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山崎ナオコーラが考える、性差のない未来 「父親も本当はおっぱいから乳を出したいんだろうな」

リアルサウンド

20/12/12(土) 10:00

 『人のセックスを笑うな』で純文学作家デビューし、『母ではなくて、親になる』『ブスの自信の持ち方』『反人生』など、数々の話題作を発表し続けている作家・山崎ナオコーラの新作『肉体のジェンダーを笑うな』は、父の胸から「父乳」が出たら子育ての形はどう変わるかを描いた「父乳の夢」、ロボット技術で妻が怪力になった夫婦を描いた「笑顔と筋肉ロボット」など全4編を収めた想像力豊かな小説集だ。

 「時代が進むことによって悩みが解決していく物語にした」と語り、性差が減った未来をユーモラスに描いた本作に、山崎ナオコーラはどんな思いを込めたのか。(編集部)

母親である私が書くことで、意味のある作品になった

――新刊『肉体のジェンダーを笑うな』に所収されている「父乳の夢」は、男性の胸からお乳が出るようになる近未来を描いていますが、どういうきっかけでこの設定は思いつかれたんですか?

山崎ナオコーラ(以下、山崎):この小説を書いたとき、私がまさに、生後二か月の子どもに授乳中だったんです。ときどきはミルクもあげていたんですけど、そういうとき子どもの父親が嬉々として作っているのを見て、本当は自分もおっぱいから乳を出したいんだろうなあと感じたんですよね。私が「ミルクはこうやってつくるんだよ」とか「オムツはこうして替えるんだよ」って先輩きどりで教えたときに傷ついたような顔をしたのを見て、親としてのプライドがあるんだな、というのも伝わってきた。世の中、父親が育児に参加しない愚痴や批判で溢れている気がしていたけれど、意欲の問題というよりは、肉体の壁とか労働時間が長すぎるとかっていう物理的な障害のほうが大きいんじゃないかな、と思ったんです。

――「父乳の夢」の主人公・哲夫も、育児に参加する意欲はめちゃくちゃあるけど、授乳ができないことや、あたりまえのように“母子手帳”と書かれていることに傷ついていますね。

山崎:友人知人の話を聞いていても、参加意欲のない父親ってあまりいなくて、むしろみんな本当はもっと参加したいと思っているんですよ。医療技術によってどちらの性別も授乳できるようになった世界でなら、仕事をしたい妻のかわりに父親が働き方を変えることだって、きっとできる。父親の立場で書くと自己弁護のように映ってしまうかもしれないけれど、母親である私が書くことで、意味のある作品になるんじゃないかなあ、と思いました。

――出産が、家族のなかで代々続いてきたものとして語られるのを聞いて、〈祖母や母親たち、同性だけで手を繋いで、異性を追い出す排他的な空気を作ったのではないか。「仲間に入れてくれ!」と哲夫は叫びたかった〉と、哲夫が寂しくなる場面が印象的でした。

山崎:家族に限らず、世代を超えて女性同士が連帯することを是とする最近の風潮は、とてもいいことだと思うんですけど、同じ属性の人としか連帯できないのもさみしいなあと思っていて。父親と母親でわけるのではなく、ただの親として繋がったっていいわけだし、親じゃない人とつながって育児することもできるかもしれない。もちろん、同じ属性同士で結束することも時には必要かもしれないけれど、本当は手を差し伸べたいと思っているのに属性がちがうせいで入れずにいる人がいるかもしれない、という視点は忘れないでおきたいですね。

――連帯って、むずかしいですよね。同調とは、ちょっとちがう。3編目「キラキラPMS(または、波乗り太郎)」では、理解教というのが出てきます。念仏は「わかるよ」。教義は、周りの人に「わかるよ」と言ってあげること。

山崎:よく言うじゃないですか。会話のコツとして「話を聞いてほしいだけなんだ」とか「否定せずにわかるよって言ってあげるのがいい」とか。そのセオリーみたいなのがあまりに蔓延して、宗教みたいだな……って思っちゃったんですよね。

