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安室奈美恵、浜崎あゆみ、西野カナ……ティーンに支持されるアーティストの時流 安斉かれんブレイクから考える“歌姫の系譜”

リアルサウンド

20/8/2(日) 12:00

 新型コロナウイルスの影響で、音楽ライブやイベントのみならず、テレビ番組の収録が軒並み中止となった2020年上半期。私たちの生活から娯楽が奪われていた中で、あるドラマがSNSを賑わしていた。4月に放送がスタートし、今月頭に最終回を迎えたドラマ『M 愛すべき人がいて』(テレビ朝日×ABEMA共同制作)。2019年に発売された小松成美による浜崎あゆみのノンフィクション小説を原作とした本作は、最後まで世間の注目を集めて幕を閉じた。三浦翔平と共にダブル主演を務めたのは、新鋭・安斉かれん。彼女は歌手デビューからわずか一年で、浜崎あゆみをモデルにした主人公・アユ役に大抜擢された。このドラマがヒットしたのは、田中みな実や水野美紀らの怪演、昭和的な展開が新鮮だったことに加え、安斉が現在のティーンのみならず、あゆ世代ド真ん中の視聴者をも虜にする“歌姫の素質”を持っていたからだろう。

(関連:浜崎あゆみ「SEASONS」MV

 その時代ごとに現れ、音楽シーンを彩ってきた歌姫たち。昭和の時代も松田聖子、中森明菜らが流行に敏感なティーンの心を掴んできたが、“平成の歌姫”として君臨したのは、2018年に惜しまれつつも引退した安室奈美恵だった。彼女は沖縄アクターズスクールでの厳しいレッスンを受けた後、ダンスパフォーマンスグループ・SUPER MONKEY’Sのメンバーとなり、安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S名義でユーロビートのカバー曲「TRY ME ~私を信じて~」を発表。同曲は70万枚以上を売り上げ、グループはブレイクを果たした。同じ頃、TRFや華原朋美をプロデュースしていた小室哲哉に出会い、安室はソロアーティストとして改めてデビューし、1995年『太陽のSEASON』をリリース。すらりとした8頭身ボディに整った小さな顔、本格的なダンスに抜群の歌唱力……当時の空気をリアルタイムで体感していない筆者もその頃の映像を見れば、いかに彼女が鮮烈なデビューを飾ったのかがわかる。90年代に入ると安室は瞬く間に時代を象徴するアイコンとなり、彼女の細眉やミニスカート、厚底ブーツを真似した“アムラー”と呼ばれる女性が急増した。

 彼女に続いて、女子高生のカリスマ的存在になったのが浜崎あゆみだといえるだろう。10代前半は女優活動を行なっていた彼女は、松浦の誘いをきっかけにエイベックス所属アーティストの仲間入りを果たす。その辺りのエピソードは、“事実に基づくフィクション”とはいえ、『M 愛すべき人がいて』の中でも忠実に描かれていた。当時の彼女を知らない人にとっては意外かもしれないが、あゆは一足先にブレイクしていた華原朋美と比較されることが多く、バッシングを受けることも多かったという。そんな逆光にも負けず、1stアルバム『A Song for ××』でオリコン1位を獲得。90年代後半から00年代前半にかけて、あゆは渋谷を中心とする“ギャル文化”を牽引した。テレビで二人のステージを目にしていたティーンは、彼女たちの存在がそれは輝かしいものに見えたに違いない。それでなくとも当時は、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件で、重苦しい空気が世間を纏っていた時代。ギャル文化を象徴する渋谷でも、援助交際やおやじ狩りが頻発していた。若者が安室やあゆの服装やメイクを真似していたのも、もしかしたら彼女たちが持つ輝きを何とか手繰り寄せようとしていたのかもしれない。

