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樋口尚文 銀幕の個性派たち

渡哲也、仏も死神も召喚した儚さ

毎月連載

第56回

写真:日刊スポーツ/アフロ

人生はひょんなことから運命が激変する。青山学院大学の空手部の学生だった「渡瀬道彦」は、石原裕次郎や小林旭の日活アクション映画こそ観ていたが、夢は飛行機乗りになることであった。実際彼はパイロットは無理でも飛行機の整備士になれたらと某航空会社に就職を試みるも、あいにく叶わなかった。ところがちょうど日活が浅丘ルリ子主演の百本目の映画、蔵原惟繕監督『執炎』の相手役を公募していて(実際の作品では伊丹一三が演じた)、弟の「渡瀬恒彦」や空手部の仲間が本人には無断で「道彦」のことを応募してしまった。このいたずらに「道彦」は怒ったというが、石原裕次郎見たさに気軽に出かけた日活撮影所の食堂で、公募の審査とは関係なくいきなりスカウトされた。1964年の、東京オリンピックの年であった。

そんな「渡瀬道彦」は翌1965年、小杉勇監督『あばれ騎士道』で宍戸錠の弟役でデビュー、同年のやはり小杉監督『青春の裁き』では早くも主役に抜擢された。これが映画スタア「渡哲也」の誕生だった。渡は7歳年上の大スタア・石原裕次郎に挨拶に行った際の、あまりの紳士的な態度に感じ入り、後には不振の石原プロモーションの経営に加わって再建に貢献、裕次郎の早すぎる逝去の後も、終生その遺志を継いで活動を続けた。亡くなる少し前にはこの「石原軍団」も解散し、そのけじめのつけ方も見事だった。いま、渡哲也の死を悼む多くのファンにとっては、何よりこの渡の誠実実直なイメージがなじみ深いはずで、それこそが渡のカラーだと解している人も少なくないだろう。

だが、いったん映画から遠ざかって1976年以降の『大都会』シリーズ、1979年以降の『西部警察』シリーズと石原プロのテレビ映画の仕事に注力専念しはじめる以前の、デビューから十年目までの季節こそ、渡哲也の俳優としてのポテンシャルが最強に狂い咲いた時代だと思う。そしてその頃の渡の身上とする役柄は、誠実実直どころか破滅へ一直線のやさぐれたはみだし者ばかり、まさに天下の二枚目スタアならぬ「個性派」の極北だった。

その最も鮮烈な記憶の筆頭が、1968年の小澤啓一監督『大幹部 無頼』だろう。暗澹たる過去を捨てて生まれ変わろうとする藤川五郎を、裏街道の連中がまがまがしく引きずり戻す。ついに運命に殉ずる五郎は、ラストの下水道のドブ川で血と汚穢にまみれながらやくざどもとの壮絶な斬り合いになだれこむ(渡はなんと破傷風の予防注射をしてこの撮影にのぞんだそうだ)。そのほんの隣り合わせの陽のあたる場所では、清純な女子たちが快活にバレーボールに興じている。その両者のカットバックを通して、高度成長期の平和がまばゆい市民社会からはぐれてゆくアウトローの姿が痛覚とともに描かれる。その時、渡哲也の表情もしぐさのひとつひとつも、かけがえのない弾け方を見せる。

さらに70年代日本映画の異形の至宝として強烈な印象とともに記憶され続けるのが、1975年の深作欣二監督『仁義の墓場』。そもそもあの『仁義なき戦い』の主役・広能昌三の最初の候補は渡であったが健康を害して受けられず(主演の大河ドラマ『勝海舟』も体調不良で途中降板し松方弘樹にバトンタッチするなど、渡は病気によっていくつもの大役を逃した悲劇的な人でもある)、喝采を浴びた実録路線も終わりを迎えつつあった時に、季節はずれの凄まじい「戦後」の亡霊が現れた感じであった。

『無頼』シリーズと同じ藤田五郎の同名原作は、組織の掟に反逆し続けた伝説のやくざ・石川力夫の短くも壮絶な生涯を描いていたが、渡はこのやくざですら手に負えない究極の暴力性と破滅志向の権化のごとき男を圧倒的な迫力で演じきった。シャブと肺病に蝕まれ、文字通り死神の形相と化した渡が、自分のために心身を削って尽くしたあげく自殺した妻の遺骨をがりっがりっとかじる、あのまがまがしさ。戦後三十年を経て衣食満ち足りた時代に、のどかな市民社会が蓋をして忘れ去ろうとしている「戦後」の情念、怨念を今いちど焙り出した渡の熱演だった。

