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デヴィッド・ボウイ、99年パリの未発表ライブ音源で歌う“ブルーな情感” 『アワーズ…』制作時の葛藤と確執から紐解く

リアルサウンド

20/8/23(日) 12:00

 デヴィッド・ボウイの新たな未発表ライブアルバム『サムシング・イン・ジ・エアー(ライヴ・パリ99)』が、8月14日にデジタル配信リリースされました。これは1999年の20枚目のアルバム『アワーズ…』発表後のツアーにおける10月14日、パリのエリゼ・モンマルトル劇場にて行われた公演の録音となります。

 このアルバムについてTHE YELLOW MONKEYの吉井和哉は、盤ライナーでのコメントで「スゴイ、スゴ過ぎる。超最高だ。泣いた。こんなことがあっていいのか?」と述べています。にもかかわらず、『アワーズ…』は全米ビルボートチャートで1972年の5枚目『ジギー・スターダスト』以来、初めて40位内を逃し、47位という最低の成績を示しています。その結果を受けるようにこのツアーはたった8回公演というボウイ史上最も少ない回数になっていて、その前の『アースリング・ツアー』が83回ですから、いかに縮小されたかわかるでしょう。さらに内容を聴きますと、本年5月15日にリリースされた『アースリング・ツアー』のライブ音源『LIVEANDWELL.COM』と比較しても、あるいは歴代のライブ音源と比較しても、最も穏やか、というかダウナーな内容になっています。いったいボウイの『アワーズ…』期に何があったのでしょう?

David Bowie – Drive-In Saturday (Live at the Elysée Montmartre, Paris on 14th October, 1999)

 以前、他のコラム(参照:デヴィッド・ボウイは類まれなるソングライターだ 新たなアレンジで魅せる『チェンジズナウボウイ』を紐解く)で申し上げましたように、「ボウイに駄作なし」と僕は考えます。このライブも、聴き方のアングルを正しく掴めば必ず貴方の心を魅了するはず。そのためのガイドをさせていただきたいと思います。

 吉井和哉の文章の中にもそのヒントは隠れています。「こんなあったかいボウイは『ハンキー・ドリー』と『スペース・オディティ』以来初めて聴いた」とあります。そう『アワーズ…』のメロウなボウイは、確かにその通りの魅力を秘め、ナイーブさにおいては、屈指の素晴らしさを持っています。

 僕にとっては、思い当たるアルバムは1979年の『ロジャー』と1984年の『トゥナイト』。それらは前者が壮絶なベルリン、ヨーロッパ期の最後に作られたアルバム、後者が頂点のブレイク『レッツ・ダンス』(1983年)の直後に作られたアルバム。両方とも、ピークを迎えた後の心のナギを捉えた盤といえましょう。他のアルバムにはない、穏やかで伸び伸びと柔らかいボウイの情緒を満喫できる盤として両盤ともコアなファンの人気が高いです。

 『アワーズ…』は90年代のボウイのグランジ~クラブサウンドへの追及が『アースリング』(1997年)で最高潮を迎えた後の作品ですので、似たような状況にあるといえる。それにしても、このツアー回数は少なすぎやしないか?

 その理由は、このツアーメンバーから読み取ることができるかもしれません。

 ベースは、90年代、そしてこの後の2000年代も、晩年のボウイに添い遂げるように弾く黒人女性、ゲイル・アン・ドーシー。ギターとデジタル系のスーパーバイズも行っていると思われるプロデューサー格のマーク・プラティ。ドラムはスターリング・キャンベル。そしてキーボードは70年代The Spiders From Marsからの盟友となる名将マイク・ガーソン。バッキングボーカルにフレッシュなエム・グライナーとホリー・パーマー。

 90年代のボウイ・ライブならこのメンバーの筆頭として、1989年からTin Machineのギタリストとしてピッタリと寄り添うギタリスト兼シンセ&ボーカル担当、リーヴス・ガブレルスがいるはず。しかし見当たらず、ペイジ・ハミルトンという、Helmetというグランジ系バンドの元気の良いギタリストが参加しているのです。

Tin Machine – Interview with David Bowie, Reeves Gabrels, Tony Fox Sales and Hunt Sales (1989)

