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小西康陽 5243 シネノート

11月から12月

毎月連載

第24回

20/12/30(水)

日活映画を支えたバイプレーヤーたち

 年末。締め切りをかなり過ぎているのに、原稿を書く気がしない。12月は映画に行くのもだいぶサボってしまった。観たい気持ちはあるのだけれど、きょうのところはまあ、いいか、という気持ち。この先、そう長生き出来るわけでもないのに、何かが道を塞いでいる。
 久しぶりにきた仕事がこちらではどうすることもできない理由でスケジュールがずれてしまったり、せっかくのアイデアがパフォーマー側に採用されなかったり、健診で「要精密検査」との通知が届いて、胃カメラを飲んだら胃炎、と診断されて、それ以来どうも胃の調子が悪くなったり、ヤフオクでとんでもなく高いレコードを落札してしまったり、その逆でメルカリでもうすこし値段が下がるのを見届けていた○○の○○を一夜明けて誰かに落札されてしまったり、年末で物入りが多かったり、と、気持ちが塞いでしまう理由には、毎日事欠かない。だから映画を観に行くのだけれども、それさえも面倒になっている。

  ラピュタ阿佐ヶ谷でスタートした【日活映画を支えたバイプレーヤーたち】という特集上映。まさに待望の特集である。ある日、渋谷シネマヴェーラのロビーでつぎの上映が始まるのを待っていたら、そこに本特集のチラシが届いて陳列棚に並んだのでさっそく一枚、手に入れる。こんなに名画座に通っていてもまだ知らない作品があるんだな、以前に観た映画でもその頃は名前も知らなかった脇役俳優の出演場面をチェックしたいからもう一度観なきゃ、などと考えながら、新しいチラシを食い入るように眺めていたら、いつの間にかロビーにも人が増え、知り合いと挨拶して、ラピュタのつぎの特集のチラシ、と言いかけて、陳列棚をみたら、もうチラシがなくなっていた。
 こういう言い方は大炎上する恐れあり、なのだけれども、あえて書く。じぶんはやはりある時期まで、いや、つい最近まで、やはり日活の映画というものに対して、ある先入観、ある偏見を抱いていた。それはやはり、日活映画といえば「無国籍」「ギターを持った渡り鳥」「和製ウエスタン」「早撃ち」といった、要するに小林旭と宍戸錠に代表される、あるタイプの映画を量産した映画会社、というイメージを持っていて、それは主に日活映画をこよなく愛する作家の書く文章につよく影響を受けた考え方であり、それ故に最初から「無国籍テイストを面白がる」ために映画を観ていたのではないか、と思うのだ。
 他人のせいにしている、と言われたなら、まさにその通りで言葉もない。たしか1980年代後半、六本木の俳優座劇場でやっていた日活映画の特集上映などでは、まさにその作家のお墨付きのある? 作品ばかりを選んで観に行っては、その「無国籍」ぶり、荒唐無稽ぶりを面白がっていたのだ。ほんとうに恥ずかしい。もっと恥ずかしいのは、そうした「無国籍」映画でさえ、つまみ食い程度の本数しか観ていない、ということなのだが。
 そんな日活映画に対する先入観が誤りなのではないか、と考えるに至ったのは、やはり2013年から都内の名画座で手当たり次第に旧作邦画を観るようになってからである。具体的にはシネマヴェーラで蔵原惟繕の特集上映を観たからであり、ラピュタ阿佐ヶ谷で『事件記者』シリーズの特集上映を観たからであり、神保町シアターで西河克己の『美しい庵主さん』や滝沢英輔『佳人』『あじさいの歌』『祈るひと』、蔵原惟繕『硝子のジョニー 野獣のように見えて』といった芦川いづみの主演する映画を観たからであり、市川崑の『こころ』を観直したからであり、新文芸坐で石坂洋次郎原作の映画の数々を観たからであり、なによりも若杉光夫『七人の刑事 終着駅の女』や前田満州夫の『人間に賭けるな』、野村孝『無頼無法の徒 さぶ』や牛原陽一『紅の拳銃』、舛田利雄『完全な遊戯』『狼の王子』といった映画を観たからだった。
 松竹とも、東宝とも、東映とも、大映とも、新東宝とも違う作風、そして俳優たちの個性。日活映画に対する偏ったイメージは、数々の素晴らしい映画が打ち消してくれた。
 こうしてタイトルを思い出しては監督の名前を調べて、すると次々に俳優や女優の顔を思い出す楽しさ。小高雄二、葵真木子、清水まゆみ、杉山俊夫、柳瀬志郎、弘松三郎、山田禅二、長弘、河上信雄、垂水悟郎、南風夕子、伊藤寿章、高野由美、武藤章生、近江大介。すこしずつ、すこしずつ覚えた俳優の名前。覚えたと思えば、またすぐ忘れてしまう名前。さあ、この機会にまとめて勉強しよう、というのが、今特集なのではないか。
 折しもこの時期のラピュタ、モーニング・ショーは浅丘ルリ子の特集。石原裕次郎や小林旭と共に主演する浅丘ルリ子の映画にも、おなじみのバイプレーヤーたちが次々と出演、さらにレイトショー上映の【香取環と葵映画の時代】の主役・香取環という女優もまた日活出身とのこと。ここ何週間かはほとんど阿佐ヶ谷にばかり通っていることになる。
 というわけで、このひと月に、ラピュタ阿佐ヶ谷、そして地下のザムザ阿佐ヶ谷で観たのは

