーネ・F』(1981年)だ。ヒロインはボウイ・ファンであり、ライブのシーンで本人が登場するほか、映画では彼の曲が多く使われている。「ヒーローズ」は、少年少女たちが盗みを働き警官たちに追いかけられるシーンで流れる。「英雄になれる 1日だけ」のフレーズが、彼らの刹那的な高揚感を表現していたのだ。

 こうした使用例を振り返ると、『ジョジョ・ラビット』の「ヒーローズ」も二重の意味を持っていたように感じられる。ジョジョは、差別意識を捨てエルサに寄り添うことで、新しい時代の「英雄」になれるだろう。だが、ヒトラーを心の友にして兵士になることを夢見ていた頃も「英雄」気分だったのである。

 人間の危うさを捉えつつ、前向きな希望を歌っている。だから「ヒーローズ」は長く聴かれる名曲になったのだ。(円堂都司昭)

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