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菊地成孔が語る、ホン・サンス監督のオリジナリティ 「“マイルド”ではあっても“ライト”ではない」

リアルサウンド

20/10/2(金) 19:00

 選択肢が少ないながらもエリック・ロメールやツァイ・ミンリャンなど、その独自のセレクトでジワジワと注目を集めつつある配信系ミニシアター、ザ・シネマメンバーズが、かねてよりユーザーから期待を寄せられていたホン・サンス監督作品を9月から順次配信中だ。ザ・シネマメンバーズでは、毎月、新しい作品が追加されていくにつれ、作品の配信期間が月を追うごとにズレながら重なりあい、時間をかけてグラデーションとなった作品群をまとめて楽しむことができる。

 9月、10月の特集名は『韓国のエリック・ロメール!? 監督ホン・サンス』。「キム・ミニ以前/キム・ミニ以後」ともいうべきホン・サンス監督の8作品を配信する。「キム・ミニ以前」とも言われる4作、『よく知りもしないくせに』『ハハハ』『教授とわたし、そして映画』『次の朝は他人』が現在配信中、10月からは、不倫が報じられ、公私にわたるパートナーとなっている女優キム・ミニとの関係自体を描いているかのような「キム・ミニ以後」の4作、『正しい日 間違えた日』『夜の浜辺でひとり』『クレアのカメラ』『それから』が配信される。
ホン・サンス配信作品一覧

 男女の恋愛模様を、会話を中心とした演出で少人数のロケによって描く作風で、エリック・ロメールを引き合いに出して語られることも多い、ホン・サンス監督。ザ・シネマメンバーズでは、特集名にあえて、「韓国のエリック・ロメール!?」と、「!?」を付けて配信する。本当にロメールのようなのかどうかを配信作を観ることで、観客それぞれに判断を託すというメッセージが込められている。なお、ザ・シネマメンバーズでは、ロメール作品9作品も配信中だ。
エリック・ロメール配信作品一覧

 今回、リアルサウンド映画部では、初期からホン・サンス監督を観続けてきた菊地成孔に、ホン・サンス監督の魅力、そしてロメールとの比較が本当に正しいのか、たっぷり語ってもらった。

「映画史に類を見ない監督」 

――菊地さんはかなり早い段階からホン・サンス監督に注目し、これまでもさまざまな場所やメディアで監督の映画について語ってきました。改めてホン・サンスとは、どんな監督なのでしょう?

菊地成孔(以下、菊地):ホン・サンスは、韓国の映画史上……否、韓国と言わず世界の映画史上でも、かなり珍しいケースだと思うんですけど、かつてのヌーベルバーグをそのまま臆面もなくやっている監督なんですよね。文学の用語で“パスティーシュ(文体模倣)”というのがありますけど、そういうものでもないし、パロディとして笑わせたり換骨奪胎するのではなく、もうそのまま臆面もなくやるっていうことを堂々と始めた人。しかも、それが一作とかじゃなくて、基本的な作風として定着しているという意味で、映画史に類を見ない監督だと思うんです。

――いわゆる“オマージュ”みたいな領域を超えているというか。

菊地:“オマージュ”というのは、タランティーノのようなものですよね。70年代のブラックスプロイテーション映画だったり日本のB級アクション映画だったり、そういうものにオマージュを捧げるんだっていう。ホン・サンスが画期的だったのは、ヌーベルバーグの初期的なやり方ーースタジオを使わないで全部自然光で撮る、予算を掛けないから俳優にギャラを払わないーーとか、そういう手作り感覚で他愛もない話を撮るという手法を、ある日突然始めたんですよね。しかも、それをたったひとりで始めてしまった孤高の監督。でもまあ、やっていることはもう一貫して、男女の他愛ない恋の話を撮るっていう(笑)。

――(笑)。ヌーベルバーグ的である、しかも男女の話ばかりを撮り続けているという意味で、「韓国のエリック・ロメール」という言われ方をされることも多いようですが。

菊地:ロメールの側面は、すごくありますよね。今回ラインナップされている『よく知りもしないくせに』(2009年)からの4本は、やっぱりロメールっぽいですよね。ロメールというのは、人間は恋をする生き物であって、男女をひとつの環境に入れておけば、必ず恋をしたり別れたりするから、定点観測でカメラを回していれば、それだけで映画になる……つまり、昆虫学者のような目線で、人間を撮ったというふうに言われている監督ですが、その目線は、確かにホン・サンスにもある。あと、ロメールの映画には、もうひとつ特徴があって。ロメールの映画は、時代との関連性が、ほぼないんですよね。要するに、社会性がほとんどない(笑)。ロメールが映画を撮り始めた時代というのは、フランスという国自体が大きく揺れ動いた時代だったと思うけど、それをロメールはまったく気にしないわけです。とにかく、いついかなる時代でも、ある空間の中に幾人かの男女をぶっこんでおけば、必ずそれはくっついたり離れたりするんだっていう(笑)。そういうことを、60年代からずっとやってきた人で、そういう側面は、ホン・サンスにもすごく強くありますよね。

