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odol ミゾベ&森山が語る、バンドの“ムードと変化”「新しい扉が開きそうな予感がある」

リアルサウンド

18/10/25(木) 18:00

 東京を拠点に活動する6人組のロックバンド、odolが新作アルバム『往来するもの』を完成させた。「時間と距離と僕らの旅」や「大人になって」など、今年になって配信リリースしてきた楽曲が好評を集め、注目度を増してきた彼ら。新作には、持ち前の繊細なバンドサウンドだけでなく、ダンスミュージックやエレクトロニカにも曲調の幅を広げ、彼ら独特の美学を貫いた全9曲が収録されている。

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 特に「光の中へ」や「four eyes」といった楽曲は、彼らの目覚ましい“覚醒”を示していると言っていいだろう。すべての作詞を手がけるミゾベリョウ(Vo/Gt)と、作曲を担当している森山公稀(Pf/Syn)の2人に、手応えを聞いた。(柴 那典)

■森山公稀「この1年半ぐらい、ずっとライブのことを考えていた」
ーーアルバム、傑作だと思います。

ミゾベリョウ(以下、ミゾベ):ありがとうございます。

森山公稀(以下、森山):とても嬉しいです。

ーーこれはodolというバンドにとって、大きな成長を遂げた一枚になったと思うんです。作っている過程においては、このアルバムの全体像のイメージはどのあたりから見えてきてたのでしょうか?

森山:曲が出揃ってきて、最後の方だと思います。「これは大きいアルバムになる」って思ったのは本当に最後の最後ぐらいで。作っている上では「こういうアルバムにするぞ」みたいなものはなく、その都度いろんなこと考えて、闇雲に1曲1曲を作っていたんです。揃ってから、これはすごそうだとは思いました。

ーーその段階でどういうアルバムになったという実感、手応えがありましたか?

森山:最初は、言葉でまとめられない、一言で表せられないアルバムだなっていう印象がありました。長い期間かけて1曲ずつ作ってきたので、アルバムとしては2年半ぐらい時間が空いてるし、サウンドも様々です。一言で表すのは難しいなと思っていたんですけど、曲を何回も聴いているうちに“往来”という言葉が全体に流れるコンセプトとして見えてきました。

ーーそれがアルバムタイトルの『往来するもの』になった。これはどういうことを象徴しているのでしょう?

森山:まず一つは、この1年半ぐらいの間、ずっとライブのことを考えていて、ライブでお客さんと僕らの間で音を行きかわせることの“往来”という意味です。あとは、僕らがさまざまな音楽ジャンルを片足ずつ踏み入れながら歩き回っていることだったり、歌詞ではミゾベ自身の子供だった頃と今、そしてこれからと、そういう時間軸を行き来していることだったり。“往来”っていう、歩き回ってるような印象が、アルバム全体に通底してることが見えてきました。それでやっとタイトルが決まったんです。

ミゾベ:森山からいくつかタイトルの案が送られてきた中に“往来”という言葉があって、それを見たときに腑に落ちた感じがありました。歌詞を書いていくなかで、過去に遡ったり、現在や未来を見たり、距離を進んでいったり、そういう漠然としたイメージがずっとあったんです。今まで自分がやってきたことも、さっき森山が言っていたようなことだったのかなって。

ーーいろんな意味で“往来”という言葉が符合した感じがあったんですね。

森山:そうですね。アルバムのどんな側面を取っても“往来”していることは共通しているなって。たぶんここ数年の僕らの人生、音楽をやる上での美学みたいなものとも合致しているし、アルバム自体にもそれが出ているなって思います。

ミゾベ:前作のEP『視線』が、どこか一点や他者に向けての視線という“線”に注目した曲たちでした。それを作り終わった後に、『視線』の先に何があるかを確かめないといけないと思ったんですね。見ている方向にちゃんと自分が行ってみて、体験を通して実感を得ることで、想像を超えることができるんじゃないかっていう。そうやって曲を作っていって、作り終わった段階で気付いたことを総合したら、森山から“往来”という言葉が出てきた。そこには、視線を送ったり受けたりして交換しあうという意味も含まれているなって感じました。