 しかし『アワーズ…』は全ての曲がリーヴス・ガブレルスとの共作名義なのです。ボウイがここまで名義を共作にした作品は他になく、ベルリン三部作(『ロウ』『ヒーローズ』『ロジャー』)でブライアン・イーノとそこそこの作品を共作、あるいは『アウトサイド』(1995年)で参加メンバーを多くクレジットしているのみ。

 『アワーズ…』は『The Nomad Soul』というゲームソフト用の楽曲と同時(一説によれば、ゲーム制作が先で曲がたくさんできてしまったため)に作られた作品。88年から10年余りに渡る付き合いでバッチリ気のあったリーヴスと、水入らずで作られた作品です。

 そんなリーヴスがなぜ? 当時は特にアナウンスもありませんでした。しかし今になって事情を調べましたら、明かされていました。『アワーズ…』制作中に二人は、意見が食い違い、制作終了でパートナーシップを解消、ツアーに参加しなかったというのです。いったい何があったというのでしょう?

 いくつかポイントはあったようですが、筆頭に描かれていたのは、「サーズデイズ・チャイルド」という曲の制作中の出来事。ボウイは当時大ブレイク中の黒人女性グループ、TLCをコーラスに入れようと提案したそうです。それに対しリーヴス・ガブレルスは「最低な気持ちになったよ。我々はせっかく求めたファンを獲得したというのに、TLCなんかが入ったらファン達は『ファック・ユー』というだろう」といったというのです。

TLC – No Scrubs

 真のボウイ・ファンなら、このリーヴスの発言には驚くに違いありません。TLCはちょうど1999年2月に3作目『ファンメイル』という大ヒット作を発表したばかりの女性ヒップホップの最高峰。前作からの3rdシングル「ウォーターフォールズ」では歌詞の内容と、SFX使用のクリップで話題を呼び、全米チャート7週連続1位という大ヒットを記録、日本でも多くの洋楽ファンを魅了していました。

 またボウイが1992年に結婚した妻・イマンは黒人ですし、ベースのゲイルも同様。そもそも楽曲「ヤング・アメリカン」「フェイム」「レッツ・ダンス」をはじめ、黒人奏者を歴代に多数起用してきたボウイ・サウンドは、黒人音楽が骨格、命といってもいいでしょう。繊細な音楽性を誇るTLCは90年代の黒人音楽の頂点、ちょうど60年代後半のDiana Ross & The Supremesと同様の存在だったといえましょう。

David Bowie – Young Americans (Live, 1983)
David Bowie – Fame 90 (Official Video)
David Bowie – Let’s Dance (Official Video)

 リーヴスとボウイのTin Machineは、1988年に結成され、90年代にNirvanaで始まる米グランジシーンを予言した音楽性でした。Red Hot Chili Peppers、Limp BizkitやRage Against the Machineといったバンドは、黒人ヒップホップを意識したサウンドを持っていましたので、米白人は引き続き、黒人音楽と仲良くやっていると思っていました。しかし、リーヴスの発言は、90年代には時にはミーハーになりすぎていたかもしれない黒人ヒップホップスターに対する米白人若者の感慨を示すかもしれません。ウンザリだよと。

 それにしても、です。黒人音楽の素晴らしさを自分の核に据えてきたボウイに対してはあまりにも厳しすぎる発言ではないでしょうか? 何といってもTLC参加という案、ナイス過ぎるでしょう。アルバム『アワーズ…』も大ヒットに至ったかもしれません。このことを今さら聞いたら、大多数の歴代ファンがリーヴスに「ファック・ユーはお前の方だ!」ということも間違いありません。

Tin Machine – Nine Track Compilation (Official Video)

 実はさらにその後、ボウイとTLCとの交流は続いていたのです。メンバーのリサ・レフトアイ・ロペスは2002年4月に死亡する前に、ボウイとコラボレーションしていたことを明かしました。ボウイは彼女のソロ作品のために曲を作っており、今後のTLCのアルバム収録の可能性もありました。2人はお互いの作品を尊敬し合うようにさえなっていったのです。

 そんな運命的な出会いの可能性をつぶしながら、リーヴスとの録音は終了しました。録音後、1999年8月23日に行われたVH1ネットワークにおける番組『Storytellers』(『MTV Unplugged』と同様の企画の人気番組)におけるライブの4日後、リーヴスは突然バンドを去り、ボウイはツアーのための代替ギタリストを探しに奔走しなければならなくなりました。このライブは『VH1 Storytellers』として2009年7月にリリースされています。

