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佐々木俊尚 テクノロジー時代のエンタテインメント

幸か不幸か。デジタルデータをもとにパーソナライズ可能な世界

毎月連載

第29回

音楽ストリーミングサービスSpotifyの「タイムカプセル」というサービスが一新された。これはユーザーがティーンエイジャーのころに聴いていたであろう楽曲を、それぞれのユーザー向けにパーソナライズしたプレイリスト。より精度を上げ、楽曲のセレクトがひんぱんに更新されるようになったとアナウンスされている。

Spotifyのタイムカプセルのページでは、英語でこんなふうに案内されている。「あなたがティーンエイジだった時代に連れて行ってくれる音楽の数々をパーソナライズしたプレイリストを、あなたのために作りました。懐かしのあの曲をあつめた2時間で、思い出を蘇らせてください。すべてあなたのための曲です」。

私は1961年生まれなので、ティーンエイジャーというと1970年代になる。私自身の「タイムカプセル」を開いてみると、マービン・ゲイの『Let’s Get it On』やバリー・マニロウの『Copacabana』、ベイ・シティ・ローラーズの『Saturday Night』、TOTOの『Rosanna』など懐かしい曲がたくさん入っていて楽しめた。

しかし「えっ?こんなの聴いてなかったよ」という曲も少なくない。ビル・エヴァンスの古いジャズは確かにいまはよく聴いているが、昨年公開されたドキュメンタリ映画『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード』に触発されたからで、高校生のころは名前さえ知らなかった。

もっと変なのは、もんた&ブラザーズの『ダンシング・オールナイト』や杉山清貴&オメガトライブなどの楽曲が更新されるたびに必ず入っていることで、今も昔もあまり好きじゃないので全然聴いていない。これは想像するとおそらく、Suchmosやcero、Nulbarichなどネオソウルっぽい音楽を最近よく聴いているからだろう。

村下孝蔵やはしだのりひことシューベルツのフォークソングがこのプレイリストに入ってくるのも、最近はボン・イヴェールとかを好んでいるからかもしれない。

いっぽうで私は高校生のころ、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルのようなハードロックをよく聴いていて、それよりも断然に好みだったのはエマーソン・レイク・アンド・パーマーやピンク・フロイド、キング・クリムゾンのようなプログレッシブ・ロックだったが、Spotifyを使うようになったこの5年ぐらいはそれらはまったく聴いていないので、「タイムカプセル」には一切上がってこない。

このように見ると、Spotifyのタイムカプセルは「私がティーンエージャーだったころに聴いていたプレイリスト」ではなく、「いまの私がもし1970年代にタイムスリップしたら、聴いたであろうプレイリスト」であることがわかる。

音楽に限らずビッグデータの解析結果はおそろしいほどに的確だが、データに含まれない事柄までは解析してくれない。私がティーンエイジャーだった1970年代は社会にインターネットは普及していなかったので、私がどんな音楽を聴いていたのかはデータになっておらず、私の記憶の中にしかない。

しかし、それは私が古い世代に属するからだ。SpotifyやApple Musicなどのストリーミングが普及し、音楽を空気のように聴くことが当たり前になってから物心ついた2000年代生まれの世代は、長い年月にわたって過去の音楽履歴が蓄積されていく。むろんストリーミングサービスが終了してしまえばそれまでだが、いずれは過去のパーソナルデータを他のサービスに移行できるような枠組みも生まれてくるかもしれない。

たとえばFacebookが終わってしまっても、自分の過去の写真や動画、テキスト投稿などのデータがそっくりそのまま、まだ見ぬ新しいSNSに移行させられるような仕組みはいずれ登場してくるだろう。そうなれば私たちの過去のアーカイブは死ぬまで保存され続ける。いや、デジタルデータの保存コストはきわめて安価だから、人類のデータ遺産として死後も永遠に保存され続けるかもしれない。

そうなったときに、私たちは私たちの生活のあらゆる側面がすべてデータとして保存され、そのデータをもとにパーソナライズ可能という世界がやってくることになる。「高校生のころの音楽をもう一度聴きたい」と願えば、瞬時に自分自身が本当に聴いていたティーンエイジャー時代の音楽が流れはじめるのだ。

それは懐かしいかもしれないし、自分の思春期の「中二病」を思い起こさせてむしょうに恥ずかしくなるかもしれない。しかし私たちはそういう中二病的な過去からも逃れられなくなる。データの時代というのは、そうやって過去が現在に追いつき、現在と過去が無理矢理にでも融合されてしまうような新しい世界をつくりだすのである。それは不幸なのか、それとも幸福なのか。

プロフィール

佐々木俊尚(ささき・としなお)

1961年生まれ。ジャーナリスト。早稲田大学政治経済学部政治学科中退後、1988年毎日新聞社入社。その後、月刊アスキー編集部を経て、フリージャーナリストとして活躍。ITから政治・経済・社会・文化・食まで、幅広いジャンルで執筆活動を続けている。近著は『時間とテクノロジー』(光文社)。

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