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中井美穂 めくるめく演劇チラシの世界

『未練の幽霊と怪物』―『挫波(ザハ)』『敦賀(つるが)』―

毎月連載

第32回

『未練の幽霊と怪物』チラシ(森山未來バージョン)

ぱっと見ただけでは誰かわからないネガポジ反転の写真の上には、目に飛び込んでくる「未練」「幽霊」「怪物」の印象的なタイポグラフィ。そして何よりも、「2020年6月」が✕で打ち消され、重なるように加えられた上演日程……。まさにこの時期の演劇を象徴するかのような一枚をデザインしたグラフィックデザイナー・松本弦人さんに、チラシに込められた意味と岡田利規作品の魅力を語っていただきました。

中井 『未練の幽霊と怪物』は、真っ白な紙にこのロゴがどんと配置されている仮チラシを拝見した段階から、ずっと気持ちがザワザワしていました。

『未練の幽霊と怪物』仮チラシ

松本 仮フライヤーからご覧になっているとは。ありがとうございます。

中井 このチラシは、当初はもちろん2020年6月の上演のためにお作りになっていたわけですよね。上演が2021年に延期となったことで、チラシでも当初の日程に✕をつけて新たな日程をのせた、この部分にぜひ今とりあげるべきチラシだなと感じました。もちろん元々のビジュアルデザイン自体も目を惹くものでしたが、この「✕」は延期があったという証にもなりますし。基本のデザインは去年のチラシと同じだと思いますが、少し印象が違いますね。

松本 ロゴ、ビジュアル、配色など、基本イメージは昨年のまま、「2020にバツ」が際立つように全体レイアウトを変更しています。

中井 やはり! 2020に✕をつけるというのはどなたがアイディアを?

松本 プロデューサーの小沼(知子)さんからです。昨年夏、コロナ禍での公演延期を受け、岡田利規さんは『「未練の幽霊と怪物」の上演の幽霊』という映像作品の配信をされました。金沢21世紀美術館で行われた「映像による演劇」を彷彿させるすばらしい作品でした。昨年末には白水社から今作の戯曲も刊行されました。今回の依頼時に「そうやって2020年から2021年にかけて、この公演に向けての時間が重なっていることを形にしたい。例えば2020年に斜線を引くとか」と小沼さんから話がありました。「まあなんと的を射た指示だろう」と思い、そのとおりに作りました。

『未練の幽霊と怪物 挫波/敦賀』白水社 2640円

小沼 去年松本さんにお願いをしたときに「不穏な感じのフライヤーを作りたい」という話をさせていただき、すばらしいものができあがってきました。再演が決まったときに、基本的にはこれをそのまま使おうと思ったのですが、今松本さんがお話くださったように、1年の積み重ねと爪痕みたいなものをきちっと残して今年上演するということをフライヤーの中でも示したいと思っていたので、それをお願いしたという次第です。結果、こんなすばらしいデザインが上がってきたのでさすがだなと思いました。

松本 白水社の戯曲の本も僕が装丁デザインをしたのですが、「未練の幽霊と怪物」のタイトルロゴと「挫波」「敦賀」の文字が重なって端々が欠けているのですが、それをそのまま、新しいチラシでも使い、「挫波」「敦賀」の文字のところどころが欠けているアンバランスなタイポグラフィになっています。時間をかけて劣化、風化したというか……、文字からも時間の経過を見せられたらと。通常、同じ要素を使いまわしたデザインって作り手としては盛り上がらないものなんですが、今回はとても楽しかったですね。

中井 演劇のチラシは、元々手掛けられていましたか?

