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2010年代のアイドルシーン Vol.4 アキバ系カルチャーとのクロスオーバー(後編)

ナタリー

20/8/22(土) 20:00

秋葉原ディアステージ

2010年代のアイドルシーンを複数の記事で多角的に掘り下げていく本連載。この記事では前回に引き続き、アイドルカルチャーと東京・秋葉原から発生した“アキバ系カルチャー”の関係性をテーマとする。前編では2000年代からの秋葉原の盛り上がりについて振り返ったが、後編では秋葉原ディアステージから誕生したでんぱ組.incのブレイクの過程に注目。プロデューサーである“もふくちゃん”こと福嶋麻衣子をはじめ、メンバーの古川未鈴と成瀬瑛美、彼女たちの楽曲を多く手がけるヒャダインこと前山田健一、でんぱ組.incの登場に大きな衝撃を受けたという音楽プロデューサー・加茂啓太郎からの証言をまとめ、いわゆる“非リア”の集まりであったでんぱ組.incがいかにして2010年代のアイドルシーンを代表する存在になっていったのか、その背景に迫る。

取材・文 / 小野田衛 インタビューカット撮影 / 曽我美芽

集まった子たちの共通点がオタクだった

でんぱ組(のちのでんぱ組.inc)なるアイドルグループを結成することになったはいいが、秋葉原ディアステージでは肝心のメンバーになろうとする者が現れなかった。当然である。キャストがアイドルに憧れていないのだから。秋葉原という街でもディアステージ店内でも、少女たちの崇拝する対象は3次元(アイドル)でなく2次元(アニメ)だったのだ。

唯一の例外が古川未鈴だった。古川はアイドルを愛しており、落選したもののAKB48やSKE48のオーディションも受けたようなゴリゴリのアイドル志願者。彼女の強い希望を受けて、ディアステージを運営する当時のモエ・ジャパン代表取締役のもふくちゃん(福嶋麻衣子)はアイドルのプロジェクトをスタートさせる。しかし「みりんちゃん(古川)とくっつけるべき子が、店内を見渡しても1人もいなかった」ということで、いきなり頭を抱えたという。

「当時もいなかったし、そもそもそのあとも相沢梨紗ちゃんは90年代の声優さん、えいたそ(成瀬瑛美)は90年代のアニメにしか興味がなかった。(夢眠)ねむちゃんは完全メイド宣言の熱心なオタクで、自分も完全メイド宣言みたいになりたいからディアステージに入った。そんな人たちで結成されたアイドルグループですからね。純粋にアイドルに憧れているみりんちゃんは、むしろ亜流なんです。

だから『でんぱ組に入ればアニソンも歌えるかもよ』って騙し討ちみたいにして巻き込んでいったんですよ。当時、でんぱ組はPCゲームのタイアップ(『トロピカルKISS』のオープニングテーマ『Kiss+kissでおわらない』)が1つ決まっていたので」(もふくちゃん)

アイドルになりたくて仕方なかった古川と、強引に巻き込まれたほかの初期メンバー。この温度差は決定的と言えるものだった。実際、結成当時の経緯についてメンバーの捉え方は驚くほど異なっている。まずは古川の証言から。

「もともと私はほかのメイド喫茶で働いていたのですが、『歌いたいんだったら、どう?』と誘われる形でディアステージに来たんです。私が目指していたアイドルは、モーニング娘。さんやSPEEDさんのように歌って踊れてテレビにめちゃくちゃ出ている人たち。自分もそうなりたいと思っていたんですね。そういう意味ではほかの子と確かに考え方は違っていたけど、正直、そこはあまり気にしなかったかもしれない。当時は周りのことをあまり考えていなかったというのもあるし、アイドルになりたい子よりもなんとなくなっちゃった子のほうが人気も出る気がしましたし」(古川)

