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加山雄三、日本のポップス史に与えた影響とは? 新たな試みを続けてきた音楽遍歴を辿る

リアルサウンド

19/12/12(木) 7:00

 映画俳優、タレント、画家、船乗り……様々な顔を持つ加山雄三は、日本最初のギターヒーローであり、ロックスターであり、シンガーソングライターの草分けでもある。つまり、加山はJ-POPの偉大なるグランドファーザーなのだ。そして、驚かされるのは、82歳にして今も現役で、新しい世代に影響を与え続けているということだ。加山のミュージシャンとしてのキャリアは、日本のポップスの歴史といえるかもしれない。

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 1937年に映画スターの上原謙を父に持って生まれた加山は、音楽好きの両親が聴いていたジャズを子守唄替わりにして育った。加山の音楽の才能が芽吹いたのは8歳の時。叔母がオルガンで弾いていた「バイエルンの74番」を、指の動きだけを見て弾けるようになった加山は、音楽に興味を持つようになった。中学の頃、通学路にロシアの有名なピアニスト、レオニード・クロイツァーの家があり、そこから聞こえてくるピアノに惹かれて本格的にピアノを学び始めた加山は、後にピアノ協奏曲を作曲するほど上達する。子供の頃に学んだクラシックの教養が、作曲ができるミュージシャンとしての基礎を形成した。そして、戦後の混乱期にピアノを習える恵まれた環境があったことや、海外の文化に早くから触れていたことも、加山が音楽的才能を開花させるうえで大きな影響を与えた。

 加山にとって運命の楽器、ギターに出会ったのは17歳の時。友人たちとスキーに行った加山は、そこで友人のひとりが持って来たウクレレを気に入り、1時間ほどコーチを受けて弾けるようになった。また、その友人の影響でギターを弾くようになったという。その頃の加山が憧れていたのは、当時アメリカでセンセーショナルなデビューを飾ったエルヴィス・プレスリーだった。大学に入学した加山は、1957年に初めてのバンド、カントリー・クロップスを結成してボーカルとギターを担当、ちょうどその頃、海の向こうのリヴァプールでは、5歳下のポール・マッカートニーが、The Beatlesの前身になったジョン・レノンのバンド、The Quarry Menに加入している。1966年、The Beatlesが日本に来日した際には、加山はThe Beatlesが泊まっていたホテルを訪問。部屋でThe Beatlesの面々と一緒にすき焼きを食べて、互いのレコードを聴いたという伝説を残している。

 カントリー・クロップスが演奏していたのは、当時、日本で人気だったカントリーやロカビリーで、ロックンロールのルーツとなる音楽だった。また、彼らの練習をよく見ていたという加瀬邦彦は、加山からギターを学び、後にザ・スパイダース、寺内タケシとブルージーンズ、ザ・ワイルドワンズといった日本のGSバンドを渡り歩いて、日本のロック創成期に重要な役割を果たすことになる。大学卒業後、1960年に東宝と専属契約を結び映画俳優としてのキャリアをスタート。翌61年には、加山を大スターにした「若大将シリーズ」の第1作『大学の若大将』の主題歌で歌手デビューを飾った。映画の主人公が劇中で歌ってレコードを出すというのは、プレスリー映画と同じスタイル。60年代に入ってティーンエイジャーが独自のポップカルチャーを生み出していくなかで、加山がスクリーンで歌い、ギターを弾く姿に多くの若者が憧れた。そのなかのひとりが、加山と同じ茅ヶ崎に住んでいた桑田佳祐だ。ロックやR&Bといったアメリカ音楽と歌謡テイストを融合させる桑田の絶妙なさじ加減は、加山からの影響を感じさせる。

