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『水曜どうでしょう』嬉野Dが語る、人生をハッピーにする世渡り術 「流されるしかないときは流されないとだめ」

リアルサウンド

21/2/21(日) 10:00

 今や伝説となった北海道テレビ(HTB)のローカル番組『水曜どうでしょう』のディレクター兼カメラマンとして、長年番組の屋台骨を支え続けてきた”うれしー”こと嬉野雅道氏。2015年に初エッセイ『ひらあやまり』、17年に『ぬかよろこび』を発表し、文筆家としても活躍する嬉野氏がエッセイ三部作の最終作となる『ただばたらき』を21年1月に上梓した。

 執筆を依頼されてから出版するまで3年がかかったという本書は”うれしー”の人生哲学がぎゅっと詰まった珠玉のエッセイ集だ。「後悔するとか、悩むことは時間の無駄」と語る”うれしー”が人生を生き抜くために見出した答えとは? 旅すること、夫婦のこと、楽しく生きるために必要なことなど、大いに語ってもらった。(小林潤)

旅が好きなのではなく移動が好き

ーー執筆を依頼されてから出版するまで3年がかかったという本作『ただばたらき』ですが、執筆してみた感想を教えてください。

嬉野雅道(以下、嬉野):書けそうなネタはいくつもあって、それを書き出すんだけど、なんだか上辺をなぞるだけになってしまって、全然燃えてこない。書いていて僕が楽しくなければ、読者の方が読んでも面白くないなと思って、書く気持ちになるまで、時間がかかってしまった。それで、これはもう旅に出るしかないなと思って、奈良まで旅に出ました。

ーー旅に出てある種踏ん切りがついたわけですね。執筆を始めたのはいつ頃でしょうか?

嬉野:執筆を始めたのは2020年の2月。まだ日本は不思議と長閑な頃で、それが4月に入って、日本でも緊急事態宣言が出されるまでになり「表に出たらマズイぞ」みたいな、日本中が経験したことのない緊張状態に突入してしまうという、そんな常ならぬ精神状態で私はこのエッセイを書き進めることになりました。

 こういったことは書き下ろしエッセイならではのことでしょうが、お陰で私の気持ちもずいぶんコロナの影響を受けました。『ただばたらき』は、爆笑エッセイとして読める一面もあると思いますが、理屈っぽい一面もある。それはこの本が読みようによっては、人生をどのように解釈し、整理するかの手引書のような本になったからだと思います。

ーー文章の端々に当時の雰囲気を感じとることができました。本作には嬉野さんの人生哲学がふんだんに盛り込まれていますね。

嬉野:僕は常にうまく世渡りをするつもりで生きていて、どうやったら自分の持って生まれた馬力のままで得をして生きていけるか。そのために他人の存在をどう捉えるべきか、自分をどうコントロールすべきなのか、そのことばかりを考えて生きているところがあります。人生をハッピーなものにしたいというのはいつも考えていて、そのための極意というものはあるはずなので、『ただばたらき』にはそういったエッセンスみたいなものが散りばめられているのかもしれない。

ーー嬉野さんといえば、『水曜どうでしょう』の企画「マレーシアジャングル探検」の際、トラとシカを見間違い「シカでした」と発言する様子が、ファンの間で語り継がれています。本書其ノ壱「奈良を旅する」では、シカに会いに奈良まで旅に出た経緯と奈良での出来事が描かれています。嬉野さんにとって「旅」とはどのようなものでしょうか?

嬉野:『水曜どうでしょう』はそれこそ旅をする番組だけど、僕は旅が好きというより移動が好きなんです。だから出張のときも乗り物に乗っている時間が苦ではなくて、風景を見ながら考えごとをするのが好き。だから観光は大して熱心じゃない(笑)。そんな感じだから、むしろ泊まるホテルの部屋は広くて快適で眺めが素敵な方がいい、となる。

 『ただばたらき』でも書いたけど、女房とバイクで旅するときは違ってね、田舎の温泉町の湯治宿とかがいい。バイクの旅はひたすら道を走って長距離を移動していくわけだから、有名な観光地へ”ピンポイント”で旅するのと違う旅になるんだよね。

 走ってる途中で日が暮れていくから、どこか泊まる宿を決めないといけなくて、今夜はこの辺りに泊まるか、と成り行き任せの旅になる。そういうときに鄙びた温泉町の湯治宿に泊まったりするんだけど、そこに到達するまでの風景も、風光明媚でもなんでもない単なる田舎の風景が続いているだけ。でも、それがいい。そういう旅を続けていると、どこかで日常の時間の流れを忘れてしまう、そうして旅人の妙な時間の流れの中に身を置くのが今度は逆に日常になっていく、あの気持ちの変わる辺りが旅の醍醐味かもしれないなって思う。そういう旅に連れていってくれるのは決まって女房なんだよね。