どこかクールな視線で状況を受けとめていた古川とは対照的に、成瀬は釈然としないまま加入した1人。そんな成瀬はでんぱ組の記念すべき初ライブを目撃している。当日、会場で物販やチェキ撮影の手伝いをしていたためだ。そのときの印象を尋ねると、「これ、本当のこと言っちゃって大丈夫ですかね……」と躊躇しながら口を開いた。

「私、3次元のグループアイドルにマジでまったく興味がなかったんですよ。同じ3次元でも声優さんは大好きだったんですけど。あの日は誰かが『えいちゃん、でんぱ組が出ているから行ってきなよ!』って声をかけてくれたんですけど……正直、観たところでなんの印象も残らなかったです。強いて言えば、ねむちゃんががんばって歌って踊っている姿を観てちょっと感動したくらい。ねむちゃんとは昔から一緒に遊んでいましたから」(成瀬)

当時の彼女は、なぜそこまで3次元から距離を取ろうとしていたのか? 成瀬の語り口から察するに、この問題は外部が考えるよりもはるかに根が深いように感じられた。

「3次元に興味がないというより、3次元アンチだったかもしれない。今思うと視野が狭すぎて自分に呆れるんですけど(笑)。私が大好きなアニメやマンガにアイドルが絡んでくると、『ああ……大3次w』とか素で思っていましたから。マジで厄介。当時はアイドルと聞くと『大人たちに操られている!』みたいな印象があって……『主体性がない』っていうイメージだったんですよね」(成瀬)

この話をするとき、成瀬はしきりに「もちろん今はそんな偏見まったくありませんけど」「でんぱ組も実際に入ってみると完全な自己プロデュースでしたけど」などとフォローを挟み込んでくる。心配しないでも、そんなことはファンならずとも気が付いているはず。むしろここで重要なのはイデオロギーの完全に異なるメンバーが集結したということだろう。

それにしても、なぜこのメンバーだったのか? 「みりんちゃんと合うメンバーがいなかった」のは事実だろうが、だからと言って誰でもよかったわけではあるまい。もふくちゃんの中ではグループの確固たるコンセプトがあり、それに見合ったメンバーに声をかけたと考えるのが自然である。

「オタクを集めたというのは違っていて、集まった子たちを眺めながら『共通点は?』と考えてみると全員がオタクだった。だから、そこを打ち出したに過ぎないんです。よく覚えているのは『ナダールの穴』(フジテレビ系)という千原ジュニアさんが司会を務める番組に出たときのこと。やっぱりテレビの世界って、きちんとしたコンセプトを事前に求めてくるんですよね。『どういう特徴のグループなんですか? ウリはなんですか?』って。私も『ヤバいな、これは』と悩んだ末、打ち出したコンセプトが『でんぱ組.incはオタクのアイドルです。しかも5人が5人とも別ジャンルのオタクなんです』というもの。みりんちゃんはゲームオタク、跡部みぅちゃんはBLオタク……といった調子で説明していったんですね。だから言っちゃえば苦し紛れのコンセプトなんだけど、テレビ的にはこれがすごくわかりやすかったのかなと」(もふくちゃん)

「なんだ、こいつら!?」と気に留めてもらうことが大事

アイドルになりたくなかったアイドル。それがでんぱ組.incの出発点だとしたら、グループを維持・運営する苦労は並大抵のことではなかったはずだ。実際、初期は目まぐるしくメンバーが入れ替わっている。2008年12月の結成メンバーは古川未鈴と小和田あかり。2009年6月には相沢梨紗と夢眠ねむが加入し、このタイミングででんぱ組からでんぱ組.incに改名している。2010年6月に成瀬瑛美と跡部みぅが加入。7月には小和田が卒業。2011年12月には跡部が卒業し、最上もが、藤咲彩音が加入……というあたりでラインナップがようやく固まる。