 長年の付き合いであるボウイ、リーヴス両陣営はこの決裂情報を穏便に隠し続けたようです。ボウイは、友達想いです。たとえば彼が「ヒーローズ」の詞を考え付いたのは、プロデューサーのトニー・ヴィスコンティが、バックシンガーだったアントニア・マースと共にスタジオを抜け出し、近所のベルリンの壁の傍で、誰も見ていないと思ってキスをしていたのをボウイが見た時です。しかし当時のヴィスコンティは奥さんがあのメリー・ホプキン(ポール・マッカートニーがプロデュースした女性)で、メリーに知られるとトニーが窮地に陥るということで、2000年代になるまでそのことを黙っていました。

David Bowie – Heroes (Official Video)

 通常ならパブリシティのためにゴシップネタとして話題提供される決裂ネタがボウイにはほとんどありません。彼は優しく品が良いのです。リーヴスもその後はThe Cureに加入し、収まるべきところに収まっています。

 リーヴスの代わりに急いで参加したペイジ・ハミルトンはファンならば満足のいく人選といえましょう。繊細でいながらも思いっきりハードネスで刺すところは刺すソロワーク。そう故ミック・ロンソンを彷彿とさせるギターです。

 90年代の豊穣な財産を受け継ぎつつ、リーヴスとの別れも含み、ちょっとセンチメンタルになっているこのライブにおけるボウイの与える情感は、ファンにはたまらない贈り物になると思われます。

 『サムシング・イン・ジ・エアー(ライヴ・パリ99)』の曲を紹介していきましょう。

 1曲目「火星の生活(Life On Mars?)」は1971年『ハンキー・ドリー』からのおなじみの作品。マイク・ガーソンのピアノ伴奏は、この曲のメロディの素晴らしさを伝える貴重なバージョンとなりました。

 2曲目「サーズデイズ・チャイルド」は問題のTLCの参加をボウイが提案した『アワーズ…』からの1stシングル。リズムもTLCの歌唱にちょうどよい具合になっています。それを想像しながら聴くと、実現したら、全く異なる力強くも妖艶な傑作となったことが容易に予想されます。返す返すも残念でなりませんが、エム・グライナーとホリー・パーマーのコーラスもまあ、可愛らしいですね。

 このライブアルバムのタイトルとなった3曲目「サムシング・イン・ジ・エアー」も『アワーズ…』から。意味深な内容です。「君と踊るのは長すぎた。僕らは最後に怒鳴り合った。戻ることはできない」と歌う歌詞は「ファック・ユー」とリーヴス・ガブレルスがボウイを断じた二人の関係であるように思えてなりません。1960年代の後半、サイケデリック時代に、Thunderclap Newmanによる大ヒット曲に同名曲がありますが、同名異曲になってます。

 4曲目「ワード・オン・ア・ウイング」は1976年『ステイション・トゥ・ステイション』の中の情感あふれる曲。神的な人格存在が自分の中で成長していく、というちょっと難解な詞。アメリカから漆黒のヨーロッパへの挑戦を開始しようとした時期に作られた曲で、1999年のボウイに新たな人格の目覚めを感じさせる選曲といえます。

 5曲目「キャント・ヘルプ・シンキング・アバウト・ミー」はレア曲。1965年に書かれ、「David Bowie with The Lower Third」名義でリリースされました。デヴィッド・ジョーンズからデヴィッド・ボウイに変わった初めての記念すべき作品となります。The Whoを彷彿とさせる60年代の香りでいっぱいです。

 6曲目「チャイナ・ガール」はもともとイギー・ポップのために書かれ、1983年『レッツ・ダンス』に収録された代表曲。数々の名演で知られますが、最も肩の力が抜けたこのバージョンも聴きやすくていいですね。

 7曲目「いつも同じ車で」は原タイトル「Always Crashing In The Same Car」で、1977年『ロウ』に収録。「制限速度を守り、信号を守り、右左に注意をしているが、ぼくはいつも同じ自分の車の中で壊れていく」という印象的な歌詞。生真面目なボウイが壊れる瞬間を描いているのでしょうか。

