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『マッドマックス 怒りのデス・ロード』鑑賞前に押さえたい8つのポイント その成功の要因を探る

リアルサウンド

20/9/12(土) 12:00

 5年前。あまりにも最高すぎて、銀色のスプレーを口元に振りかけんとする勢いで映画ファンが狂いに狂った映画が公開された。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』だ。前作から長い間を開け、30年ぶりとなるシリーズ4作目という立ち位置でありながらも、『マッドマックス』というものを知らない人が観ても十分に楽しめる怪作。エクストリームすぎて、「これがアクション映画だ讃えよ!」と顔面をV8インターセプターで轢き殺された気持ちになる。

 砂漠を彷徨う流浪の男、マックスが突然野蛮集団に襲われ、シタデルと呼ばれる砦のコミュニティに連れて行かれる。そこは全ての資源は独裁者イモータン・ジョーが支配し、水を欲する民や彼を狂信する神風特攻隊的兵士ウォーボーイズが平伏していた。しかし、ジョーの部下であるフュリオサ大隊長が遠征をした際に彼を裏切る。彼の所有する子産み女ことワイブズたちを連れて逃げ出したのだ。そこでイモータンは全走力をかけて彼女らを追う。マックスもまた、衰弱したウォーボーイズのニュークスの“血液袋”として同行を余儀なくされ、この戦いに巻き込まれるというのがあらすじ。

 しかし何を隠そう、本作は言ってしまえば“行って帰ってくるだけ”の映画。それでもアカデミー賞10部門ノミネート、最多の6部門受賞という偉業を成し遂げたのはなぜか。V8に因んで、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の讃えるべき8つのポイントについて書こう。

1.過去シリーズ3作を讃えよ

 まず『デス・ロード』の世界観を120%理解するには過去作を振り返るのがマストだ。

 記念すべき1作目『マッドマックス』は1979年に公開され、世界中で大ヒット。オーストラリア映画の世界進出のきっかけともなった。舞台設定はまだ数年後の近未来ということで、まだ文明社会が残っている。ダイナーも、クラブも、警察署も、アイスクリームショップだってある。しかし退廃感はすでにあり、警官殺しや婦女暴行も厭わない野蛮な暴走族が蔓延っていた。そこに、追跡者として改造されたV8インターセプターを乗りこなす怖いもの知らずのメル・ギブソン演じるマックスの登場だ! ハイウェイで奴らに向かって正面衝突する彼のかっこよさは、すでに狂気じみていた。

 この1作目の重要な点は「マッド(怒れる)マックス)」誕生譚にある。彼の妻と息子が逆恨みした暴走族に殺されてしまうのだ。実は、殺されるまでが結構長い。その時間経過がリアルすぎて、いつどんな酷いことをされるのか観客としては気が気でならない。可哀想で観ていられないのだ。そして、悲劇が起きる。暴走族は不起訴になる故に捕まえても釈放となるのがオチだ。法も正義も腐りきっている、そんな世界で怒り狂ったマックスは一人、V8エンジンをかけて彼らを討伐する。特に本作では暴走族の敵が死ぬ時、目玉が飛び出るという印象的な演出が、『デス・ロード』のトラウマ回想シーンで一瞬出てくる。

 『マッドマックス2』は、第三次世界大戦が起き、石油が枯渇した世界が舞台。徐々に土地が砂漠化していき、皆ガソリンを求めて車狩りをしていた。妻子を失い、あてもなく荒野を愛犬と旅するマックスは、本作で地域を牛耳る暴君と民間人の抗争に巻き込まれる。この映画では、元警官でありながら正義なんてどうでも良くなってしまった彼がアンチヒーローとして人々を救い、人を再び信用する「英雄誕生譚」が描かれている。道中出会い、最初は殺し合っていたキャプテンと共闘して人々に自由を与える。『デス・ロード』は実はこの2作目と全く同じ、英雄誕生譚なのだ。巻き込まれたマックスがフュリオサと背中を預け合い、ワイブズをはじめとする砦の人々を自由にしようとする。

