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峯田和伸の記憶と未来への眼差し ドキュメンタリー『2020年の銀杏BOYZ』と新作『ねえみんな大好きだよ』から伝わること

リアルサウンド

20/10/30(金) 12:00

 『光のなかに立っていてね』以来、約6年半ぶりのリリースとなる銀杏BOYZのフルアルバム。『ねえみんな大好きだよ』と題された作品は、コロナ禍の2020年を生きる私たちを救ってくれるような傑作だった。

 ひとりのリスナーとして今作に感じたことは、「生死」と「記憶」についてだ。「生きたい」をはじめ、これまで以上に生死について触れられた楽曲の数々。なかでも印象的だったのは「アーメン・ザーメン・メリーチェイン」。この曲を作るきっかけとなったのは、2019年の渋谷La.mamaの楽屋で、ガンで闘病中だったオナニーマシーンのイノマーに向けて寄せ書きした「死なないで。生きるまで」という言葉。峯田和伸は自分で書いたその言葉が意味するものを追いかけ、同年9月、ロンドンでのライブ前夜に宿泊先近くの公園墓地で楽曲を書き上げたという。

 ほかにも、「SKOOL PILL」の歌詞には〈ブルーハーツ〉、「骨」には〈ビートルズ〉や〈NIRVANA〉、「GOD SAVE THE わーるど」には〈リバー・フェニックス〉など、いまは亡き人物やバンドの名前が出てくる。「GOD SAVE THE わーるど」の歌詞には、岡崎京子が1993年から翌年にかけて連載していた漫画『リバーズ・エッジ』のタイトルも出てくる。同漫画は、若者たちが河原で見つけた死体の秘密を共有し合う物語だ。

銀杏BOYZ – 骨(MV)
銀杏BOYZ – 恋は永遠(MV)

 「恋は永遠 feat.YUKI」の〈ロックはふたりを あの日のふたりを/きっと忘れないから〉という歌詞のように、峯田は旧友との思い出も含めた様々な記憶を引き上げて、楽曲に焼き付けている。

 一方で、「エンジェルベイビー」や「生きたい」からは“子ども=未来”を想起することができる。「アレックス」では、思い描いていたものとは違う未来について歌っている。「NO FUTURE NO CRY」(2005年)と叫んでいた銀杏BOYZは、2014年「光」の〈いけるかな 光の射す場所へ〉を経て、「2020年に見る未来像」を今作で示した。

銀杏BOYZ – 恋は永遠(MV)
銀杏BOYZ – 生きたい (MV)

 GOING STEADYの曲をセルフカバーした「大人全滅」に〈どうしてぼくはうまれたの どうしてぼくはしんじゃうの〉との一節があるが、このアルバムはまさに「死を知ることで生を実感できる」ということを伝えてくれる作品だ。なくなってしまったもの、死んでしまった人たち、過ぎ去った出来事などの記憶をよみがえらせながら、未来に眼差しを向け、これからも何とか生きていこうという想いを音楽で表現している。「生きたい」の〈生きたくってさ/なくしたもののために〉の詞が指すように。

峯田の記憶を辿るドキュメンタリー

 先日、本稿とは別件で峯田にインタビューを行ったのだが、過去の出来事について振り返る際、日付、同級生などの名前、10代の頃に聴いたアルバムの曲順などを克明に記憶していることが驚きだった。

 峯田は筆者に、「たとえば誰かと初めてデートした日、相手の服が何色だったか覚えていますか?」と尋ねた。私が「さすがに覚えていない」と答えると、彼は「僕はそこまで覚えちゃうんです」と話した。続けて「音楽を聴くことが日記のようになっている。音楽を聴くと、どこでそのCDやレコードを買ったか、これを聴いていたときは何があったかを思い出す」と語っていた。

 もうひとつ、インタビュー時に聞いた話がある。1994年4月5日にカート・コバーンが急死したときのこと。その後、峯田は祖母を亡くしたそうだ。葬式の日、峯田は自室にこもってNirvanaの『In Utero』(1993年)を聴いていたことから、今でも同作の曲を耳にすると当時を思い出して線香のにおいを感じるというのだ(詳しい寄稿文は10月下旬発売の雑誌『GOOD ROCKS! Vol.108』を読んでほしい)。

 その話を聞いて連想したのがドキュメンタリー映画『パーソナル・ソング』(2014年)。アルツハイマーや認知症の患者に、思い入れのある音楽や青春時代の流行歌を聴かせると、失くした記憶がよみがえる音楽療法のことが取り上げられていた。峯田の感覚はそれに近いのかもしれない。音楽と記憶は実際にかなり密接な関係にある。

 9月26日にBSフジでオンエアされたドキュメンタリー番組『2020年の銀杏BOYZ』は、まさに峯田和伸の記憶の一端を辿る作品だった。同作は、峯田と女優・松本穂香が自撮り形式でカメラをまわしながら、深夜の渋谷の街を歩き回るというもの。

 峯田は、松本からいつ上京してきたのか質問されると、「そんなのWikipediaで調べたらいいじゃん」とイジワルに返しながら、「25年前だね」と思い返す。ライブハウス・WWWの店前に着いたときは、「ここはもともと、シネマライズっていう単館系の映画館だったんだよ。よく行ったんだよね。『トレインスポッティング』(1996年)を2日連続で観た」と記憶を紐解く。PARCO劇場前では、三浦大輔作・演出の主演舞台『母に欲す』(2014年)のことを話す。

