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アーティストの音楽履歴書 第27回 mabanuaのルーツをたどる

ナタリー

20/9/19(土) 19:00

mabanuaの音楽履歴書。

アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。今回はOvallのメンバーであり、さまざまなアーティストのプロデュースも手がけるmabanuaに音楽的なルーツを聞いたほか、自身に影響を与えた楽曲で構成されたプレイリストを作成してもらった。

取材 ・文 / 大谷隆之

寝ても覚めてもミスチルとビートルズ

小さい頃は物作りが好きな子供でした。友達はみんなマンガやゲームに夢中だったけど、僕はどちらかというと図画工作。日本史に興味があったので、ダンボールで織田信長の甲冑をこしらえて喜んでいたのを覚えています。信長の兜って、ほかの戦国武将とは違って、西洋の鎧のデザインが入っていたりしてカッコいいんですよ。そういうディテールの構造みたいなのを研究するのが、小学生なりに楽しかったんでしょうね。屋外で遊ぶときは、定番だけど友達と秘密基地を作っていました。

実は昨年、群馬県の桐生という場所にプライベートスタジオを構えたんです。もちろん、ミュージシャンとして人前で演奏するのも好きだけど、今は正直、自分の空間にこもってアレンジを延々と模索したり、トラックを作り込んだりする時間が一番楽しい。そういう部分は、小学生の頃から変わっていないのかもしれません(笑)。

両親もわりあい音楽好きで、家にはいろいろなジャンルのレコードやCDが置いてありました。自分のお小遣いで最初に買ったのは、FIELD OF VIEWの「突然」。ジャケットが縦に長い8cmシングルCDです。父が織田哲郎さんの曲をよく聴いていたので、たぶんその流れで出会ったんじゃないかな。ただ、本格的に音楽にのめり込んだのはもう少しあとで、小学6年生のとき、ほぼ同時にMr.ChildrenとThe Beatlesを聴き始めたんです。それから数年は寝ても覚めても2つのバンドを聴きまくっていた。カバーも散々したし、僕にとっては完全に原点ですね。

ミスチルは、シングル曲でいうと「名もなき詩」とか「花 -Memento-Mori-」。アルバムだと「深海」がリアルタイムの入り口です。当時J-POPチャートの主流だったアッパーなサウンドとは全然違う、ヘビーな音色に衝撃を受けました。「虜」という曲のドラムなんて、今聴いても響きが深くてカッコいい。リズムもジャストではなくイイ感じでヨレていて、すごいなと思います。あとで知ったんですが、このアルバムはニューヨークでアナログレコーディングされているんですね。だから質感が洋楽っぽい。桜井和寿さんの歌もこの時期はわりとしゃがれ気味というかブルージーで、そこもまた好きでした。

ビートルズで初めて聴いた曲は確か「I Feel Fine」だったと思います。“ビャーーン”という歪んだギターの音で始まる、有名なイントロがあるじゃないですか。最初はあそこでがっかりしちゃったんです(笑)。というのも、周囲の大人たちがみんな「ビートルズこそ世界最高のバンド」と話していたので、頭の中で勝手に前知識だけが膨らんで、リズムもピッチも完璧な超テクニカルな音楽を思い描いていたんですね。なので、あのシンプルな音を聴いて「あれ? なんかショボいぞ」って拍子抜けしてしまった(笑)。でも、聴き込むうちにどんどん好きになっていきました。テクニカルであることが、必ずしもクリエイティブとは限らない。そういう大事なことも、ビートルズを通じて体感的に学んだ気がします。

2つのバンドを同時並行で聴き込むことで、自分なりに共通点も見えてきました。まず、どちらもメロディが素晴らしい。音楽性は異なっても同じ4人編成で、少ない音数で実験的なサウンドを模索しているところも似ています。初めは漠然と「ミスチルの曲って、どこかビートルズと似た匂いがするな」と感じながら聴いていましたが、いろんな本や雑誌を読むと、桜井さん自身ビートルズから多大な影響を受けていることもわかってきた。そういう時代を超えたつながりも、僕にとっては新鮮な発見でした。好きなアーティストのルーツをさらに掘り下げる聴き方は、たぶんここから始まったんじゃないかなと。

音楽室でお行儀よくギターを抱えていた14歳の頃

初めてドラムに興味を抱いたのも、たぶんこの時期です。初期ビートルズのライブ映像を観ると、リンゴ・スターがスネアを叩いているのに横にあるハイハットシンバルがずっと上下に動いている。もちろん足元にペダルがあるわけだけど、当時はそんな知識もないので「爪先で上げてるのかな」と想像したり……やっぱり構造に興味が向いちゃうんですね(笑)。やがてハイハットが閉じたり開いたりするたびに、シンバルの鳴り方が変わることにも気が付いて。面白いな、自分でもドラムを叩いてみたいと思うようになりました。