 どんなになりたくてもなれない存在――そんなカリスマとして活躍していた安室と浜崎だが、当時歌っていた曲は若者の気持ちに寄り添っていた。例えば、安室の人気曲「SWEET 19 BLUES」。〈あの子やあいつ/それよりかっこよくなきゃいけない〉という歌詞には“特別になりたい”という10代特有の焦燥が見え隠れするし、〈だけど私もほんとはすごくないから〉はティーンの憧れだった安室自身を象徴しているようにも思える。あゆが作詞し、ミリオンセラーを突破した「SEASONS」に描かれた〈今日がとても悲しくて/明日もしも泣いていても/そんな日々もあったねと/笑える日が来るだろう〉というフレーズからは、諦念とともに自分を客観視し、前を向こうとする若者の姿がそこにはある。実際、二人もまた私生活における問題、世間からのバッシングなど、その人生は波乱に満ちていた。ティーンは二人を手の届かない存在として崇拝しながらも、歌姫であろうとし続けた彼女たちの姿に勇気をもらっていたのではないか。あゆの自伝的小説がヒットしたのも、想像でしかなかった当時の想いが時を経て明らかとなり、誰もが自分自身の10代を懐古したからだろう。

 そして、00年代後半になると、今度は西野カナや加藤ミリヤが“新世代歌姫”として注目されるようになる。様々な要因が考えられるが、その一つにはケータイの急激な浸透が関係しているのではないだろうか。ケータイを手にしたティーンは、「mixi」をはじめとするSNSやブログを通じて情報を仕入れるようになった。テレビで特集されるような分かりやすく流行っているものに限らず、世界中の個性的な仲間からあらゆる情報が手に入るため、一見タイプの違う西野と加藤が同時期にティーンから支持を受けたともいえる。しかし何より、二人がティーンのカリスマになり得た理由は、ケータイ文化を取り入れたリアルな恋心を描いた歌詞が若者の心を捉えたからだろう。西野カナの「会いたくて 会いたくて」や加藤ミリアの「SAYONARA ベイベー」などは、失恋ソングブームの火付け役になった。〈もう一度聴かせて嘘でも/あの日のように“好きだよ”って…〉〈SAYONARAベイベー すごくツライ〉。二人の歌詞は、実際に意中の相手や恋人に語りかけるような言葉、そして携帯小説やブログにティーンが自分の思いを吐露する文字に近いからこそ、自分の辛い気持ちを代弁してくれるような西野や加藤の楽曲に惹かれたのかもしれない。

 さらに現代に近づくと、ティーンが好む音楽のジャンルはより細分化され、誰かと好きなものを共有するのではなく、自分のキャラクター性や生き方に合ったものをセレクトする“個”の時代に突入する。もちろんその時々で“バズる”曲はあるものの、ものすごい勢いで消費されていく時代だ。ライブに足を運ばなくても、スマホの画面でいつでも好きなアーティストの歌やパフォーマンスを堪能できる。スマホの誕生により、画面の向こうにいる誰かの私生活や思考にアクセスできるようにもなった。これまで手の届かない存在だったアーティストは、良くも悪くも身近な存在になったと言えるだろう。さらに、芸能界への入り口も変化し、TikTokやInstagramを通じてそれまで普通のティーンだった子がブレイクすることも。そんな時代の中で、あゆと同様に松浦の手で育てられ、ポストミレニアルギャル=次世代ギャルとして頭角を現した安斉かれんは稀有な存在だ。その美しさからドラマ出演前は、CG説も出るほど。謎めいた存在としてデビューしたことや、「世界の全て敵に感じて孤独さえ愛していた」で描く劣等感を乗り越えようとする強気な歌詞。一方で、バラエティで惜しみなく視聴者に素顔を見せる“親しみやすさ”。それらすべてが安室奈美恵、浜崎あゆみ、加藤ミリヤ、西野カナが紡いできた歌姫の系譜を思わせる。

 令和に突入し、長い間ポストが空いている歌姫の座に名乗り出た安斉かれん。ドラマを通じて、あゆからバトンを受け取った彼女はティーンを巻き込んで“令和の歌姫”と呼ばれる存在となっていくのか。何かと話題が尽きない彼女の存在から目が離せない。

※記事掲載時、一部内容に誤りがございました。訂正してお詫び申し上げます。
(苫とり子)

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