そして渡が石原プロのテレビ映画に専心してお茶の間のヒーローを以て任ずるようになる直前の、アウトロー俳優としての遍歴の掉尾を飾ったのが、翌1976年の深作欣二監督『やくざの墓場 くちなしの花』だ。不思議なタイトルだが『くちなしの花』はこれより3年も前にリリースされた渡のシングル曲だ。ひじょうにじわじわと有線などで売れ、最終的に90万枚の大ヒットとなって劇中でも幾度か使用されているが、このヒット曲が流れることが緩衝材となってほっとするくらいの、これまた異様な負のエネルギーが渦巻く作品だった。満州からの引き揚げ者である刑事の黒岩竜は、在日朝鮮人のやくざの幹部と親交を持ち、型破りな捜査を押し通すなど警察組織から危険視されていた。『仁義の墓場』の石川力夫の刑事版のごとき黒岩は、狂犬のような個人プレーのあげくにヘロイン漬けとなり、情念のおもむくままに銃弾を放ち、組織に抹殺される。

この『やくざの墓場 くちなしの花』で「戦後」の情念を不穏に全身から発散させた黒岩「竜」刑事と、同年スタートのテレビ映画『大都会』の寡黙で照れ屋で正義感の強い黒岩「頼介」刑事はまるで別人のようであり、これをもってきっぱりとけじめをつけたかのように、渡は破滅型のアウトローに扮することはなくなり、ひたすらヒロイックで部下もいたわる好感たっぷりのデカを引き受けて、敬愛する石原裕次郎の作品づくりに貢献してゆくことになる。

そして渡が銀幕に本格的に帰還するのは、二十年後の1996年、大森一樹監督『わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』からのことであるが、これ以降の渡が身上としたのはあの狂気ではなく、静謐な人生の横顔に透ける哀愁の味であった。だから、1997年の『誘拐』や2004年の『レディ・ジョーカー』での渡は、かつてのように堅牢な社会の理不尽に異議申し立てするアウトローを演じながらも、ひたすらに静かで哀しい。

人として信ずるものが社会のメカニズムによってないがしろにされてゆくことへの、秘めし怒りや痛覚を表現する時、俳優人生後半の渡は実に冴えた。この味わいをぞんぶんに活かしたのは、1998年の山田太一脚本のドラマ『風になれ鳥になれ』だった。かつて自衛隊のパイロットで、今は小さな倒産しかかっている会社でヘリの操縦士をやっている主人公の心のさざなみを描いた作品で、かつてパイロットを夢見た渡は実に機嫌よく丁寧に演じている。

渡の最後の映画作品は2006年の佐藤純彌監督『男たちの大和 YAMATO』だそうだが、晩年に最も印象深かった作品といえば1998年の澤井信一郎監督『時雨の記』ではなかろうか。20年もの間心に留めていた華道教授の吉永小百合と再会し、病魔に侵されて死期の迫るなか、少年のごとき純な思いをかたむける渡の演技は、その儚げなたたずまいがあの70年代のアナーキーな方角とは真反対に発揮されて、ひたすらに好ましく、哀しい。仏も死神も演じきった気骨の人に、合掌。

プロフィール

樋口 尚文(ひぐち・なおふみ)

1962年生まれ。映画評論家/映画監督。著書に『大島渚のすべて』『黒澤明の映画術』『実相寺昭雄 才気の伽藍』『グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代』『「砂の器」と「日本沈没」70年代日本の超大作映画』『ロマンポルノと実録やくざ映画』『「昭和」の子役 もうひとつの日本映画史』『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』『映画のキャッチコピー学』ほか。監督作に『インターミッション』。新作『葬式の名人』がDVD・配信リリース。

『葬式の名人』

『葬式の名人』
2019年9月20日公開 配給:ティ・ジョイ
監督:樋口尚文 原作:川端康成
脚本:大野裕之
出演:前田敦子/高良健吾/白洲迅/尾上寛之/中西美帆/奥野瑛太/佐藤都輝子/樋井明日香/中江有里/大島葉子/佐伯日菜子/阿比留照太/桂雀々/堀内正美/和泉ちぬ/福本清三/中島貞夫/栗塚旭/有馬稲子

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