「何年にもわたって『アニメの曲を歌いたい!』と言われ続けてきたんですよ。アイドルを続けるモチベーションのうちの1つが、『いつかアニメの曲を歌えるかも』というメンバーは多かったかなと。『私たちだってアニソンを歌いたい!』『私たちは2次元になりたい!』という気持ちが、どうしたって根幹にはあるんですよね。それで実際のちにアニメの曲を担当させてもらえるようになったり、アプリとタイアップして2次元のキャラになったりするわけですけど……そうやって徐々に『でんぱ組でがんばっていれば、自分の夢は叶うんだな』という実感につながったのかもしれません」(もふくちゃん)

この発言を補足するように「作詞が畑亜貴さんで、作曲が小池雅也さん……それを聞いたとき、心が固まりました」と成瀬はでんぱ組.incへの加入の決めたときのことを振り返る。畑は「らき☆すた」のテーマ曲「もってけ!セーラーふく」も書いたアーティスト。オタクたちにとっては神と同義だった。最初に「Kiss+kissでおわらない」で畑がでんぱ組,incの楽曲に関わることを伝えられたメンバーは「嘘でしょ!? 私たちのために、あの畑亜貴さんが!?」とその場で泣き崩れたという。

一方、作曲を手がけた小池は桃井はること音楽ユニット・UNDER17を組んでいたアニソン界のレジェンド。畑と小池がタッグを組むことは、でんぱ組のメンバーからしたらとんでもないことだった。こんなドリームチームがお膳立てしてくれるのに、自分たちが駄々をこねている場合じゃない。ようやくメンバーは同じ方向を向き始める。

「Wiennersとの出会いも大きかったですね。最初にWiennersを聴いたとき、『これって女の子が歌ったら、そのまんま電波ソングになるじゃん』と思ったんです。厳密に言うとそれまで存在していた電波ソングとは微妙に違うんだけど、だからこそニュー電波ソングになり得るんじゃないかという手応えがありました」(もふくちゃん)

電波ソングとは何か? 2000年代に入ってから台頭した音楽ジャンルの一種である。最初は主に成人向けPCゲームに使われていたが、のちにアニソンの世界にも広がっていく。音楽的特徴としては「唐突な転調を繰り返すプログレッシブな曲展開」「高速リズムと早口ボーカル」「オーケストラヒットやシンセベースを多用したハイテンションなトラック」などが挙げられる。でんぱ組.incのサウンドを確立するにあたって、もふくちゃんはクリエイター陣と緻密な協議を重ねた。

「とにかくエクストリームな要素がないと聴いてもらえないと考えたんですね。『なんだ、こいつら!?』と気に留めてもらうことが、まずは大事だと思った。アイドルが出るイベントって下手したら30組くらい次々登場して、それぞれの持ち時間なんて15分くらいしかないこともある。そんな中で印象に残るものを出すって並大抵のことじゃないですよ」(もふくちゃん)

手拍子することすら困難な超高速の人工的ビートに、興奮剤を打たれたように熱狂するオーディエンスたち。現在のアイドルシーンで主流となった“沸き曲”という概念は、でんぱ組.incによって発明されたと見る向きは多い。しかし一方で、でんぱ組.incには小沢健二「強い気持ち・強い愛」のカバーや、かせきさいだぁ作のメロウなナンバー「くちづけキボンヌ」でリスナーをホロッとさせる懐の深さも併せ持っていた。

「ハロヲタって渋谷系が好きな方が多いなと。だから、その枠は狙っていきたいなと意識的に考えていたんです。普段はアイドルを聴かない、みたいな層に届くといいなと。

それと私は小倉優子さんや吉川ひなのさんが歌う曲の感触が大好きだったんです。小倉さんの『オンナのコ▽オトコのコ』(▽はハートマークが正式表記。作詞作曲は小西康陽)とか本当に最高だなと思っていて。ヘタウマの境地というか、キッチュな魅力がめちゃくちゃ出ている。それで学生時代すごく好きだったかせきさいだぁさんにダメ元でオファーしたところ、奇跡的に受けてくれたんです。やっぱりかせきさいだぁさんとか、渋谷系とかとアイドルの歌は抜群に相性がよかったです」(もふくちゃん)