自分で決めたら後悔しない

ーー本書では奥様との日常も心温まる筆致で描かれていますね。其ノ参「ステイホーム」では、原稿を書かなくてはいけないのに、書く気持ちにならない嬉野さんの葛藤が描かれていますが、そこでは、自ら選んで行動し、その行動・結果を受け入れることの重要性が説かれています。

嬉野:僕だって自分の選択に自信がもてないときはたくさんあります。自信がもてないと気持ちが弱くなるときというのは、「自分の考え方が間違ってるかもしれない」と思うからだよね。だったらその正解を知ってる人がほかにいて、話し合いの余地があるならば、僕はその人に”判断してくれ”と言う。その人に判断を委ねてしまうわけ。だからチーム戦のときは「今、状況が一番見えてる奴について行く」が、僕のモットー。

 でも、自分のことは自分で決めるしかない。それで判断を間違えていたら、そのときは凹むけど、あんまり凹まないように「まぁ自分で決めたことだし」と、「後悔しない」を自分に課すことにしています。”後悔する”とか、”悩む”とかは、やっぱり時間の無駄だと思う。それは両方とも自分を慰めているだけの時間だからね。悩みに出口なんてものはなくて、そんなところにいつまでもいたら悩みから出てこられなくてキリがない。重要なのは失敗したときに”仕方がない”って思えるかどうか。だって仕方ないときは、仕方ないんだから、”仕方がない”と思えるように自分を持っていくしかないよね。

ーー無理をしすぎて自分を追い詰めてしまう人、特に若い世代の子に伝えたい話だと思いました。

嬉野:でもね、若い世代はやるしかないよ。この話は40歳を超えたらの話。若いうちは適当でもいいからやって苦しめって話だよ。

ーーそうだったんですね(笑)。勘違いしていました。若いうちからそういう、ある種の悟りが大事なのかと。

嬉野:そんなの何も経験しないうちから悟れないでしょ。40過ぎてうまいことできないんだったらそれはもうしょうがない。まあ、40歳ってのも適当に言ってるんだけど(笑)。若いときはいろいろやって失敗もするでしょ。小さい子供がよく走り回って転んで怪我して泣くじゃない。でもだんだん転ぶこともなくなって怪我することも少なくなる。それと一緒。

 それでも上手にできないんだったら、方向性が間違っているんだと思う。そうしたら別の道を探すべき。じゃあどんな道を選べばいいんだと思うかもしれないけど、それは単純な話で、楽しいと感じる道を選べばいいんだよ。僕は「自分の人生は出来る限り楽しく」って思うから、この目の前の現実を”楽しい”と自分が受け取めるためには、この現実をどう解釈すればいいのかな? と考えることにしているけどね。

 例えばだけど、さっき話したように僕は観光なんかしないで、快適なホテルの快適な部屋で過ごすのが好きなんだけど、女房とのバイク旅なら、湯治宿も楽しいって心から思える。女房と居るとそう思えるようになるのは、湯治宿が大好きな女房が楽しそうにしているのを見るからだと思う。あれを見せられると興味のなかったものにも価値があるようにだんだん見えてくるから不思議。

 でも、そうやって他人を通すことで、他人が物の価値や楽しみ方を教えてくれることってあるからね。そうやって誰かに影響を受けて物の見方が変わっていくこともある。だったら目の前のつまらないと思っていた現実だって解釈次第で楽しいと思えたりするかもしれない。自分の能力でたどり着ける場所で”楽しい”に、たどり着いてしまった方が人生はハッピーだろうなと思っていて、そんなふうに考える癖がついているんだね。

ーー其ノ伍「秘儀、自分で自分に命令する」では嬉野さんのお知り合いでもある、若き陶工のエピソードが描かれています。彼は18歳のとき挫折し、引きこもりになってしまいますが、自ら課した「他者を命令者にせよという命令」によって、彼の人生は好転していきます。

嬉野:彼は人と出会い、ずっと人に振り回されてるように見えるふしがあるから、彼の主体性はそこにないように見えるんだけれども、流されると決めること、そこに彼の主体性がある。そうして彼はいつの間にかプロの陶芸家が驚くほどの土をこねるようになるでしょう。だから彼はその「今」という瞬間に集中できる技量を持っていたんだろうね。集中するためには、集中できるだけの技量がないと集中できないんだけど、人それぞれによって集中できるジャンルは違う。世の中の流行り廃りに引っ張られて自分の将来をイメージしてしまうと、その技量がない場合苦しんでしまう。その人が集中できるジャンルがあるはずで、本人もそのほうが幸せになる。世の中の流行り廃りとその人の技量が合致した人は脚光を浴びるんだろうけど、それはたまたまなんだよね。

 結局、生きにくさというものは自分自身が作っているんだと思うんです。じゃあ生きやすくするにはどうしたらいいかというと、自分と相談するしかない。自分を説得し、自分を騙すということ。

