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川谷絵音が語るゲスの極み乙女。の新基準、そして音楽における想像力の重要性「音楽が言葉を、歌詞を最強にする」

リアルサウンド

20/5/2(土) 18:00

 ゲスの極み乙女。が5月1日にアルバム『ストリーミング、CD、レコード』を配信リリースした。同作は、前作『好きなら問わない』から約1年8カ月振り、バンドにとって5枚目のオリジナルアルバム。6月17日には、ワンマンライブ映像を付属した豪華盤(Type-A/B)やバンド初となるアナログ盤のほか、“バームクーヘン”を同封した「賞味期限付きアルバム」の発売も予定されている。

 タイトルからも読み取れる通り、今作を様々な形で楽しんでほしいというメッセージが込められている同作。川谷絵音が公式コメントで「ここから新しいゲスの極み乙女。が始まります」と宣言しているように、初期楽曲の賑やかさと近作の音楽的洗練をミックスした、新しいタイプの楽曲が並んでいる。

 今回リアルサウンドでは、フロントマンの川谷絵音にインタビュー。なぜ、このタイミングでバンドの方向性の変化を試みたのか。そして、 indigo la Endやジェニーハイをはじめ、個々のプロジェクトを横断する川谷絵音が考える、ゲスの極み乙女。特有の強さとは。今作の制作エピソードとあわせて、音楽家としての矜持、言葉やサウンドに対する信念を聞いた。(編集部)

・音楽がないと、僕は伝えるべき言葉を発信することができない

ーーゲスの極み乙女。は5月1日にアルバム『ストリーミング、CD、レコード』がまずデジタル配信開始されました。CDの代わりにバームクーヘンを入れた「賞味期限付きアルバム」など様々な形態でリリースされる本作ですが、今回、どうしてこのようなリリース形態になったのですか?

川谷絵音(以下、川谷):現在のコロナウイルスの影響とは関係なく、もともといわゆる通常盤CDを出さない計画だったんです。実際、海外ではすでに音楽ストリーミングが主流になっているけど、日本に関してはこういう事態に陥ったことによって、こぞってストリーミング配信やYouTubeなどの映像配信に力を入れるようになった。僕の場合は、常に新しいことをしていきたいという考え方が強いし、自分が正しいと思うことをひたすらやってきただけで。

 今回のアルバムリリースに関してミーティングをしていた時に、ストリーミング配信が主体にはなってきているけれどジャケットを手にとってじっくり歌詞を読みながら音楽を聴く体験は変わらずに求めている人もいるんだろうなと思って、CDの代わりに美味しいものを入れておいたら喜ばれるんじゃないかっていう話が出てバームクーヘンを入れて発売しようということになりました。

ーータイトルについてお聞きしましょうか。

川谷:タイトルは単純に、これまでゲスの極み乙女。は漢字とひらがなを使った日本語のアルバムタイトルだったので、このタイミングで変えたいな、と。日本語を駆使してキャッチーな言葉を作るのがゲスの在り方だと思っていたんですけど、それをやめたいという思いもありながら、ちゃんとゲス的な面白さもある。打ち合わせで発売形態の話をした時、「ストリーミング、CD、レコードで出そうか」みたいな発言が出て、これがタイトルでいいじゃんと思って決めました。でも、誰もタイトルと思わないですよね(笑)。

ーーたしかに(笑)。内容としては歌詞やサウンド面で様々なアップデートをしつつ、構成に一貫性があると感じます。

川谷:今回はアルバムを通して、歌詞の内容は一貫しているなと思っています。「人生の針」から「マルカ」まで、やりきれない感じがずっと漂っているような雰囲気があって。「ぶらっくパレード」でデビューしてから、他者との関わり方や社会に物申す感じであったり、そういう棘のあるバンドとしてこれまで活動してきたんですけど、今はその棘の使い方がだんたん変わってきたと思います。切なさの中に、棘の要素を落とし込めるようになったというか。これまでは「僕は芸能人じゃない」や「あなたには負けない」とか、わかりやすい言葉を詰め込むような曲があって、それがゲスらしいと思っていたけど、今はそういうやり方は美しくないと考えるようになって。

ーー今作では、メランコリックな音とアイロニカルな表現が同居していますよね。そんな中で、「問いかけはいつもためらうためにある・・・」では、川谷さんの今伝えたいことが端的に表現されている印象を受けました。“ためらう”という言葉に込めたものは。