ーーなるほど。“往来”というキーワードにはいくつかの側面があるのですね。それを一つひとつ紐解いていこうと思います。まず、森山さんが最初に話していたライブについて。odolというバンドは、ここ最近ライブをすごく意識してきた。一方通行じゃなく、聴いている人とのコミュニケーションとして音楽を鳴らすために試行錯誤をしてきて、そこで生まれたことがアルバムに結晶している、と。

森山:そうですね。『O/g』という僕らのライブシリーズを始めたのも、ここ1年くらいです。ライブの本数自体も増えたのですが、ライブが少ないころは、どうしても聴いてくれる人たちのことを勝手に思い浮かべて、その想像上の人たちに向けて音を届けていました。でも、ライブをやっていると本当にお客さんの顔が見えるので、そのひとり一人に対して、どういう曲を作っていくかという考えになる。双方向というか、その瞬間のお客さんの表情や空気感で演奏が変わることをやっと体感として得られたのが、この1年ぐらいでした。そういう意味でも、コミュニケーションとしての音楽をやっと実感できるようになってきました。

ーーアルバムには「four eyes」みたいに、いわゆる4つ打ちのダンスミュージックが入っていますよね。これは表層的に言うと、ライブで盛り上げるノリのいい曲を作ろうとして出来たともとれるんだけど、もうちょっと踏み込んでる感じがするんです。聴き手の内側まで踏み込んでいくタイプ、しかもそれでいてちゃんと肉体性を持った曲というか。その辺の試行錯誤はありましたか?

森山:まさにそういうところが「four eyes」で試行錯誤したところですね。この曲は、僕が人生で初めてクラブに行って、ビートのフィジカルな部分をやっと実感できたことがきっかけで生まれました。自分の身体と本能の部分で、動き出したくなる感じはあるのに、頭がそれをクールダウンさせるんです。いろんなことを理性で押さえつけるように、冷めて考えてる自分がいました。僕のそのクラブの体験は個人的なものだったんですが、そこで感じたことをあの曲で出したかったんですよね。みんなで盛り上がるっていうよりも、突き動かされて踊りたくなる感じと、それでも踊れない自分。だから、アガればいいってもんじゃないサウンドになってるのかなと思います。

■ミゾベリョウ「歌詞は意味よりもメロディにハマったときの気持ちよさ」
ーーミゾベさんは歌詞を書くにあたって、そういうイメージは共有していましたか?

ミゾベ:そうですね。僕はそのときクラブに行っていないので、事細かに話を聞いて書きました。ただ、それは自分の体験じゃないし、僕は森山が作った音楽に対して、歌うのは僕だから、自分なりの答えを見せないといけないとも思っていて。歌詞の内容に関しては、意味よりもメロディにハマったときの気持ちよさを意識して作っていきました。

ーー「four eyes」には〈またもうひとつ歳をとった〉というフレーズがありますよね。「大人になって」という曲も、まさにタイトル通り“大人になる”ということがモチーフになっている。これは“往来”というキーワードのもう一つの意味につながるところだと思います。過去、現在、未来と時間軸を行き来している言葉が多い印象ですが、なぜなのでしょうか?

ミゾベ:おそらく前作まで、時間軸としては過去を向いていることがほとんどでした。過去に起こったことをいまの自分がどう思っているか、過去の自分の感情を思い出したり、過去を見ているがゆえに無理やり前を見たりして書いた曲が大半を占めていて。でも今回は自分たちの置かれている状況として、前を向いていないといま目の前にある未来が、一瞬で過去になっていくような、そんなタイム感でした。後ろを向いている暇は全くなかった。だから、前を向いていたり、現在の自分の感情を見ていたりするような曲も混在しているのかなと思います。

ーーアルバムの中でも最も印象的なのが、リード曲になっている1曲目「光の中へ」でした。これはまさに変わっていくことを肯定的に捉えている曲だと思うのですが、森山さんとしては、この曲が出来たときに何か新しい扉を開けたような感覚はありましたか?