 何年か前に『水曜どうでしょう』ディレクターの藤村くんが時代劇芝居やっていたとき、ぼくもストーリーテラーとして幕間で講談やったんですよ。でも舞台に上がること自体初めてで、しかもそれは、幕間にやる講談だから舞台には自分1人しかいないわけ。客を前に自分1人の語りで場を持たせなければならないわけだから緊張する。台本は自分で書いてるから中身はよく分かっているんだけど、その日のコンディションというのは舞台に上がってみるまで分からない。だから「やれる」と思って舞台に上がっても、まったく調子の出ないときがある。そんなときって、なんとか挽回したいから焦るんだけど、焦るとさらにメタメタになるのよ。だから「今」っていう目の前の現実に逆らうことは、できないんだなって「あきらめ」を学んだ。

 そういうのを何回も経験していると「舞台で調子が出ないときは、力の出ないなりに不満足でもやるしかない」と思うようになる。そう納得してやる方が結果的に被害が少なくて済むわけだね。そういうときは自分の手の中にあるものだけで、どれだけのことができるか、そこに心を尽くすの。そのときはもう、自分が想定してた”成功する自分”というイメージは、スッと、忘れなきゃならない。そんなふうなことを考えているとね、ふと思うんだよね。

 ”本番は自分の思うようにはならない”というのは人生にも当てはまるなぁって。思うようにならないときは、踏ん張れない自分のままを受け入れて、それで納得して演じようとする方が被害が少ない。

ーー流れに身をまかすということですかね。

嬉野:そう、力の出ないときは流された方が被害が少ないのよ。流されるしかないときは流されないとだめ。本番で演じる自分の出来不出来を気にしすぎていると、舞台の上で、せっかくの「今」に集中できなくなって、しくじりが増すばかり。だからそういうときは今の自分でやれる範囲を見極め、被害を最小にとどめるように無理なく立ち回るってことをした方がいいと、僕は思っている。

 人生も、そういう気持ちで生きる方が得じゃないかなと。それに舞台だって人生だって繰り返し。生きてる限り明日はあるわけだから、ゴールを自分で決めてしまって、そこへ行かなきゃと嘆くより、最後にどんなゴールが見られるんだろう?くらいのゆるい心構えでいた方が、人生は楽しくなるのではと思う。それに、心に余裕があれば上手くいかない経験をしたときも、そこからたくさんの拾い物をするんじゃないかなとも思うわけです。

いまこそ『物語』を活用する

ーー本書には映画やドキュメンタリーなど、作品に接した際の嬉野さんの驚きや心境について書かれたエピソードがあります。「おわりに」では「物語の強さ」について言及されています。現実がフィクションを追い抜いてしまうような今の世の中ですが、嬉野さんが考える「物語の強さ」について改めてお聞かせください。

嬉野:物語というと、おもしろさを消費するためのエンターテイメントの側面が一般的かもしれないけど、物語って「おもしろい、おもしろい」って、次々に消費するだけではないと思うんだよね。

 そもそも物語を見て「どうしておもしろいと思うのか」というところを僕は考えたい。現実ではない物語の世界にリアリティーを感じさせられてしまうから、知らないうちに引き込まれる。その物語の世界に登場する人物にリアリティーを感じたら、好きになったり、共感したり、憧れたりして、なおさら引き込まれる。だから物語はもう1つの体験だと思う。もう1つというのは、この現実世界での体験ではない、もう1つ別の世界ということね。人間は、そういうふうに現実でなくても、物語というイメージを体験することができる。そういう能力がそもそも備わっている。だから、現実ではないその物語の世界で善悪も教えてもらっていたりするし、恋愛や感動、思いやりや、優しさだって教えてもらっていると思う。

 あと、現実世界では価値がないと思い込んでいたものにも、物語世界で価値があるんだと教えてもらうこともあるのかもしれない。そういう気付きだって物語を通して生まれる。そんな体験ができたら、その瞬間から現実世界の見え方も変わってしまう。

 そういうふうに、自分すら無理なく自然に変えてしまうのが物語の力だと思う。そう考えると、人生は現実の世界だけでは説明がつかないのかもしれないと、だんだん思えてくるわけです。物語はイメージの世界、嘘の世界のはずなのに現実のように体験した気持ちになることができて、そこから学ぶこともできる。その能力をあらかじめ授かっている人間は、現実世界と物語世界、その2つの世界を使うことで自分の運命に、ちょうどいいバランスを与えながら、生きていくことを前提に作られているのかもしれないと思えてくる。だったら、自分をそのようなものとして捉え、積極的に物語を活用する方が生きていくのには得だなと思ったんですね。

■書籍情報
『ただばたらき』
著者:嬉野雅道
出版社:KADOKAWA
発売日:発売中
定価:1,430円(本体1,300円+税)
公式サイト

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