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山本益博の ずばり、この落語!

お気に入りの落語、その十一『船徳』

毎月連載

第37回

(イラストレーション:高松啓二)

四万六千日 お暑い盛りでございます ー 若旦那がにわか船頭になって…

真夏の名作である。道楽者の若旦那徳兵衛が主人公で、昭和の名人八代目桂文楽の十八番(おはこ)だった。道楽者の若旦那は落語国の常連だが、『唐茄子屋政談』の同じく勘当された若旦那とは、少し様子が違う。矢野誠一篇「落語登場人物事典」から『船徳』のあらすじと徳兵衛の気風を読み込んでいただこう。

「柳橋の船宿大枡の居候。『いかにして女にもてるか』しか考えていない、色白の優男。もとは大店の若旦那だが、遊びが過ぎて勘当され、出入りの船宿の二階で厄介になっている。船頭に憧れ、『みんなが俺を見る』『様子が良いともてはやされる』などと妄想を募らせた揚げ句、『船頭になりたい!』と親方に直訴、強引に見習い船頭になる。

『教える方がこれぐらいで、教わる方もこれぐらいやれば』という形ばかりの手ほどきを受け、さっそうと大川にこぎ出すが、『赤ん坊をおぶったおかみさんを川の中へ落とす』など失敗続き。浅草寺の四万六千日の当日、船頭不足に乗じて、まんまと『客二人を大桟橋まで送る』という仕事にありつく。船宿のおかみや、竹屋のおじさんの心配や客の不安な目などどこ吹く風。舟が三度廻っても『いつものことです』といいながら、すいすいと舟を操っていたが、次第次第に大川の速い流れに押され、舟を石垣にへばりつかせてしまう。

客のこうもり傘で石垣を突いてもらい何とか脱出するが、こんどは汗が目に入って前が見えず、舟が流される事態に。最後の力を振り絞り、大桟橋が見えるあたりまでこぎ着けたが、そこで力尽きた。自力で川に入り桟橋を目指す客に『大丈夫かい』と聞かれ、『岸に上がったら、船頭一人雇ってください』。

もともと『お初徳兵衛』という人情噺の一部を独立させたものなので、『徳』は『徳兵衛』の略と思われるが、落語の若旦那の名としておなじみの『徳三郎』が使われることもある。(長井好弘)」。

文楽は、噺の前半、若旦那がにわか船頭になる件を、親方と船頭連中のおもしろおかしい掛け合いを見せてから、一言。

「四万六千日 お暑い盛りでございます」と言って、鮮やかに場面転換を図った。この一言で、真夏の炎天下の柳橋を描いてみせた。文楽亡き後、多くの落語家がこの名作に手を付け「四万六千日 お暑い盛りでございます」はそのまま受け継がれてきているが、極めつけは古今亭志ん朝ではなかろうか。

この噺の眼目は、にわか船頭の「徳」が、客をふたり舟に乗せて漕ぎ出すところにあるのだが、そのにわかぶりが顕著になるのが、舟を舫ったまま、竿を使い始める場面である。

船宿のおかみさんに「徳さん、徳さん、もっと腰を張って!」と言われても舟が出てゆかない。すると、それを見かねた客のひとりが「おい、まだ舫(もや)ってあるじゃねえか」というと、慌てて「徳」は「へえェ」と言って、舫いを解く仕草を見せる。これが、文楽の演出だった。

文楽の活躍していた昭和の時代なら、「舫う」が「つなぐ」と同じ意味であることを誰しもが理解できていたが、現代の若い客はこの「舫う」がわからない。

これを見事に解決して見せたのが、古今亭志ん朝だった。
客が「まだ舫ってあるじゃねえか」と言うと、それに答えて徳が「まだ、つないでありました」と返したのである。「舫う」という江戸言葉を大切にしながら、現代の若者にも状況が良くわかる言葉を駆使する。落語が時代を超えて生きてゆく現場を目の当たりにして、感動したものだった。
志ん朝以後の落語家では、月の家円鏡が橘家圓蔵を襲名したばかりのときに演じた『船徳』で、客が「まだ舫ってあるじゃねえか」というと、徳が「まだ結わいてありました」と返していた。

そのほかでは、数年前、日本橋「三越落語会」で聴いた柳家小三治の『船徳』が忘れられない。「四万六千日 お暑い盛りでございます」と言ったあと、船宿に向かう客二人の描写で、夏の盛りの柳橋の船宿の光景が一瞬、眼に鮮やかに浮かんだのである。小三治の言葉の至芸か?

COREDOだより 瀧川鯉昇の『船徳』

この夏6月のCOREDO落語会で高座にかけてくれた瀧川鯉昇の『船徳』も面白かった。脱力系の師匠が身体を張っての一席で、にわか船頭「徳」の、例えばねじり鉢巻きが何度やっても恰好ばかりでうまくゆかない優男が巧みに描かれていた。

「四万六千日 お暑い盛りでございます」では、「米粒の四万六千粒」の話の例えがユニークで、客席を唸らせ、噺の中途で着ていた羽織を丁寧にたたむ美しい仕草をみせ、噺の終盤、川へ着の身着のまま浸かる際の、オチの小道具として生かして見せる演出も冴えていた。

「舫ってある」はそのままだったので、終わって楽屋で、かつての志ん朝の巧みな言葉遣いを伝えると、鯉昇師匠、「なるほど」と感心しきりだった。次回から「つないでありました」と返してくれることを期待したい。

プロフィール

山本益博(やまもと・ますひろ)

1948年、東京都生まれ。落語評論家、料理評論家。早稲田大学第ニ文学部卒業。卒論『桂文楽の世界』がそのまま出版され、評論家としての仕事がスタート。近著に『立川談志を聴け』(小学館刊)、『東京とんかつ会議』(ぴあ刊)など。

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