――確かに、ホン・サンスの映画も、時代性や社会性みたいなものが、まったく入ってこないですよね。

菊地:すごく似ていますよね。というか、韓国っていうのは、ご存じの通り、もう激動の国なわけじゃないですか。ものすごい勢いで社会情勢が動いていて、そういう時代性や社会性が、韓国映画のひとつの基軸みたいなものになっているところがある。社会派作品からエンタメ作品まで、時代性や社会性はもちろん、南北統一や国家といった要素が、どんな作品であれ必ず入ってくるんだけど、ホン・サンスの場合、それがまったくない。あと、韓国って、ひとつの階級社会ですよね。要するに、ものすごい格差があるわけです。余談ですが、それを図式的に描いたのが、ポン・ジュノの『パラサイト 半地下の家族』(2019年)です。だけど、ホン・サンスの映画には、そういうものもいっさい出てこない。ホン・サンスの映画をずっと観ていても、韓国がどんな国なのか、まったくわからないじゃないですか。けれどもまあ、とにかく恋をしているんだと(笑)。だから、そういう意味でも、「韓国のロメール」と言われるのも、あながち間違いとは言えないわけですよね。

――そういう共通点もあるわけですね。

菊地:ただ僕は、ホン・サンスというのは、ロメールとゴダールとブニュエルの三種盛りだと思っていて。最初から三種盛りだったわけではなく、だんだんブニュエルが出てきたり、ゴダールが出てきたりするんですよね。ホン・サンスは、今言ったようなロメール的な側面とは別に、すごい変わったことをやる監督でもあって。たとえば、『正しい日 間違えた日』(2015年)というのは、まったく同じであるかのような話が、2回繰り返される映画じゃないですか。今回のラインナップには入ってないですが、『3人のアンヌ』(2012年)に至っては、全く同じ話(カメラ位置、役者、配役、脚本以外全て)を3回繰り返すという(笑)。だから、ある意味、とんでもなく前衛的な監督なんだけど、何せ扱っている題材がいつも男女の他愛ない恋愛の話なので、何となくロメールのように見えてしまう。そうやって、結構しれっと、とんでもないしつらえをやるところが、僕はブニュエル的だと思うんです。<ただ、ブルジョワの集団が、飯が食いたくて移動するんだけど、結局食えないまま移動し続ける>だけの『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(1972年)や、<ヒロインを何の説明も、物語上の根拠もなく、いたずらに2人の女優が演じる>だけの『欲望のあいまいな対象』(1977年)といった、最晩年のブニュエルのような前衛性が、ホン・サンスの映画にはある。

――基本的には、男女の他愛ない恋愛の話ばかりなので、その前衛性が前に出てこないというか……。

菊地:だから、ホン・サンスの映画が日本で公開されるときは、とにかく配給の人が困るみたいなんですよ。要するに、普通のメロドラマ、韓国のラブコメとして売りたいんだけど、映画の内容を踏まえると、やっぱりそれと同じようには宣伝できない。

――しかも、美男美女ばかりが登場する映画っていうわけでもないですしね……。

菊地:そう、ほとんどの作品の主人公は、冴えない映画監督じゃないですか。だから、美男美女……韓国語で“オルチャン”って言いますけど、そういうものを求めている人がホン・サンスの映画を観ると、ちょっと戸惑うところがあるという(笑)。実はみんな、ドラマや映画に出ている名優なんですけどね。脇役の名優みたいな人が、恋の主人公になっている。これが韓国の一般であって、娯楽映画に出てくる人は、自分たちとは別世界のスターみたいな人たちなのではない、というフランス由来の自然主義が感じられる。そこは、ロメールと違うところですよね。ロメールは自然主義的でありながら結局美男美女を使うから。だからロメールの売りポイントとしての、パリ市街や海水浴場や部屋の中がステキとか、衣装や小物が可愛いとか、そういうものが、ホン・サンスの映画には、いっさいないんですよね(笑)。首都・ソウルではない、郊外の何の変哲もない街が舞台になっていたりして、フランスの海辺だったり教会のような美しい建物だったり、日本人があこがれるような場所が、まったく出てこない(笑)。だから、配給の人が、宣伝しにくいんだと思うけど。