――主人公の太郎がパートナーになんでもかんでも「わかるよ、わかるよ」「うん、うん、うん」と言っているのを読んで、「わかってないのにうなずくんじゃない!」って思いました(笑)。

山崎:でもそれもまた、わかる人同士でしか繋がれない、みたいなことに通じるのかなあと。たとえば流産したとき、私はそのことについて誰かと話したいと思ったんですけど、ネットで調べてみると「そういう話は流産経験者としかわかりあえないし、そもそもするべきではない、相手に気を遣わせるし、傷つくことを言われたりもするから」という意見が常識のように語られていた。

――たしかに、タブーとして扱われがちな話題ですね。

山崎:学生時代からの性別の違う友人に話したとき、確かに「流産の手術っていわゆる堕胎と同じなの?」とか聞かれて傷ついたんですけど……。そこで会話をやめるのではなく、「そうなんだけど、こういうことがあって」と普通に返すことができて、最終的に友達は、私が望むような理解をしてくれました。そのとき、話せてよかったなと思ったんですよね。あくまで私の場合は、ですけど、どうせわかってもらえないからと会話を諦めてしまうのは、すごくもったいないことなんじゃないかなあ、と。「わかるよ、わかるよ」と言いあえる者同士だけで労わりあって連帯し、わかってくれない敵に対抗していくという構図が、私にはなんとなく生きづらいんですよね。自分とはちがう属性の人とも、最初はなかなか会話が成立しづらい人とも、繋がっていきたいという想いがたぶん、私のなかにはあるんだと思います。

――犬山紙子さんとの対談(https://www.bookbang.jp/review/article/649377)で、「この作品に出てくる夫婦は、受け入れるためにたくさん対話をする」という指摘がありましたが、どの夫婦もけっこうすれ違っているし、相手にひどいことを言ったりするじゃないですか。でも、ちっちゃく傷つけあいながらも、完全にわかりあうことができなくても対話を重ねていく、というのがともに生きていくためには必要なんだろうな、というのは読んでいて感じました。

山崎:そうですね。収録されている4編は、私自身の状況とも重なってどれも育児中のお話になりましたが、育児中って本当に他人からあれこれ言われるんですよ。「帝王切開ではなく、頑張ってちゃんと産んだほうがいい」とか「粉ミルクじゃなくて母乳のほうが」とか、年配の方に言われて傷ついたという体験談もよく聞きました。でも私は、言われてもいいんじゃないの?って思っていて。単に、この方は帝王切開じゃない産み方をして楽しかったんだなとか、この方は授乳を頑張ったんだなとか思えばいい。真に受けなきゃいいだけだな、って。

――「父乳の夢」で、哲夫のパートナーである今日子も同じことを言っていますね。「武勇伝は、語りたいものでしょ。語りたい人がいたら、聞いてあげる人もいなくちゃ」と。

山崎:お話として聞いてあげたらいいんじゃないかと思います。ああ、あなたはそういう物語なんですね、私はあなたのとは違って粉ミルク物語なんです、みたいに。心が耐えられないほど傷ついてしまう場合は距離をとるのも必要ですが、「私は違うんですよ」って思うようにしているだけで乗り越えられるものはあるんじゃないかな、と。シャッターを下ろして断絶するのもひとつの手なら、断絶しないで対話しようとする手があってもいい。少なくとも私は後者の方向で作品をつくりたいと思っています。

――ナオコーラさんが育児中だったことが影響しているのだと思いますが、とくに「父乳の夢」の夢は赤ちゃんの描写がかわいくて。子どもを育てるってこんなにも楽しくていとおしいものなんだな、って感じました。

山崎:そう思ってもらえたならすごく嬉しいです。授乳している時期って、なかなか映画に行ったり長い小説を読んだりできないからつまんないなあとも思うんですけど、実は赤ちゃんそのものがエンターテインメントなんですよね。起承転結ある出来事がわりと頻繁に起きたりして、日々に物語性を見出すことができる。文学に触れていなくてもそこには確かに文学があるんだ!ということを、半分悔しまぎれに(笑)、作品にしたいと思いました。