ただ、最初に買ってもらった楽器はドラムではなくてアコースティックギターなんです。これも小学校6年のときかな。親戚のおじさんが新大久保のクロサワ楽器で買ってくれました。「Sigma by Martin」というマーティンの廉価版ブランド。今もスタジオに置いてありますよ。すぐにミスチルとビートルズのバンドスコアを買ってきて、コピーに明け暮れていました。あとは、ギターでオリジナル曲を作って文化祭で歌ったりしていましたね。僕が在籍していたのは中高一貫の進学校で、軽音楽部がなかった。なので、文化祭くらいしか発表の場がなかったんですね。音楽室でお行儀よくギターを抱えている写真が残っていますが、いったいどういう曲だったのか全然思い出せない(笑)。これが14歳ですかね。

中学の後半になって、初めて友達とバンドを組みました。地元の北浦和に「スタジオ・ステーション」というリハスタがあって。学内では活動できないので、基本そこに通ってましたね。一番よくカバーしたのはOasisの曲です。“オエイシス”って呼ばないと友達に怒られたんですけど(笑)。アレンジはシンプルだしメロディもわかりやすいので、これなら自分たちにもできそうだなと。あと、当時「AIR JAM」がものすごく盛り上がっていて、その影響でHi-STANDARDもよく練習しました。この頃はまだ、担当楽器はギターです。ただ、練習の合間にスタジオ備え付けのドラムで遊んでいた流れで、そのまま「ドラムやって」と言われることも多かった。ボーカルやギターに比べるとやる人が少ないので、どうしてもそうなっちゃうんですよね。

Rage Against the Machineを介して触れたブラックミュージック

この時期、ミスチルとビートルズの2本柱に加えて、Led Zeppelinを聴くようになりました。最初は「Black Dog」だったと思うんですけど、ジミー・ペイジの弾くギターリフが音の塊になって「ドーン」と迫ってくる感じが衝撃だった。あとはやっぱり、ジョン・ボーナムのドラムの音圧ですね。不思議だったのは、ライブ映像なんかだと、けっこう軽いタッチで叩いているように見えるんですね。でもバンドのすさまじいグルーヴは、明らかにジョン・ボーナムのドラムが引っ張っている。どんな叩き方をすればああいう底鳴りのする音が出せるのか、いろいろ試してみたのを覚えています。

Rage Against the Machineに出会ったのは、そのちょっとあとだったかなあ……実はこの時期、高校を移ったんです。通っていたのは中高一貫の進学校でしたが、“大学受験まっしぐら”的な雰囲気にどうしてもなじめなくて。1年の途中で通信制の高校に編入しました。そこで念願の軽音楽部に入ったら、親が南米出身の先輩がいて。その人がレイジの大ファンだった。ボーカルのザック・デ・ラ・ロッチャもチカーノ(メキシコ系アメリカ人)なので、同じスペイン語の文化圏でシンパシーが強かったんでしょうね。アルバムでいうと、3枚目の「The Battle Of Los Angeles」が出た頃。ハードロック的なギターと生ドラムの上にラップが乗った、いわゆるミクスチャーサウンドが新鮮で。それまで聴いていたLed Zeppelin、Oasis、Hi-STANDARDなどのサウンドが、自分の中で1つに統合された感覚がありました。

ブラックミュージックとの架け橋になってくれたという意味でも、レイジの存在は大きかった。例えば「Renegades」というカバー集に収録されていた「How I Could Just Kill a Man」。オリジナルはCypress Hillというヒップホップグループのヒット曲ですが、僕は元曲は知らず、単純にカッコいいと思って好きになりました。そこから元ネタを掘っていくことで、自然と新しいヒップホップやR&Bに接近していった感じですね。ちなみにレイジにハマっていたこの頃、Limp Bizkitも好きでよく聴いていました。政治的なレイジに対して、リンプはかなり内省的。普通は対極だと思われがちだけど、僕にとってはこれも原点の1つ。特にジョン・オットーのヘビーなドラムが大好きで……どうすればああいったサウンドが作れるのか、ミックスの仕方についてあれこれ考えるきっかけにもなっています。

音楽の道を志した思春期の頃

本気で音楽の道を志したのも大体この前後です。両親にははっきり「バンドで生きていく」と宣言して。通信制の高校に切り替えたのも、昼間の練習時間を確保する意味が大きかった。親は「じゃあ、とりあえずがんばってみなさい」と認めてくれたんですが、実はうちの親族は全員理系で、けっこう堅いんですね。実際、何度かお爺ちゃんに呼び出されてお説教されたりして。帰り道、爆音でレイジを聴きながら、ささくれた気分で歩いたりしました(笑)。そうやって、周囲との軋轢で荒れ気味だったのが、17歳くらい。