 ちなみに『母に欲す』で共演した池松壮亮は、峯田について「できれば会いたくなかった。職業的に俳優をやっている人からすると、(峯田と)向き合うとこっちの嘘(=演技)がバレちゃうから」とコメントしている。松本との街ブラのなかでも峯田は着飾った部分をまったく見せない。松本との会話の間を埋めようと多弁になる部分もそうだし、暑さのあまり汗だくになり、Tシャツで顔をゴシゴシと拭くところなど、誤魔化しのない姿がとらえられている。

亡くなったイノマーへの気持ちを音楽に

 ライブハウスの渋谷La.mamaの店前では、峯田は、オナニーマシーンと同所で行っていた共催イベント『童貞たちのクリスマス・イブ』について回想する。

 「ひどかったですよ、ホールケーキを客席に投げ込んだりして。ぐっちゃぐちゃなんですよ」と、まるで昨日の出来事のように早口気味に話す。画面には、演者と観客たちが入り乱れる当時のライブの模様が映し出される。峯田は客席へ乗りこみ、イノマーは全裸だ。2020年では考えられないような密な光景である。

 オナニーマシーンのボーカリスト、イノマーは2019年12月に亡くなった。書籍『ドント・トラスト銀杏BOYZ』(2020年)のなかで江口豊マネージャーは、「峯田は何度もイノマーさんがいる病院にお見舞いに行き、なんとか持ち返さないかと思っていたようなのでショックは大きかったはずです。ただ、このことは改めて2人で話をすることはあまりないです。なんとなく言葉にしたくない事実というか」と記述している。

 このドキュメンタリーでも峯田は、イノマーのことを直接的には語っていない。ただ、クライマックスとなる渋谷のラブホテルの一室で、峯田は「アーメン・ザーメン・メリーチェイン」を弾き語る。言葉にしたくない事実だけど、音楽でならイノマーへの感情を口にできる。そして〈ぼくが生きるまで きみは死なないで〉という歌詞は、2020年の苦しみのなかにいる人々へのメッセージにも聴こえる。グッと見入るワンシーンである。

サンボマスター・山口、池松壮亮らが語る峯田の人間力

 『2020年の銀杏BOYZ』では峯田の記憶がいろいろ明かされていくが、過去の話に終始しない。『ねえみんな大好きだよ』同様、未来についても語られている(かなり気軽な感じだけど)。

 たとえば、峯田が占いタレントのゲッターズ飯田から「73歳までピークが続く」と占われ、一方の松本はゲッターズ飯田の弟子に「来年(2021年)、男性と出会いがある」と予言されたことを話し合うところ。峯田は松本に「もっと恋愛した方がいい。それ(恋愛)もいつか役に立ちそうじゃん、ネタや引き出し的に」とアドバイスする。恋愛をすることが、必ず何かに生かされるかどうかは分からない。でも、生きているうちは何でもやっておいていいんじゃないかということだ。

 みうらじゅん、田口トモロヲが峯田とのエピソードを証言するところもポイントだ。3人はブロンソンズという音楽ユニットを組んでいる。そして、「意味のないことをやらないと、これからの世の中は意味がないんじゃないか。無意味なことをやろう」と、発売予定のない曲のレコーディングを3人で実施したという。これもまた、彼らが自分たちのこの先の生き方について語った象徴的な場面となっている。

 このドキュメンタリーを見て改めて気づかされるのは、どんな過去があっても峯田は必死に生き抜いてきたことだ。自分以外のメンバーが全員脱退するなど苦しい時期もあった。それでも峯田はミュージシャンとして生き続けた。そんな彼の生命力と熱量の凄まじさは、山口隆(サンボマスター)、橋本愛、池松壮亮、田口トモロヲ、みうらじゅんの証言からも感じ取れる。

 峯田の人間力は、奏でる音楽にそのまま表れている。これは笑える場面なのだが、ラブホテルに入室した峯田と松本は「じゃんけんで負けた方が、勝った方の足の裏を嗅ぐ」という奇妙な勝負をする。提案者の峯田はじゃんけんに敗れ、松本の足裏を嗅ぐことになる。松本は「いいですよ」と言いながらも、何とも微妙な空気が流れる。

 でも「アーメン・ザーメン・メリーチェイン」を感動的に弾き語った後、次は松本が峯田の足裏を嗅ぐ流れになる。ただ松本には先ほどのような躊躇感はなく、ナチュラルに峯田の足裏に鼻を近づける。ヘンテコなシーンには変わりはないが(笑)、それでも峯田の人間的な魅力から成る音楽が、自然と松本にそうさせたのではないか。

 峯田はこれからもたくさんの記憶とともに生き、それを音楽として昇華させていくことだろう。人間臭くて、いくつになってもキラキラしている峯田の生き様に魅せられていきたい。

■田辺ユウキ
大阪を拠点に、情報誌&サイト編集者を経て2010年にライターとして独立。映画・映像評論を中心にテレビ、アイドル、書籍、スポーツなど地上から地下まで広く考察。バンタン大阪校の映像論講師も担当。Twitter

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