――授乳することで赤ちゃんとの一体感を味わった哲夫は、だんだん自分と赤ちゃんの境目がわからなくなっていきます。だけど「薫ちゃんは日に日に僕と距離を取るようになるよね。(略)やがて僕は、仕事なり趣味なりで、自分の人生を生きなければならなくなるんだろうな」と気づく場面に、親子と言えども別の人間なんだという思いも感じました。

山崎:文学でもマンガでも、物語における親子って“続いていくもの”として扱われがち。母の願いを娘が叶えるとか、父親の仇を息子が討つとか。神話なんて各国そういうものだらけだから、もしかしたら、人間の脳がそう解釈するようにできているのかもしれないけれど、ちょっとやりすぎだよなあって思っていたんです。おっしゃるとおり、親子とはいえ別の人間であるはずなのに、血が繋がっているというだけでまるで同じキャラクターのように扱われる。あるいは、リンクしているものとされてしまう。でも、親と子供が同化してしまうのはとても危険なことだし、私は親の物語を受け継ぎたくもなければ、子供に継いでほしくもない。社会が発展していくためにも、親子の区切りはちゃんとつけたほうがいいと思うんですよね。

――今日子の言う「結婚に主人公が耐えられない」という話はものすごく印象的でした。結婚もしくは関係の破綻でたいていの物語は終わってしまい、その後を続けて語ろうとすると、なにがしかの“受け継ぐ”話になってしまうと。

山崎:今回は今日子が語るにとどめましたけど、いずれそこを主題にした話も書いてみたいなと思っています。連帯の話にもつながりますが、家族じゃない人ともつながるために人は社会を発展させてきたはず。それなのに、親子の絆をあまりに強固にとらえて、家族の一体感をあおるような話を聞くと、なんのために社会をつくっているんだろう、って思ってしまいます。

日本語の小説なら、性別をはっきりさせずに書くこともできる

――今日のお話もそうですが、今作でナオコーラさんは、男女という単語を出さずに性別を表現していますね。

山崎:私自身が、女性・男性って言葉を使うのが好きじゃないなということに、最近気がつきまして。最近、履歴書やアンケートに性別を書かないようにする動きが出てきたのは嬉しいことですが、いまだに書かなきゃいけない場面は多い。たとえば事件の犯人がつかまったときも「30代の女」とか「会社員の男」とか言われたりするじゃないですか。なにかの理由で必要な場合以外は、ただの「人」でいいんじゃない?って思うんですよね。性別がはっきりしていたほうが生きやすい人もいると思いますが、私は性別を問われない社会のほうが生きやすい。少数派かもしれないけれど、同じように感じている人は少なくないはず。だったら、性別を書かない小説も需要があるかもしれない、そういう本があったほうが生きやすいと思える人もいるんじゃないか、と思いました。あと、老い先も短いし、残りの人生は好きな言葉だけを使っていきたいなと。

――老い先は短くないと思いますが……(笑)。

山崎:(笑)。主語を省略して文章を書ける日本語の小説なら、性別をはっきりさせずに書くこともできるんじゃないかというのもありましたね。この路線は、今後も続けていきたいなと思っています。

――なるほど……。たしかに、私は女性であることがいやだとまでは思いませんが、「性別って邪魔くさい!」とうんざりすることはあるので、この本で描かれる性別が曖昧になっていく社会は居心地がよさそうで、うらやましかったです。

山崎:性的マイノリティの人に対して配慮しようという考え方は少しずつ広まっていますが、いわゆるLGBTQじゃない人に対しては遠慮なく性別の話をしてもいい、みたいな雰囲気はあるじゃないですか。でも、性的マイノリティではないけど性別の話はあんまり好きじゃない、という人は私のまわりにもいて。属性にかかわらず、性別の話はそんなにしなくていい世の中になった方がいいなと思っています。

――「笑顔と筋肉ロボット」の主人公・紬は、「小柄で非力なんだから、かわいい笑顔をこころがけて人に助けてもらいなさい」と言われて育ちます。でも、ロボット技術で怪力を手に入れたとたん、むやみに人におもねる必要はなくなって、自分の言いたいことをちゃんと言えるようになる。たしかにこれから先の未来は、技術が性別を溶かしていくことってあるだろうなあと思いました。