当時は漠然と、スタジオミュージシャンのドラマーになれればいいなと考えていました。ただ親に聞いてみると、けっこうトンチンカンなことも言っていたらしくて……よく覚えてないんですが、「シンガーソングライターになる」と公言していた時期もあったみたいですね。確かにギターを抱えて、地下道で歌ったりしていました(笑)。ちょうどその頃、初めてエリオット・スミスを知ったんです。「XO」というアルバムが大好きになって。難しくてちゃんとコピーはできなかったけれど、歌とギターだけが織り成す完璧な世界に憧れを抱きました。周囲にはあまりエリオット・スミスを聴いている人はいなかったけれど、自分には響くものがあった。ずっと大好きな1枚です。

通信制高校の軽音楽部ではドラムとギター以外にも、キーボード、ベースなどすべての楽器を担当しました。高校2、3年になると、興味の対象がロックからどんどんブラックミュージック寄りになっていった。自分はバンドマンから始まっているので、最初はArrested Developmentなど、ラップと生バンドが融合したスタイルのものをよく聴いてましたね。ちょうどその頃、ソウルミュージックにジャズ、ヒップホップ、テクノなどの要素を採り入れたネオソウル系のアーティストも台頭していて。中でも大きかったのが、エリカ・バドゥとの出会いです。軽音楽部に彼女に詳しい女の子がいて、「ライブ盤がすごくいいよ」と薦められて聴いて、ソリッドだけどタメの利いたビートに思いきりハマりました。

The Rootsを聴いたのはその少しあとだったかな。これもやっぱり生バンド系のヒップホップですね。リーダーのクエストラブは、僕がもっとも好きで影響も受けたドラマーの1人。サンプリングのループっぽいビートを生ドラムで再現するプレイスタイルも斬新でしたし。The Roots以外にもさまざまなプロジェクトをディレクションし、ヒップホップ業界全体のトレンドを作り出している彼のあり方が衝撃でした。で、The Roots関連の音源を掘り下げていく過程で今度はThe SoulquariansとかJ・ディラという名前に出会った。

J・ディラはおそらく、現在のヒップホップシーンにもっとも決定的な影響を遺したトラックメーカー、プロデューサーですよね。A Tribe Called Questを筆頭に、ディアンジェロ、エリカ・バドゥ、コモンなどの歴史的な作品に深く関わっている。当時、カッコいいと思ったアルバムのクレジットを見ると、大体この人の名前が入っていたんですね。彼を通じて、自分の中でいろんなものがつながっていきました。J・ディラの作り出すビートって、どれも微妙にヨレてるというか。独特のズレだったり揺らぎの感覚があるんですよ。それがめちゃくちゃ気持ちいい。2006年に若くして亡くなっちゃうんですけど、ヒップホップやR&Bだけでなくジャズとかエレクトロニカ系の人たちにもすごく影響を与えています。僕自身、いろんな音源を聴き漁って研究しました。正直、本人はあまり理論的な人ではなかったと思う。ビートの揺れという共通項はあっても、感覚で作っているから曲ごとにぜんぶヨレ方が違いますし。実はそんなにヨレてない曲も少なくない。そういう微妙なタイミングの違いを、何度も叩いてコピーすることで体に染み込ませていきました。その意味でもJ・ディラの存在はとても大きかった。この時期の試行錯誤は、間違いなく僕のプレイスタイルのベースになったと思います。

「ようやく自分の居場所が見付かった」Ovallメンバーとの出会い

高校卒業後は音楽の専門学校に進みました。そこで初めてスタンダードなジャズの叩き方を学んだんです。ジャズドラムってロックに比べると自由度が高いというか、1つの曲に対してもいろんなアプローチが可能なので、楽器に対する視野がすごく広がりました。それもあっていわゆる4ビートのジャズより少し外れた系統に惹かれていた気がします。例えばブライアン・ブレイドがドラマーを務めたウェイン・ショーターのアコースティックカルテットとか。あるいは、ドラムにジェフ・バラード、ベースにはアヴィシャイ・コーエンを起用したチック・コリアのトリオとかよく聴いていました。