 『マッドマックス/サンダードーム』は低評価の印象があるが、実は一番『デス・ロード』にヒントを与えた物語かもしれない。まず今回の敵の親玉・アウンティが黒人女性(しかもティナ・ターナー)という先進的な設定。これは女でありながら唯一ジョーの直属の隊長として指揮を執るフュリオサのモデルとも考えられる。そして彼女の仕切る街に我が物顔でふんぞり帰るマスターは小人の知識人、その相棒のブラスターは、怪力だが子供の心を持つ障害者だった。この二人は『デス・ロード』で言うなれば、イモータン・ジョーの二人の息子に当たるキャラクターだ。フュリオサの裏切りをすぐに見抜き、父に助言を与える立場でいる小人のコーバスと、大きな体に対して赤ん坊のようなリクタスである。さらに、アウンティに追放され砂漠で瀕死状態だったマックスを助けた子供たちの中に一人、身体に白塗り、目元を骸骨のように黒くした言わばウォーボーイズの前身的な男の子が登場する。彼も自分のスペースで何かを「崇拝」しており、その対象が骨なのでそれに似た格好をしていた。ジョーの白塗りを真似て崇拝するボーイズとかぶる。

 実は『サンダードーム』がシリーズの中で低評価である理由は、ファンが何よりも求めているカーチェイスシーンが他の2作品に比べて全くなく、アクションは肉弾戦がメインとなっているからである。従来の『マッドマックス』ファンからすれば、物足りないのだ。しかし、それがない分ダイアログや設定が細かく、子どもや小人といった社会的に弱者とみなされる者達が野蛮な大人を打ち負かし、新たな世界を再建するというエンディングは非常にシンボリックであり、メッセージ性の強い作品となっている。

2.監督ジョージ・ミラーを讃えよ

 さて、そんな『サンダードーム』から30年後。ミラー監督は前作が不評だった理由を熟知していて、「これならどうだ!」とでも言わんばかりの、いやむしろ今度はほぼ90%がカーチェイスという作品『デス・ロード』をこの世に出した。

 このミラー監督、とにかく最高なおじさんなのだ。そもそも彼は、普通若くてエネルギーに満ち溢れている時にやりたがる『デス・ロード』みたいな破茶滅茶なものを70歳で作り、逆に哀愁漂う大人のリベンジものを34歳で作っている時点でただならぬ人物だ。しかも、空白の30年間は何をしていたかというと、プロデューサー業に勤しむほか『ベイブ/都会へ行く』や『ハッピーフィート』2作という、主に子ども向けのファミリー映画の監督をしていた。この経歴に狂気さえ感じてしまう! ところが、実は『ハッピーフィート』がヒットした2006年から『デス・ロード』の構想を温めていたのだ。しかも、この子供向けの映画作りをした経験がなんと『デス・ロード』の重要な“ノンバーバル”な要素に繋がっているので脱帽してしまう。これについてはもう少し掘り下げて後述する。

 何より、こういった大ヒットシリーズは続編やリブートを他の監督が権利をとって作ることが多い。その場合、やはり大きな課題となるのは過去作への理解力だ。その点、普通に考えて『マッドマックス』の生みの親であり、それとともにキャリアをスタートさせたミラー監督本人が、しっかり自分の手で我が子を現代に蘇らせたことがすでに尊い。よく知るからこそブレない世界観、しかし同じことをするのではなく視覚的にも意味性もアップデートして新鮮さを与える。ヒットシリーズを抱える監督が抱えるこの難問を、彼は嬉々としてやりのけた。最高だ!

3.ディテールまで美しい、改造車両を讃えよ

 『マッドマックス』とは常に車の映画だった。そしてその車とは、退廃した世界の中で「力(権力)」のメタファーとも言える重要な存在なのである。ミラー監督は1作目から車両に強いこだわりを見せていた。1979年当時、今のようなCG技術もない時にリアルな車両を使って、リアルなクラッシュを撮っていたからこそ出せたあの迫力。彼は時代が進んでも尚、その臨場感を大事にするべく、基本的にすべてが「本物志向」だ。『デス・ロード』に登場する、クレイジーで美しい外見の車両もすべて実際に溶接して作られたもの。そしてそれらの多くはピーター・パウンドの手がけたコンセプトアートを元に生み出されている。

