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江口寿史が語る、漫画家としてやり残したこと 「70年代後半のギャグ漫画の凄さを残したい」

リアルサウンド

20/7/8(水) 8:00

 『すすめ!! パイレーツ』(1977-1980年)、『ストップ!! ひばりくん!』(1981-1983年 ※未完だったが2010年に完結)、『エイジ』(1984-1985年)などで知られる漫画家であり、イラストレーターとしても功績を残し続けている江口寿史が、初のジャケットアートワーク集『RECORD』(河出書房新社刊)を発表した。

参考:小林よしのりが語る、凶暴な漫画家人生 「わしにはまだ、納得いかないことが多い」

 2000年代における江口の代表作の一つである銀杏BOYZ『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』(2005年)、江口自身が「ぼくのイラストの新たなステップの幕開けとなった作品」(『RECORD』に掲載されたセルフライナーノーツより)と語るShiggy Jr.の『ALL ABOUT POP』のほか、吉田拓郎の『一瞬の夏』(2005年)、大森靖子の『MUTEKI』(2017年)など、これまで手がけてきたジャケットイラスト29点をLPサイズで収録。さらに本人による全作品解説、吉田拓郎の寄稿文、銀杏BOYZ・峯田和伸とのスペシャル対談などを収録したブックレットも付いている。

 江口寿史のジャケットアートワークを様々な角度から楽しめる『RECORD』の制作プロセスを軸にしながら、ここ数年の活動の手ごたえ、漫画家/イラストレーターとしての今後のビジョンなどについて、江口自身にたっぷりと語ってもらった。(森朋之)

■今の人たちはたぶん、心に刺さるものに敏感

――初のジャケットアートワーク集『RECORD』が発売されました。これまで江口さんが描いてきたCDジャケットのイラストが収められた作品ですが、江口さん自身はこの作品をどう捉えていますか?

江口:「本がなかなか売れない」と言われてる時代じゃないですか。そんななか、こういう個人的な本と言うか、趣味性の高い本を出せるのは、今の自分の状況が良いんだなと思いますね。僕の体感として、2015年に『KING OF POP 』(玄光社)を出したあたりから、世間の僕を見る目が変わってきたというのかな。かなり前から漫画の仕事を減らして……というか、なかなか描けなくなって。イラストの仕事はずっと続けていたんですけど、それはたぶん、ほとんどの人には届いてなかったと思うんです。僕の仕事を熱心に追いかけてくれてるファンにしか届いてなかったと思うし、多くの人にとって江口寿史という存在は、『週刊少年ジャンプ』から去ったときに消えていたんですよ、ほぼ。でも、『KING OF POP』という画集と、それに伴う全国10カ所での巡回作品展で、漫画からイラストまで含む画業の全てを一挙にまとめて見てもらう機会があったことで、非常に多くの人の目に触れた。そこで改めて「江口寿史、こんなにいっぱい仕事をしていたんだな」と気付いた人がかなりいたんじゃないかなと。そのタイミングで再評価みたいなことがはじまって、5年くらい続いている実感はありますね。

――イラストレーターとしてのキャリアを画集という形でアーカイブし、届けることが大事だったと。

江口:そうですね。あと、この10年くらいの間のSNSの発達も大きいと思います。僕はSNSのない時代にイラストの仕事を始めたので、しばらくは全然伝わらなかった(笑)。『KING OF POP』を出したときに各地で展覧会をやったことで、それがネットでも広がって、その結果、次の画集『step』(河出書房新社)もすぐに出せたんです。だからこそ、今回の『RECORD』のような趣味性が高い本も出せたんだと思います。CDジャケットの仕事もかなりやってましたし、それを1冊にまとめたいという気持ちもずっとあって。『RECORD』はかなり凝った装丁なので、普通だとなかなか通る企画ではないですけど(笑)、それはやはり『KING OF POP』と『step』が成功したことの結果だと思います。

――江口さん自身が書かれた作品に対する解説も興味深く読ませていただきました。Shiggy Jr.の『ALL ABOUT POP』のジャケットは、「ぼくのイラストの新たなステップの幕開けとなった作品」と位置付けられていますね。

江口:はい。それまでの僕の絵は、レイアウトやトリミング、女の子らしいポーズ、ファッションのディテールなどに意識を置いていたんです。Shiggy Jr.の『ALL ABOUT POP』イラストはそうではなくて、“顔”だけですからね。顔の表情。恋をしているときの気持ちだったり、目に見えないもの、空気とか匂いを表わしたいと思ったんですよね。

――それはSiggy Jr.の音楽に触発されて生まれた変化なんですか?

