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青野賢一のシネマミュージックガイド Vol.15 アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌

ナタリー

20/11/30(月) 19:00

「アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌」場面写真(c)2018 IMAGINE Rights, LLC. All Rights Reserved.

DJ、選曲家としても活躍するライターの青野賢一が毎回1つの映画をセレクトし、映画音楽の観点から作品の魅力を紹介するこの連載。今回は11月13日より東京・ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国で順次公開されている「アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌」を取り上げる。コンテンポラリークリスチャンミュージック最大のヒット曲「I Can Only Imagine」を生み出したバート・ミラードの幼少期から同曲の誕生までを描いたこの作品の音楽的な魅力とは。

文 / 青野賢一

コンテンポラリークリスチャンミュージックとは

今回ご紹介する「アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌」は、2001年にリリースされ、2018年までにトータル250万枚以上のセールスを記録した、コンテンポラリークリスチャンミュージック最大のヒット曲「I Can Only Imagine」を生み出したMercyMeのボーカリスト、バート・ミラードの幼少期から同曲の誕生までを描いた伝記映画である。“コンテンポラリークリスチャンミュージック”という言葉自体、日本ではあまりなじみがないかもしれないが、これは伝統的な賛美歌ではなく、ポピュラー音楽の範疇でキリスト教信仰(ここでいうキリスト教はカトリックでなくプロテスタントを指す)にまつわる歌詞を持った楽曲を指すもの。ホワイトゴスペルと称されることもあり、黒人霊歌由来のゴスペルミュージックとは区別されることが多いが、いずれもベースにあるのはキリスト教信仰であることに変わりはない。ちなみに“Gospel”とは“God Spel”であり、新約聖書の「福音書」は、例えば「ルカによる福音書」なら“The Gospel According to Saint Luke”となる。

映画の全編を貫いているのは、バート・ミラード(J.マイケル・フィンレイ)と父・アーサー(デニス・クエイド)との確執だ。1985年、テキサス州グリーンビル。子供時代のバートは、ジャンク品を組み合わせて創意工夫を凝らした遊び道具を自作する、音楽好きの少年だった。母はそんな自作の品を見て「夢があるわ」と言うが、父はそれを一蹴する。「夢じゃ食えない なんの役にも立たん」「お前の目を──そらさせるだけだ この現実から」。そうしてバートからその品を取り上げ、庭でほかの不用品を燃やしているドラム缶へと放り込んでしまった。ちなみに不用品とは、アメフトのユニフォームや防具で、これはアーサーがかつてアメフト選手だったときに身に着けていたもの。叶わなかった自分の夢を燃やしていたのだ。バートのことで揉める母とアーサー。アーサーは暴力を振るう男で、母はその状況に耐えられず、バートが教会のキャンプに参加している間に家を出ていってしまった。

MercyMeの活動スタートまで

バートは高校に入って、父の喜ぶことをやろうとアメフト部でがんばっていたが、足を怪我してしまい頓挫。単位取得のため、仕方なしに合唱部に入部したのだが、そこでひょんなことから歌の才能を担当教員に見抜かれて、ミュージカルの主役に抜擢された。いやいやながらも舞台で美声を披露するバート。公演は成功に終わったが、ときを同じくしてアーサーがダイナーで倒れてしまった。この一件以降、アーサーはバートとの間柄を修復しようとするが、どうにもうまく振る舞えない。一方のバートはギスギスした親子関係から、恋人のシャノン(マデリン・キャロル)にあたり、ついには彼女に別れを言い渡してしまう。高校を卒業後、グリーンビルの実家を出てオクラホマシティでライブPAの仕事に就いたバートは、そこでボーカルがいないバンドと出会い、首尾よくボーカルに迎えられて、各地で演奏を行うようになった。MercyMeの活動スタートである。

MercyMeは、ロックを基調にしたコンテンポラリークリスチャンミュージックを演奏する5ピースバンド。インディながらも着実にファンを増やしてゆくが、ようやくたどり着いた大手レコード会社の人々を招いてのショーケースライブは、彼、彼女たちに酷評され、バートはすっかり自信を失ってしまう。しかし、プロデューサーでバンドマネージャーのブリッケル(トレース・アドキンス)に諭され、バンドは辞めずに、やらなきゃいけないこと、すなわち父親との問題にケリをつけるために一旦地元へと帰ることにしたのだった。

優しさにあふれる旋律

地元へ帰ってからのバートとアーサーのエピソードは、「I Can Only Imagine」誕生と大きく関係しているのでここでは明かさないが、キリスト教信仰と“赦し”、日記が重要な要素となっていることだけ申し添えておく。このパートのバートとアーサーの一連のやり取りの背後に流れるスコアは、ゆったりとした優しさにあふれる旋律で、実に感動的である。そしてそれに続く「Amazing Grace」の圧倒的な力強さ、純粋さ。訳詞が字幕として記されているので、そちらもぜひ参照いただければと思う。終盤の見どころは「I Can Only Imagine」がステージでお披露目されるシーン。バートを演じたJ. マイケル・フィンレイの堂々たる歌いぶりは圧巻である。このバージョンは本作のサウンドトラックでも聴くことができるので、繰り返し聴きたいという方にはそちらもオススメしたい。

コンテンポラリークリスチャンミュージックという言葉が日本にはあまり浸透していないことは冒頭で述べたが、アメリカでは、教会でコンテンポラリークリスチャンミュージックのミュージシャンが演奏することも少なくない。生活に根付いている教会、ラジオ、そしてもちろんコンサート会場などを通じて気軽に触れることができるコンテンポラリークリスチャンミュージックは、アメリカの人々にとって身近な存在なのだ。これは今に始まったことではなく、例えばエルヴィス・プレスリーはゴスペルのアルバムをリリースし、ゴスペル作品でグラミー賞を手にしているのである。そんなコンテンポラリークリスチャンミュージックのメガヒット作品「I Can Only Imagine」が生まれた背景を描いた本作の日本公開版のエンドロールでは、現在LAの大学に在学中のシンガーソングライター、DedachiKentaによるオリジナル日本語詞の同名曲が流れるのだが、この曲は牧師であり日本のゴスペルミュージックの草分け的存在である小坂忠をフィーチャーしており、その点で日本公開版は実に筋が通っていると言えそうだ。

「アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌」

日本公開:2020年11月13日
監督:アーウィン兄弟
脚本・原案:ジョン・アーウィン / ブレント・マッコークル
出演: J.マイケル・フィンレイ / マデリーン・キャロル / トレース・アトキンス / プリシラ・シャイラー / クロリス・リーチマン / デニス・クエイド ほか
音楽:ブレント・マッコークル
配給:カルチャヴィル

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