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ドラマ『同期のサクラ』主題歌「さくら(二〇一九)」の背景にあるもの 表現に息づく森山直太朗のアイデンティティ

リアルサウンド

19/11/20(水) 18:00

 森山直太朗の新曲「さくら(二〇一九)」が、大きな反響を集めている。

 ドラマ『同期のサクラ』(日本テレビ系)主題歌として制作されたこの曲。逆境の中でも真っ直ぐに生きることを貫いてきた主人公のサクラ(高畑充希)とその仲間たちの群像劇を書いたドラマは回を重ねるごとに評判を重ね、物語に寄り添う森山直太朗の歌声も視聴者たちの感涙を呼んでいる。

 いまや国民的名曲にもなった2003年発表の「さくら(独唱)」は、森山直太朗にとってブレイクのきっかけになった一曲でもあり、16年、大事に歌い続けてきた曲でもある。今回は「主題歌として今の歌唱による『さくら』を提供してほしい」というドラマ制作陣からのオファーに応え、新たな形でレコーディングされた。

 その背景には、どんな思いがあったのか。

 この記事では、森山直太朗本人へのインタビュー取材をもとに、「さくら(二〇一九)」について、そして歌い手としての彼の現在地について、考察したい。

「『みんなで歌える歌を作りたかった』って当時は言っていたと思う。でもそれは、半分は本当だけど、半分は聞かれたことに必死で答えるために言ったことだった気がする」

 「さくら」が出来たきっかけを、森山直太朗はこう振り返る。〈僕らはきっと待ってる 君とまた会える日々を〉〈さらば友よ 旅立ちの刻〉と歌う「さくら」は、彼の原風景が一つのモチーフになった曲だ。

「僕が育った環境がすごく大きかったんです。幼稚園から大学までずっと成城学園に通っていて、毎日歩いていたその通学路が桜並木だった。曲ってどこかで記憶をたどりながら作っていくものだから、一番身近にあったものが桜だったということだと思う」

 2002年、ミニアルバム『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』でメジャーデビューを果たした彼。「さくら(独唱)」は、同作からのシングルカット曲だった。発売は2003年3月5日。奇しくもやはり平成を代表する一曲となったSMAP「世界に一つだけの花」と同日だ。

 しかしリリース当初は全く注目されなかった。発売初週のオリコンチャートは80位。そこから草の根のプロモーション活動が展開された。九州から北海道まで、ギター1本を抱えて全国のレコード店や地元のラジオ局を回った。タイアップや派手な宣伝に頼らない地道な活動が少しずつ支持を広げ、結果、大きなセンセーションを巻き起こすことになる。

「歌を歌うことで目の前の人を説得していくしかないという状況だったのは確かでした。だから、あの曲が本当に完成したのはレコーディングの後のような気がします。CDの白盤を持って全国行脚して、コミュニティFMの編成会議みたいなところで歌わせてもらうところから、とにかく一日何十回も歌って歩いてきた。地域の人たちとのふれあいを経て、曲を育ててもらったと思う。一緒に苦労を分かち合った曲だから、やっぱり思い入れが深いのは当たり前ですよね」

 当時は宇多田ヒカルや浜崎あゆみ、ケツメイシやRIP SLYMEらがヒットチャートを席巻していた時代。ピアノと歌のシンプルな構成による「さくら(独唱)」は、その頃からトレンドとは無縁の普遍的な魅力を持った曲だった。

「こっちは必死で無我夢中でした。その後のことなんて一つも考えていられないような状況だったから。でも、その無我夢中な感じと、歌だけを伝えていくという演奏スタイルと、曲自体の持っている純朴さと、いろんなものが一致していたのかもしれない。もし宣伝費も沢山あって、出荷枚数もすごくて、ラジオのパワープレイも最初から決まってるような状況だったら、あの曲はこんなに売れてなかったかもしれない。売れてたとしても、楽曲の本質は伝わってなかったんじゃないかな。ただの流行歌だったかもしれない」

 そんな「さくら」をドラマ『同期のサクラ』主題歌に使用させてほしいというオファーが森山直太朗のもとに届いたのは、今年8月下旬のことだった。

「まずは一度話を聞いてみようということで、プロデューサーの大平(太)さんに来ていただいたんです。それはもう情熱的な方だったし、語ってくれたのも、純朴でピュアな言葉の数々だった。『ああ、この人だったら一緒に傷ついてくれるな』と思って、レコーディングさせてもらった感じです」

 過去に歌ったバージョンを使用するのではなく、新たにレコーディングをする。それはドラマ制作サイドからのオファーでもあったが、彼自身、今の表現として「さくら」を歌うことへのモチベーションもあったという。