川谷:特に今の時期はSNSに不満が溢れていると思うんですけど、ただ不満を見ていて良い気持ちになる人って少ないじゃないですか。不満を言うことが間違っているという意味ではなく、ただ不満を口にしたりSNSでそのまま発信することが美しくないと思った時期があって。そのときに作ったから歌詞にも、そういう一貫性が出たんだと思うんです。

 僕はもう、このタイミングでストレートな言葉や伝え方で気持ちを発信する気はあまりないというか、毎回発信する前に思いとどまるんです。やっぱり、言葉の持つ力って強すぎるんで。音楽がないと、僕は伝えるべき言葉を発信することができない。というか、だから僕は音楽をやっているんだということが、今回の作品を聴き直して改めて分かったんです。僕にとって音楽を作ることは、日記と似ているところがあって。音楽を通して自分はこういうことを感じていたのか、と整理ができる。実際、曲を作った時期はバラバラではあるんですけど、集中して形にしたのは年末年始の時期だったので、今の気持ちという解釈は間違いではないです。

ーー「音楽がないと、伝えるべき言葉を発信することができない」というのは興味深い視点ですね。言葉だけでは伝わらないものが、音楽を通して伝えることができる。

川谷:先ほど話したゲス特有の棘も、今の時代に合っていると思うけど、言葉だけでは届かない。今の時代、SNSを見ていても他者に対してすごく厳しくなっているけど、そこに正解はないと思うんです。個人の正解は、その個人の中にあるので。ただ、音楽でものを言うことに関しては、不思議と言葉の効力が薄れるんですよ。例えば、Twitterの140文字で伝えると、いろんな悪意の餌食になる可能性もあると思いますが、音楽がそうなることはほとんどありませんよね。音楽が言葉を、歌詞を最強にするんです。だからこそ、僕は音楽を作る人間なんで、今は音楽家としてあるべき姿、やるべきことをゆっくり考えていきたいと思っています。

ーー音楽が言葉を最強にする、というのは川谷さんならではの解釈ですね。音楽に乗った言葉、歌詞特有の力とはどんなものだと思いますか。

川谷:あくまで個人の意見ですが、僕はすべて説明書きしているようなものは、歌詞ではないと思っていて。人が想像する部分を残す、人によって受け取り方が変わるのが歌詞の魅力なんじゃないかなって。テキストにしてしまうと言葉の受け取り方は人それぞれ、という認識になりずらいし、自分が一番正しいと思い込む人も出てきてしまう。でも、歌詞に関しては作者が語らない限り、正解はいろんなところにあるんです。他の人と受け取り方が違っても、それを間違いだっていう人は少ないじゃないですか。

ーー音楽の歌詞は、解釈が万人に開かれていると。

川谷:ただの言葉と歌詞、何が違うんだろうと考えた時、ひとつは想像力だと思ったんです。僕も人のことはあまり言えないですけど、想像力の重要性はすごく感じていて。例えばネットで特定の人を中傷して逮捕者が出たり、何気ない一言が炎上する時代ですけど、それも発信者や受け取る側の想像力の欠如がひとつの要因で。それに対して音楽は想像力を前提として成り立っている。歌詞を含めて想像力を働かせて体験するものだからこそ、解釈は人それぞれ自由だし、そういう状況も起こりにくいのかなって思います。

・大衆音楽としても機能するアルバムになった

ーーサウンド面では、前作『好きなら問わない』はミディアムテンポの美しい曲が多い作品でしたが、今作はダンサブルで賑やかな楽曲が多いですね。初期の曲にも通じる要素があるようにも感じます。

川谷:一聴しただけで華やかさが伝わってくる、サウンドの派手さは意識しました。海外のスタジアムバンドが持つような音のダイナミズム。それが必要だと思いながら、ゲスの曲を作り続けているので。今振り返ると、『達磨林檎』(2017年)や『好きなら問わない』(2018年)は、そういう派手さを備えた曲がありつつも、根本的には心が閉じていたかもしれないなと思います。不思議なもんで、心が閉じてると曲も閉じたものになるんです。今回はバーンと外に開けた音楽を目指していたので、心も一緒に開いていくような感覚で作っていきました。いつも通り自分たちのやりたいことを詰め込めたし、それでいて大衆音楽としても機能するアルバムになったと思います。