――「韓国のエリック・ロメール」とは言ってみたものの……。

菊地:やっぱり、ロメールは若い人が好きじゃないですか。若い子に海辺でちょっと水着になってもらって、そのふくらはぎやふとももを撮りたいみたいなフェティシズムがあるけど、そういうものがホン・サンスは、まったくないんですよね。美男美女、美しい街並みを撮るっていう、映画という娯楽が根本的に持っているサービスも、ホン・サンスの映画にはない。だけど、めちゃめちゃ面白いっていう(笑)。

キム・ミニ以降の大きな変化

――そう、派手なサービスはまったくないんですけど、やっぱり面白いんですよね。

菊地:男女の痴話喧嘩っていうのは、やっぱり万国共通の面白さがありますから(笑)。身につまされるし、いつのまにか心を掴まれるんですよね。あと、ホン・サンスの映画って、音楽がほとんど鳴らないんですよ。音楽が入ると自然主義じゃなくなるから。なので、ホン・サンスの映画は、タイトルバックでピアノの曲が四小節ぐらい流れるだけっていうのが多いんですけど、僕が知る限り一本だけ例外があって。それが『次の朝は他人』(2011年)です。個人的にはホン・サンスのキャリア初中期の最高傑作だと思うんですけど、あの映画は、ホン・サンスが珍しくロマンティックに寄った作品というか、いい意味で”普通の映画”に近いんですよ。とにかく、雪のソウルがめちゃめちゃ美しい映画なんです。

ーーしかも、モノクロ映画であるという。

菊地:そう、モノクロの画面も非常に美しい。『次の朝は他人』は、ホン・サンス映画では珍しいことに、劇中で音楽が鳴るんですよね。しかも、ちゃんとロマンティックな場面に流れたり。だから、一般的な映画ファンに一番訴求する力があるのは、『次の朝は他人』じゃないかな。まあ、痴話喧嘩は痴話喧嘩なんだけど、基本的に恋愛が美しいし、雪が美しい。日本映画で雪を描くと、北海道とか東北とか、雪国になります。ソウル市は首都なのに豪雪に見舞われる。その美しさを撮っている。東京も豪雪に見舞われることはありますが、それ以前に東京の路面は撮影できないし、パリやソウルに比べると、東京は緯経度的にも積雪量は少ない。ソウル市の一種の特権です。あと、キスがむちゃくちゃ美しい。キスシーンが美しいっていうのは、映画の中でも相当強度があるってことじゃないですか。だから、「ホン・サンス映画、何から観たらいいですか?」って言われたら、『次の朝は他人』って答えるようにしているんです。まあ、そのあと他の作品を観たら、ちょっと戸惑うかもしれないけど(笑)。

ーー(笑)。そう、今回のラインナップには、いわゆる「キム・ミニ以後」の作品、つまりはキム・ミニを主演として撮るようになった近作4本も入っていますが、「キム・ミニ以前/以後」の作風の変化を、菊地さんはどのように捉えているのでしょう?

菊地:劇的に変わりましたよね。ホン・サンスは、このままずっと、それこそ韓国のロメールとして、人間観察映画をやり続けるのかなって思っていた矢先に、パク・チャヌクの『お嬢さん』(2016年)が入ってくるわけじゃないですか。

――キム・ミニは、『正しい日 間違えた日』で初めてホン・サンスとタッグを組んだ後、パク・チャヌクの『お嬢さん』に出演するわけですね。

菊地:そう。『正しい日 間違えた日』で、自分の映画の“ミューズ”となるキム・ミニと出会ったんだけど、そのあとパク・チャヌクという自分と同世代の監督の映画にキム・ミニが出演したわけです。で、『お嬢さん』っていうのは、ある意味ソフトポルノじゃないですか。そこにはロリコンも入っているし、百合も入っているし、グロテスクやフェティッシュもいっぱい入っているという。その映画に、自分のミューズであるキム・ミニが出演したわけで……。