「単純に歌い手の欲求として、16年間この曲を歌い続けてきた今の表現がみんなの耳に届いてほしいというのもありました。僕自身の好奇心も強かったです。ただ、すごく困ったのが、それをどうアレンジするか。『さくら』って、独唱も合唱も、いろんなシチュエーションでいろんな形で歌われているから、変な話、バリエーションはすごくあるんです。そうなると、さらに新しい形とはどんなものになるのかと」

 そこで白羽の矢が立てられたのが、世武裕子だった。シンガーソングライターであり気鋭の映画音楽作曲家でもある彼女は、昨年に森山直太朗が発表したアルバム『822』収録の「人間の森」でもピアノを担当するなど、制作を通して交流してきた同士でもある。彼女の編曲によって新たに制作された「さくら(二〇一九)」には、原曲とはどこか違ったエモーショナルな響きが宿っている。

「同じ歌なのに違う景色、違うエネルギーがあるんですよね。それは面白いと思った。やってみてその発見ができたんです。『さくら』って、過去の曲ではあるんだけど、16年間、毎回緊張していたし、手前味噌だけど、この曲の持っている普遍性に自分の表現が一歩遅れるとダメな曲なんですよ。そういう気持ちで立ち向かってきた一つの成果が表れたから、自分としてはホッとしています。何もない真っ白な画用紙に絵の具を垂らすような『さくら(独唱)』はもう歌えないかもしれないけども、今回は、その画板にちゃんと下地をつけて今まで歩んできた景色を自分の筆でちゃんと描けた気がしました」

 昨年10月から今年6月にかけて、長期にわたるコンサートツアー『人間の森』を行ってきた森山直太朗。「実は、ツアーが終わった後、鬱々とした状態だったんです」と彼は語る。

 当サイトでもその最終日の模様をレポートしたが、コンサートツアー『人間の森』で展開されたのは、「答えのないものを追い求めているような作業」と彼自身も語るような、実験精神や探求性に満ちたステージだった。

 12月13日より劇場公開されるドキュメンタリー映画『森山直太朗 人間の森をぬけて』には、その舞台裏で葛藤し、苦悩し、悩みつつも歌っていく彼の姿が赤裸々に描かれている。

 監督と撮影を担当したのは、ツアー後半から終了後まで長期間彼に密着した番場秀一。映画の中では楽曲共作者でライブ演出を手がけた御徒町凧との本音の対話も描かれている。

「このコンサートが、彼との関係のひとつの決別でもあった」

 と、森山直太朗は言う。両者のクリエイティブな結びつきには、ツアー後に大きな変化が訪れた。

「別に喧嘩したわけじゃなくて、フラットな形に戻そうっていう感じです。彼自身もとにかく自分が面白いと思えること、好きなことをやる。俺は俺で自分の表現を模索する、という」

 こうして、デビューから17年を経た今も、森山直太朗は“過渡期”の表現者であり続けている。ドキュメンタリー映画の中にも、とてもヒリヒリするような瞬間が沢山ある。誰もが認める歌い手としての才能を持ちつつ、決してそこに胡座をかくことはせず、自らのアイデンティティと向き合い続ける。そういうストイシズムが、「さくら(二〇一九)」の歌の表現にも息づいているように感じる。

 取材の中で、「平成とはどういう時代だったと思いますか?」という質問を、最後に彼に投げかけてみた。それに応えて森山直太朗が語った言葉が、とても印象的だった。

「平成はいろんなものを淘汰する時代だったと思います。昭和に残してきた負の遺産もあったし、バブルの浮かれた中で何でもありみたいな時代になったこともあった。誰かがやめようって言い出さないとやめられないものもいっぱいあった。そういういろんな問題は、これからの時代の中で解消していくわけで。昭和が混乱だとしたら、平成は紛れもなく混沌で、その混沌からどう抜け出していくかが令和だと思います。ただ、次の時代がどう変化するかは『今、何をするか』ということでしか答えは出ない。だから、抜き差しならないですよね」

■柴 那典
1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。出版社ロッキング・オンを経て独立。ブログ「日々の音色とことば:」Twitter

森山直太朗「さくら(二〇一九)」

■リリース情報
「さくら(二〇一九)」
日本テレビ系水曜ドラマ『同期のサクラ』主題歌
ダウンロード&ストリーミングはこちら

森山直太朗「さくら(二〇一九)」特設ページ

■番組情報
日本テレビ系水曜ドラマ『同期のサクラ』
毎週水曜22時~
番組公式HP

森山直太朗 オフィシャルサイト

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