 車両一つ一つが特徴的で、とにかくディテールが細かい。映画には一瞬しか映らないかもしれない内部も、「それが誰の運転する車か」ということを大事に細部まで作り上げているのだ。例えばジョーの乗る「ギガホース」はキャデラックの車体を重ねたボディで、内部はダッシュボードにこれまで狩ってきた車のエンブレムがズラリと飾られている。さらに、呼吸器官の弱い彼の咳には酸素ボンベも完備されているのだ。そして、全車に共通するドクロや赤ん坊の頭部といった車の装飾については「退廃した世界だとしても、人は美しいものを作ろうとする。原始人だって壁画を残した」と語り、強いこだわりを示した。

 ギタリストとドラマーを乗せた「ドーフワゴン」も、ステレオが無数に搭載されていて痺れる見た目だが、フュリオサの乗り回すトラック「ウォー・リグ」はやはり映画の花形。ミラー監督にとっての「神殿」でもあり、主人公たちの物語が描かれる主な舞台として活躍する。ちなみにキャストが搭乗する用、軽くして走る絵を撮る用など用途を分けてフルモデルが三台作られ、クライマックスでニュークスがクラッシュをするシーンはスタントが実際に運転しながら横転している。ミラー監督自身も撮影時にスタントマンの安否を確認したほどの、迫力のある画が撮れた。

4.CGの出る幕なし!? クレイジーなスタントマンを讃えよ

 本作はヴィジュアルがとにかく徹底しているわけだが、それもそのはず。多くの映画のように脚本(文字)からのスタートではなく、監督と複数のメンバーがストーリーボードに描いたコミック(画)からのスタートだからだ。そしてその内容は、すでにどんなキャラクターがどの車に乗っていて、そのシーンを撮るにはどれほどの時間が必要で、衣装や小道具はこう……というように、とにかく正確なものだった。全ては長年構想していたミラー監督の頭の中に入っていたのだ。それをチームがビジュアル化していくという作業が行われたのだが、それらのほとんどはCGIに頼らなかった。もちろん、スパイクを両手に持って車に特攻したウォーボーイズも、「ウォー・リグ」の上を飛びながら爆弾を落とすイワオニ族のバイカーも、長いポールを使って車両間を移動するポールキャッツも、すべて生身の人間が演じている。

 CGIに頼らない撮り方にはコツがある。映画の中で極めて印象的な、最初に身を捧げて車に飛び乗りながら爆死したウォーボーイズを例に取ると、まずはワイヤーを使ってキャストが車に飛び乗る動作を撮る。その後、車の爆発シーンを撮って二つを合わせるというので、実はとてもシンプルだ。安全面に考慮した上で、実際の人×実際の爆破というリアルの画を撮るという手法が本作では多用されている。CGIの出番といえば背景か、ワイヤーを消す程度の極めて少ないものだ。

 スタントの中でもポールキャッツは特に凄い。サーカス出身の先鋭を呼び、まずはポールだけで動作確認。最終的に彼らは猛スピードで走る車の上でポールに乗り、大きく左右に揺れて慣れていった。主演のトム・ハーディも彼らについて「俺もあのスタントをやったけどチビるほど怖かったよ。それなのに彼らはポールの上に撮影中の4週間、ほぼ毎日いたんだぜ!?」とオフィシャルインタビューで敬意を示している。もともとミラー監督がポールの上に登って揺れるストリートアーティストにインスパイアされて作ったポールキャッツだが、そういうアイデアを全て「リアル」でビジュアル化しているのだ、この製作陣は。スタントマンたちの功績なくして、この映画はない。

5.イモータン・ジョーとウォーボーイズを讃えよ

 ヴィジュアル面ではキャラクターも素晴らしい。特にイモータン・ジョーはクリアな防弾アーマーを纏うことで、強くて教祖的な奇抜なルックスであると同時に、朽ち果てた素肌という生身の人間らしさがあって面白い。ある意味、ダース・ベイダーのクリアver.だ。ちなみに彼の目立つマスクは、馬の歯の骨を使っている。彼は股間にガンホルダーを身につけていて、その銃は彼の力、性器を意味する。しかも3つの銃をそこに収めているのだから、自己顕示欲が半端ない。また、赤ん坊のモチーフというのも映画に多く登場するが、それはジョーが最も貴重と見做し求めている宝=「崇拝」のシンボルであり、同時にそれを所有する自分の「力」の象徴と考えられる。そして何を隠そう、そんなジョーを演じる俳優はなんと『マッドマックス』でマックスの妻子を殺した暴走族のリーダー、トゥーカッターを演じたヒュー・キース・バーン! つまりマックスは、再び彼から守るべきものを守る戦いに出るというわけだ。痺れるキャスティング!

