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チケットぴあとエンタメファンが歩んだ37年間

ナタリー

1984年、チケットぴあ開始を発表した記者会見の様子。(写真提供:ぴあ株式会社)

チケットぴあの店舗「ぴあステーション」「チケットぴあスポット」の運営が、2021年6月30日をもって終了する──(参照:チケットぴあ全店舗が6月で運営終了、ネット販売主流で「その役目を十分に果たした」)。このニュースが報じられると、SNSでは「昔は並びに行ったなあ」「1986年に洋楽アーティストのチケットを取るために徹夜して並んだのを思い出しました」「時代の流れとはいえ寂しい」という声が数多く上がった。現在はECサイト版チケットぴあをはじめ、インターネットでのチケット販売が大半であることに加え、電子チケットも徐々に普及。ぴあ店舗での販売シェアはごくわずかとあって、「その役目を十分に果たしたものと判断しました」(ぴあ株式会社のプレスリリースより)というコメントも納得できる。とはいえ、1980年代半ばから1990年代にかけて、多くのエンタメファンが利用したチケットぴあ店舗の運営終了が、チケット販売サービスの大きな節目であることは間違いないだろう。

チケットビジネスの草分け的存在である、チケットぴあ。この記事ではぴあ株式会社の小林覚氏(取締役 / 社長室長 / 広報・IR担当 / ぴあ総合研究所取締役論説委員)の証言をもとに、チケットぴあの歴史と日本のエンタメにもたらした功績を紐解いてみたい。

取材・文 / 森朋之

チケットビジネスを一変させた「チケットぴあ」

1984年に始まったチケットぴあ。誰もが簡単に公演情報にアクセスでき、チケットを手に入れることができるというこのサービスの源流は、1972年に創刊された雑誌「ぴあ」だ。中央大学の学生だった矢内廣を中心に立ち上げられた「ぴあ」は、映画、演劇、コンサートなどの公演情報を掲載した、情報誌の先駆け的な存在。「いつ、どこで、誰が、何をやるか」という客観的な情報を幅広く扱う編集方針は、当時の若者のニーズと合致し、瞬く間に支持された。

「『ぴあ』創刊以前、映画やコンサートなどの公演情報は新聞やテレビが中心。広告費がないと情報が出せないので、小規模の公演などはチラシや口コミしかない状況でした。そういう時代に、映画研究会の大学生が、公演情報を細かく集め、1冊100円で売ったのが“ぴあ”のスタートです。つまり人々が求めているものを形にしたわけですが、そのスタンスが現在のぴあにも受け継がれています」

エンタメを求めている人々の要望に応じ、それに見合ったサービスを提供する。国内初のチケット流通サービス「チケットぴあ」もまた、このスタンスから生まれた。1980年代以前のチケット販売の方法は、極めて非効率的だった。演劇、コンサートなどの興行主やプロモーターが、プレイガイド(チケット販売店舗)にチケットを預ける。プレイガイド同士の連携はまったく取れておらず、例えば「渋谷の赤木屋では売り切れてたけど、銀座の店には残っている」「劇場窓口では買えなかったけど、新宿のプレイガイドで買えた」ということがいくらでもあった。この非効率で不公平感のある売り方を一変させたのが、公演情報、チケット販売をネットワークでつなげ、予約販売できる「チケットぴあ」のシステムだったのだ。

「『いつ、どこで、誰が、何をやるのか』の情報に席番を加えて紙に印刷すれば、チケットになるという発想ですね。予約システムに使われたのは、電話回線。つながった人から先着順で予約できるので、例えば北海道の人が東京で行われる公演チケットを購入することもできる。それまでの販売方法と比べると、とても公平な仕組みですよね。チケットぴあの店舗は、予約したチケットの受け取り場所として設置されました。要はプリンターの置き場所が必要だったのです」

大規模コンサートの増加で高まった需要

チケットぴあのプレスタートは、1983年10月の劇団四季「キャッツ」のロングラン公演のチケット販売。3日半で10万枚のチケットを売り切ったことで業界内で注目され、翌年4月の本格スタートと同時に、数多くの公演チケットを扱った。

「チケットぴあの店舗は、大型書店、レコードショップなどにも置かれました。それまでのチケットはデザイン性の高いものが多かったので、(定形の紙に公演情報が印刷されたチケットは)味気なくなったという声もありましたが、お客様にはとても好評。この成功も『エンタメをもっと見たい』という皆さんのニーズに応えた結果だと思います」

サービス開始から数年後には、「人気チケットの発売日に電話をかけまくる」「チケットぴあ店舗に並ぶ」という光景が当たり前になった。それをさらに加速させたのが、ドームやスタジアムでの大型コンサート。1988年3月に東京ドームが開業し、ミック・ジャガー(1988年3月)、BOØWY(1988年4月)、マイケル・ジャクソン(1988年12月)、U2(1989年11月~12月)、The Rolling Stones(1990年2月)、ポール・マッカートニー(1990年3月)といった国内外のビッグアーティストがコンサートを行ったのだ。一度に数十万枚のチケットが販売される大規模なコンサートが次々に開催され、チケットぴあのニーズはさらに高まった。

