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男たちの旅を読み解く“カギ”とは? 監督が語るオスカー受賞作『グリーンブック』

ぴあ

19/3/1(金) 18:00

撮影中のピーター・ファレリー監督(写真右) (C)2018 UNIVERSAL STUDIOS AND STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. All Rights Reserved.

第91回アカデミー賞で作品賞、脚本賞、助演男優賞に輝いた映画『グリーンブック』が公開されている。監督と脚本を務めたピーター・ファレリーは、弟のボビーと『ジム・キャリーはMr.ダマー』や『メリーに首ったけ』など数々の強烈なコメディ映画を手がけてきたが、彼らが過去の作品に込めたメッセージや誠実さ、そして照れ屋な部分は本作にもしっかりと引き継がれている。本作は人種差別の問題を描く感動作なのか? 確かに。でもこの映画は“それだけ”ではない。本作の奥底にあるメッセージについてファレリー監督に話を聞いた。

本作は、『ゴッドファーザー』や『レイジング・ブル』でも顔を見せている俳優トニー・“リップ”・バレロンガの実話を基にした作品だ。1960年代、ナイトクラブの用心棒をしていたトニーは店が改装のために閉店し、金に困って黒人ピアニストのドクター・ドナルド・シャーリーの演奏旅行の運転手をすることに。しかし、当時の南部は黒人差別が色濃い地域で、ガサツなトニーと物静かなドクターは正反対の性格だった。彼らは同じ車に乗り込み、黒人が南部を旅行する時のためのガイド“グリーンブック”を片手に旅に出る。

トニー・リップの息子ニックと脚本を書くことになったブライアン・ヘイズ・カリーから企画を聞いたファレリー監督は、自らプロジェクトへの参加を願い出たという。「思い返せば、『…Mr.ダマー』も『メリーに首ったけ』もそうだけど僕の映画にはロードムービーが多いんだ。自分でも何度も車でアメリカを横断してるんだよ」。ところが本作は通常のロードムービーのように主人公が訪れる場所でムダに事件が起こったりはしない。

「そうだね。この映画は“彼らがどこに行くか?”ではなく“彼らがどこにいるのか?”が大事な物語なんだ。もし、この物語がアパートで展開していたら、どちらかが部屋を出ていってしまうこともあっただろう。でも、トニーとドクターは移動する車の中にいる。彼らは外に出ることはできないし、イヤだろうが話をしたり、一緒にラジオから流れてくる音楽を聴くしかない。だからこそ彼らの気持ちは“動く”わけだ。もし、彼らが車で旅をしなければ、仲良くなることはなかっただろうね」

監督が語る通り、トニーとドクターは正反対のキャラクターだ。イタリア系の家庭に生まれ、大家族に囲まれて暮らし、問題が起こったら腕っぷしか口八丁で切り抜けるトニーと、ジャマイカ移民の両親から生まれ、カーネギーホールの上階の高級マンションでひとりで暮らし、いつなんどきも冷徹で毅然とした態度で接するドクターが仲良くなるのは簡単ではなさそうだ。映画の前半、ふたりの間には険悪なムードが漂うが、観客がなぜか笑ってしまうだろう。「この映画の笑いは、ふたりがお互いを理解できなかったり、相手の視点に驚くことから生まれる笑いなんだよ。だから、僕はこれまでの映画みたいなジョークを入れないで脚本を書こうと最初から決めていた。この映画にユーモアがあるとすれば、キャラクターから自然に立ち上がってくるものでなければならないと思ったからね」

自動車旅行という“逃げ場のない”状況で、トニーとドクターは過酷な旅を続ける。しかし、ふたりは決して旅を降りようとしない。トニーは旅先で会った友人から運転手よりも高額なギャラの仕事を持ちかけられるがそれをハネのけ、ドクターは都市部に行けば芸術家として扱ってもらえるのにあえて差別が残る南部での演奏旅行を強行する。なぜか? ポイントはふたりが劇中で繰り返し口にする“契約”というフレーズだ。契約があるから運転手を続ける、契約があるから演奏を続ける。しかし、この映画における“契約”は通常使う冷たいフレーズではない。それはキャラクターの行動の指針であり、正反対の性格の男たちが一緒にいる“照れ隠し”のフレーズでもあるのだ。

「そうなんだよ! この映画における“契約”は最初、仕事のため、金のためのものだ。でも、僕はこの映画で描かれる契約の究極的な意味は“自分自身との契約”、つまり今よりも良い自分でいるための契約だと思う。だからトニーは友人から高いギャラの仕事を持ちかけられても、ドクターとの契約を守る。それは“ドクターを旅に連れていく”と決めた自分自身との契約だからなんだ。トニーは自分の言葉に忠実に行動するし、裏切らない。そうして、ふたりの友情が深まっていくんだ」

『グリーンブック』は、1960年代のアメリカを舞台にしており人種の問題が描かれている。しかし、その奥底にあるのは、どんな立派に生まれようが、激烈におバカに生まれようが同じようにギャグのネタにし、同じように尊くて愛らしい存在として描いてきたファレリー監督の視点だ。運転手もピアニストも、イタリア系もアフリカ系も等しく面倒で、等しくやっかいで、等しく愛すべき人間だ。

「この映画は僕の過去の作品と共通する部分が多いと思う。確かに『グリーンブック』にはシリアスな要素があるけど、作品の“ハート”の部分は過去の映画と似ている。だから、作品へのアプローチの仕方もまったく変わらなかった。この映画に関する取材を受けていると繰り返し“タイプの違う映画だから大変だったのでは?”って質問されるんだけど、この映画が他の作品より大変だとか簡単だとかいうことはなかったよ」

強烈な下ネタやギャグはないが、本作はファレリー監督の多くの過去作と同様、面倒くさくも愛らしいオッサンたちのドラマが描かれ、そこには“照れ隠し”テンコ盛りの状態で人間の優しさや誠実さが描かれている。

「僕は“人間”というものが好きなんだと思う。どんな人であっても僕は好きなんだよ。だから妻と外出しても、そこにいる人にどんどん話しかけて彼らの人生だったり、人柄を聞き出してしまうことがあるんだ(笑)。僕は、どんな人間もその奥深いところで“品格”を持っていると思う。それを映画で描きたい気持ちがあるのかもしれないね。だから、この映画を観て、自分とは少し違う人に会ったり話をしたりすることを怖がらずにオープンな気持ちになってもらえるとうれしいね。この映画のキャラクターたちのように、心を誠実でオープンにすれば、人はわかりあうことができると思うんだ」

『グリーンブック』
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