片桐仁の アートっかかり!
多作多芸、超人ぶりに驚愕! 『新・北斎展 HOKUSAI UPDATED』
毎月連載
第6回
森アーツセンターギャラリーで開催中の『新・北斎展 HOKUSAI UPDATED』。日本が世界に誇る浮世絵師、葛飾北斎の約70年におよぶ画業を通覧する同展を、キュレーターで浮世絵研究家の根岸美佳さんのご案内で鑑賞しました。
芸歴70年! 6つの画号を持つ北斎
根岸 葛飾北斎といえば“波”や“富士山”などの浮世絵で有名ですが、当然それだけ描いていたわけではありません。20歳のデビューから90歳の絶筆まで、実に多彩な作品を残しています。
片桐 芸歴は70年にもなるんですね。生涯で何点ぐらい描いているんですか?
根岸 発見されていない作品などもあるので正確な作品数ははっきりしませんが、3〜4万点とも言われています。
片桐 そんなに! 1日1枚描いてもそこまでいかないですよ!
根岸 北斎は19歳の時に歌舞伎役者の似顔絵で人気のあった勝川春章に弟子入りし、「春朗」の名を与えられます。その後、「宗理」「葛飾北斎」「戴斗」「為一」「画狂老人卍」と画号を次々と変えていきました。本展では、北斎の画業を画号ごとの6期に分けて紹介しています。
片桐 なんで名前を変えるんですか?
根岸 諸説ありますが、画号を改めるごとに画風も大胆に変化することから、自分がやりたいことを成し遂げるごとに名前を変え、新たな絵画の創造へチャレンジしていたんじゃないかと考えられています。
片桐 なるほど。自分自身を「アップデート」していったということなんですね。
様々な画風に挑戦した春朗期
片桐 《鍾馗(しょうき)図》(*1/28までで展示終了)は、言われないと北斎の作品だと分からないです。中国の絵画のような感じで線が力強いですね。
根岸 デビュー後約15年間にあたる春朗期は、歌舞伎役者の似顔絵から始まって美人画や名所絵、本の挿絵などを描いていた頃で、さまざまな画風を学んでいるのがわかります。春朗期の肉筆画は、《鍾馗図》と《婦女風俗図》(1/30〜2/18の展示)の2点しか現在確認できていません。
片桐 肉筆画って、注文を受けて描くものですよね。
根岸 そうなんです。新人の頃に注文されるということ自体、珍しいことだと思います。
片桐 北斎は最初から絵がうまかったということですか?
根岸 デビュー当時から絵が上手な絵師というわけではなかったと思いますが、そこから相当な努力をして画力を磨いていったんだと思います。
片桐 この《鎌倉勝景図巻》はかなり洗練されたタッチになってきてますよね?
根岸 これは全長9メートルにもなる大作で、今回初公開になります。現在の横浜から鎌倉に至るまでの街道の名所を描いています。
片桐 初公開ということは最近発見されたんですか?
根岸 数年前に市場に出されたものを本展を監修した永田生慈先生が入手したものなんです。
片桐 永田先生はものすごい北斎のコレクションを持っているんですね!
根岸 永田先生は小学校のころに北斎に興味を持って以来、北斎の作品収集と研究に生涯を捧げた方で、残念ながら2018年に他界されました。2000件以上のコレクションは永田先生の故郷である島根県に寄贈され、本展終了後は島根県のみでの公開となります。
片桐 永田先生のコレクションを東京で観ることができるのはこれが最後の機会なんですね。
独自の様式を追求した宗理期
根岸 36歳で勝川派を離れた北斎は「宗理」の名を襲名します。30代半ばから40代半ばにかけてのこの時代は、浮世絵から離れ、富裕層が仲間内で交換する摺物(すりもの)や狂歌絵本の挿絵、肉筆画を多く描いています。
片桐 豪華な限定版を作っていたんですね。《津和野藩伝来摺物》はめちゃくちゃ絵が細かいし色もきれい!
根岸 津和野藩に伝来する摺物は保存状態も良く、当時の美しい色彩が保たれていますね。高価な絵の具が贅沢に使われているんです。
片桐 キラキラ光って見えるような画材も使っていますね。またこれまでとタッチが変化している。ものすごく細やかで優美ですね。
根岸 画号ごとに章で分けて観ると、そうした違いがよくわかると思います。
片桐 出版社を通さない分、コスト面でも画風にしても自由が効いたんでしょうね。自分の描きたいように描いたんでしょうか。
マルチな才能を発揮した葛飾北斎期
片桐 ようやく「葛飾北斎」になりました。何歳ぐらいの時なんですか?
根岸 46歳頃です。当時江戸で流行し始めた、読本の挿絵に注力した時代になります。
片桐 こんな銭湯のペーパークラフトも作っていたんですね! これは組み立てるのは難しそうだなあ・・・。
根岸 完成図が描かれているだけで解説書はないんですね。これを見て組み立てるようになっています。かなり緻密に作られていて、北斎がこうした分野にも秀でていたことがわかります。
片桐 デザインナイフもない時代に、こんな小さなパーツを切るの大変ですよ! しかも和紙ですし……。でも何でこういうの見るとウキウキしちゃうんですかねぇ。こういうの、作らないのに買いたくなっちゃうんですよね。
片桐 《謎かけ戯画集》! 「下手の将棋」「おあしが八本」・・・江戸っ子はこういうのに爆笑していたんでしょうかね?
根岸 一般向けに販売されて人気があったようです。こちらの《小野小町》や《僧正遍昭》という作品では、人物画の中にその人の名前が文字として組み込まれているんですよ。
片桐 本当だ! 漢字やひらがなが服の線で表されているんですね。面白いですねえ。
根岸 《円窓の美人図》はシンシナティ美術館所蔵の肉筆画です。
片桐 戯画集とは全然違うタッチですね!どうしてアメリカの美術館が所蔵しているのでしょう? ボストン美術館も大量の浮世絵を所蔵していますよね。
根岸 明治時代に来日したアメリカ人が購入して、購入者の死後、美術館に寄贈されたのだと思います。当時は日本では浮世絵があまり評価されていなかったので、非常に廉価で購入できたようです。
片桐 海外の方が浮世絵の評価は高かったんですね。
絵手本『北斎漫画』が人気となった50代の戴斗期
片桐 北斎から戴斗(たいと)に画号を変えた時期に『北斎漫画』を作っていたんですね。本当は『戴斗漫画』だったんですね!
根岸 この頃、北斎にはたくさんの弟子がいて、その弟子一人一人に手本を描くのが大変になったので絵手本を作ったと言われています。
片桐 身内に向けたものだったんですか。