舛田利雄『完全な遊戯』
森永健次郎『力道山物語 怒涛の男』
末永賢『人生とんぼ返り』
滝沢英輔『雑草のような命』
斎藤武市『東京の暴れん坊』
吉村廉『地下から来た男』
今村昌平『「テント劇場」より 盗まれた欲情』
鈴木清順『暗黒街の美女』
井上梅次『東京の孤独』
野口博志『幌馬車は行く』
西河克己『無言の乱斗』
舛田利雄『太陽、海を染めるとき』
斎藤武市『でかんしょ風来坊』
中平康『学生野郎と娘たち』
山崎徳次郎『拳銃0号』
山内亮一『街に出た野獣』
西河克己『追跡』
野村孝『あすの花嫁』
千葉隆志『あまい唇』
蔵原惟繕『銀座の恋の物語』
野口博志『昼下がりの暴力』
春原政久『サラリーマン物語 大器晩成』
舛田利雄『花と竜』
井上梅次『青春蛮歌』
斎藤武市『愛と死のかたみ』
斎藤武市『愛は降る星のかなたに』
春原政久『闇に光る眼』
古川卓巳『白い閃光』
鈴木清順『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』
中平康『当りや大将』
以上、30本。

 とにかくノックアウトされたのは『完全な遊戯』と『東京の孤独』そして『あすの花嫁』の3本。もちろん、どの映画も楽しんだ。『テント劇場』のラストで映画をさらってしまう柳澤真一。『街に出た野獣』の垂水悟郎と堀恭子。『昼下がりの暴力』の大阪から来た刺客・長弘。『無言の乱斗』『愛と死のかたみ』の悪漢? 波多野憲。『追跡』では刑事、『花と竜』では裕次郎の敵役・井上昭文、この人が吉永小百合と。『追跡』では主婦、『花と竜』では女賭博師にして刺青師のいいオンナ岩崎加根子。『追跡』では岩崎加根子の夫、『白い閃光』ではトラック運転手の木浦祐三、この素晴らしい俳優も『事件記者』シリーズでその名を覚えた。『闇に光る眼』の深江章喜と梅野泰靖。なぜかいつも歌う印象の杉山俊夫。そして未だ顔と名前の一致しない数多くの俳優たち! ちなみに、じぶんがいちばん「日活映画を観ている」という気分になる俳優は、花村典克という人。セリフもクレジットもない、モブシーンの中のひとり、というときも、とにかくやたらと目立つ顔の造形。芸名も何度か改名しているらしい。今回の特集上映でもおびただしい頻度でスクリーンに登場する。映画じたいはそれほど楽しめなかった『地下から来た男』という作品では、スリの一家の若頭? の役で画面に滞在する時間も長かった。たとえば大映の映画を続けて観ていると伊達三郎を探す、東映の映画を続けて観ていると林彰太郎を探す、というアレです。
 メイン特集である【日活映画を支えたバイプレーヤーたち】を観るときは、上映10分前に座席に座ったら、おもむろにカバンから浜野蟹さん執筆の素晴らしい副読本的フリーペーパーを取り出し、これから始まる映画の中の注目すべきバイプレーヤーたちの名前をチェックするのが慣わしとなった。このフリーペーパー、ほんとうに素晴らしくて、特集にいらっしゃる方は必読なり。これを入手できなかった友人のために、事もあろうにシネマヴェーラの受付で内藤由美子支配人にお願いしてコピーをとっていただいたりしたこともあった。シネマヴェーラも、ラピュタ阿佐ヶ谷も最高の映画館なり。

『アルプススタンドのはしの方』(C)2020「アルプススタンドのはしの方」製作委員会

 もちろん阿佐ヶ谷ばかりにいたわけではなく、渋谷では森崎東、京橋では原節子、高田馬場では『アルプス・スタンドのはしの方』『37セカンズ』、そして池袋と神保町で小津安二郎の『東京物語』『晩春』『長屋紳士録』などを観た。『ブルータル・ジャスティス』という、あまりにも長い映画も新文芸坐で観た。あまりにも長い。『拳銃0号』は53分、『街に出た野獣』は49分だというのに。
 さて。前々回に連載を再開したばかりだったけれども、今回でこの「シネノート」も終わりとなりました。映画について何か書くのは、あまりにむずかしくて、とうとうじぶんなりの方法というのを見つけることができなかった。あの田中小実昌の「シネノート」のように、きょうはどこの劇場に行った、行く前に○○商店街でお弁当を買った、といったことを書いて、肝心の映画については「○○のバストが大きかった」みたいな話を書くにとどめておく、という方式ならば、じぶんにも書くことができるかも、と考えたのだが、やはりそんな器量を持ち合わせてはいなかった。
 もちろん、この連載を終えるから、といって、名画座に行くのをやめるわけでもない。そういえば、かつて映画館のロビーでよく見かけたのに、コロナ禍で劇場が休館、そしてようやく営業再開したというのに、すっかりお見かけしなくなった映画ファンの方々。いま、どうしていらっしゃるのだろう。もちろん、この流行病に冒されてしまったわけではあるまい。わざわざマスクまでして、ひとの密集する場所へなど出掛けたくはない、むしろいまだにのこのこと劇場へ通っている人間のデリカシーを疑う。そんなふうに考える方が少なからずいることも知っているけれど。
  先日、シネマヴェーラで観直した豊田四郎の『濹東綺譚』という映画の、冒頭と中盤にほんのすこしだけ登場する中村芝鶴、という役者。なるほど、あの役は「N散人」というのか。毎日、飽きもせず、雨の日は傘をさして、歓楽街へと通う老人。あの、みごとな顔をした役者のことを思い出しながら、もうしばらくは映画館のある街に通う。

プロフィール

小西康陽

1959年、北海道札幌生まれ。1985年にピチカート・ファイヴでデビュー。作詞・作曲家、DJ。

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