松本 それほどでもないです。岡田さんのものは今回で2回めで、2012年、チェルフィッチュの『現在地』のチラシ以来です。YCAMやラフォーレミュージアムでの公演や、プリコグが企画する公演の宣伝などをたまに依頼されます。僕は美術系の仕事が比較的多いので、演劇でも現代美術に近いタイプのものの話が多いですね。演劇に限らず「ちょっとへんなのを作りたいんです」と声がかかるデザイナー、というのが自己紹介です。

中井 今回はその「へんなの」を求めるこの作品と松本さんのデザインとがうまく合致したわけですね。

松本 デザイナーにはいろんなタイプの人がいて、人には当然向き不向きがあります。なので、誰に何をやらせるか、が一番大事だと常々思ってます。その意味で今回小沼さんの「不穏なものをつくりたい」という依頼は、僕の使い方をよく知ってるんだなぁと感じています(笑)。

表現者との仕事はダメージを受けるところからはじまる

中井 それでは岡田さんとの出会いは、『現在地』のときですか?

松本 もともと大ファンで、『三月の5日間』のときからこの人本当にすごいなと、自分でチケットをとっては公演を観に行っていました。初めて宣伝を担当した『現在地』を岡田さんが気に入ってくれたようで「デザインに関して岡田さんとトークしてほしい」と依頼され、そこで初めてお会いしました。今回もそうですが、岡田さんの仕事は楽しいです。

中井 演劇自体がお好きということですか?

松本 いえ、まっとうなというか、いわゆる演劇というのはあまり見てなくて、「悪魔のしるし」「快快」といった美術やパフォーマンスに近いタイプのものを好んで見ています。

中井 それらはどうやって知るのですか? 誰かに紹介されたり?

松本 教えてもらうこともありますし、美術系の情報は普通に入ってくるので、演劇の、とくに今挙げたような作品は耳に入ってきます。

中井 最初に岡田さんの作品をご覧になったときの衝撃は?

松本 新しいものを観た時特有の、これまで私がやってきたこと、観てきたことと全く違う角度で殴られたようでした。最初ちゃんとは理解できなかったですが。

中井 かねてからご覧になっていた岡田さんとの仕事には怖さもありませんでしたか?

松本 ありますよ。表現者との仕事は怖いです。でもその怖さをしっかり受け止めないと仕事できないんです。『現在地』のビジュアルも、ちょっと言語化しづらいイメージを作ったのですが、あれはまさに岡田さんという表現者に対する恐れや理解しきれないところを形にすべきと考えた結果だと思います。ちゃんと観てちゃんとダメージを受けるということが、表現者との仕事では重要だなと思います。

中井 「ちゃんと観てちゃんとダメージを受けるところから始まる」というのはとても興味深いですね。

松本 『未練の幽霊と怪物』でも、能のフォーマットで演劇をつくるというすごさ。1作目にあたる『NŌ THEATER』(2017年にドイツ、2018年に京都で上演した能の形式を用いた作品)の映像を観たときに受けた衝撃=ダメージを、そのまま形にすべきだなと、それができれば私の仕事としては成功と思って取り組みました。

彫刻のように生み出されたタイトルロゴ

中井 『未練の幽霊と怪物』のチラシを昨年つくられた時点では、戯曲はどれくらいできていたのでしょう?

松本 まだ詰められていない書きかけの戯曲、だったと思います。それで十分『NŌ THEATER』に匹敵する衝撃がありました。岡田さんの作品はどれも独特の完成度がありますが、この能をフォーマットにした演劇、そのフォーマット性は、鉛筆か車輪かくらいの揺るぎない完成度だと思いました。その強さを形にせねば! とあせったのですが、『未練の幽霊と怪物』というタイトルをもらってすぐに案が浮かびました。メインビジュアルは写真家の間辺百合さんの作品です。間辺さんの、リソグラフという独特な風合いを持つ印刷機で出力したシリーズ作品があって、「ああ、これは、今回の個性的な俳優を間辺さんに撮ってもらい、日本の伝統芸能を感じる配色でリソグラフ的に印刷すれば……、できた!」と思いました。岡田さんのすごさ、間部さんの作品のすごさを、二つ合わせた作業だったので、すんなりでした。

中井 写真ももちろんですが、タイポグラフィがまず一番強く目に飛び込んできました。

松本 岡田さんの表現って、難解なことをシンプルに差出し、わかりやすいことを複雑に分解し、それらが入れ子状態で行われているよなぁと思うんですが、今回の『未練の幽霊と怪物』というタイトルは、能フォーマットの複雑さ奥深さを、実にシンプルに提示してくれました。よーくわかっている人の話って、難しいことでもすごくわかりやすいじゃないですか。タイトルを聞いた段階で、「タイトルのタイポグラフィがもうひとつの勝負所」と思って、彫刻を彫るように作りました。

中井 彫刻!