 8曲目「サヴァイヴ」は『アワーズ…』からの3rdシングル。珍しく相手に対する未練を歌っています。自分の気持ちはあくまで同じ、君の瞳には僕の姿が残るだろうと。やはりリーヴスへの気持ちを描いたか。あるいはポップスター像を全うしつつあり、大衆に対して示すボウイの矜持かもしれません。

 9曲目「ドライヴ・インの土曜日」は73年『アラジン・セイン』からの「ジーン・ジニー」に続く2ndシングル。全英3位をとってます。「すべての若き野郎ども」に続き、Mott the Hoopleに提供する予定だった曲。イアン・ハンターは曲の複雑さに戸惑って断った、ということですが、ボウイの方は断られたことに強いストレスを感じたようです。

 10曲目「チェンジズ」はおなじみ1971年『ハンキー・ドリー』からのボウイの代表曲。人生や社会に飲みこまれないように「変化しろよ」と若者に説く、温かくも感動的な詞。吉井和哉がいうようにメロディアスな『ハンキー・ドリー』から2曲も含む選曲は、このツアーの心境を物語っているといえます。

 11曲目「セヴン」は『アワーズ…』から4thシングル。新たに生きる一週間、7日という日々をどう生きていくか? ギターの弾き語り風バッキングで始まり、ロバート・フリップ風のギターソロでしみじみと語られる生活感は、ライブを止めた2000年代のプライベートな生活を予言するようです。この曲も1995年に大ヒットしたデヴィッド・フィンチャー監督の同名映画からタイトルを引用しているかもしれません。

 12曲目「レピティション」は1979年『ロジャー』より。「繰り返し」という意味のタイトルの世界を、抑制の効いたバッキングが強めています。

 13曲目「アイ・キャント・リード」はTin Machineの1stアルバム『ティン・マシーン』(1989年)収録のリーヴスとの共作曲。実は『アースリング』に採録する予定があったといいます。そんな曲が大詰めに登場するあたり、このツアーにはリーヴスの影を強く感じてしまいますね。

 14曲目「プリティ・シングス・アー・ゴーイング・トゥヘル」は『アワーズ…』からの2ndシングル。ボウイらしいロックンロールナンバーですが、テクノっぽいモジュレーションや抑制されたメロディが90年代っぽいキャッチーさを持ちます。ペイジ・ハミルトンのソロはかなりゴキゲンですね。

 15曲目「愛しき反抗(Rebel Rebel)」はおなじみ1974年『ダイヤモンドの犬』からの代表曲。もともとボウイ一人による多重録音でシングルが録音され、ミック・ロンソンとの別れの門出となった曲。そんな曲で終わるところが、このアルバムが「次」を感じさせるところです。2000年代はトニー・ヴィスコンティとのコラボを大復活させ、カルロス・アロマーなど、おなじみの黒人メンバーも参加し、ボウイは圧倒的な大作をモノにしていきます。そんな予感と去り行く季節への憂愁を湛えたライブ、ブルーな情感もしっかりと歌い切り、たまらないではないですか!

■サエキけんぞう
アーティスト、作詞家、1958年7月28日、千葉県出身。1980年ハルメンズでデビュー、85年徳島大学歯学部卒。86年パール兄弟で再デビュー、作詞家として、沢田研二、小泉今日子、サディスティック・ミカ・バンド、モーニング娘。マクロスΔ(アニメ)、他多数に提供。著書「歯科医のロック」他多数。2003年フランスで『スシ頭の男』でデビュー、12年「ロックとメディア社会」でミュージックペンクラブ賞受賞。16年パール兄弟30周年を迎え再結成活動本格化。19年「歩きラブ」20年秋渋谷クアトロで矢野顕子と共演。ロックを中心とした現代カルチャー全般、特に映画、などに詳しく、新聞、雑誌などのメディアを中心に執筆も手がける。