――そこからちょっと、変なギアが入ってきたというか……。

菊地:だから、『正しい日 間違えた日』で、キム・ミニというミューズが決まったこと、そのミューズと不倫関係になったこと、そしてそのミューズが自分と同世代でありながら、まったく作風が異なる監督の映画に出演したこと……この3つのことがいっぺんに起こって、何かが決定的に変わったんですよね。それまでのホン・サンス映画には、あんまりなかったものが出るようになっていったというか。そう、ホン・サンスって、女の人を崇拝もしてないし憎悪もしていない、ある意味すごくフェミニスティックな監督だったじゃないですか。痴話喧嘩をしたら、男も女もどっちもバカみたいなことを言うし、「女の人はわからないな」って、男たちが頭をかくような映画ではない。非常にフラットな感じで恋愛を描く人だったんだけど、そういうホン・サンス自身が、不倫だ、国外退避だって、結構大変なことになっていったわけですよね。

――監督自身に妻子がいるということで、本国では結構なスキャンダルになったとか。

菊地:そう、一時期は韓国にいられなくなるぐらい、バッシングを受けて。ホン・サンスは、以前、「大人になってからの人生というのは、いろいろあるようで、実は毎日ほとんど変わらない。ちょっとした変化だけの毎日を繰り返し続ける。それを自分は描いている」というミニマリストの発言をしていましたし、その言葉は彼の作品説明に関する、最も完璧なものだったと思います。そんな諦念的なミニマリストの生活に、ミニマルな反復を壊す大アクシデントが生じた。ただ、それ以降も彼は、キム・ミニをミューズに据えて、映画を撮り続けているんですが、映画全体の雰囲気、トーンとマナーは変わってないんだけど、その中で稼働しているエネルギーみたいなものが、はっきり変わったような映画を撮り続けていく。何て言えばいいのかな。ミューズはいるんだけど、そのミューズに対して、嫉妬や憎悪の混じった複雑な感情が、ホン・サンスの中に芽生え始めるんですよね。そこは、ゴダールのアンナ・カリーナ時代の映画と同じだと思うんですけど。

ーーそのあたりから、虚構と現実が絡み合った“ホン・サンス劇場”みたいなものが始まったというか……。いつのまにか、観ているこちらも、それに巻き込まれているようなところがありますよね。

菊地:フランス的な自然主義リアリズムを超えて、よりパーソナルなリアリズムみたいなところに入ってきちゃいましたからね(笑)。キム・ミニという固定したミューズがいることによって、どこにでもあるような他愛ない恋の話が、他愛ないものには見えなくなってしまったんですよね。結構ドープな感じになっていったというか。チャヌクの『お嬢さん』に出たことへの当てつけじゃないけど、そのあとに撮った『夜の浜辺でひとり』(2017年)とか『クレアのカメラ』(2017年)は、ホン・サンスの男としての何かみたいなものが出ていて、それまでのフェミニスティックな感じとは、まったく違うものになっていったという。

――相変わらず時代性は無いし、男女の恋愛の話ばかりではあるけれど、今までと違う緊張感がある。

菊地:そう。それまでは、変な話、女優は誰でもよかった。「恋愛っていうのは、こんなもんでしょ?」っていう、ちょっと引いた目線、昆虫学者の目線で描いていたから。そういう観察者の視点から、だんだん当事者の目線が入ってくるようになっていったという。だから、キム・ミニ以降のホン・サンスは、もうロメールじゃないですよね。むしろ、ゴダールに近いものになっていった。男女の関係が、いきなり生々しくなったんです。全体のしつらえは変わらないんだけど、その内実というか、リビドーの領域が変わっていった。だからまあ、ドープな恋愛映画が好きな人には、堪らないものがあるのかもしれないけど(笑)。

ホン・サンス作品にある“癒し”

――ホン・サンスは、今もキム・ミニと映画を撮り続けているようですが、今回ラインナップされている「キム・ミニ以後」の4作品の中で、菊地さんのおすすめを挙げるなら、どの作品になるでしょう?

菊地:やっぱり、『正しい日 間違えた日』は、相当いいですよね。ドロドロ感が少ないというか、ちょっとウキウキしているところがある(笑)。キム・ミニと初めて組んだ映画なので、どこか出会いの喜びみたいなものに満ちているんですよね。だから、厳密に言ったら、『正しい日 間違えた日』は、「キム・ミニ以前」のいちばん最後の作品と言えるかもしれない。『正しい日 間違えた日』以降の作品では、キム・ミニの扱いが、ちょっとドープになってくるから。でも、『正しい日 間違えた日』のキム・ミニは、出会ったばかりだからキラキラしているし、最後の終わり方はハッピー……大ハッピーではないけど、比較的穏当な終わり方をするじゃないですか。そこがめちゃめちゃいいんですよね。