松本 立体的な作り方をしました。
あ、「未練」って言葉って実は強いじゃないですか。

中井 強いですよね、常に考えていることですものね。

松本 ですよね。「未練たらしい」という言葉のせいか、弱いとか、ずるずるしているみたいな印象が強いけど、この未練は強くあるべき!と、彫るように書きました。「未練」が楔形文字のようになったので、幽霊と怪物も立体的なつくりにしました。幽霊は幽霊らしくエクトプラズムを煙で描くように。怪物はザハ(・ハディド)の建築の構造をモチーフにしています。

中井 ああ、これはザハの建築ですか!

松本 影が「怪物」という文字になるような立体のオブジェクトをイメージして、それをザハの建築方法で包み込んでいます。非常にベタなアイディアを形にしたものですが、岡田さんのわかりやすい説明と通じたつくりのロゴにできたらなと思って。

中井 「幽霊」の文字も、「おおー」と思います。最初はちょっとかわいく見えるけれども、すごく怖くもある。

松本 そう。岡田さん本人がそうじゃないですか。かわいくて、怖い。だから未練を強くとか、幽霊をかわいくとか、怪物を建築物にとか、ちょっと二重話法のような複雑さはイメージしました。このタイポグラフィはすごく大変でしたけど、非常に楽しい仕事でしたね。

中井 「すごく大変」の大変さはどういうところが?

松本 不定形のものなので、単純に時間がかかります。文字という元の形はありますが、いわゆる文字のルールからはみ出して絵のように書いていく。ラフでぱっと書くと形になってしまう。でもそれを実際にロゴとして、文字とフォルムの両方を成立させていくというのは、ちょっと想像を絶する時間がかかっていたりするもので。

中井 具体的にはどれくらいの時間が?

松本 ラフは早いです。もう2、30分で描けちゃいますが、それを形にして、プリントしてはまた鉛筆やホワイトで修正することの繰り返しで、仕上げるまで3週間くらいはかかっています。

独特の配色──強制力が生み出すもの

中井 撮影のときの、キャストの皆さんへの演出は?

松本 間辺さんや僕から何か伝えたりもありましたが、森山さんはじめみなさんわかってらして、伝えるまでもなく岡田作品を意識した動きをしていました。すっと突っ立ってくれたり、アンバランスなポーズをとってくれたり。スタジオで行われた個々の表現を間辺さんが抜き撮る、そんな撮影現場でした。

中井 その写真をネガポジ反転して。この独特の色味はどうやって決められましたか?

松本 2020年版は、神奈川と豊橋、兵庫、新潟の4か所をまわる予定だったので、伝統芸能配色を基調とし、神奈川だったら紫と金、豊橋は黒と銀、といったように、同じデザインで劇場ごとに色分けをしました。

中井 別の色があるとは知りませんでした!

『未練の幽霊と怪物』(2020年KAAT、石橋静河バージョン)チラシ

松本 基調色を変えたうえで、KAATだったらKAATオレンジ、豊橋のPLATは黄色と、各劇場のロゴから色を引っ張っています。

中井 コーポレートカラーを利用しているわけですね。

松本 縛りをうまく使うと新しいものが生まれるというのはよくあることなので。4種類並べると色合いは違うのですが、ベースのネガポジ反転のビジュアルと、日本ぽい伝統的な配色という共通点があると、同じ枠の中に収まったように仕上げられるんです。

中井 裏面の写真も素敵ですし、表と裏のギャップもすごくいいですよね。

『未練の幽霊と怪物』チラシ(裏)