 ジョーを崇拝しながらも、途中彼を失望させたことで顔向けできなくなり、マックス側になるウォーボーイズのニュークスも映画が魅力のひとつ。ニコラス・ホルトの演技がとにかく良い。彼は他のウォーボーイズと同じ、ジョーを狂信してきた。彼のために死ねば英雄になり、その魂は再び蘇るとまで信じていたのだ。しかし彼はジョーの所有物であるワイブズの一人と心を通わせ、彼女が物ではなく人である事を実感する。それは同時に自分自身も、消耗品ではなく人間である事を認識する過程なのだ。そんな彼が人間として、人間を、愛を守るために命をかけるというクライマックスは、とても意味深い。

6.マックスとフュリオサを讃えよ

 脇も素晴らしいが、やはりこの映画はマックスとフュリオサ抜きでは語れない。主人公のマックスをメル・ギブソンの後を継いで演じたトム・ハーディは、とにかく重厚感のある演技が良い。彼の戦闘シーンの動きや目線は、指示を受ける前からその動作の動機を完全に理解したミニマルで自然なものだったと、コーディネーターはオフィシャルインタビューにて話していた。

 映画の冒頭、拘束され髪を切られ血液袋にされるまでマックスは唸り声ぐらいしかあげない、獰猛な動物だ。長年砂漠を一人で彷徨っていたのだから、言葉なんて出うるはずがない。そういう説得力を持たせながら、彼はフュリオサとの交流を通して再び自分の声を見つける。この映画はマックスが自分のトラウマに立ち向かいながら人間性を取り戻し、アンチヒーローになる物語だ。しかし、同時にこれはフュリオサの復讐劇である。マックスは彼女の旅の同行者にすぎない。

 フュリオサを演じたシャーリーズ・セロンは、とにかく自分のキャラクターがマックスと肩を並べられる強い女性像であることにこだわった。それはフュリオサのビジュアルにも影響している。もともとストーリーボードでは彼女にも髪があった。しかし、その中で他の女性キャラクターと差異をつけなければいけない。髪型についてセロンとたびたび話し合いが行われ、最終的に彼女は自ら「もう髪もメイクもいらない。それ以外は考えられない」と提案したのだ。美しさと強さの共存。フュリオサのキャラクター性はセロン自身の気概によって発展していったと言っても過言ではない。姉さん最高です!

7.ワイブズたちの抵抗! フェミニズム視点を讃えよ

 そんなフュリオサが命をかけてジョーから奪い、共に自由を求めて逃げた5人のワイブズの存在が、本作では何よりも意味深い。彼女たちは最初、ジョーによって付けられた鉄のパンツ(局部にはトゲが施されていて、彼以外の人間が触る事を禁じている)が首輪のようにつけられ、白いコットンで体を隠すように覆われている。しかし、物語が進むにつれ、纏う布が落ちていき、彼女達の肌が露出していく。先にも述べた通り、これはフュリオサによるジョーへの復讐劇だが、それと同時に女性を「子産み」のための物として扱ってきた男への抵抗と解放、復讐の物語なのだ。

 ワイフたちは、与えられた名前からジョーとの関係性がそれぞれ違うことが窺える。特にお気に入りかつリーダー格のスプレンディド(見目麗しき)は、唯一臨月に近いお腹の大きさでの逃亡だった。このルックスが、とにかく母となった女性の神秘性とパワーをダイレクトに訴えかけてくる。しかも、彼女はただの母親ではない。演じたロージー・ハンティントン=ホワイトリーは「レイプによって妊娠した女性」の体験などを探り、役作りに生かした。それがあってこそのスプレンディドの表情であり、トラックに寄り掛かりながらジョーに向かってお腹を突き出すようにして睨みをきかすシーンは、彼女の宣戦布告と決別を意味する。

