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今泉佑唯が踏み出した芝居の世界ーー『熱海殺人事件 LAST GENERATION 46』の「歴史」と「熱」

リアルサウンド

19/4/14(日) 8:00

 新宿・紀伊國屋ホールにて上演中の『熱海殺人事件 LAST GENERATION 46』。つかこうへいが1973年に発表した本作は、46年経ったいまなお人々に愛され、全国各地で上演が続いている。その中でも、紀伊國屋ホールは本作のメッカだ。これまでにも多くのつか作品の演出を手がけてきた岡村俊一によって、味方良介、今泉佑唯、佐藤友祐(lol-エルオーエル-)、石田明(NON STYLE)らの熱き役者魂とともに、血湧き肉躍るものに仕上げられている。また本作は、昨年11月に欅坂46を卒業し、本格的な女優活動を開始した今泉の初舞台でもあり、早くから大きな注目を浴びていた。すでに大阪での公演は終え、このメッカでの公演を、座組が一丸となって駆け抜けているところなのである。

【写真】舞台上でタバコをふかす今泉佑唯

 舞台は東京警視庁のとある捜査室。木村伝兵衛部長刑事(味方)とその部下である水野(今泉)のもとに、立身出世を目論む刑事・熊田(石田)が富山から着任する。そこで、同郷の女性・山口アイコを熱海で絞殺した疑いをかけられている、大山(佐藤)の取り調べがはじまるのだ。

 チャイコフスキーの『白鳥の湖』が劇場内に響き渡り、やがて大音量へとなるのに合わせて素早く緞帳が上がる。舞台上をスモークが満たし、そこには、電話片手にがなり立てる木村の姿があった。歴史ある本作のお約束の演出である。もちろん木村の声は、この歴史ある演出で使用される、歴史ある楽曲にかき消されている。この「歴史」と、若き俳優たちとの戦いの幕開けに、客席に座る私たちの体温は上昇し、鼓動が高鳴っていく。こんな緊張感が終始持続するのが、本作の醍醐味である。舞台上の彼らの「熱」は客席にも拡がり、演者と観客のへだたりは溶け、客席は安心安全な場ではなくなるのだ。

 本作で主人公・木村を演じ、座長を務めるのは、これで3年連続で同役に挑むこととなった味方良介。2.5次元ミュージカルから、つか作品まで、縦横無尽に活躍する演劇界の若き匠である。見事な体幹はずしりと舞台に据えられながらも、しなやかな身のこなしで他を圧倒。射抜くようなまなざしと声の強さは、物語の登場人物たちだけでなく、観客である私たちのことをも同時に射抜く。座長として文句なしの、桁違いのスケールの大きさである。

 富山の田舎に恋人を残し、はるばる上京してきた熊田刑事を豪快に演じるのは石田明だ。彼がお笑いタレントであることは広く知られているが、近年は演劇作品での活躍も目覚ましい。この熊田役には昨年に続き連投することとなったが、味方と同様、そのパフォーマンスを目にすれば、なぜ彼が続けて起用されるのかが判明する。彼の演技はまさに“ノンスタイル”。お笑いが原点にあるからか、一つの役を立ち上げるだけでなく、観客を巻き込んで一緒に作品を作っていくという姿勢が印象深い。

 ダンス&ヴォーカルグループ・lol-エルオーエル-のメンバーでもある佐藤友祐が演じるのは、犯人・大山金太郎。捜査の対象となる人物とあって、彼が登場することで物語は駆動する。彼の登場は他の者よりもだいぶ遅く、すでに出来上がっている劇場の空気を壊す/壊さないように振る舞わねばならないという重責を負っている、一筋縄ではいかない役どころだ。しかし普段から演技だけでなく、歌にダンスにと取り組んでいるだけあって、相当なポテンシャルが垣間見える。彼が悲痛な叫びを上げる場面ではすべての視線を一手に受け、大器の予感を漂わせた。

 そして、本作で初舞台となった今泉佑唯。彼女が演じるのは、紅一点である婦人警官・水野朋子だ。水野は結婚を控えていながらも、長いこと木村部長の愛人でもあるという役どころ。今泉はこの一つの女性像を立ち上げなければならないうえ、犯人・大山の殺害した山口アイコの姿を再現しなければならない瞬間もやってくる。それでいて、約2時間ノンストップで舞台上を駆け回り、観客の視線から逃れることはできない。強固なフィジカリティとメンタリティの双方が求められる、かなりハードな役なのだ。

 そんな役どころなだけあって、今泉が登場して早々、彼女の声と身体の細さには正直不安を覚えてしまう。初舞台なのだから、それはしょうがない。しかし、だからといって本作は観客の、「あたたかく見守ろう」といった気持ちを喚起するような作品でもない。すでに触れたように、圧倒的な熱量が舞台上で渦を巻き、それが観客には間断なくぶつけられる。私たちはそれに置いていかれぬよう、目を皿にして、耳を澄まし、必死に喰らいついていかねばならない。そうして、舞台上と客席とが一体となってグルーブ感を巻き起こす瞬間に何度も立ち会うことになるのだ。即時的なコミュニケーションを生み出す芸術である「演劇」の、これまた醍醐味である。しかしこれを劇場全体で生み出すためには、そもそも演者陣のパワーバランスが拮抗していることが大前提だ。

 たしかに今泉の声には鋭さがなく、荒唐無稽なように思える物語展開と、自身の演じるキャラクターのテンションのアップ・ダウンには、彼女の瞬発力は伴っていない印象があった。この基礎力に関しては、やはり経験値の問題なのだろう。しかし今泉は、物語が進行するのに合わせて、次第にその真価を発揮していく。

 彼女の強みはなんといっても、目の前で生起するものに対するフレキシブルな反応の良さである。これは反射神経の良さとも言い換えられるだろう。本作では、いくつものナンセンスギャグをはじめとするアドリブが飛び交うが、それに対する今泉の軽やかな返しや、自然な笑みをこぼす姿が印象的なのだ。そしてこの反射神経の良さは、とうぜん相手の放つ演技を受けてこそ開花する。その最たる瞬間は、彼女が山口アイコとして、大山と対峙する場面に訪れる。この場面では、大山の感情の発露にアイコが鋭く反応し、これが反復されることによって、両者の間には感情のクレッシェンドが生まれていく。ここでの今泉の鬼気迫る姿には、まだ技術的にはおぼつかないところがあるものの、その場で生まれた感情を掘り下げていく演技のセンスは抜群だと気づかされるのだ。この感情の進化(深化)は、終始緩急の激しいアンリアルな作りの本作の中で、「リアル」を生み出す。虚構であることに自覚的な本作が、勝利を得た瞬間にも思えるのだ。

 演者それぞれの魅力が拮抗し、互いが互いに作用し合う『熱海殺人事件』。観終わってこそ、彼ら一人ひとりがそこに立つ理由が明らかになる。演じる彼らが叫ぶのならば、観客であるこちらも叫び返したい。演じる彼らが命がけならば、観るこちらも命がけなのだ。そんな「熱」が、東京・新宿の中心で、いま生まれ、声を上げている。

(折田侑駿)

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