松本 裏の写真はメインビジュアルの撮影のときに一緒に撮ったポートレイトです。舞台のまわりには水が張ってあって、太陽光が反射して下からの光が演者に当たるように設計されています。なので撮影時にモデルの足元に水を張ってそこにライトを当て、水を揺らしながら不穏な色味と光がまばらに映り込む写真を撮りました。これがなかなかいい感じに気持ち悪く仕上がったので、それを受け止めるような配色で文字を入れました。

中井 受け止めるような配色。ぱきっとした色合いですよね。

松本 表は先程言ったように特殊な配色をしたために、4色すべて特色で印刷しています。なので裏面は通常掛け合わせてさまざまな色をつくるCMYKを、あまり掛け合わせずベタの色で多用しました。

チラシは表現者と対峙できる恵まれた仕事

『未練の幽霊と怪物』のチラシは、キャスト6名のチラシをランダムに配架している

中井 写真についてもロゴについてもお話を伺うと「こういうことなのか」と発見がたくさんあります。今回のチラシが6パターンあるということに気づいていない人も意外といるのではないかと思うのですが……。

松本 「種類がたくさんあるよ」というのを目的にしているわけではなく、ビジュアルはあくまでも幽霊なので、「あれ、なんか違った?」という、柄のような感覚で見ていただければ十分です。細かな部分は気づかなくてもいいことですし。ただ妙な印象が残ったりするもので。「時間を表現する」という目的は果たせたと思っています。

中井 伺えば伺うほど興味がわくチラシです。パッと見のインパクト以上にさまざまなことがつながっていたのだなと思います。

松本 「これ好きだな」「気になるな」と心掴まれるものって、一見シンプルだったりしても、たいてい細部にさまざまなことが込められていたりするものですよね。

中井 本当にそうですね。この連載でお話を伺っていると、「チラシは新しいことに挑戦できる場」と話されるデザイナーの方もいますが、松本さんはどうお考えですか?

松本 まったくそうだと思います。とくに演劇や美術などのフライヤーは、白いキャンバスに近いですね、それを受け止めてくれる主体がいる。今回なら岡田さんやまわりの皆さんですね。だから表現としては恵まれた仕事というふうに理解しています。グラフィックデザイナーは表現者なのか、ものを伝えるプロフェッショナルなのかという議論はよくあります。私個人の考えとして、かなり乱暴ですが、あの12インチのレコードというメディアがなくなった時点で、デザイナーの仕事は表現ではなくなったという感覚です。12インチのアナログレコードのジャケットはグラフィックデザイナーのキャンバスとしてはすばらしいメディアだった。

中井 確かにアーティストたちの音楽も、あのビジュアルありきというところはすごく大きかったですよね。

松本 なので、その感覚を、表現者とやる仕事ではなるべく持ち続けたいなと思っています。

構成・文:釣木文恵

公演情報

『未練の幽霊と怪物』―『挫波(ザハ)』『敦賀(つるが)』―
日程:6月5日(土)~6月26日(土)
会場:KAAT神奈川芸術劇場 <大スタジオ>
作・演出:岡田利規
出演:森山未來、片桐はいり、栗原類、石橋静河、太田信吾/七尾旅人(謡手)

プロフィール

松本弦人(まつもと・げんと)

グラフィックデザイナー。書籍「日本国憲法」(2019年、TAC出版)で東京TDC賞2021グランプリを受賞。ほかにもNEW YORK DISK OF THE YEARグランプリ、ADC賞など受賞多数。2021年4月まで京都市京セラ美術館にて開催されていた展覧会「平成美術:うたかたと瓦礫1989-2019」のグラフィックデザインなども手掛けている。

中井美穂(なかい・みほ)

1965年、東京都出身(ロサンゼルス生まれ)。日大芸術学部卒業後、1987~1995年、フジテレビのアナウンサーとして活躍。1997年から「世界陸上」(TBS)のメインキャスターを務めるほか、「鶴瓶のスジナシ」(CBC、TBS)、「タカラヅカ・カフェブレイク」(TOKYO MXテレビ)にレギュラー出演。舞台への造詣が深く、2013年より読売演劇大賞選考委員を務めている。

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