 メンバーの中にはもう一人、妊娠をしているワイフがいる。『ネオン・デーモン』で印象的だったアビー・リー演じるダグは、少し不思議ちゃんでスプレンディドよりも怯えた様子でいる。なぜなら彼女はスプレンディドに比べて、まだ受胎して間も無くお腹も平らであり、命を授かったことの自覚がまだ少ないのと、それを受け入れることに対する葛藤があるから。しかし、そんなダグもスプレンディドの勇姿を見てお腹の子に語りかけはじめるといった成長、母性の目覚めも映画の後半で描かれていて素敵だ。

 そうした彼女たちに混ざってマックスとニュークスがいる。マックスは最初から相手が女だろうと、特別扱いなんかせず容赦無い。そしてニュークスも先述の通り、彼女たちを男の所有物ではなく、同じ人間として理解し、ともに戦い守り合う。この二人こそ、フェミニストの鑑であり正義として描かれ、ジョーという女を力で支配する男が悪として描かれている。その意味で、『デス・ロード』は実はかなり女性をエンパワメントするフェミニズム映画でもあるのだ。

8.ノンバーバルだからこそ伝わるアクションの真価を讃えよ

 さて、この映画はこれまでに語ってきた魅力をすべてヴィジュアルで描いている。説明なんかない。説明どころか、セリフなんてほとんどない。普通、アクション映画はダイアローグとアクションが分かれているが、本作の最も大きな特徴はそれが同時に行われ続けていることだ。マックスとフュリオサしかり、登場人物は必要最低限のことしか話さない。ある意味で、ノンバーバルコミュニケーションとも言える。実はこの描き方は、先述したミラー監督の子供向け映画を撮った経験が大きく生かされている。というのも、子供に理解させるためには言葉ではなく視覚でキャラクターがどんな人物なのか、何が起きているのかということを理解させることが重要だからだ。

 だから、本作を理解することは難しくない。言語を理解せずとも、視覚で物語を追うことができる、そういう映画だから多くの人が楽しめたのだ。ディテールでもそれが徹底されていて、例えばラストに砦に帰ってきた時、監視役として穴から出てきた市民には足がない。その人物を一瞬映しただけで、それが終身的に義務付けられた仕事であり、ジョーの非情さを強調、説明している。無駄なことは全部省いて、それをヴィジュアルと動き(アクション)にすべて託しているのだ。むしろ言葉がないからこそ、伝わるものがある。つまり「デス・ロード」はアクション映画の真の実力と、あるべき姿を魅せてくれた、偉大な映画なのだ。讃えよ!

 実はミラー監督は本作の続編やスピンオフの構想もすでに練っている。配給会社であるワーナー・ブラザースと支払いを巡って訴訟沙汰になっているが、それが解決すれば再びポスト・アポカリプスの砂漠を舞台にしたアツい物語が見れるかもしれない。その日まで、心にいつもV8を掲げて。

■アナイス(ANAIS)
映画ライター。幼少期はQueenを聞きながら化石掘りをして過ごした、恐竜とポップカルチャーをこよなく愛するナードハーフ。レビューやコラム、インタビュー記事を執筆。InstagramTwitter

■放送情報
映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』
フジテレビ系にて、9月12日(土)21:00~23:10放送
監督・脚本・製作 :ジョージ・ミラー
脚本 :ブレンダン・マッカーシー、ニコ・ラソウリス
<出演>
マックス:トム・ハーディー(AKIRA)
フュリオサ:シャーリーズ・セロン(本田貴子)
ニュークス:ニコラス・ホルト(中村悠一)
イモータン・ジョー:ヒュー・キース=バーン(竹内 力)
スプレンディド:ロージー・ハンティントン=ホワイトリー(たかはし智秋)
ケイパブル:ライリー・キーオ(植竹香菜)
ザ・ダグ:アビー・リー(大津愛理)
フラジール:コートニー・イートン(潘めぐみ)
リクタス・エレクタス:ネイサン・ジョーンズ(真壁刀義)
トースト:ゾーイ・クラビッツ(田村睦心)
(c)Warner Bros. Feature Productions Pty Limited, Village Roadshow Films North America Inc., and Ratpac-Dune Entertainment LLC

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