森山:ありましたね。作ってる途中で「これはやっとリード曲ができたな」って思ったくらい自信作です。完成したときも、やっぱりすごい曲ができたなと。最初にあったのは、最後の大サビのメロディだけだったのですが、当初は別の曲にそのメロディがついていました。その曲をいくらアレンジしても納得いかなかったので、一旦なしにして、そのメロディの魅力を最大限に生かす曲を作り直すことにして、「光の中へ」が完成したんです。サウンドの印象もかなりポジティブにできたので、満足感がありました。前作『視線』のリード曲「GREEN」が冷たい雰囲気を持つ楽曲だったので、それをお互い否定せずに引っ張り合えるものが出来て良かったです。

ーーなるほど。マーチングバンドのリズムというのは、どういうアイデアから?

森山:これは、ギターの井上(拓哉)がきっかけですね。井上は中学校の頃に、全国優勝したマーチング部に所属していたんですよ。

ミゾベ:中学校がたまたま強豪校だったらしいんですけど、そこでスネアを叩いていて、部長も務めていたようです。

森山:「光の中へ」を作ってる最中に、マーチング部のことを思い出して。ちょうどそのとき井上と一緒にいたので、「何かいい曲教えてよ」って言ったら、何曲か聴かせてくれたり練習曲の譜面を見せてくれたりしました。それで試しに制作途中の「光の中へ」に、マーチングバンドのリズムを打ち込んでみたら、めちゃくちゃ合うなと。そこから広げていった感じです。

ーー「光の中へ」はすごくポップな曲ですが、Aメロ、Bメロ、サビという構造ではなく、同じフレーズをループしながら徐々に上昇していくタイプの曲ですよね。なぜ、そういうものがアルバムのリード曲として必要だったのでしょうか?

森山:音楽で演出したくないという気持ちが僕らの中にあるので、「光の中へ」は僕ららしいポップスだと思うんですよ。派手に何かが始まったり、ドラマチックな展開をすることって、人生の中でほとんどないような気がしていて。実際に僕らの毎日は、グラデーションのようにゆっくり変わっていっています。odolの表現の始まりは、自分たちの体験や内側にあるものから持ってくることが多いので、脚色するのではなく、その瞬間のテンションで作っていくんです。「光の中へ」を制作している当時をいま振り返ると、僕らのなかでは、ぼんやりと綺麗な景色や未来が見えていて、それをそのまま表現したため、徐々に上昇していくタイプの曲になったのかなと思います。

ミゾベ:「光の中へ」の歌詞では、自分が変化していったり、前に進んでいけたりすることを肯定して、生きることそのものを歌っています。

ーーEP『視線』のリード曲だった「GREEN」が、4曲目に入っていますよね。これもすごくハマりがいいと思うんです。「光の中へ」から「GREEN」までの前半4曲には、テンション高く張り詰めたまま進んでいく感じがある。それも含めて「GREEN」という曲は『視線』を作った時とはまた違った位置付けになっていると思うんですが、どうでしょう?

森山:『視線』の中の「GREEN」は“答え”で、『往来するもの』の「GREEN」は“出発点”というイメージです。『視線』の制作期間は、「GREEN」を作るためにいろんなことを考えたり、言語化してケリをつけたりしてきました。それがあったからこそ『往来するもの』に進んで行けた。「GREEN」を作れていなかったら、『往来するもの』の曲たちは作れていなかったと思います。そういう意味でゴールとスタートじゃないけど、真逆の立ち位置ではあるかなと。

ーーこのアルバムの前半と後半は、雰囲気が少し違いますよね。後半の「人の海で」や「発熱」は、より孤独で閉じているイメージです。こういう曲も、odolにとっては自然に生まれるものなんでしょうか。

森山:まさにそうですね。どっちもバンド内に同時に存在している空気感です。それこそ陰と陽の2つが別々にあるわけではなくて、その間のムードがグラデーションのように徐々に変わっていく感じです。前半と後半でわかれているのは、意識的にしたわけではなく、僕らなりに気持ちのいい曲順にしたら、自ずとこの並びになりました。

ーーラストの9曲目には「声」という曲が入っていますが、アルバムの中で、どのような位置付けになっていると思いますか?