Beastie Boys「Sabotage」のカバーを好んで披露していたことも、こういった発想の延長線上にあるのだろう。奇異な電波ソングで注目を集めるだけでは聴く者を選んでしまう。「知る人ぞ知る存在」で終わるつもりは鼻からなかったのだ。

「ヒャダインさんをはじめとしたクリエイターの皆さん、ダンスのYumiko先生、それからトイズファクトリー……徐々にだけど周りの環境が整ってきたんです。ちょうど『Future Diver』の頃ですかね。CDセールスはまだまだだったけど、『でんぱなら新しいアイドル像を作ってくれそうだ』という周りからの期待を感じましたね。『やるしかない!』と気合が入りました」(古川)

クリエイティビティとポピュラリティの両立

大手レコード会社・トイズファクトリーと契約を結んだのは2011年3月11日のこと。でんぱ組.incサイドとの会談を終えたトイズファクトリー首脳陣は、意気揚々とディアステージを出た。その直後、東日本大震災が発生する。

「人が当たり前に死ぬという現実を前にして、多くの日本人は考え方に変化が生じたと思うんです。結局、自分は一度しかない自分の人生を生きるしかないんだという本質的な問いかけですよね。世の中の価値観が変わるというのは、アイドルが世の中に届けるメッセージも変わるということ。でんぱ組は契約したあの日に一種の宿命を背負ってしまった」(もふくちゃん)

余談ではあるが、私がでんぱ組.incのメンバーに初めて取材させてもらったのは2012年に入ってからだった。場所はライブハウスの楽屋。複数のグループが出演するフェスの合間を縫ってのインタビューである。まだ加入したばかりの最上と藤咲は少し緊張しているように感じられたが、ほかのメンバーは自由奔放。積極的に発言する者とそうでない者の差が激しかったように記憶している。

インタビューの途中で「すいません、ごはん食べてもいいですか? おなかが空いちゃって」と言いながら楽屋に用意されていた弁当を口にし始めたのは成瀬だった。突然の奇行に面食らったほかのメンバーは「ちょっと、やめなよ」とたしなめるのだが、成瀬は「なんでよ? 別にいいじゃん」とまったく意に介さない。そして、とうとうメンバー間で軽い小競り合いが始まった。ここで取材は中断することになる。

夕方に会っても「おはようございます!」と言いながら深くおじぎをするようなローティーンのアイドルを見慣れてきた身には、非常に新鮮に映る光景だった。でんぱ組.incメンバーの取った行動は、芸能人としてのエチケットとしては0点なのかもしれない。だが、私自身は不愉快な印象をまったく受けなかった。むしろ業界ズレしていない無邪気さを微笑ましく思ったし、オドオドしながらも質問に対しては真摯に答えようとする姿勢に感心もした。彼女たちを大手芸能事務所で純粋培養されたようなアイドルと比較しても意味がない。ストリートにはストリートの流儀があるというだけのことだ。

成瀬の弁当を諫めたほかのメンバーにしても、人と目を合わせられない者が数人いた。その楽屋に漂っていたのは華やかな芸能人オーラでは決してなく、ガチのオタクだけが有する妙なぎこちなさである。楽屋を出たあと、編集者とカメラマンは「本物でしたね」と言い笑い合っていた。確かに「作られたキャラ」でないことは明白だった。

ブレイク以前から音楽関係者やメディア関係者の間ででんぱ組.incの評価は極めて高かった。例えば加茂啓太郎も彼女たちに魅せられた1人。加茂は東芝EMI(現・ユニバーサル ミュージック)入社後、ウルフルズ、NUMBER GIRL、氣志團、Base Ball Bear、相対性理論、Mrs. GREEN APPLEなど多くの新人ロックバンドを発掘する敏腕ディレクターであった。だがでんぱ組.incと出会ったことでアイドルに開眼し、現在はフィロソフィーのダンスのプロデューサーを務めるに至っている。