 加山は映画スターとして人気を得ながらも、音楽への情熱を失うことはなく、1962年に俳優仲間でザ・ランチャーズというバンドを結成。その後、メンバーを変えてバンドは続けられたが、新たに加入した喜多嶋修は加山の重要な音楽的パートナーになった。そして、職業作家が手掛けていた「若大将」シリーズの主題歌を、加山は自身で手掛けるようになっていく。歌う映画スターはいたが、作曲も手掛けるスターは珍しかった。そんななかで、加山の音楽的才能がスクリーンで炸裂したのが『エレキの若大将』(1965年)だ。映画公開当時、The Venturesが空前のエレキブームを巻き起こし、次々と若者たちがエレキを手にするようになっていた。『エレキの若大将』で加山は、大ヒットした主題歌「君といつまでも」だけではなく、劇中のインスト曲も作曲。得意のエレキを弾きまくった。なかでも、ロックな躍動感に満ちた「ブラック・サンド・ビーチ」は、65年に来日したThe Venturesとザ・ランチャーズが共演した時に演奏されたが、曲を気に入ったThe Venturesが68年にシングルでカバーしたことで海外のロックファンにも知られることになった。そして、66年、加山は2枚のアルバム『加山雄三のすべて~ザ・ランチャーズとともに』『Exciting Sound Of Yuzo Kayama And The Launchers』をリリースした。

 歌謡曲とギターインストが入り混じった『加山雄三のすべて~ザ・ランチャーズとともに』は加山の幅広い魅力を紹介した作品だが、驚かされるのは『Exciting Sound Of Yuzo Kayama And The Launchers』だ。加山はワイヤーレコーダーを使って早い時期から多重録音で曲を作っていたが、本作は喜多嶋とほぼ二人だけで作り上げ、歌詞はすべて英語という画期的な作品だった。機材が発達した現在なら、ミュージシャンが宅録した作品を出すことも珍しくないが、この時代に曲作りからレコーディングまですべてひとりでこなすミュージシャンは異色中の異色だった。

 加山はエレキブームが起こる前から、いち早くThe Venturesを聴き、海外から高価なギターやアンプを取り寄せて新しいサウンドを研究していた。海外の音楽をいかに独自の音楽に昇華させ、日本のポップスとして定着させるか。それが日本のポピュラーミュージックの課題だったが、その課題に自作自演のミュージシャンとしていち早く挑んだのが加山だった。クラシック、カントリー、ロック、ハワイアン、ボサノヴァなど、様々な洋楽を吸収した多彩な音楽性や実験精神は、同じような問題意識を持っていた山下達郎や大瀧詠一といった研究熱心なミュージシャンたちに刺激を与えた(山下は「ブーメラン・ベイビー」、大瀧は多羅尾伴内楽団で「ブラック・サンド・ビーチ」をカバーしている)。RHYMESTERやスチャダラパーといったラッパーたちがリミックスアルバム『加山雄三の新世界』に参加したのも、彼らがヒップホップ黎明期にその新しい音楽を日本の風土に根付かせるために試行錯誤した経験が、デビュー時の加山に通じるものを感じたからだろう。

 加山がミュージシャンとして脚光を浴びたのは60年代だが、それ以降も加山の音楽への好奇心は衰えることなく、テクノ(「メガロポリス・サンシャイン」)やラップ(久保田利伸「Messengers’ Rhyme~Rakushow,It’s your Show!~」)にも挑戦。最近ではブレイク前のBABYMETALを気に入って、愛船・光進丸で爆音で聴いていたという。加山の80歳の誕生日パーティーでは、加山のバックコーラスを山下達郎・竹内まりや夫妻、桑田佳祐・原由子夫妻が務め、その様子を見た星野源がそこに日本のロックの歴史を感じて感動したという。また、加山と対バンをしたことがあるクロマニヨンズの真島昌利は、80歳を越えてギターを弾きまくる加山を「本当のロックンローラー」と絶賛する。

 2010年に加山は、森山良子、谷村新司、南こうせつ、さだまさし、THE ALFEEという、加山を慕う面々で加山雄三とザ・ヤンチャーズを結成。2014年には、佐藤タイジ(THEATRE BROOK)、キヨサク(MONGOL800)、古市コータロー(THE COLLECTORS)、武藤昭平(勝手にしやがれ)など、日本のロックシーンの精鋭たちとTHE King ALL STARSを結成するなど、世代を超えてミュージシャンから愛されてきた。今年結成した新バンド、加山雄三&The Rock Chippersは、ヤンチャーズのメンバーが再集結したバンド。来年2月には、作詞をさだまさし、作曲を高見沢俊彦(THE ALFEE)が手掛けた新曲「Forever with you~永遠の愛の歌~」がCDリリースされる予定で、「加山伝説」はこれからも更新されていきそうだ。(村尾泰郎)

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