■作品情報
デヴィッド・ボウイ『サムシング・イン・ジ・エアー(ライヴ・パリ 99)』
8月14日(金)配信
ダウンロード・ストリーミングはこちら
<収録曲>
01. Life On Mars? / 火星の生活
02. Thursday’s Child / サーズデイズ・チャイルド
03. Something In The Air / サムシング・イン・ジ・エアー
04. Word On A Wing / ワード・オン・ア・ウイング
05. Can’t Help Thinking About Me / キャント・ヘルプ・シンキング・アバウト・ミー
06. China Girl / チャイナ・ガール
07. Always Crashing In The Same Car / いつも同じ車で
08. Survive / サヴァイヴ
09. Drive-In Saturday / ドライヴ・インの土曜日
10. Changes / チェンジズ
11. Seven / セヴン
12. Repetition / レピティション
13. I Can’t Read / アイ・キャント・リード
14. The Pretty Things Are Going To Hell / プリティ・シングス・アー・ゴーイング・トゥ
ヘル
15. Rebel Rebel / 愛しき反抗
Track 1, 4, 5, 7, 9, 10, 12 & 15:written by David Bowie
Track 2, 3, 8, 11, 13 & 14:written by David Bowie / Reeves Gabrels
Track 6:written by David Bowie / Iggy Pop

デヴィッド・ボウイ『OUVREZ LE CHIEN(LIVE DALLAS ‘95)』
7月3日(金)配信開始
ダウンロード・ストリーミングはこちら
<収録曲>
01. Look Back In Anger / 怒りをこめてふり返れ
02. The Hearts Filthy Lesson / ハーツ・フィルシー・レッスン
03. The Voyeur Of Utter Destruction (As Beauty) / 性倒錯者の完全なる破滅(美しき者の死)
04. I Have Not Been To Oxford Town / アイ・ハヴ・ノット・ビーン・トゥ・オックスフォード・タウン
05. Outside / アウトサイド
06. Andy Warhol / アンディ・ウォーホール
07. Breaking Glass / 壊れた鏡
08. The Man Who Sold The World / 世界を売った男
09. We Prick You / ウィ・プリック・ユー
10. I’m Deranged / アイム・ディレンジド
11. Joe The Lion / ライオンのジョー
12. Nite Flights / ナイト・フライツ
13. Under Pressure / アンダー・プレッシャー
14. Teenage Wildlife / ティーンエイジ・ワイルドライフ
15. Moonage Daydream / 月世界の白昼夢 (ボーナス・トラック)
16. Under Pressure / アンダー・プレッシャー (ボーナス・トラック)
Track 1~14: Recorded live at the Starplex Amphitheater, Dallas, 13th October, 1995
Track 15&16: Recorded live at the National Exhibition Centre, Birmingham, 13th December, 1995.

デヴィッド・ボウイ『LIVEANDWELL.COM』
5月15日(金)配信開始
ダウンロード・ストリーミングはこちら
<収録曲>
01. I’m Afraid Of Americans / アイム・アフレイド・オブ・アメリカンズ (Radio City Music Hall New York, 15th October, 1997)
02. The Hearts Filthy Lesson / ハーツ・フィルシー・レッスン (Long Marston, Phoenix Festival, 18th July, 1997)
03. I’m Deranged / アイム・ディレンジュド (Amsterdam, Paradiso, 10th June, 1997)
04. Hallo Spaceboy / ハロー・スペースボーイ (Rio de Janeiro, Metropolitan, 2nd November, 1997)
05. Telling Lies / テリング・ライズ (Amsterdam, Paradiso, 10th June, 1997)
06. The Motel / ザ・モーテル (Amsterdam, Paradiso, 10th June, 1997)
07. The Voyeur Of Utter Destruction (As Beauty) / 性倒錯者の完全なる破滅(美しき者の死)(Rio de Janeiro, Metropolitan, 2nd November, 1997)
08. Battle for Britain (The Letter) / バトル・フォー・ブリティン(ザ・レター) (Radio City Music Hall New York, 15th October, 1997)
09. Seven Years In Tibet / セヴン・イヤーズ・イン・チベット (Radio City Music Hall New York, 15th October, 1997)
10. Little Wonder / リトル・ワンダー (Radio City Music Hall New York, 15th October, 1997)
11. Pallas Athena / パラス・アテナ (Amsterdam, Paradiso, 10th June, 1997)
12. V-2 Schneider / V-2シュナイダー (Amsterdam, Paradiso, 10th June, 1997)

■デヴィッド・ボウイ 関連リンク 
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