「興味を持ったきっかけは雑誌『MARQUEE』だったんですよね。それまでロック系の雑誌だったのに、いきなりでんぱ組.incが表紙と巻頭で特集されていた。編集長の松本昌幸さんがハマっちゃたんです。そこで『これは何かありそうだぞ』と興味を惹かれました。実際に楽曲を聴いてみると、『でんぱれーどJAPAN』には世界のどこにもないような革新性があって驚いた。ビデオも面白かったですしね。それから小沢健二さんの『強い気持ち・強い愛』をカバーするセンスも最高だと思いました。

最初にディアステージに行ったのは2012年6月だったんだけど、『こんなものは見たことがない!』と心の底から衝撃を受けました。もふくちゃんの凄味というのは2つあって、1つは女性として初めて成功した女性アイドルプロデューサーであるということ。そして、もう1つは独自性。灰野敬二などの日本のノイズ系アーティストと日本のアイドルをオリジナリティという観点では等価値としたと僕は考えています」(加茂)

加茂はかつて「でんぱ組.incがベルベット・アンダーグラウンド、もふくちゃんがアンディー・ウォーホール、ディアステージがファクトリー、秋葉がNYという構造で捕えると他のアイドルとの違いと面白さが分かると思います」とTwitterに記したことがある。「クリエイティビティとポピュラリティの両立」というミュージシャンなら誰でも突き当たる壁を、でんぱ組.incは突破しようとしていた。

「W.W.D」に込められた「俺たち、私たちのリアル」

そしてグループの運命を一変させるシングルが2013年1月にリリースされる。タイトルは「W.W.D」。歌詞はすべてメンバーの実話から構成されており、グループの自叙伝とも呼べるナンバーである。「いじめられ 部屋にひきこもっていた」「中二病 ひどくて みんな ひいてた」「ラジオだけが友達だった」「ずっと ずっと ひきこもって ネトゲやってた」「両手じゃ足りないからファンクションキー足で押してた」「生きる場所なんてどこにもなかった」……アイドルにあるまじき刺激的なフレーズが並び、メンバーは「マイナスからのスタート 舐めんな!」と魂の叫びをブチまける。この曲が生まれた経緯について、もふくちゃんは次のように語っている。

「あの曲でやりたかったことって本当は『会員番号の唄』(おニャン子クラブ)だったんですよ。ヒャダイン(前山田健一)さんにもはっきりそう伝えましたし。ヒャダインさんも『わかりました』って即答してくれて、『それならメンバーのパーソナルを1人ずつ教えてください』という話になったんです」(もふくちゃん)

打ち合わせではメンバーの特徴をストレートに伝えていった。「みりんちゃん=ゲームオタク。元ひきこもり。学生時代いじめられていた。アイドルになりたくてオーディション受けまくったけどすべて落ちた……」「えいたそ=オタクすぎて秋葉原に憧れ田舎から出たけど冴えない毎日。ゲーム三昧の日々を嘆いたネット上の友人からメイドになることを勧められ流れでディアステに」といった調子で。

「残念なことにちょびっと冴えないエピソードしか出てこないんです。それが彼女たちの現実なんだから仕方ないんですけど。それで上がってきた歌詞が例のやつ。さすがにギョッとしましたよ。いいことが何1つ書かれていないんですから。私、最初はNGを出しましたもん。ヒャダインさん、さすがにこれはないんじゃないですか? 『会員番号の唄』に全然なっていないですし」(もふくちゃん)