「ストーンズは“東京ドーム10公演”でしたから、50万枚のチケットが流通した。それを捌けるのは当時、チケットぴあだけでした。ドーム公演は、興行主やプロモーターにとって非常に大きなビジネス。チケットを売るほうにも買うほうにも便利なチケットぴあのシステムは、時代の波に完全に乗りました。一方で、人気チケットの争奪戦も過熱。私も当時はチケット販売の部署にいましたが、チケットが取れなかったファンの方に詰め寄られることもしばしば(笑)。徹夜で並ぶ方も増えましたし、ダフ行為の防止のためにも人気公演のチケットに関しては、“特電”と呼ばれる電話のみの予約になりました」

「人気のコンサートのチケットを取るために、朝10時から電話をかけ続けた」「公衆電話のほうがつながりやすいと聞き、10円玉を握りしめて電話した」という経験を持つ方も多いはず。BOØWYの「LAST GIGS」、The Rolling Stonesの初来日の際は「電話がパンク」と報じられたが、実際は“パンク”ではなく、あらかじめNTT側で使用できる電話回線の数を絞っていたため、つながりづらい状況になっていたのだとか。

「NTTとしては、大量の予約電話が殺到し、ぴあ本社と同区域になるほかの電話が使えなくなるのが一番困る。なので電話回線を絞っていたのですが、人気公演の予約が始まる前日には、ご担当者と『あまり絞らないでくださいよ』という話もしていました。先方も公演情報をよくご存じで、『明日はBOØWYですよね?』と言われたこともありました(笑)。今だから話せる裏話ですけどね」

店舗販売・電話予約からインターネットへ

さらに1998年、ぴあはファミリーマートと業務提携。これをきっかけに、コンビニでチケットを発券するというスタイルが一般化していく。1980年代後半からコンビニ各チェーンは、電気、ガスなどの公共料金の支払いサービスを開始。さらに携帯電話料金、保険の加入手続きや料金支払い、ATMの設置など、さまざまな代行サービスを担うようになった。“コンビニでチケット発券”も利用者のニーズに合わせた必然だったと同時に、すでにこの時期からチケットぴあ店舗の役割は変化しつつあったと言っていいだろう。1984年に50店舗からスタートしたチケットぴあ店舗は、1999年には611店舗まで増加。このタイミングでぴあは、Webサイト「@チケットぴあ」を開設。電話予約・店舗での販売から、インターネットによる予約へと大きく舵を切った。

「人気アーティストの数が増え、イベントが巨大化したことで、電話予約や店頭販売による先着順が時代に合わなくなってきたんです。インターネット予約であれば、一定期間に申し込んでいただき、抽選でチケットを売ることもできるので公平感が高い。早い者勝ちではなくなったことが一番の利点でしょうね」

“チケットぴあ店舗の運営終了”の理由

ぴあ株式会社は2003年に東京証券取引所の第一部に上場。1990年代後半からデジタルネットワークの構築に取り組んできたぴあは、上場をきっかけに、チケットサービス、情報サービスのIT化をさらに推し進めた。その大きな柱の1つが、電子チケットの導入だ。

「電子チケットのシステム構築の開発資金を得ることが、上場の目的でもありました。1997年10月にエンタテインメント情報サイト『@ぴあ』を立ち上げて情報誌としての『ぴあ』を必要としない状況を作るために動いていましたが、電子チケットの導入によって、それがさらに加速したと思います。チケットが端末に紐付いていれば、公演情報やクーポンを送れるなど、マーケティングのツールとしても活用できますからね」

インターネット販売の普及は、違法な転売防止やダイナミックプライシング(条件によってチケットの価格を変動させるシステム)の導入を進める大きな契機になっている。今回の“チケットぴあ店舗の運営終了”は、急速に進み続けるIT化の流れを考えると、当然の結果と言えるだろう。

「10年ほど前から採算が取れなくなっていた店舗運営を続けていたのは、いわばお客様に対するホスピタリティのためです。インターネットが不得手な方や、顔見知りの店員と会話を楽しみながらチケットを買いたいという方もいらっしゃるので。この先はさらにネットにシフトしますが、しばらく電話予約は継続しますし、紙での発券がなくなるわけでもない。使いやすいサービスを提供することに変わりはありません」

エンタメの価値を取り戻す

2020年から続くコロナ禍によって、エンタテインメント業界は深刻な打撃を受けている。ぴあも例外ではなく、チケット販売による収入は激減。2021年3月期連結決算で、純損益66億円の赤字となった。しかし小林氏は「エンタテインメントは生活に不可欠。来年以降は必ず盛り返す」と言葉を強める。

「“エンタメは不要不急”などと言われましたが、我々は“エンタメやスポーツは人が生きていくうえで、なくてはならない”と考えています。ぴあが目指すのは『感動のライフライン』。いい音楽、いい映画、いい舞台を体験することは生きる希望ですし、必ずやその価値を取り戻したいと思っています」

ぴあは、来年で50周年を迎える。情報誌の創刊、電話によるチケット予約から電子チケットの導入まで、エンタテインメントに関わるサービスを進化させ続けているチケットぴあは、コロナ以降のエンタメにおいても大きな役割を果たすことになりそうだ。

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