山崎:技術もコミュニケーションツールも少なかった時代は、小さい=力が弱い=助けてあげなきゃ、って瞬時に判断するしかなかったんだと思いますし、そういう意味では性別での区分けは理にかなっている部分もある。でもこれからは、そんなざっくりとした分け方で人を判断する必要がなくなってくるんじゃないのかな、と思います。ただ、私も性別でわけられるのは好きじゃないといいながら、こちら側の性であることで過酷な思いばかりしてきたかというとそうでもなく、重い荷物をもってもらえたり、面倒な矢面に立たなくて済んだり、ラクさせてもらってきた部分もたくさんある。いやだったときには文句を言うのに、よかったときのことはスルーしちゃうのはいいのかな?という疑問はあるので、そのつど立ち止まって考えていきたいですね。

――そこがナオコーラさんのフェアなところですよね。この小説でも、古い価値観に対して「性別でわけるのはこういう理由で合理的だったのか」「たしかにラクもさせてもらってきたけど、違和感はちゃんと表明したいから、自分もこういうところを改善していこう」という流れで描かれている。だからこそ紬は、ロボット技術を手に入れて、面倒なことも自分でなんとかできる道を選んだわけですし。

山崎:性別のことも含めて、私はわりと生きづらいなと感じることがたくさんあって、昔はそれを誰かのせいだと思っていたんですけれど、よくよく考えてみると絶対的な悪者はいないなと思い当たったんです。たとえば家事のできない夫を見て、教えてこなかった夫のお母さんはどうなんだろう?とは思いますけど、お母さんはいい人だし、息子に家事を教えなくてもいい時代に生きていたんだから当然のことなんですよね。性別に関する苦しみは、誰かがもたらしたものではなく、社会のシステムや空気感によって生み出されている。だから小説を書くときも、誰かを悪人にするのではなく、社会全体を見通した書き方ができたら、と思っています。

――力を手に入れた紬に対して、パートナーの健が、もう自分は必要とされなくなるんじゃないかという寂しさをこぼす場面がありました。その後、「『他の人にはできないことを補うことが仕事だ』っていう考えはもう古いのかもしれない。『誰にでもできることを、僕もやるんだ。それを仕事とするんだ』って考える時代になったんだ」というところはけっこう、泣きそうになりました。

山崎:若い頃って、いつか「あなたが必要だ」と言ってくれる誰かに出会えるんじゃないかと夢を抱いてしまう。私も20代のころは、誰にもできないことが“仕事”なんだと思ってたし、誰も書いたことのない大傑作を書かなきゃ意味がないと思っていた。でも大人になるにつれて、誰からもとくに必要だなんて言われないし、自分の代わりなんていくらでもいることにだんだん気がついていった。さらに歳を重ねて、みんなが言ってることを言ってもいいし、誰でもできる仕事をやってもいいんだっていうこともわかってきた。必要とされてなくても、生きていい。それが人生だし、社会なんだって私自身が気づけたから、誰かが「そうか、生きてていいんだ」って思えるきっかけになるような本を書いていきたいですね。私自身が若いときに、自殺しないで済む糸口が載ってる本がどこかにないだろうかと求めていたから、誰かが自殺しないで済む本を書きたいと思っているんです。

――何かを成し遂げられなくても生きていていいんだ、という想いは、以前刊行された『趣味で、腹いっぱい』にも通じるところがありますね。

山崎:そういうことばっかり書いてしまうんでしょうね(笑)。人って、他人に対しては寛容に「だめでも大丈夫だよ」って本気で思えるけど、自分のことになるとどうしても「なんでこんなにだめなんだろう」とか「成果を出せない自分には意味がない」とか落ち込んでしまう。でも、生きている意味なんて見つけなくたっていいし、唯一無二の人間である必要なんてどこにもないんだって空気をつくるのが、小説や映画の役割なんじゃないかと思います。