ヒャダインは当時の心境をこう振り返る。

「本人たちは『会員番号の唄』を歌うような典型的美少女でもないし、すんなりオーディションに受かってアイドル道を進んでいるわけでもない。なので、彼女たちの必死こいて今の位置にいる感じを出したいなと思ったんです。NGを出されたときはビックリしましたよ。こっちは『これしかない!』と思っていたので。普通のことをやったって、でんぱにはハマらないですしね。『W.W.D』がファンに支持された理由は正直わかりません。けど、嘘のない感じがよかったんじゃないでしょうか」(ヒャダイン)

「まぁ、確かにヒャダインさんの言う通りなんですよ。あんな歌詞になったのはヒャダインさんのせいというより、私があんな話ばかりしたのが原因。それで恐る恐る周囲に意見を聞いたら、みんな口々に『いいよ、これ!』って言うんです。私としては、まったく自信はなかったんですけどね(笑)」(もふくちゃん)

この曲が多くのリスナーの支持を集めたことで、グループの進むべき方向性はおのずと決まっていく。『W.W.D』には「俺たち、私たちのリアル」が詰まっていた。6人は時代に求められる存在になったのだ。

「『でんぱ組ってどういうグループですか?』『ほかのグループとはどんな点が違うんですか?』……こういった質問に対して答えられることって、どうしてもアイドルとしてはマイナスなことばかりなんです。でも、本当に彼女たちにはそれしかないんですよ。なので『オタクだし、根暗だし、冴えないし、そんな子たちが集まったアイドルです』みたいなことをそのまま説明すると、テレビなんかでは『アハハ!』って感じでウケるんですよね。その笑いというのは、今思うと嘲笑だったのかもしれないですけど。だから“オタク”とか“非リア”という要素がウケることはなんとなくわかっていたけど、まさかそれが人々の共感につながるとは……この点はまったくの予想外でした」(もふくちゃん)

キャンディーズの時代から松田聖子、モーニング娘。、AKB48に至るまで、アイドルというのはキラキラ輝く存在と相場が決まっていた。男の子が付き合いたいと考え、女の子はこうなりたいと憧れる対象。なのに、でんぱ組.incは最初から非リア。その点が決定的に新しかった。結果的にはその生き様が支持されてスターダムに上り詰めていくのだが、これはどこまで意図的だったのか? そうもふくちゃんに尋ねると、「狙ったものなんて何1つない」と苦笑いした。

「本当は私、ハロプロみたいなグループを作りたかったんですよ。でも、ディアステージには鈴木愛理がいなかったんだから仕方ない。ない要素を無理矢理ひねり出すよりは、最初から持っているものを武器にしていくという発想で、でんぱ組のひな形が作られていったんです。私たちにはコネもなければ資本もなかったですしね。そもそも鈴木愛理がいたら、でんぱ組みたいなユニットは作らないですよ。℃-uteを作っています」(もふくちゃん)

非リアによる一種の革命

勢いに乗ったでんぱ組.incは一気にトップギアを入れ、アクセルをベタ踏みした。大阪城音楽堂、日比谷野外大音楽堂、日本武道館、国立代々木競技場第一体育館、幕張メッセ……立錐の余地なく埋まった客席からは祈りにも似た声援がメンバーに届けられる。その間、運営サイドには海外公演のオファーも次々と届く。6人は2010年代のアイドルシーンを代表する存在となっていた。

どんな層が、でんぱ組.incの生き方や歌詞に共感したのか? 当初、もふくちゃんがイメージしたのは、例えばだが「メイド喫茶で働きながらも、くすぶっている子」。しかし冷静に考えれば、そんな少女は全国で1000人いるかどうかという少数派だろう。代々木第一体育館2DAYSを満員するような観客全員がひきこもりやニートだとは考えづらい。

「1つは時代的に疲れてきたという面はあると思う。社会が病み始めたと言い換えることもできるでしょう。驚いたのは、私が考えていた以上に世の中には闇を抱えている人が多いということ。『いじめられた過去を持つ子って、こんなにも多いんだ……』と愕然としましたから。ニュースなどで報道されている以上に、現代社会においていじめってありふれているメジャーな問題なんですよ。つらい思いを抱えながらネットに引きこもっているような子は決して少数派ではないということを思い知らされました。