江口:それもあるでしょうね。『ALL ABOUT POP』というアルバムを作ったメンバーの心意気にも応えたかったし、「これを届けたい」という気持ちもあって。だったら僕も、自分のポップを一段階上げたいなと。あと、CDジャケットって面積が小さいじゃないですか。LPレコードのサイズだったらいいんですけど、CDジャケットにディテールを描き込んでも目立たないんですよ。最初はShiggy Jr.のメンバーが何かやっているところ、たとえば車を洗っている絵なども考えたんだけど、それよりも女の子の表情だけで刺さるほうがいいなと。レコード屋で(イラストの女の子と)目が合ったときにキュンとする感じを出したかったというか。この時期は僕自身も個人的にいろいろ思うところあり、それも合わさって「届いてほしい」という気持ちになったんでしょうね。

――江口さん自身の感情も反映されているんですね。

江口:僕はそれまで、自分の思いを絵に込めることがあまりなかったんです。わりとエディター体質で、「コレとコレを組み合わせたら、ポップになる」という考え方だったし、かなり引いた視点からエディションしていて。『ALL ABOUT POP』の絵は“思いを伝える”というか、エモーショナルな感じですよね。

――絵に込められたエモさが増したことは、若い世代に江口さんの絵が届き始めたことにも関係していると思いますか?

江口:うん、そうじゃないですかね。今の人たちはたぶん、心に刺さるものに敏感だし、そういうものに飢えてる気がするので。それがダサいという時代が長かったじゃないですか。特に僕が20代を過ごした80年代は、エモーショナルなものがいちばんカッコ悪い時期で。僕自身も「ちょっとハズしたほうがカッコイイ」「熱い思いを表現するのはダサい」という意識があったし。いまはそうじゃないと思います。

■僕の好みはすごく大衆的

――江口さんの自身の絵に対する意識やスタンスの変化が実感できるのも、『RECORD』の見どころだと思います。画集のあとがきで吉田拓郎さんに触れ、「拓郎さんに教わった一番大きなものは個人主義だと思います」と書かれていますが、江口さんにとって“個人主義”とはどういうものですか?

江口:“すべての基準は自分”ということですね。自分がいいと思うことをやりたいし、いくら他人がいいと言っても、自分がダメだと思えばやらない。それで失敗しても、責任は僕にあるわけですから。小津安二郎の「どうでもよいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う」という言葉が好きなんですけど、その感じにも近いかもしれないです。絵に関することは、納得できない限り誰の言うことも聞かないっていう(笑)。自分のジャッジを信用するというのは、デビュー当時から今に至るまで変わらないです。

――江口さんは『週刊少年ジャンプ』をはじめ、メジャーの商業誌のど真ん中で活躍されていたので、ご自身のジャッジと編集者や読者が求めるものがぶつかることもあったのでは……?

江口:そうなんですけど、もともと僕の好みはすごく大衆的なんですよ。音楽の好みもそうですけど、ぜんぜんマニアック体質ではないし、自分がいいと思うのものはみんなもいいと思うんじゃないかなと。そう考えると、ジャンプで人気があった頃の自分が一番良かったと思いますね。『ストップ!! ひばりくん!』みたいな漫画を毎週描く力があれば最高だったんだけど、その力が僕にはなかった。漫画を描くためにはもう少し我慢が必要だったし、それが足りなかったんでしょうね。漫画はとにかく大変なんですよ。漫画家の人たちは、本当に偉いと思います。

――なるほど。今回の『RECORD』は、江口さんと音楽の関係も感じられますが、音楽が江口さんの作品に与えた影響もありますか?

江口:それはもう、すごく大きいでしょうね。まず、音楽がない作業環境というものが考えられないですから。好きな音楽は自分の感覚を開かせてくれるし、僕の場合、音楽がないと描くことにのめりこめないので。絵を描くのって、つらいんですよ(笑)。延々と一人でやってるし、そのつらさをやわらげて、ノリノリにさせてくれるのが音楽なんです。いろんなしがらみだとか、大人になればなるほど面倒くさいこともあるじゃないですか。音楽にはそういうイヤなこと、悲しいことを和らげてくれる力があるので。

――描いている絵のテーマに沿って曲を選ぶことも?

江口:いや、テーマは関係ないです。どんな絵であっても、そのときの自分をアゲてくれる音楽であれば。作業の種類によって、聴きたい音楽が変わることはありますけどね。下書きのときはインストゥルメンタル、たとえばクラフトワークみたいな音楽がいいとか。ペン入れのときは何でもいいかな(笑)。アイデア出しやネームを考えてるときは、音楽があるとダメなんですよ。かといって無音でもダメだから、テレビとかラジオをつけたり、あとは喫茶店でやってますね。

――いちばん好きなアーティストは細野晴臣さんだとか。

江口:細野さんはずっと聴いてますねえ。10代の頃にはっぴいえんどを聴いたときは、よくわからなかったんですよ。あれは洋楽の教養がないとわからない音楽なので。後になって聴いて、好きになりましたけどね。細野さんは本当にいろんな音楽をやってるから、そこを入り口にして、いろんな音楽を知れるのもいいんですよ。クラフトワーク、ライ・クーダーもそうですね。