ーー2017から2018年頃が閉じていた時期だとすると、川谷さんは当時どんな状態だったと振り返りますか。

川谷:過去2作は自分のエゴも強く反映されていたと思います。あえて、大衆性を抑えて作っていました。それまでの作品が大衆に寄り過ぎていたから、きっとその反動が大きかったんです。僕らが軽いものだと見られているように感じたというか。「私以外私じゃないの」のサビだけとか、「ロマンスがありあまる」の言葉だけが先行しちゃって、音楽的な部分には目を向けられなかったことが悔しくて。とにかく周りから“なめられたくない”という感情が先立ってしまって、音楽的な作品を作ることに重きを置いていました。……例えば、自分のやりたいことだけやっても大衆にはウケない、でも媚びてる音楽はダサい、みたいな意見があるじゃないですか。

ーーありますね。

川谷:僕は、そのどちらも正しくないと思っているんです。そもそも日本人には曖昧な表現が色々あって、僕はその“間(あいだ)”の表現が好きなんですよ。だからキャッチーさと自分たちのやりたいこと、それを混ぜ合わせたときにちょうどいい塩梅になるポイントを探りながら、今回は作っていきました。

ーー今作はまさに川谷さんのポップさとアート性が融合された作品だと思います。楽曲はものすごくキャッチーでありつつ、演奏やコーラスはきわめて洗練されていて。

川谷:サブスクにアップされた時、データが圧縮されても音のクオリティが下がらないようにしたいとは考えていました。とりあえずミッドの帯域に音を集めないようにして、今回はギターの音が邪魔になると思ったので、必要に駆られた時以外はいれないようにしています。あとは、メンバーが普段聴いているファンクやR&B、ブラックミュージックに近い音楽をやりたかったんです。だから音と音の隙間をいつもより空けたり、なるべく四つ打ちは使わないようにしたり……これまでの自分たちの作品との変化を出したかったので、特にビートは緻密に作っていきました。

ーーいつの時代のブラックミュージック、というようなイメージは。

川谷:どの時代、どういう曲っていう具体的な参照点はなくて。自分がこれまでに聴いてきた音楽のエッセンスが自然と反映されています。今は新しい音楽がサブスクで日々更新されていくし、それを常に聴いているので、具体的に何を聴いていたのかを問われても、正直思い出せないんです。良いのか悪いのか分からないですが、インプットしすぎていて。

ーーアルバムの中でも過去曲のタイトルが入っている「キラーボールをもう一度」が象徴的ですが、初期楽曲の躍動感と改めて向き合うような場面もありましたか。

川谷:「キラーボール」は、個人的に音がまったく気に入っていなかったんです。サブスク上にあるゲスの視聴ランキングの上位に常に入っているんですけど、ずっと録り直したかった一曲で。坂本真綾さんの曲(「ユーランゴブレット」「細やかに蓋をして」)を作っている時に、エンジニアの高須(寛光)さんと出会って、その時のサウンドがすごく良かったんですよ。そこから「キラーボール」を録り直したい欲が再び湧いてきて、どうせやるならリアレンジよりも別の曲にしちゃおうっていう。2020年に改めて、ゲスの極み乙女。はこういうバンドです、と提示したかったので、そういう意味でも「キラーボールをもう一度」は良いきっかけの曲になりました。

ーー創作活動を重ねていくうちに、音に対する感覚も変わっていくと、

川谷:色んな人に楽曲提供するようになってから、音のクオリティには敏感になったと思います。昔の作品を聴くと恥ずかしくなります。全部、ミックスもマスタリングもやり直したい。一般的なリスナーに対して音の良さを具体的には説明できないけど、なんかいい曲、なんかよくない曲という感覚的な指標にはなるし、音を良くすることにデメリットは一つもないので。

・人と関わり合って作品を作ることの重要性に気づいた

ーーこれまでのアルバムは、川谷さんが作品のプランをメンバーに共有して、そこから形にしていくスタイルでしたが、今作ではどうでしょうか。

川谷:今回もいつも通りですが、ドラムにはこだわりたかったので、最初からビートはガチガチに固めてから共有しました。いつもより緻密に土台となる音を重ねてから、後から上モノを作っていった感じですね。

ーーリズム部分も川谷さんが細かく組んでいったんですね。「人生の針」での弦楽器も印象的ですが、これらのアレンジはどんなプロセスで?