正直言って私自身はそういう暗い部分を通ってこない人生だったので、そういう子たちが新鮮に映ったんですよね。『待って。病むってどういうこと?』みたいな。秋葉原の女の子たちと出会って初めてリストカットっていうものを知りましたから。当時はまだ『メンヘラ』って言葉が一般化する前だったと思うけど、リスカやうつ病の問題はそこら中にあふれかえっていた。バイトに来る子もオーディションに来る子もメンヘラとくくられてしまうような子が多かったですね。それが秋葉原の……というか日本の現実なんですよね」(もふくちゃん)

このもふくちゃんの発言は、ここ10年間のアイドルを語るうえで非常に重要な核心部分を衝いている。2010年からの10年間で日本の若者の生活はどう変わったか? 格差の固定化、貧困ビジネス、ブラック企業、非正規雇用の急増、奨学金返済地獄、パパ活、国際競争力の低下、少子高齢化と結婚できない層の増加……多くの若者たちにとって今の日本が極めて生きづらくなっていることは間違いない。しかし、この若年層の苦悩を果たして上の世代は本当に理解していると言えるのか? でんぱ組.incが若者から熱狂的に支持されるヒントが、実はこのあたりにある気がしてならない。

「六本木でファッションショーをしたとき、見るからにおしゃれな人たちから絶賛されたんです。これにはすごく驚かされましたね。だって自分なんてただのキモヲタとして生きてきただけだし、秋葉原にしか居場所がなかったから。だから、ここで考え方が変わったというのはあると思います。『そうか、でんぱ組も外に出ていいんだ。引きこもらなくてもいいんだ』って……」(成瀬)

ファンを元気付けるのがアイドルという職業だが、実際はファンに励まされることも多いと成瀬は考えている。少女は嫌々始めたアイドル活動に生きがいを見出し、その一方で国民的アニメ「スター☆トゥインクルプリキュア」で主人公役の声優を務めるまでになった。制作発表会では「夢が叶いました」と万感の思いで語ったが、それはファンが成瀬に託した夢でもあった。

「ファンの方から手紙が届くんですよね。『私と同じヲタクのえいたそががんばっているんだから、私もがんばることにします』とか『聞いてください! 私も学校に行けるようになったんですよ』とか……みんながいろんなことを報告してくれるから、なんだか一緒に生きているような感覚なんです。アイドルになったからには、ずっと誰かの光でありたい」(成瀬)

現在、でんぱ組.incからは最上もがと夢眠ねむが去り、鹿目凛と根本凪が加わった新体制で活動を続けている。古川は結婚を発表しながらもグループ活動を続け、夢眠もバカリズムとの結婚を発表して世間を驚かせた。最近、もふくちゃんはメンバーから「新メンバーを入れましょうよ!」と言われるのだという。通常、アイドルはメンバー増員を極度に嫌がるもの。自分の地位が脅かされるかもしれない、などと考えるからだ。しかし、グループを継続させていくためには世代交代が必須なのも確かである。12年目に突入したでんぱ組.incの物語を自分たちの代で終わらせる気は毛頭ない。

大衆音楽は常に時代の写し鏡として機能してきた。この国の若者が抱えたリアルを、でんぱ組.incは清濁併せ呑みながら表現している。彼女たちの登場により、水と油だった秋葉原のオタクカルチャーとアイドルカルチャーはクロスオーバーしていった。そして社会の底辺でくすぶっていた者たちにも大いなる希望を与えた。私たちだって夢を見ていい、私たちだってキラキラ輝ける──。でんぱ組.incによって自殺を踏みとどまった者はかなりの数になると予想されるし、でんぱ組.incに憧れて業界入りした現役アイドルも大勢いる。でんぱ組.incの軌跡とは、非リアによる一種の革命だったのかもしれない。

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