そうやって集中的にドラムの研鑽も積みつつ、本当にやりたかったのは自分の好きなブラックミュージックの要素を採り入れた音楽だったんです。それでインターネットでメンバーを募ったり、ライブハウスのセッションイベントに顔を出したり、いろんなことを試しました。でもあまりうまくいかなかった。マーヴィン・ゲイみたいな正統派のソウルとか、ファンクが好きな人が集まる場所はあったんだけど、僕みたいにJ・ディラ的なビートをバンドで再現したい人は少数派というか、なかなか見つからなかったんですね。

例外だったのが当時、池袋の北口商店街の先にあった「マイルスカフェ」というジャズ系のクラブでした。この小バコには、それこそエリカ・バドゥやディアンジェロなど新しいブラックミュージックが好きなミュージシャンがたむろしていた。そこに客として通い、セッションに参加する中で知り合ったのがOvallのメンバーであるShingo Suzukiと関口シンゴ。2005年、21歳のときですね。とにかくうれしかった。ようやく自分の居場所が見つかったという感覚がありました。たぶん2人も同じだったんじゃないかな(笑)。翌年にはShingo Suzukiの紹介でレーベルを立ち上げたばかりの対馬(芳昭)と出会い、「origami PRODUCTIONS」に参加して、現在に至っています。

ドラマーmabanuaの究極の目標

プロの音楽家になって、バンド活動のほかにも自分のソロアルバムを作ったり、さまざまなアーティストのサポート演奏やプロデュースも手がけるようになりました。映画音楽からアイドルまで、仕事で接する音楽の幅も以前よりずっと広くなっています。ミスチルとビートルズからミクスチャーロックに行って、そこからヒップホップやネオソウルが好きになり、スタンダードなジャズのドラムもけっこう真剣に勉強した。今振り返って感じるのは、僕はやっぱりジャンルに特定されない音楽が好きなんですね。

例えば、バックトラックは完全にヒップホップなんだけど、フォーキーな歌が乗っているとか。異なる要素がシームレスに混じり合っている表現に惹かれる。近年だと、共演もしたトロ・イ・モアなんかがまさにそうですね。彼の曲にはヒップホップ、ブラックミュージック、インディーポップなどいろいろな要素があるけど、そのどれにも特定されない。楽曲も活動も、アーティストとしてのあり方もボーダレスで、一時期は取り憑かれたように聴いていました。ごく最近はニック・ハキムとかスティル・ウージーなんかがお気に入りですが、彼らの音楽もやっぱり、アナログっぽい質感とデジタル的な手法が違和感なく同居している。ちなみに映画で例えると、ニコラス・ウィンディング・レフン監督の「ドライヴ」とか、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「ブレードランナー 2049」みたいなイメージかな(笑)。スタンダードな構成にあえて異質な要素を混ぜた作りとか、未来感とレトロっぽさの境界が曖昧だったりするところが自分の好きな質感に近いなと感じます。

でもそれって、いろんなものをコピーして混ぜ合わせればできるわけじゃない。誰かの影響を受けることはもちろん重要ですが、そのスタイルを採り入れつつ消化して、自分の表現としてアウトプットすることがやっぱり大事だと思うんです。クエストラブもJ・ディラも、ビートルズもツェッペリンもきっと、そうやって先人の養分を吸収しながら革新的な作品を生み出してきた。

それには結局、地道な練習と研究こそが大事だと思うんです。よくYouTubeにアップされている、5秒で人目を引く派手なドラムテクニックとかじゃなく、8ビートのリズムを延々コピーしたり、スネアドラムのチューニングをボルト半回転分だけ回して目指す音に近付けたりね。それこそ図画工作に似た工夫の積み重ねが、一発聴いただけでその人だとわかるオリジナリティにつながっていく気がする。プライベートスタジオでじっくり楽器と向き合う時間が増えて、ますますそう感じるようになりました。スネアの音を1つだけでも「あ、この曲のドラムってmabanuaじゃない?」と言ってもらえるドラマー。目先のテクニックではなく、究極の目標は常にそこにあるんです。

mabanua

ドラマー、プロデューサー、シンガー。ブラックミュージックのフィルターを通しながらもジャンルに捉われないアプローチですべての楽器を自ら演奏し、国内外のアーティストとコラボして作り上げたアルバム「Blurred」が各国で話題を集める。Chara、Gotch(ASIAN KUNG-FU GENERATION)、米津玄師、矢野顕子、ゆず、くるり、RHYMESTER、藤原さくらなどのプロデューサー、ドラマー、リミキサーとして100曲以上の楽曲を手がけながらCM楽曲や映画、ドラマ、アニメの劇伴も担当。またトロ・イ・モワ、チェット・フェイカー、マッドリブ、サンダーキャットなど海外アーティストとも多数共演している。Shingo Suzuki、関口シンゴとのバンド Ovallのメンバーとしても活動中。

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