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『フォードvsフェラーリ』が描いた“どこまでも企業化していく世の中”で生きる術

リアルサウンド

20/1/19(日) 10:00

 1960年代半ば、フランスで開催されるル・マン24時間耐久レースの頂点には、フェラーリ社(イタリア)が絶対的王者として君臨していた。1960年から1965年まで、6連覇を成し遂げたフェラーリは向かうところ敵なし。レースの勝者として、力強くセクシーなイメージで若者を惹きつけた。一方、フォード・モーター社(アメリカ)は同時期、販売不振に陥り、慢性的な赤字に悩んでいた。かつては革新的な大量生産工程(1913年、世界初のベルトコンベア式組み立てラインの導入)で産業史を変えたフォードだったが、消費者の趣味や嗜好が変化するにつれ、車の売れ行きは下がっていく。フォードはル・マン出場でブランドイメージを刷新しようと試み、王者フェラーリに対して勝負を挑むこととなった。映画『フォードvsフェラーリ』は、ル・マンに勝利するためフォードに雇われ、新型のレースカーの開発者キャロル・シェルビー(マット・デイモン)と、イギリス出身のレーサー、ケン・マイルズ(クリスチャン・ベール)を中心に、ル・マンに関わるさまざまな人びとを描く。監督に、『ナイト&デイ』(’10)や『LOGAN/ローガン』(’17)を手がけたジェームズ・マンゴールド。

 劇中で鳴り響く、けたたましいエンジン音が象徴するように、本作は登場人物たちのエネルギーに満ちあふれたフィルムである。上映時間は153分とやや長尺だが、構成のよさで長さを感じさせない。あらゆるシーンが、最終決戦となるル・マンへの布石となっているため、観客の興奮は否応なしに高まるのだ。レース場面のみならず、レースカーの改良、現場と経営陣との衝突、家族との関係性など、どのシーンも胸に響く描写の連続である。わけても、クリスチャン・ベール演じるケン・マイルズの魅力には、観客誰しもが魅了させられるだろう。天才肌だが感情的で扱いにくい、この荒ぶる英国人レーサーはフォード勝利の鍵である。わけても物語中盤、イギリスで製造されたフォードのレースカー、フォードGTを初めて試乗するシーンはすばらしい。ケンは、車に秘められたポテンシャルに興奮を隠せない。運転席でハンドルを握る彼が「Giddy up, giddy up!」(乗馬の際、馬のスピードを上げるためのかけ声。カウボーイを連想させる)と声を上げるくだりで、観客もまたケンの感じた興奮を共有しているのだ。性能のいいレースカーを運転する快楽がみごとに表現された場面である。運転免許すら持っていない私のような観客にまで、フォードGTの可能性が伝わってくる。

 監督のジェームズ・マンゴールドは、作品のテーマについてこのように語っている。「今は、私たちは非常に企業的な考え方になっていて、リスクをとるのではなく、責任を問われないように守る姿勢をとっている。スポーツも企業化されている。目標を達成するためにリスクを冒す、それに、絶望的に見えた時にも勇気を失わないこと。これらのことは私に大切な意味を持つものだ」(劇場用パンフレット内記述)。確かに本作は、企業的な考え方と個の信念にどう折り合いをつけるかについて多くを語っている。ベストの記録を追求するレーサーと、宣伝効果を重要視する企業。勝利のための大胆な選択と、失敗を嫌った結果の消極的な選択。アスリートとしての誇りは、ビジネスの論理の前に屈する。ここで述べられる「企業的な考え方」の広がりに頷く観客は多いだろう。個人的にも、あらゆる作業目標をKPIで数値化し、達成度合いを確認したがる偏執さは、単に無意味なだけではなく、可能性の芽を摘み、成長を妨げているように思えてならない。かかる考え方やふるまいは企業そのものだけではなく、人びとの生活にも意外なほど大きな影響を与えているのではないか。

 我々の多くは、日常生活においてすら「責任を問われないように守る姿勢」に終始し、いくぶん退屈な「企業的な考え方」でものごとを判断したり、決めてしまっているように思う。ジェームズ・マンゴールド監督は、カーレースを映画づくりのプロセスに重ねつつ「独創性を追求する戦い、障害を乗り越え物事を推進すること、製作委員会の干渉、マーケティングの方向性との戦い」について語っている。レース、映画に限らず、どのような表現、仕事においても、リスクと安定、冒険と無難さは非常に難しい判断の基準となる。劇中、キャロルとケンのコンビが経験するのは、理想のレースとビジネスの論理に板ばさみとなり、歯がゆい妥協を繰り返しながら勝利へ近づこうともがく姿だ。奔放なケンは、レーサーとしての本能を剥き出しにしながらル・マンへ挑戦するが、それは同時に「企業的な考え方」との戦いでもあるのだ。ケンにとってのレースは、バレエのような優雅さで行われる表現でなくてはならないと、彼を演じたクリスチャン・ベールは述べている(劇場用パンフレット内記述)。それは決して「企業的な考え方」には相容れないものだ。

 だからこそ、ケンが感情を爆発させながら目標へ突き進む姿は美しい。我々のほとんどは彼のようにはなれず、一応は社会の論理に従い、「企業的な考え方」を表面的にでも受け入れながら、どうにか納得の行く生き方ができないかともがくのが精一杯だ。だからこそ彼は、まぶしいほどに輝く存在となる。そしてケンをどうにかなだめつつ、フォード勝利へ向かって悪戦苦闘するキャロルは、理想と現実のもっとも適切なバランスを見きわめようとする成熟した大人に思えた。こうしたふたりの織りなすバディムービーは、どこまでも企業化していく世の中で生きる術を描くみごとな作品であると感じるのだ。(文=伊藤聡)

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