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家族の“やっかいさ”が愛おしい フランスからの贈り物『ハッピー・バースデー 家族のいる時間』

リアルサウンド

21/1/8(金) 20:00

 “2020年”という大きな節目であったはずの1年もあっという間に過ぎ去り、あっけなく迎えてしまった2021年。とはいえ、大変な1年であった。この年の変わり目である年末年始を、人々はどのように過ごしたのだろう。平時であれば例年のこの時期は、多くの方がそれぞれの郷里へと帰るものと聞く。たしかに年末年始の光景といえば、まず思い浮かぶのが「家族のいる時間」だ。家族や親戚に囲まれる楽しい時間ーーこれまで当たり前に訪れていたそんなひとときを過ごすことさえ、多くの方が叶わなかったのではないかと思う。

 けれどもそれは私たちだけでなく、世界中の人々にとっても同じこと。誰もがそのような環境下にあるし、国や地域によっては、さらに厳しく息苦しい状況なのだと思う。もっとも、“私たち”と軽率にもひとくくりにしてしまったが、同じ地域に住んでいてもその内情は異なる。友人どころか、家族のことでさえ分からないことは多々あるのだ。

 いま現在の環境下で公開されている映画たちは、このような未曾有の事態に陥る以前の世界のお話や、あるいはそれとはまったく関係のない別の世界線の物語であったりするのがほとんど。そんななかで「家族」を描いた映画を観ると、どうにも胸が苦しい。それが、どういったカタチのものであるにせよだ。過ぎし日の、あるいはこれから先、自分を待っているかもしれない家族との時間に思いを馳せずにはいられない。このようなタイミングで、ある“家族の風景”を描いた映画『ハッピー・バースデー 家族のいる時間』がフランスから届いたのだ。

 家族というのがときにやっかいなものでもあることは、誰もがその身をもって知っていることと思う。しかしやはり失ってしまうと、あの“やっかいさ”さえもが愛おしいというもの。本作は、とある家族のひとときを描き、そんな“やっかいさ”への愛しさを謳っている。

 物語は、かの有名なショパンの「幻想即興曲」とともに開巻。夏のある日、健康的な緑とまばゆい光に包まれた、フランス南西部のとある邸宅に人々が集まってくるところからはじまる。のどかな光景(映像)と、それに対していささか不安を感じさせる音楽。なんだか怪しい。そうして嵐の前触れのようにふいに雨が降り出し、やがてここに集う一家のもとへ“嵐”がやってくる……。

 人々は、母・アンドレア(カトリーヌ・ドヌーヴ)の70歳の誕生日を祝うのが目的だが、そこへ、3年間も行方不明であった長女のクレール(エマニュエル・ベルコ)が急きょ帰ってくる。これにほかのみんなは困惑の色を隠せない。なにせ彼女は、かなりのトラブルメーカーだ。生真面目な長男・ヴァンサン(セドリック・カーン)、芸術家肌の次男・ロマン(ヴァンサン・マケーニュ)とが揃えば問題が起こるのは避けられないし、クレールの娘・エマ(ルアナ・バイラミ)は、自分をほったらかしにしていた母との間に確執がある。“一家の長”ともいえる母・アンドレアは、自身の誕生日という記念すべき日に、そんな一触即発の状態にある家族を毅然とした態度で迎え、包み込むのだ。

 そのアンドレアを演じるのは、ご存知のとおりカトリーヌ・ドヌーヴ。映画ファンにとっては往年のヒロインの象徴的な存在であり、作り手たちの多くにとってはミューズとして、フランスのみならず、世界の映画シーンの中心を歩みつづけてきた。是枝裕和監督による『真実』(2019年)での好演も記憶に新しいだろう。今作『ハッピー・バースデー 家族のいる時間』の座長は主演を務めている彼女だが、その佇まいは、さながら“家長”のようでもある。

 ふつう、家族において(家族のみならず、あらゆる“共同体”にいえることだが)、父親、母親、娘、息子、あるいは孫など、それぞれの立場は異なれど、それぞれの視点においては自分が主役である。たとえば私(や、あなた)が誰かの息子だとして、「家族」における主役ポジションをほかの誰かに譲ることは少ないのではないだろうか。もちろん、時と場合による。しかしながら、その“時と場合”の「中心」にいるのがほかの誰かだとしても、それは主役である自分の視点が捉えた客観的なものでしかないはずだ。

 観客たちが自分の身に置き換えてみれば当然のこの事実を、本作は軽快かつ鮮やかに描き出している。劇中では、クレール、ヴァンサン、ロマン、エマら、それぞれの立場における各人が、自己主張の強さによって主役の座に躍り出るのだ。彼らが各シーンごとに主役となるのは(見せ場をつくるのは)、まさに演劇のようである。映画の公式ホームページの「Introduction」の文末に、“演技の饗宴ともいうべき素晴らしき俳優映画が誕生した。”とあるが、疑いようのない、本作にふさわしい言葉だと思う。そう、本作は“家族映画”であるのと同時に、“俳優映画”の側面をも持っているのだ。なにも“俳優映画”とは、激しい演技バトルを繰り広げるものを指すのではない。先に記したように、シーンごとに演じ手の立場が的確に入れ替わるもののこと。“家族映画”と“俳優映画”の親和性が高いことを、本作によって再認識させられた。そして、これらを制し、まとめ上げているのがドヌーヴなのだ(もちろん、本作の監督でもあるセドリック・カーンの演出があることは言わずもがなだ)。繰り返すが、彼女はこの「家族」においての“家長”であり、この「映画」においても“家長”なのである。

 さて、“家族映画”というものは古今東西に多く存在するわけだが、近年、数が増えているように思えるのは気のせいだろうか。昨年に公開された日本映画だけでも『ステップ』『浅田家!』『さくら』『泣く子はいねぇが』ーーなどなど、さまざまなカタチの家族像を描いた作品がいくつも思い出される。実際、どこからどこまでを“家族映画”とするのかは観る者しだいだと思うが、“家族映画”に対するこの感覚は、数多くの映画作品のなかにある「家族」の要素に対してこれまで以上に敏感になり、その要素を強く感じ取っているからなのではないかと思う。私たちの現実世界における、家族との“会えない距離”、“会えない時間”がそうさせているのだろう。本作もまた、そんな思いをより強くさせるのだ。クレールらが生み出す“やっかいさ”が、ちょっと羨ましい。

 最後に、本作の核心に少しだけ触れてみるのならば、それはこの家族にとって、ささやかながらも“ハッピー”な瞬間が訪れるということである。舞台がフランスであろうと日本であろうと、人々が集まる「家族のいる時間」に舞い降りるであろう幸福な瞬間は変わらないはず。ふとしたことで、幸せなひとときは訪れる。私たちにも、必ずやそんな日が訪れるのを夢見て。

■折田侑駿
1990年生まれ。文筆家。主な守備範囲は、映画、演劇、俳優、服飾、酒場など。最も好きな監督は増村保造。Twitter

■公開情報
『ハッピー・バースデー 家族のいる時間』
全国公開中
監督:セドリック・カーン
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、エマニュエル・ベルコ、ヴァンサン・マケーニュ、セドリック・カーン
提供:東京テアトル/東北新社
配給:彩プロ/東京テアトル/STAR CHANNEL MOVIES
2019年/フランス/101分/5.1ch/シネマスコープ/カラー/原題:Fete de famille/英題:Happy Birthday
(c)Les Films du Worso
公式サイト:happy-birthday-movie.com

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