Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

『大恋愛』が描く愛する人の全てを受け入れるということ 戸田恵梨香とムロツヨシの10年間の軌跡

リアルサウンド

20/6/12(金) 6:00

 戸田恵梨香主演ドラマの再放送が相次いでいるが、『大恋愛~僕を忘れる君と』(TBS系)はそのラインナップの中でも異色、かつ近年の恋愛ドラマの中で異彩を放っている。

 ラブコメが主流で、the王道のラブストーリーがなかなか支持されにくい昨今、恥ずかしいまでのどストレートなタイトル。しかし視聴後には“このタイトルのほか考えられない”と思わされるような納得の純愛物語だ。

参考:戸田恵梨香が語る、ムロツヨシと築く『大恋愛』のアプローチ 「2人の仲で大事なものを大切に」

 若年性アルツハイマーを患う女医の北澤尚(戸田恵梨香)と、恋人の元小説家・間宮真司(ムロツヨシ)が主人公。この2人の10年間の奇跡を追ったストーリーで、全10話のうち第5話で2人は結婚する。まず10年もの年月を描くドラマ作品が珍しく、多くの場合結婚はクライマックスに用意されている展開だが、物語の折り返し地点にちょうど結婚が位置して、見事に結婚前後が丁寧に綴られている(この最期をごまかさないところも本作の見応えにつながっている)。

 この設定もそうだが、主人公2人にはドラマチックな展開ばかり降りかかる。尚は面倒を避けて合理的に進めた婚約のための引越しで、その引越し業者として往年のファンだった作家・真司とたまたま出会う。そして、結婚相手として申し分ない医師・井原侑市(松岡昌宏)との婚約を破棄。“砂漠を歩いて生きる”ことを選ぶ。

 一方の真司は神社に捨てられていた孤児。21歳の時に出版した処女作が大ヒットとなるも、2作目以降は鳴かず飛ばずの状態。「生きていくために」引越し業者のアルバイトをしていて筆は長らく置いてしまっている。それが尚と出会い、初めて自身の著書『砂にまみれたアンジェリカ』のような本気の恋に落ちるのだ。

 これだけ列挙してみても波乱万丈で、ここにさらに尚の病気の発症まで加わるとあまりの乱高下に視聴者側も食傷気味になりかねないところだ。だが、そこは「ラブストーリーの名手」と名高い脚本家・大石静の完全オリジナル作品だけある。加えてこの2人の名演にかかれば、これらの出来事全てが日常の地続きに見事に配置され、誰もが抱いたことのあるであろう感情に落とし込まれて、共感を持って魅せてくれるのだ。何気ない2人のやり取りがあまりに自然で、アドリブも交えながらの自然体だからこそ、それがシリアスな場面に転用されたときに、観る者の心を引き込んで離さない。

 とんでもなく深刻で重大なシーンにあっても、ムロが演じる真司のひたむきで大きな愛情にかかればそんな問題は「自分が尚ちゃんを想う気持ちに比べれば大したことなんてない」と、全て愛おしさに変換されて飲み干されてしまうのだ。尚が病気を告白したときの真司の全身全霊の回答、「尚ががんでも、エイズでも、アルツハイマーでも、心臓病でも、腎臓病でも、糖尿病でも、中耳炎でも、ものもらいでも水虫でも。俺は尚と一緒にいたいんだ」はそれを象徴している。

 また、プロポーズのときの2人の掛け合い。真司からのプロポーズを受けて、尚が投げかける「名前間違えちゃうけど、いい?」「鍵挿しっぱなしにしちゃうけど、いい?」「黒酢はちみつドリンク、何度も注文しちゃうけど、いい?」、最後に「いつか、真司のこと、忘れちゃうけど、いい?」と続く質問に、全て「いいよ」と答える真司(書いているだけでも泣けてくる)。病気のこともこれから先に失ってしまうであろうたくさんのこと、待ち構える困難についても、どんなカップルでも遭遇しかねない日常の取るに足りない些細なことと変わらないと丸ごと受け入れる。

 きっとそれは、出会った当初、尚が真司に対してありのままを受け止めて、一歩踏み込んできてくれたことへの恩返しでもあるのだろう。一発屋のベストセラー作家として、バイトをしながら、ただただ生きるために生活してきたのであろう真司。“何も持ち合わせていなかった”彼にとって、尚が自分の初版本を大切に手元に置いてくれていたり、その中の文章を暗唱できるほどに読み込んでくれていたり、「きっと間宮真司って素敵な人だと思う」と言ってくれたりするのはもちろんだが、正体が知られていないうちから尚は真司に興味を持ち、好意を寄せてくれていた。そして正体がわかってからも「なんだ、そうだったの? 言ってよー」と少し驚いてはみせたものの、その前後で変わることなく接する尚。最初はきっと尚を幻滅させてしまうと自身が間宮真司張本人であることを言い出せずにいたが、そんな心配は全くの無用だった。この頃からきっと真司の中の“止まっていた時間”が動き出し、彼は“自分の人生”を生き始めたのだと思う。

 彼女は真司にとって、命の息吹をくれた人なのだ。1人の人間として、また1人の男性として、そして1人の作家として、魂を吹き込んでくれた女性なのだ。

 この物語に身を裂かれるほどの切なさが伴うのには、残酷な矛盾がはらまれているからだ。それは真司が本当の自分を取り戻していく一方で、尚は自分を(記憶を)失っていくという正反対のコントラストを辿る点。しかも、厳密には尚も真司との出会いによって合理主義な側面だけでない、本能のままに生きる本来の自分に初めて出会っていたのだ。にも関わらず、その幸せの絶頂が長くは続かず、ようやく結ばれたはずの2人に待ち受けるあまりに意地悪な運命が憎らしくて、やるせなくて仕方なくなる。

 ただ、この作品で救いだと思うのは、誰も「出会わなければ良かった」なんてことを易々とは口にしないことだ。人は本当に愛おしいものと向き合うとき、どんな顔をするのか、さらに本当に愛おしいものを失いそうになるときに何を思い、本当に愛おしいものがなくなった後には何が残るのか。もう一度、この名作ドラマで愛すべき2人の10年間を辿りながら想いを馳せたい。

■楳田 佳香
元出版社勤務。現在都内OL時々ライター業。三度の飯より映画・ドラマが好きで劇場鑑賞映画本数は年間約100本。

新着エッセイ

新着クリエイター人生

水先案内

アプリで読む