ヴィタリナ
20/9/9(水)
『ヴィタリナ』
「映画は枠だ」。映画評論家の梅本洋一は自著『映画はわれらのもの』で、そう説明している。映画は枠の中で語られ、枠=スクリーンサイズで演出は変化する。近年は、横長のシネマスコープ(1:2.35)がほとんど。しかし、ペドロ・コスタ監督は昔懐かしいスタンダード(1.33:1)を好む。カメラは小津安二郎監督作品のように動かない。
「人間をとらえるのに最も適したサイズだ」。スタンダードについて、コスタ監督は2019年11月、東京フィルメックスで『ヴィタリナ』が特別上映された際、こう答えている。
その言葉は観るとわかる。ヴィタリナという一人の女性の表情や肉体をこのサイズに収めることで、背後に広がる波乱の人生を雄弁に描いた作品だということが。大西洋の島国カーボ・ヴェルデからポルトガルの首都リスボンの空港に降り立ったヴィタリナ。出稼ぎの夫が危篤と聞いて来たのだが、愛する人はすでに亡くなっていた。彼女は帰国せず、夫が暮らしていた薄暗い部屋で故人を想う。
ほとんどが室内のシーンだが、コスタ監督は陰影に富んだ描写に静寂を織り交ぜることでドラマチックな物語を紡ぎだした。ヴィタリナの強い視線が、劇場を出た後も頭に残る。
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