■打倒・鴨川つばめでデビューからやってきた

――最近の仕事についても聞かせてください。SEKAI NO OWARIの『umbrella』のジャケット、音楽フェス『夏の魔物 2020 in TOKYO』のメインビジュアルなど、音楽関連の仕事が続いていますね。

江口:そうですね。こちらから積極的にというより、単純にオファーが増えているので。『umbrella』に関しては、Fukaseさんのほうで絵のイメージが明確にあったんです。ご本人と話したわけではないですけど、「水玉模様のワンピースを着て、振り返っている女の子を描いてください」という明確なオファーで。傘は僕のほうで加えたんですけど、基本的にはFukaseさんのイメージを最大限に優先して描きました。『夏の魔物』もそう。最初はパーカーのフードを被った女の子で、目線を横にずらした下絵を描いたんですが、成田さん(『夏の魔物』主催者の成田大致)から「フードを外して、目線は正面にしてください」という依頼があって、「はい、わかりました」と。職人に徹して、オファーに応えた感じですね。仕事として“江口寿史”をやったというのかな。もちろん手を抜いたりはしてなくて、求められるものに精一杯応えたし、今の自分ができる最高のものを描きましたけど。

――EDWINとコラボレーションした“ジーパン女子×江口寿史Tシャツ”に関しては?

江口:僕自身もデニムが好きだし、ジーパンの女の子は折々に描いてきたので、趣味と実益を兼ねた仕事というか(笑)、二つ返事でOKしました。EDWINは高校時代から履いていたから、嬉しかったですね。

――オファーとニーズが合致したと。

江口:そうですね。つい最近、Pictured Resortという大阪のバンドのアナログEPのジャケットを描いたんですけど、それは予算に関係なく「好きなバンドだからやるよ」という感じで。

――江口さん自身の“やりたい”という思いを優先した?

江口:そうそう。つまり、最終的に求めているのはお金じゃないんですよね。もちろんお金は欲しいけど(笑)、それ以上に、みんなが満足してくれて、褒められることを求めているし、そのことで自分も救われるので。自分自身の満足度と、人の評価ですよね。それが得られると「もっといい絵を描こう」と思うし、次につながるんですよ。逆にそれがない状態が続くとダメになるでしょうね。

――最後に漫画家としての今後のビジョンについて聞かせてください。以前のインタビューで、「ギャグ漫画でしのぎを削っていた時代のことを漫画にしたい」と仰っていましたが、その気持ちは今もありますか?

江口:もちろん。とにかく漫画から逃げてる感じが常にあるので、描かないといけないなと。特に自伝みたいなものは、必ず描きたいです。それは自分のことというより、70年代後半のギャグ漫画の凄さを残したいんですよね。今はお笑いのジャンルがいっぱいあるけど、当時は漫画がお笑いの最先端で。赤塚不二夫先生、山上たつひこ先生が一時代を築いて、その後、僕らの世代がしのぎを削って。特に鴨川つばめですね。当時のあの人のカッコ良さは描いておかないといけない。僕しか描けないので。

――当時、僕は小学生でしたが、『週刊少年チャンピオン』の『マカロニほうれん荘』と『週刊少年ジャンプ』の『すすめ!!パイレーツ!』のおもしろさはホントに強烈でしたからね。

江口:僕がいちばん憎んでましたから、鴨川つばめを。あまりにもすごすぎて。でも、鴨川さんの連載が終わったときに一番悲しんだのは、間違いなく僕ですよ。打倒・鴨川つばめでデビューからやってきたし、心にぽっかりと穴が開いてしまって……。当時、僕も鴨川さんも20才とか21才ですから。セックス・ピストルズみたいじゃないですか(笑)。

――まさに。江口さんや鴨川さんの漫画は、パンクロックを聴いてるときと同じような気分で読んでました。

江口:パンクですよね、ホントに。『週刊少年サンデー』の『できんボーイ』(田村信)もそう。80年に入る頃『マカロニほうれん荘』も『できんボーイ』も『がきデカ』も終わって、僕の敵が誰もいなくなってしまって。そこでギャグ漫画全盛の時代は終わったというか……。僕が絵の方に行ったのは、それが大きいですよ。そのあとは大友克洋さんですね。大友さんの作品を見て、「自分の絵はしょぼいな」と思って、絵の精度を高めるようになったので。とにかく当時のギャグ漫画のことは描きたいです。77年から79年までの短い時期のことなんだけど、たぶん、みんな忘れちゃうでしょ。若い子はもちろん知らないだろうし。

――いつの日か、その漫画を読めることを楽しみにしてます。

江口:いつの日か(笑)。僕もいい歳だし、そんなに時間はないですからね。急ぎます。(森朋之)

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