――わかります(笑)。しかし、こうやって今、改めてホン・サンスの映画を順番に眺めていくと、いろんなものが見えてきますね。

菊地:面白いですよね。さらに、そのサブテキストとして、ロメールの映画を改めて観てみるのも、すごくいいと思いますし……まあ、できればブニュエルやゴダールにも手を伸ばし、ついでにチャヌクの『お嬢さん』も観るのだと(笑)。そこまでいけば、映画体験としては、相当豊かなものになりますよね。今、こういう世の中になって、どことなく鬱々としているときに、ホン・サンスとかロメールのような、社会性や時代性からまったく切れている映画を立て続けに観ることは、悪くないと思うんですよね。で、「ああ、俺も何か恋した気分になったわ」っていう(笑)。まあ、ただ恋をしただけではなく、痴話喧嘩までした気分になるから、観終わったあと、ちょっと疲れるんだけど(笑)。

――(笑)。ホン・サンスもロメールも、ただ単に「恋って素敵」みたいな映画ではないですからね。

菊地:そう。観終わったあと「俺も恋したい」とかいう映画じゃなくて、「はあ……俺も喧嘩したな」とか「あの言われ方、きつかったな」とか、いろいろ思い出すっていう(笑)。だけど、ホン・サンスの映画には、すごく癒しがあると思うんですよね。「まあ、いっか……」っていう気になる(笑)。韓国という国は、料理も激辛だし、基本的に刺激が強い国だと思うけど、そういう刺激の強さが、ホン・サンスの映画には、まったくない。ポン・ジュノの『パラサイト』だって、よくよく考えたら相当えげつないじゃないですか。暴力シーンひとつとっても、ナイフでぶっ刺したりとか。あんなの絶対、ホン・サンス映画にはないし。だから、ものすごくマイルドな韓国映画というか。

――とはいえ、じわじわと染み渡る感じは、どの作品もすごくあって……。

菊地:うん、染みるよね(笑)。だから、“マイルド”ではあっても“ライト”ではない。そういう意味では、昔の日本映画みたいなところがちょっとあるのかもしれない。小津安二郎の『東京物語』(1953年)だって、言ってしまえば、ドラマチックなことは何も起こらない映画じゃないですか。だけど、今やヨーロッパをはじめ、世界中の映画ファンに愛されている。ホン・サンスの映画も、それと近いところがあるのかもしれないですよね。

――なるほど。その指摘は面白いですね。

菊地:日本におけるホン・サンスの最大の不幸は、韓流ブームと並走しちゃったことなんですよね。今はだいぶ落ち着いたというか定着してきたところがあるけど、韓流が一時期社会現象ぐらいまで行ったときがあったじゃないですか。その頃にちょうどホン・サンスが出てきたんだけど、いわゆる韓流と呼ばれるものの中では、わかりやすい刺激みたいなものがちょっと少ないところがあって。そういう意味では、ちょっと“寝かし”が必要な作品だったのかもしれないですよね。

――幸か不幸か、あまり時代性を帯びてないというのもあるわけで……。

菊地:そうそう。多少寝かせても全然大丈夫っていう(笑)。だから、韓流でマーケットが潤っていたときにホン・サンスがキャリアを重ねたっていうのは、ある意味不幸なことではあるんだけど、今こうして韓流ブームがある程度落ち着いているときに、ホン・サンスの映画を改めてゆっくり観ることができるのは、とてもいいことなんじゃないかと思うんですよね。さっきの癒しの話じゃないけど、今はコロナ、コロナの世の中だし、やっぱりちょっと癒されたほうがいいんですよ(笑)。元気がある人はいいけど、どこ行ってもソーシャルディスタンスで、もうグッタリだよっていう人は、ちょっと癒されたほうがいい。そういうときに、ホン・サンスの映画は、すごくいいと思うんですよね。その真ん中に、痴話喧嘩っていうピリ辛が入っているところも含めて、ただのヒーリング映画じゃないですから(笑)。

>エリック・ロメールとホン・サンスを見比べできる”配信系ミニシアター”ザ・シネマメンバーズはこちら

■配信情報
『よく知りもしないくせに』『ハハハ』『教授とわたし、そして映画』『次の朝は他人』『正しい日、間違えた日』ザ・シネマメンバーズにて配信中

『夜の浜辺でひとり』
10月8日(木)より、ザ・シネマメンバーズにて配信

『クレアのカメラ』
10月15日(木)より、ザ・シネマメンバーズにて配信

『それから』
10月22日(木)より、ザ・シネマメンバーズにて配信

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