波のようなPMSとの付き合い方

――「キラキラPMS(または、波乗り太郎)」は、ひたすらフラットに生きてきた平太郎が、パートナーのPMSを理解しようとして、最終的に自身が生理になってしまう話。これもまた、肉体の境界線を溶かしていますね。

山崎:作家になって2、3年目くらいに、漫画家の小林エリカちゃんと小説家の西加奈子ちゃんとサンフランシスコ旅行に行って、なぜか生理の話になったんですよ。私は生理前後に精神的な浮き沈みが激しくて、PMSにふりまわされてきたタイプなんですが、2人はPMSという言葉自体あまり知らないみたいだった。それまで友達と生理について語りあうこともなかったし、その時の会話がなんだか印象深かったんですよね。もしかしたらこれは文学的な題材なのかも、と思いました。でも若い頃は、PMSなんて純文学の題材じゃないみたいな思い込みがあって、なかなか書けなかったんですが、老い先も短いし(笑)、書きたいことは書いておこうと思って。

――(笑)。すごくおもしろかったです。選ばれし勇者だけがPMSの波に乗れるという伝説のサーフボードが高い山の上にあり、登山の果てに見つけたことで太郎は生理になるという設定を、コロナ禍を舞台に描きだされるのが、突飛なのになぜかしっくりきて。

山崎:私も書いていておもしろかったですね。10年くらい前に写真家の石川直樹さんや劇作家の前田司郎さんとエベレストに登ったことがあるんですけど、太郎同様、私も高山病になって下山したんですよ。そのとき私も生理になったんですが、石川さんや前田さんは、私の状態をちゃんと理解してくれていた。そのときの空気感も「あ、文学になるな」と思ったのを思い出して……。最初はPMSって波だよな、と思ったところから始まっているんですけれど、山登りも波だし、コロナも波だよな、と気づいたところから全部が繋がっていってできあがった感じです。

――波乗り、というのがいいですよね。太郎と同じように、感情的にならず常にフラットでありたい、という人はたくさんいると思いますが、「なんで平になるように努力しないといけないのかなあ?」というところに、はっとしました。そうか、別に平にならなくても、うまく乗りこなせばいいのか、と。

山崎:社会人たるもの、常に同じ態度で平坦な心で誰にでも平等に接しなくてはならない、人前で泣いてはいけない、みたいなイメージがあると思うんですけど、社会って本当にいろんなタイプの人によって構成されているものなので。フラットな人しかまっとうな社会人じゃない、みたいに考えてしまうと、立ち行かなくなってしまうと思うんですよね。ときには感情的になっても許される社会のほうが、きっといい。コロナになって、そう感じる人も増えたんじゃないでしょうか。同じスーツを着て、社会人の仮面をつけて、満員電車に揺られて出社するのが仕事だって思っていた人たちが、あれ、そうでもないなって気がつきはじめた。

――多くの人が“こうあるべき”から解放されはじめた感はありますね。

山崎:みんなそれぞれ、自分に合ったやり方でできることをすればいい。同じ時間に会社に行かなくても、仕事は成立する。だったら、必ずしもフラットであることを大事にしなくてもいいんだ、とわかった今、波を肯定する小説が求められているんじゃないかなというのは書きながら思っていました。最後の「顔は財布」もそうですが、今回の本に収録した4編は全部、時代が進むことによって悩みが解決していく物語にしていて。今の時代は最高だって思うのがいちばん生きやすいと思うから。『肉体のジェンダーを笑うな』ってタイトルにはしましたけど、笑っても笑わなくてもどちらでもいいので、読んでいただけるとうれしいです。けっこう、おもしろい一冊になったと思います。

 なお『肉体のジェンダーを笑うな』というタイトルに込められた思いは、集英社文芸・公式note(https://note.com/shueisha_bungei/n/n9f52a2f71728)に詳しい。こちらもぜひ一読されたい。

■書籍情報
『肉体のジェンダーを笑うな』
著者:山崎ナオコーラ
出版社:集英社
発売中
定価:1,600円(本体)+税

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