川谷:「人生の針」に関しては、最初は弦楽器なしの状態でミックスが終わったんです。でも、何か華々しさが足りないなと思っていた時に、現代音楽の方と話す機会があって。その方の話を聞いていたら、自分に足りないモノというか、永遠にたどり着けないであろう世界観の話をしていて、そこで自分の作品にも他の人の力を借りてみたいと思ったんです。これまでは、弦も全部ちゃんMARIと一緒にアレンジを考えていたんですけど、「人生の針」は(徳澤)青弦さんに弦のアレンジをすべてお願いしました。オーウェン・パレットのアルバムを参考音源として渡してはいたんですけど、自分じゃ思いつかないような仕上がりになって戻ってきて。そこで「人生の針」が完成した手応えがあったんです。実際にやってみて、人と関わり合って作品を作ることの重要性に気づきましたね。

ーー「人生の針」以外にも、これまでとは異なるタイプのコラボはありましたか。

川谷:今回はギターをあまり入れない変わりに弦と管楽器をたくさん入れて音の密度を高くしたんですけど、「キラーボールをもう一度」の管はライブでもサポートしてくれている永田こーせーさんに協力していただいて、イントロのフレーズも考えてもらいました。全部自分たちでやる美学、みたいなものを持っていたんですけど、そうじゃないんだなって。曲が良くなるなら、色んな人に助けてもらうことも大事だと痛感しましたね。

ーーそうした経験の蓄積がゲスの極み乙女。だけでなく、川谷さんの他のプロジェクトにも良い影響を与えているのではないでしょうか。川谷さんは様々なバンド、ソロプロジェクトを並行して進めていますが、その中で「これが今の自分の中心」というプロジェクトはありますか。

川谷:その時々によって変わりますね。もともと、indigo la Endでこう出したらゲスはこう出す、みたいなことを繰り返しながら、両方の音楽をアップデートしてきたので。外側から見たとき、2015から2016年くらいはゲスの音楽が僕の評価みたいな存在だったんですけど、今は中心が色々と動いている感覚があります。ジェニーハイを出したらそこが中心だし、indigo la Endも「夏夜のマジック」で知名度がぐっと上がったんで、今ではindigo la Endの川谷絵音という認識も強くなっている。3つ軸ができた状況でゲスの新作を出すことになって、改めて自分の何かと聞かれると、なんだろうな。改めて、やっぱりゲスはいいよねって思われる存在、ですかね。まぁ、この作品が出た後に変わるかもしれないですが。

ーーポップ性、大衆性という意味では、ジェニーハイでの経験も大きいのでは?

川谷:そうですね。ジェニーハイが始まってから、自分が思っていた大衆性の見方が変わってきたとは思います。やっぱり、大衆に一番近いところで活動している人たちと組んでいるバンドなので。正直、ジェニーハイに関しては、その瞬間に面白いものができればいいと思っていて。ゲスやindigo la Endでは絶対にやらないことでも、ジェニーハイではできる。僕が歌わないことも大きくて、他と比べて良い意味で力が抜けている状態で取り組めるんです。そもそもが小藪(一豊)さんの夢を叶えるプロジェクトだと思っているので(笑)。僕が別プロジェクトや楽曲提供でアップデートしている間に、他のメンバーも別の場所でアップデートしていて、その結果が今回のアルバムに表れているんじゃないかな。

ーー次はどういう活動を考えていますか。

川谷:ずっと曲を作っているんですよ、他のことに手が回らないくらい。特にindigo la Endと美的計画の曲をたくさん作っています。ジェニーハイはすでに曲はあって、レコーディングだけが残っている感じなので。中でも今年は美的計画を中心に進めていきたいと思っています。にしなさんも、謎女っていう子も曲を録ってもらっているし、今後は男性にも歌ってもらいたいなとも考えています。

ーーこれまでとは違う形で音楽を届けることも考えていますか?

川谷:そうですね……根本的にやることは変わらないと思っています。僕の場合は、とにかく曲をアウトプットしていくことが大事で。あとは、この状況だからこそできること。例えば、生配信だとどうしても音をないがしろにしてしまうので、元からお客さんを入れない前提で音や演出にこだわったライブ映像を作って、パッケージにして配信するとか。とはいえ、今はスタッフを含めて人が集まれない状況ではあるので、その先のことを考えていけたらと思っています。(取材=神谷弘一)

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