ミゾベ:『視線』を作ったあと、最初に出来た曲が「声」だったんです。充足感のなか、自然にできた曲でした。早い段階から録り終わってもいたのですが発表せずに、次に出来た「時間と距離と僕らの旅」と「大人になって」という曲からリリースしていきました。温めていた「声」という曲が、最後にあることで、アルバムを通して聴いたときに締まるという感じを受けましたね。

森山:この曲は「シックス」という仮タイトルがあったのですが、まさに6人で同時に作っていたんですよ。普段の基本的な曲の作り方としては、僕が最初に大まかな各パートのアレンジも含めたデモを作って、そこからみんなで触っていくんですけど、「声」では最初にあったのはピアノのループぐらいで、そこから一つひとつのパーツを6人がみんなで一つのPCに向かって組み上げていきました。そういう意味で、「声」には6人の間にある共通項みたいなものが詰まっていて。みんなが気持ちいいよねってなる音やテンション感が入っていて、。『視線』を作り終えたあとの6人のムードが、そのまま曲になっています。自分の曲という感じがあまりなく、odolというバンドの曲だなという印象が強くありますね。

■森山公稀「“往来”の前には“変身”がタイトル候補にあがっていた」
ーー「声」は、ある種の幕開けの曲というわけですよね。

森山:そうですね。

ーーということは、“覚醒”というのが、バンドの状況や成長だけでなく、アルバムのストーリーとしても軸になっていると思うんです。「光の中へ」という扉を開ける曲で始まって、「時間と距離と僕らの旅」という旅立ちをモチーフにした曲もあり、ラストの「声」というある種の幕開けのイメージを持った曲で終わる。“変わっていくこと”というのが、歌詞や曲のモチーフにもなっている。だから不思議とサウンドや曲調はバラバラでも、一貫性を感じるアルバムなのですね。そのことも、作り終わってから気付いたのでしょうか?

森山:まさにそういう感じです。1曲1曲を作っていたときは、その都度思っていたことをただ正直に音にし続けてただけなのですが、あとから振り返ってみると、ある種の統一感みたいなものがあるなと。作り終えたときに、僕らとしても“変わっていくこと”が共通項かなと思いました。“往来”という言葉の前には“変身”といった言葉もタイトルの候補にあがっていて、そういうイメージがアルバムに共通しているのかなみたいな話もしていて。“変わっていくこと”というのは、まさに大きなテーマとして存在しているなと思います。

ーーそれを踏まえてミゾベさんに聞きたいのですが、変わっていくことだけでなく、それによって失うことや手放すことといったものも歌詞の中の重要なモチーフとして出てきている印象です。

ミゾベ:もともとこの作品を作る前から自分には、変化していくことは儚いこと、切ないことだという気持ちが常にあるんです。物事を見るときにも儚さや切なさといったネガティブな部分が目に付くというか。そうじゃなくて、変わっていくことはポジティブなことなんだなと思えたこと自体が、僕にとっては最大の変化で、それを素直に書いたのが「光の中へ」という曲です。前に感じていたことが絶対じゃなくて、変化することが進歩することなんだなということも実感できました。ちなみに、変わることへの儚さを歌っている曲は、普段目に付いているようなところをそのまま歌にしています。

ーーなるほど。では、この9曲を作ったことによって、odolというバンドが、新しい扉を開けたという実感はありますか?

森山:どうなんだろう? 新しい扉が開きそうな予感があるくらいですかね。「光の中へ」の歌詞のなかにもあるのですが、〈闇の先を見ている〉という状態に近くて。まだ光の中にいるわけではないんですけど、光の手前に闇があって、そこを抜けられそうな雰囲気がある。

ーー夜明け前のようなイメージ。

森山:そうかもしれないです。

ーーその予感の先でodolというバンドはどんな風になっていると思いますか?

ミゾベ:どうなってるんだろう。

森山:すごいことになっていればいいなと思いますけど(笑)。でもやっぱり、そこが見えてるわけではなくて、その闇の先に光があることだけはわかるといった状態なので、具体的にどうなっているかというイメージはないし、自分たちにもわからないです。仮に見えてきても、それがゴールになってしまうのが嫌なので、あえて「こうなりたい」という場所は見つけようともしていません。たぶん、音楽を作ることに対する基本的な考え方やスタンス自体は、これまでとそんなに変わっていないし、これからも変わらないかなとは思います。

(取材・文=柴 那典/写真=林直幸)

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